20
ロタ山は、獣人たちの里の北西の端にあたる。かつては竜が住み着いて誰も近付くことがなかったとされているこの山は、いまでは住み着いた獣人たちによってあちこちに横穴が掘られ半ば集合住宅のような状態になっていると同時に、いざというときの避難場所と脱出用の隠し通路が設けられている場所でもある。
たぶん、わたしが里にいなかった2年の間も、ここにこれだけの人数が集まったことはなかっただろう。数十人の獣人が、怯えてたり憤ってたり、眠気に負けてうとうとしてたり、似たような顔してても個性は豊か。キツネ亜人は特に。
「ああ、もうこんなの懲り懲りなのに……」
「よくも真っ昼間から起こしてくれたな! 誰だか知らないけど里に入ってきてみろ、ぶっ殺して食べてやる」
「いやもう我慢ならないよ。族長たちを説得してこっちからいこうよ」
「眠いんだけど」「眠い」「……くーっ……」
「そんなこと言わないで、せっかく生きてるんだから逃げようよぅ……」
避難所の一角に召集を受けて集まった彼女たちは非常時なのにまったく纏まりがない。重度の負傷者、病人、そうでなくとも死にかけの老人と幼子以外を全員集めただけだから仕方ないといえば仕方ないけどね。獣人の大半は、こうしろと言われるまでは自由奔放。
それに大半はわたしと同じように15にもなっていない女の子ばかりだ。男性がいないとはいえ、数年平和に暮らしてきた子たちの中には今更戦闘に借り出されるのは不満だという子も一定数いるだろう。基本的に何事もやる気ないし。
「ちょっと、あそこにいるの、里を出ていったはずのアトレイシアかも! なんで戻ってきたかな……あっ、さてはニンゲンにつけられたのかも!」
「うわっ、本当だ。臆病者のアトレイシアだ。なんでこんな時にいるの?」
「気にしない方がいいよ。下手に相手すると、またレンカさまかスズリカさまからお叱りを受けるよ」
数人がわたしの姿を見た途端に嫌そうな顔でそう言い合った。シェリナという本名は前にこの里に住むことになった時点ですでに使わないようにしていたから、知っているのはそれ以前に付き合いのあった数人とケイトだけで、他の住民はアトレイシアという名前しか知らない。
「あれ? アトレイシア? ねえねえ、アトレイシアだよね! わぁ、久し振り!」
どういうわけか、打って変わって嬉しそうにわたしに気付いて駆け寄ってきた子もいた。名前は……名前は……。
「……ん。久し振り」
出て来なかった。セなんとかだったような気がする。しっぽ振ったくってて可愛い。
「戻ってきてたんだ。2年間もよくひとりで生きていけたね」
「せっかく帰ってきてたのにこんなことになるなんて、相変わらずツイてないね」
他の子も次々声をかけにきてくれたけど、ごめんね。名前憶えてない。
どうしようかと困っていると、背後から殺気が漂ってきた。やっと見知った子が出てきた。間違いなく、これはリティアだ。
「……ふん、ニンゲンの手先が敵を連れて帰ってきたの? よく帰って来れたものね」
「アンタが出ていけば奴らも帰るんじゃない?」
「今度はアトレイシアがひとりで相手すればいいじゃん。前は何もしなかったんだし」
リティアにくっついているのはヤコアとアクラーナ。リティアの取り巻きにして同志の双子。この3人がキツネ亜人たちの中でも群を抜いてニンゲン嫌いで、ニンゲンの養子になっていて、戦火を逃れたわたしのことも大嫌い。
「ちょっと! そんなこと言っちゃダメだよ!」
「そうだよこんなときに! リティアちゃんとヤコアちゃんのいじわる! へそ曲がり! アクラーナちゃんもめっ!」
……あれ?
