ある宴に至るお父さんの道
うちの娘は世界で一番かわいい。
そう思わない父親が存在するわけがないし、それはエルフだって代わりはしないとドレモンド卿は思っていた。
「あら、バカじゃないの?」
妻はその長く伸びた耳をピンと立ち上げ冷たく言う。
もちろん妻だって可愛くないわけはないのだ。顔貌の事を言うなら理論上可愛いのだ。そう思ったから結婚したのだ、多分。
ドレモンド卿がエルフなら妻もエルフ。辞書を引けばエルフという項目には真っ先に「美形」と言う言葉が書かれるであろう。色素の薄い金色に輝く長い髪、エルフの証の長耳はよく尖り、しなやかに伸びた体。妻はあまり外へは出歩かず、もっぱら魔術を極める方向の人ぶ……エルフ物だったから、肌の色はことさら白いし、筋肉が少ない分豊かな胸を誇っている。
うむ、いや妻は美人なんだ。そう、それは分かる。
分かるけど、娘の前では霞むんだ。
一応補足しておくとドレモンド卿は一応恋愛結婚である。
クールでニヒルで頑固者。一度決めたことはてこでも変えない。ぶっちゃけめんどくさい。彼が恋愛結婚できたのは奇跡の賜である。つまりは、めんどくさい男をからかうのが趣味な女性と出会った奇跡。
その結果の娘をかわいがって何が悪いというのだろうか。
「でも、年頃の娘にとって父親というのはウザったいものなのよ」
そうかもしれない。
でも、だ。ドレモンド卿はエルフだ。それもハイエルフ。そして愛するーーと言うことにしておくとどこに対しても角が立たない。実際はもう少し複雑な感情だとしてもーー妻も幸運な事にハイエルフだ。エルフ以外の存在など認めん。エルフはエルフでもダークなエルフも嫌だ! ………それはそれとして、ハイエルフの両親を持つ娘はどうなるか。つまりはエルフだ。
さて、エルフの娘の年頃というのはいつ終わるのだろうか?
そりゃ定命の者ならほどほどの所で年老いて、年頃の時期というのは終わるであろう。多少寿命が長いとは言えドワーフだっていつかは年老いる。いやあいつらは生まれたときから髭面で女子供も年寄りみたいなもんだが、まあそうだ、そういうことは置いといて、年頃の時期はいつか終わるんだ。
エルフはそうはいかない。
つやつやと輝くばかりに美しい妻はシワひとつなく機敏に動く。老いなど感じられない。子供を産んでいるというのに、そのことによって彼女の美しさが一つも毀損していない。冷静に、客観的に、感情を排除して、他人のつもりになって妻を分析した所ーー彼女は年頃と言ってもよいのではないのか?
妻が年頃の女だというのに娘が年頃を卒業しているわけがないのである。
娘の永遠につづく年頃をドレモンド卿は待てないのだ。
「あら、お父さまお久しぶり」
娘は興味なさそうに言った。
実に三十年ぶりの再会である。
「………………………………………………うむ」
たっぷりとした間は大仰そうに見せる会話には必須である。昔ながらの生き方を守るエルフはたいてい三点リーダーを使いこなす。
ドレモンド卿は愛する娘にだって手を抜かない。媚びるエルフはエルフじゃない。ドワーフを持ってくればデレるというのはドレモンド卿には通じない。
逆に娘は今時の、ナウでヤングな世代はまるで人間のように気軽に言葉を使った。同じノリで彼女の母がが対応しているが、この場合妻の年齢は忘れておくことにする。エルフの女はいつでも年頃の娘だからな。
「ねえねえ母さま、キディングパイは作っておいてくれた?」
「ふふん、わたくしが作ると思って? ちゃんと崖の下のマリーアに作らせておいたわ」
「さすが母さま! 大好き」
母娘は笑顔で抱き合う。なお、父親にはまだ手を一つも振ってもらえていない。
そんな逆境にも負けず、ドレモンド卿は問いかける。
「…………………………いつのまに連絡を取り合ってたんだ」
二人の会話は、久方ぶりにしてはやけに綿密である。夕飯の指定を妻はどこで聞いたのだろうか。
「一昨日先にこの子の鳥が来たじゃない。手紙を持って。アナタにも見せたでしょ」
眉をひそめて妻は当然のように言う。
不思議なことにドレモンド卿の記憶には娘の使い鳥のことなど全く記憶になかった。
「…………………………………そんなことあったか?」
「やっだーお父さま見てないのー?」
たっぷりと取った間は時に非常に不便だ。
人間と向き合うときならば大物のように感じさせる効能があるが、エルフ同士でやってると大物も何もない。そのれなのに聞きたいことがいつまでも聞くことが出来ないなどという副作用がある。この場合のドレモンド卿がまさにそれだ。気づかれない程度にこっそりと間を減らす。
「……見てない」
「うっそー! これから来るって言ってるのにぃ~」
ドレモンド卿が次の言葉の間の長さに迷っている間にも母娘は「ありえないわよねー」「信じられなーい」と声を上げる。更に妻は長櫃を漁っている。
「………来る? なんだ? 何か思い出すような、いやだが記憶にはない………ような……」
手紙と思われる白い巻紙を手にした妻が心底残念そうな目があった。ドレモンド卿の背中に汗が流れた。
ーーあの手紙は見ないほうが良いかもしれない。
全く記憶が無いと言うのに、やけに不安が過る。やばい。多分、まずい。
「う、うむ。あーそのなんだ。なんかこう、そういえば勇者的な存在のために指輪用意しないといけないんだったな! うむ。エルフの叡智を注ぎ込んだ、ミスリル銀で作ったな! あー忙しい。うむ、あとのことは任せたぞ」
エルフ方言の特徴の間すら忘れて早口でドレモンド卿はまくし立てた。その上で体の半分は既にこの場を撤退する準備万全である。
エルフというのは機敏なのも売りの一つなのだ。
そしてそれは撤退するドレモンド卿よりも妻の方に当てはまったようだ。
「ちゃ~~んと見なさい。ほら、ここにアルでしょ?」
ーー結婚したい人ができたから連れて行くねー☆
「……………………………………………………」
ドレモンド卿が言葉を発しなかったのはエルフの偉大さをアピールするためではない。いわゆる言葉を失った状態だからである。
「結婚式はサラハンの街でやりたいと思うの。海というのは素敵だわ。青いしキラキラしているし」
「良いわねえ……わたくしはこの都でやったから見渡す限り木、木、木、木だったわあ……そりゃあ木の良い力を浴びながらやる式は悪くないものよ。でも、長い人生刺激も欲しくなるわ。わたくしは賛成。いっそ式の後は世界をめぐるたびにでも出ようかしら? 冒険者として日銭を稼ぎながら風のゆくままの自由な旅……ねえ、アナタ?」
「…………………………………………」
「反論がないってことは大賛成ってことね。さあ、可愛い娘の選んだ方に会えるのだから支度しなくっちゃ。緑シルクのドレスが良いかしら? それともモスリンの?」
「私も準備しないと」
ドレモンド卿は世界中に伝えたい事が一つだけあった。
娘を持ったエルフの父親というのは悲しい存在であるということを。