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「――よし、もういいぞ。二人がどうかしたのか?」
アトレイシアとケイトが去ったテントの中で、レンカがヘッドに訊ねた。
耳の良いキツネ亜人たちにも話がもれないよう周囲に結界が張られたが、ヘッドとしてはそこまでする必要があるか疑問である。つまるところ、此処から先は内証の話なのだ。
「じゃあ、単刀直入に訊くけどよ。あいつ大丈夫なのかよ? ケイトとは四六時中お熱いカップル見てぇにべったりでよ、今朝なんかケイトのやつ、起きたら隣にあいつが居ねぇからってガタガタ震えだしやがった。目も当てられねぇよ」
「仲がいいからの」
「おい婆さん、それだけじゃねぇだろ。それなら震えてないで探しに行くはずだぜ。ケイトはあいつが居なくなることを怖がってる、それは分かってるけどよ、目が覚めたらおはようのキスをしてくれなかったってだけであれはねぇぜ。あいつが居なくなったときは探しに行けねぇところに行ったとき、そんな感じだったな。あいつは何処か悪いんじゃねぇのか?」
「さあの? アトレイシアは見ての通りじゃよ。まだまだ若くて怪我は直ぐに治るし、血色もいい。食欲も旺盛じゃ。まあ、ちょっと鼻声じゃったがの。なんにせよ、お主が心配するようなことはないぞ?」
「しらばっくれる気か? 生憎おれは人の口を割るのが得意なんだ」
機嫌を損ねたヘッドは早々に強行策に出た。と言っても、傍から見たら何やら難解な言葉を口走っただけだが、実態はこの男の得意とする催眠魔術である。冴えない外見をしていて日頃不真面目でも、政治将校、言うなればソ連の政治委員の如くして、国家に反抗的な人物を処罰していた経歴を持つこの男は、業務上有用な技能はしっかりと習得していた。
「催眠か。魔術が使えると言っていたが本当なんじゃの。じゃが、儂には効かんぞ」
使う世界が変わっても無事ヘッドの魔術は発動したが、フウカには通用しなかった。魔術と妖術、ものは違えどこの若い老婆には問題無い様子で、年季の違いを見せ付けてご満悦である。
「嘘だろ? こっちの世界の術じゃねぇのに看破しやがった。バケモンばっかだなクソッタレ」
「そういうんじゃないわい。……しかしながら、お主はあの子を娘に欲しいとまで言ったし、それなりに信用できる。他言はせんと約束できるなら教えてやるぞ」
「それなら楽勝だ。口は堅いぜ?」
「……やっぱり不安じゃの。まあ良い。アトレイシアはな、類まれな力を持った子じゃ。あの子の内には危険な魔獣が巣食っておる。その力を借りればこの世の誰よりも強くなれるかも知れんのじゃ。じゃがの、あまりにも自らの受ける負担が大きく、力を使えば生命力を吸い取られ、精神を侵され、いずれは全てを取り込まれ、あの子自身が魔獣に変わってしまう」
神妙な面持ちで語りだしたフウカの言葉を聞きながら、ヘッドは短く口笛を吹いた。
「おもしれぇ話じゃねぇか。ますます気に入ったぜ」
話が本当ならアトレイシア本人にとっては重大な問題だが、この男からしたら自分のお気に入りが何やら特別な存在と知れて悪くない気持ちもある。勿論、口では冗談を言っても内心冷や汗を垂らしているのも事実だが。
「そうか。じゃが、気を付けるのじゃぞ。普段は押え込むように言いつけてあるが、あの子が眠りに落ち意識が薄まれば、拘束が緩み、意図せずとも魔獣が目覚める。最近、眠っているあの子の近くにいたニンゲンが噛み付かれているのはそのせいじゃ。最初は、あの子の持つニンゲンへの恨みを感じ取りニンゲンを食おうとする。血肉は魔獣の糧となり、力を増して、あの子を乗っ取ろうとするじゃろう。今朝ケイトが恐れたのは、アトレイシアの疲労の度合いが強く眠りが深すぎたために、一時的に魔獣に身体を乗っ取られたのかも知れんと勘違いしたんじゃろうな。もしそれでニンゲンを食っていれば、あの子が目覚めても身体を取り戻せるかはわからん」
「おいおい、冗談だろ? 本当だってんならどうしてそれを秘密にしてんだよ?」
「そうしなければお前たちはあの子を恐れ、爪弾きにするじゃろう。お前たちが拒絶すればそれはまた悲しみとニンゲンへの恨みへと繋がる。負の感情はあの子の心を惑わせ、内なる魔獣に付け入る隙きを与えてしまうのじゃ。それはならぬよ」
「もしその時が来たら、ケイトにはアトレイシアを討つように命じてある。身体を乗っ取ったところで、あの子の自我が残っている間はケイトを討てないだろうからな。だが、ケイトのアトレイシアへの愛情も本物だ。気持ちは分かる。覚悟がついていないんだろう」