リティアたちが口を開いた途端壮絶な言い合いが始まった。こんなのは初めて。
「はあ? 何よその言い方!? こんな奴に何言ったってべつにいいでしょ!?」
「よくないよ! 獣人はケモミミ生えてたらみんな同胞! 差別よくない!」
「先にその同胞を裏切ったのはこいつよ!? ケイトがいるからってこんな奴に味方する気!? どいつもこいつもケイトケイトって、こいつだってもとは余所者じゃない!」
「ケイトちゃんは関係ないよ! あれもこれも勝手な決め付けで文句言わないでよ!」
リティアは小さい頃から付き合いがあるし、父親は族長だったわたしのお父さんの側近で、当然わたしの本名も知っている。見ての通りわたしとは険悪な仲ではあるけど、あれこれ言う割にわたしの出自をみんなには伝えてないらしい。スズリカに口止めされようが言いたいことは言う子なんだけど、どういうわけかアトレイシアで通してくれている、そんな不思議なところもある。
ヤコアとアクラーナの姉妹はリティアほど積極的に悪口を言っては来ないけど、しょっちゅう何も言わずに睨みつけてくるから怖い。どちらも歳上なうえにわたしより腕が立つ。
リーダーのリティアはそんな二人よりずっと強いから、この3人が揃ったときの発言力には同年代のキツネ亜人では敵わないし、他の子だって多少なりともわたしに不愉快な感情を持っているから、わざわざわたしの味方をする子はいないはずだけど……どういう風の吹き回しなんだろう。やっぱりケイトのお陰なのかな。
珍しく湧き出てきた叱責を受けて、挙句リティアは不機嫌になってそっぽを向いた。
「アトレイシアちゃん、気にしないで。一緒に頑張ろうね!」
「大丈夫だよ。わたしたちはいまを生きるからね」
「う、うん」
「知ってるだろうけど、リティアちゃん根は悪い子じゃないの。許してあげてね」
「ん」
「前はごめんね」
「ん。……ん?」
それから十数秒の間に何度「ん」と言ったことだろう。庇ってくれた子たちの名前を思い出そうとした結果返す返事すら出て来なかった。
ケイトが怖いにしても変貌ぶりが酷い。この子たちはどうして、わたしのことを庇ったんだろう? 途中何か謝られた気がするけど、内心はそれどころじゃなくなってて、適当に返事をしてしまった。リティアのことかな?
その疑問に答えが出る前に、族長たちがこの場に到着した。
「こらこらお前たち、この非常事態に何を騒いてるんだ。静かにしろ」
「あ、スズリカさま、それにレンカさまも! 攻撃ですか? 反撃ですか? 敵はおやつに入りますか? 入りますね!?」
「入らん」
「じゃあ噂になってる黒っぽいのかー、つまんないな~。食べれないんでしょソイツら?」
「ニンゲンならよかったのにねー」
「なんでもいいから早く逃げようよぅ……」
どうやら、この里の住人はみんな、タナトスの侵食を受けた世界をその目で見たことがない。「里の外じゃエイリアンが沸き出してニンゲンと戦争してるらしい」という程度の認識で、タナトスというもののことをほとんど知らないし、ニンゲンと戦争になっているエイリアンはタナトスに侵食されているものだとも認識していない。
「静かにしろと言っているだろ。全員整列! 各種族を代表して、レンカ族長から大事な発表がある。心して静聴するのだ!」
「「はーい」」
いくらか緊張感に欠けた雰囲気の中、スズリカと入れ替わるようにレンカが前に進み出て、この場に来てからずっと閉じていた目を開いた。
「……この里に、こうして皆が集まって4年になる。これまで平和に過ごしていたが、しかしとうとう、この時が来てしまった……」
レンカから漂う張り詰めた雰囲気にあてられ、欠けていた緊張感が蘇る。
いや、もともと周囲が暗くなり過ぎないように、何人かは無理して緊張感のないことを言っていただけの子もいる。やはり名前は思い出せないけど、ニンゲンたちとの戦いの中で修羅場をくぐり抜けてきた子たちだ。
「先に攻撃してきたのは異界の魔物、それもタナトスと呼ばれニンゲンたちと戦争を続けている悪霊たちが、今度はここを察知して我らをも侵略しようとしている。我々は再び生き残るため、武器を手に取り戦わなければならない。これは戦争だ」
「「…………」」
誰も声を上げる人はいない。レンカはそれを確認した後、更に続けた。
