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「始まったか」
ポーランド陸軍大尉、イェジィ・ヤンコフスキは、獣人たちが唄華とともに山を抜けて来るのを、じりじりと待ちわびていた。
(主よ、どうか彼女たちを護り、導き給え)
すでに何度心にそう思ったことか、砲炎が夜空にチラつく度、砲音が世界を震わせる度に、目と耳を塞いでしまいたくなるが、その実、瞳はますますギラつき、聴覚は研ぎ澄まされ、五体はそっくり戦場に浸っていった。部下から譲り受けた槍を片手で地面に立てて、仁王立つ姿は豪傑そのものである。
騎兵とは、難儀な兵科である。機動力と打撃力を持ち合わせ、その突撃は一撃で戦局を決定付けるほどの威力を持っているが、その力を発揮するために、他の兵科と比べ物にならない多大なリスクを背負い込んでいるのだ。
歩兵の切込み突撃は、細かな地形を駆使し敵陣へにじり寄り、あわよくば敵の目前を侵してエイヤと切り込むこともできるだろう。上手く敵陣に組み付いたら速やかに浸透し、グイグイと圧力を加えては寄り切ってしまうから後に敵は残らないが、騎兵はそうはいかない。たとえ不意を突こうが早期に敵にその巨躯を晒して真っ向から切り込まねばならない。身を隠す場所はなく、もしも機関銃が待ち構えていれば、そのひと薙で一段多大な被害を被るのことは必至であり、それでも遮二無二進まねばならないのだ。そして敵陣に乗り込んだらその一撃を持って敵中を突破し、撹乱し、抵抗の暇を与えず壊滅させなければならない。少しでもまごまごしようものなら、敵は、何ぞ大したことはなしと息を吹き返し、たちまち重囲の只中乱戦を戦うことになる。騎兵というものは歩兵との乱戦となるとなかなか脆いもので、こうなってしまえば負けなのだ。
そうならないためにも突破力、すなわち騎馬の重量に載せる速度が必要であり、騎兵はある程度の助走を持って後に突進を行う。この敵陣に到達するまでの秒間は無防備となってしまい、前述の通り、もしも敵に備えがあればこの時点で突撃は破砕されてしまいかねない。また敵が騎兵の迎撃ではなく殲滅を狙っていたとしたら、無防備を装いあえて突撃を受け、自ずから死地に飛び込むよう仕向けて来ることも考えられ、このような手に躍らされることなく、如何に敵に備えを与えず、敵の意表を突くか、指揮者は千変万化の戦場で即決を持ってこの駆け引きを制さなければならない。戦争という人の命を懸けた博打の中で、指揮者の心理は堅実に勝利を積み重ねることを求めるが、騎兵の戦いは常に博打めいていて足掻きようがないのだ。
そして日々の研鑽と、経験と、それに裏付けられた敵情の推察、分析の精度、直感的な判断力と、それのもとで発揮される果断さを伴った行動力、更にそれを支える将兵の団結力と、勇敢さ、何かひとつでも欠けていれば、戦いはままならず、待っているのは敗北である。
ヤンコフスキはこの世界に来て多少の記憶を失っても、戦いに必要なものは何一つ失っていないと信じていた。砲火が空を照らし周囲の地形を浮かび上がらせる中で、彼の頭は如何にして部隊を運用するかの判断を極めて冷静に行った。
尊敬する双子の姉の安否まで関わるとじっとしてもいられず、彼の側に立った末莉は、気迫に呑まれて、改めて自分が尋常ではない光景を前にしていると実感することになった。
振り向けば、槍騎兵たちの黒い影が、轡を並べて整然と佇んでいる。全員が、隊長であるヤンコフスキ同様決死の覚悟を湛えた瞳をギラつかせている。
(これがオトコというものですか……!)
獣人たちの決死たる姿には、闘志の中に儚い哀愁を感じた。優れた戦士であったとしても所詮は少女なのだ。
男たちは違う。闘志は全てを蹴落とし押し潰さんばかりの圧倒的威圧感を放ち、その場に居合わせてみれば哀愁などというものは塵ほど感じることなく、それはそれで感動的だった。末莉は自身の胸が熱くなり、目が潤むのをこらえた。
(こっちは大丈夫そうですね。あとはお姉さま、どうか上手く成し遂げてください)
ついこの間まで、平和を謳歌する日本で、姉妹揃えばこの世に不可能なしと信じて疑わなかった自分が、いまここで何ができるのかと無力感に苛まれていることが、それは口惜しくて仕方ない。
戦車を用いた夜間の突破を提案したのは彼女である。本当は自分が里に残りたかったが、唄華に押し切られ里を離れてしまった。出来る限りの忠告を与えはしたが、俄仕込みの知識は返って足かせとなりかねない。それが分かっているから、不安は積もるばかり、神でも仏でもいいから助けてくれと願うばかりだった。
「マツリ君、君ももう行くといい。ウタゲ君のことはわたしたちに任せてくれ」
「ヤンコフスキ隊長……」
「行くんだ」
右手で、距離を置いて陣取っていた戦車が交戦を再開していた。敵が更に接近してくるようなら、一度迎撃に打って出なければいけない。
「……ご武運をお祈りします」
敬礼する末莉の指先は震えていた。ヤンコフスキはそれを見て答礼を返すと、ふと温和な顔に戻り末莉に笑いかけ、彼女が立ち去るのを見送った。
予期していなかったが、援軍も取り付けた。後はことが上手くいくのを願い、全力でぶつかるだけであった。