「……ああ、そうかよ。思っていたより話がファンタスティックだけど、分かったぜ。このことは誰にも話さねぇ」
スズリカの補足を受けてなお、ヘッドにはいろいろと言いたいことがあるようだが、ひとまずのところは納得することとなった。獣人とは言い合っても話にならない事は良く分かっている。
「あ、因みにいま言ったことは全部ウソじゃ」
「このクソババァ! 吐きやがれってんだ!」
この時、ヘッドはフウカの言うことをなるべく信じないように心に決めた。まあ、もとより眉唾物と思ってはいたのだが。
結局ヘッドは、アトレイシアが里を出た際のショックがトラウマとして強く残っているため、ケイトはアトレイシアの姿が見えないことに過敏に反応しただけだと言い包められた。そういう時は声を掛けて気を紛らわせ、アトレイシアが戻って来るのを待てばいいと。
しかしながら、精神面で異常なまでに依存し合っている二人をこのまま第一線で活躍させるのは、ヘッドを始め周囲年長者の精神衛生上宜しくない。戦場とは理不尽なもので、いくら心技体を極めた剛の者でも、そこに立てば生きて帰る保証は無いのだ。無論、それを承知の上で獣人たちを戦わせてはいるのだが、受け入れ難い思いはどうしようもない。獣人たちは将兵の誰からも愛されており、又アトレイシア個人に対して恩を感じている人間も多かった。
族長であるスズリカにも二人には特別な思い入れが有り、二人に抱いている信頼と愛情の程は他と一線を画すものである。
(できることなら先代族長の血を引くシェリナには生きてもらい、時代を担う子を産んでほしいのだが、溺愛しているケイトは賢く聡いが時に要らぬ哀れみを持ち、敵を前にして隙きを作る。ペスティスと戦っている内はいいがニンゲンを相手し始めたらどうなることか。いっそケイトがわたしの代わりに族長として皆をまとめ、然る後にシェリナの子に族長の座を譲るか決められたらいいのにな……)
などと残念ながら叶いもしない願いを持ち続けてしまうスズリカは最近、時折胃が痛くなるようになった。例えば正にいまがその時である。しかしこれは二人ばかりに限った話ではなく、二人を特別に扱っていては、すでに最愛の妹であるアクラーナを亡くし傷心したヤコアは無論、他の獣人たち、そして当人たちも納得しない事は、容易に想像出来るではないか。先代族長の通った轍を踏む様な真似は、誰からも許容されないだろう。
「ニンゲンが争いなんて吹っ掛けてこなければ、わたしが族長になってこんな思いしなくて済んだのに」
「身もふたもないこと言うなよ」
「……お前にだけはそんな指摘されたくないな。何にせよあの二人を外す訳には行かない。お前だって困るだろう?」
口が素直なことに関してこの男の右に出るのは、無邪気でお喋りな子供くらいのものであろう。
「だろうな。……まあいいや。今回の任務もピクニック見てぇなものだと思って、送り出すとするよ。明日は雨だから出発は明後日か?」
「それでは地面が乾かないまま行くことになる。出発は明々後日だ。それまでに準備を済ませてくれ。――マツリも、それでいいな?」
「はい。それで行きましょう」
ヘッドの内心に煮え切らぬ思いを封じたまま、ここに話は纏まった。これ以上彼がここに居る必要は無い。それどころか何処で油を売っていたのだと部下から煩く詰問されぬとも限らない為、自然と足は外へ向かった。今からあの部下たちの相手をしに行く事からそもそも遠慮したい事ではあるが、致し方無いだろう。
「ヘッド」
テントを出ようとするところをレンカに呼び止められた時、この男はふと、アトレイシアとケイトについて気に掛ける自分に、ささやかながら温かい言葉でも掛けてくれるのかと思って、少し期待しながら振り向いていた。
「不祥事の隠蔽を図ったそうだな。始末書を書かせるにも紙が無いが、とにかく、パートリッジには伝えておくから今から謹慎しろ」
期待外れにも厳しい口調で言われ、思わずヘッドは憤慨しかけたが、何分察しの良い男である。この程度の言葉の真意には直ぐ気付いて、自ら頬を叩いて場を執り成すのだった。
「――あ、今の顔は忘れてもらいたい。今直ぐマイホームに引き篭もる事にするから、これ以上のお目玉は御免被るぜ」
この宣言通り、この後ヘッドは自身の住居であるテントに戻り、意外と聞けるギターの練習を始めたが、調子に乗って歌い出したところでキツネ亜人にキレられ独居房送りとなった。