「この地を守るため戦う意志のあるものはここに残り、そうでないものにはこの里から出る許可を与える。今からでも逃げろ」
「「…………」」
再び沈黙で答えられたレンカは、両目に涙のしずくを溜めて深く頷いた。
「皆、礼を言うぞ。ありがとう。――では、スズリカ族長」
「なんだ?」
「あいつらとの戦闘経験が一番豊富なのはアトレイシアだ。アトレイシアを傍におきながら、お前が前衛で指揮を執ってくれるか?」
えっ。
「承知した」
嵌められた。この場でこんなこと言うなんて、戦いでわたしを目立たせてみんなからの好感度をなんとかしたいとか考えてるに違いない。
善意からの抜擢だろうけど、スズリカからしたら、わたしがみんなから後ろ指を指されるのは自分にとっても都合が悪いというのもある。スズリカ自身、族長なんてやりたくてやってるわけじゃないから、先代の子であるわたしに族長の座を押し付けるのも悪くないと思っているんだ。初めてわたしが里に来たとき「よく来てくれた。来年から族長は任せたぞ」と言い放ってこっそりヘルマーナにお仕置き部屋送りにされてたし、間違いない。
「術の扱えるものはわたしとともに来い。では、行動かい――」
「レンカさまレンカさまレンカさま! たたたっ、大変です!」
「あとちょっとのところで!」
突然、ドタバタと少女がひとり駆け込んできた。
レンカの見せ場が台無しだ。でもそこはレンカもさるもの、ノリよくずっこける素振りを見せたレンカの愛嬌ある姿に若干場が和んだ。
「何事だ? こんなときに!」
「麓で謎の一団が敵と交戦して、こちらへの攻撃がやみました! 戦っているのは見慣れない衣装を着たニンゲンの騎兵隊です! 戦況は劣勢で、長くは戦えそうにありません!」
……どう考えてもヤンコフスキ率いるポーランド槍騎兵たちだ。大人しくしててって言ったのに……まあいいや。
「レンカ、スズリカ」
「なんだ? アトレイシア」
レンカの脇で、スズリカが「いまそれを言うなよ」といいたげな視線を送ってきたけど、無視しよう。いずれ知れることだ。
「その人たち、わたしの知り合い。助けにいく」
周囲がぎょっとしてわたしに視線を集めたけど、きっと大丈夫。
「アトレイシア、せっかくわたしたちが知恵を絞ってやったのに、いまここでそれを言ったら元も子もないだろう……?」
「スズリカさま!? いまのお言葉、どういうことですか!?」
「スズリカ、みんなにはわたしから話す。助けに行かせて」
スズリカはレンカと顔を見合わすと、やれやれと肩を落としてため息をついた。
「そうか、いいだろう。もとより行く気だった場所だ。ヴィリア、わたしが先陣を切るから援護に回れ。ヘルマーナとコーニャは全員を追従させろ。細かい指示は移動中に行う。――出陣!」
自分は話を受け付けないという意思を込めて、強く高らかに号令が発せられた。
「……ニンゲンが知り合いってどういうことよ?」
「どうしてニンゲンがアトレイシアちゃんについてきてるの?」
レンカが号令を発してそれぞれが行動を始めた途端、族長の目をはばからず、移動そっちのけでみんなに取り囲まれた。
一瞬心配そうな表情を覗かせて脇を通り抜けたスズリカの背中を見送ったわたしは、みんなの視線と向き合って背筋を伸ばした。そうだ。みんなを騙したりはしない。ヤンコフスキたちを受け入れてもらうって決めたんだ。術なんかに頼ったりしないし、わたしは逃げない。
「戦ってくれているのは、わたしがこの前出会った外の世界のニンゲン。わたしたちに悪い感情は持ってない。里に入れてもらえるようにスズリカたちには伝えてある」
「里に入れる!?」「そんなバカな!」
困惑が広がると同時に、わたしに突き刺さる視線は鋭く、冷たくなっていくのを感じる。
どよめきの中、オオカミ亜人たちが冷静さを保ってわたしに訊ねた。
「チャニ様は、わたしたちの族長はそれを良しとしたのか?」
「うん。族長全員で話し合ってそう決まった」
「おいおい、聞いてねーぞ。なんてことだよ、最近退屈させすぎたのかな……?」
「とにかく、チャニ族長が良しとするなら文句は言えないね。僕たちは行くとしよう」
オオカミ亜人たちはそれ以上言わずに去っていった。もとから彼女たちはわたしのことを敵視していなくて、同じキツネ亜人の子よりもあの子たちの方がわたしと仲がいい。
「げーっ! あいつらいいのかよぉ、里にニンゲン連れ込もうとしたんだぞ、お仕置きで済むレベルじゃないって」
「まあまあ、あの人たちとっては族長に従わないことの方が問題だからね」
「それでもちょっとは言いたいこと言えーっ! このイヌーッ!」
そう言った子の頭をかすめて小刀が壁に突き刺さった。禁句を言うから……。
「……ごめんなさい。生言いました……」
オオカミ亜人にイヌとか言ったらダメ。わたしたちもそうだけど、あの人たち本気で嫌がるから。
「それで、どうする気でニンゲンなんかこんなとこに連れてきたのよ? ここはわたしたち獣人の里よ。軽々しく余所者連れてきていいとこじゃないの。寄りにも寄ってニンゲンだなんて、わたしたちのこと考えられなかったの?」
話の腰を折られたけど、気を取り直してリティアが詰め寄ってきた。ただ、オオカミ亜人たちがさっさと行ってしまったからか、憮然として、珍しく気迫に欠けている。
「リティア、あの人たちはわたしたち獣人の仲間になってくれる。会って話せばわか――」
「「わたしたち」? 同胞面すんじゃないわよ。あんたの言うことなんてどう信用しろって言うのよ? 裏切り者の卑怯者のあんたの何処を?」
話してる途中だったのに……リティア、その蔑むような目はやめて。
確かに、わたしは何もできなかった。何もしなかった。卑怯者かも知れない。裏切り者と言われても仕方ない。
でも、リティアだってお姉さんが殺されるとき何もできなかった。お父さんが、お母さんが殺されるとき、あなただって何もできなかった。わたしと同じように泣きじゃくるばかりで生き残った。
それに、きっといまでは仕留めてきたニンゲンの数はわたしの方が多い。わたしは夢見を悪くしてくれる子たちの分の復讐を済ませて来たんだから。
「……リティア」
「何よ?」
「信じて。わたしだってニンゲンは嫌い。でも、みんなのためなの」
ニンゲン大嫌い勢の先頭を行くリティアは、特にニンゲン絡みの問題で発言力の強さを発揮する。時間に余裕はないから、何としてもここでリティアを納得させて手っ取り早くみんなを巻き込まないと。スズリカの指示だけじゃ、ニンゲンを助けるために結束するには弱すぎる。このままじゃ助けに行ったところで、どさくさ紛れに何人か殺してしまうはずだ。それじゃわたしの望みは叶えられない。
「無理ね。みんなだってそうよ。お情けでよりを戻したところであんたに信用なんて無いのよ」
「嫌われ者のままでもいい。ヤンコフスキ、ニンゲンたちが敵になったときは、わたしのことも殺していいから、お願い。いまは見逃してあげて」
「へぇ……言うわね。あんたのその、自分のことを他人事に扱うところが嫌いよ。他人にしがみつかなきゃ自分を見いだせない、空っぽでつまらない無価値な奴」
否定はしにくいけど散々な言われようだ。数人が「そこまで言うことないと思うよ!?」と慌ててくれてるのが救い。みんな優しいね。
「でも、スズリカさまが入っていいって言ったんだから従わないと……」
「どんなニンゲンであろうと、いまわたしたちの代わりに戦ってくれてるのは確かだしねぇ。わたしはもう行くよ。これ以上議論して始まらん」
ようやくひとり、大きなマントで身を包んだキツネ亜人が他の子そっちのけで山を降りていった。名前は憶えていないけど、特徴的な出で立ちは記憶に引っかかる。
「シュトリーナのやつ、相変わらず連帯感がねーな。ま、人のことは言えねーけど」
「うぅーん、じゃあわたしも行こうかな。――おーい、待ってくれよシュトリーナ~」
「あ、待ってよカトリナ、だったらわたしも」
シュトリーナ……シュトリーナって子のお陰で更に数人が言ってくれた。よく知らないから名前だけ憶えとこう。ありがとう。
「リティア、ここはアトレイシアの言うことを聞いてみよう」
「……そうね。こいつも前とはちょっと変わったみたいだし、様子を見てあげましょ。ふふっ」
「あれ、いいの? リティアちゃん?」
最後に若干、悪意を含んでいる気もするけど笑みまで見せながらそう言ったリティアに意外そうな声が上がった。
わたしも少し驚いた。まだ渋ると思ってたのに、血のにおいがまだ残ってるからかな? ケイトが石鹸で洗ってくれたんだけど……。
「ただしアトレイシア、いま言った言葉忘れるんじゃないわよ」
「うん。リティア、ありがとう」
「……ふんっ。礼なんていらないわ。さっさと行くわよ」




