01 紫水晶(アメジスト) ①
チクショウ、あの放任教師!何でクソ暑いのに学校に行かなきゃならないんだよ!
ガタンゴトンとリズムを刻むように規則的に揺れる電車の座席の隅っこに俺は座っていた。
夏休み真っ盛りだからだろうか、車内に人影は少なく、座席はガラガラだった。
今日は補習がある予定だ。
教師曰く、「英数以外の成績が悪いから」らしい。どうせ英数以外の教科の知識なんて使わないだろ?
社会に出て使うのは英語力と計算力と丁寧な言葉遣いだけ。それ以外の教科の知識なんてどうせ無駄無駄無駄無駄。
何イオン結合て、何遺伝子て。あんな物使う訳無いじゃん!いや、使わなくていいじゃん!無駄無駄ァ!!
そして英語と数学さえ出来てれば良いんだよ!
I can speak English!そう人前で堂々と言えるようになれば良いんだよ!
『次はー、北秋野ー。北秋野ー。』
「おっ…。」
目的地の高校の最寄り駅に着くようだ。
座席を立って、扉の前に移動する。
プシューっという空気の抜ける音がして、自動ドアが開かれる。すると、その瞬間に身体全体を熱気が包んだ。
うっ……やっぱ暑いな……。ザ・サンでも浮かんでるのか?今は昼って思っていたけど、本当は夜だったっていう事か…。
そういえば、今日はこの夏一番の熱波が来るんだったか?これが地球温暖化の影響っていう事か……。
「地球温暖化、恐るべし……。」
そりゃあ海抜がマイナスの平地の国が総力を上げて食い止めようとする訳だよ。
気温は上がるわ海面は上昇するわで、もう踏んだり蹴ったりだな…。
一歩右足を前に出して、電車とホームの境界線に跨がる。熱気の度合いが上がるが、勇気を出して更に左足を前に出す。
電車から降りたと同時に冷房の効力が完全に無くなった。
いや、何この暑さ。日本って温帯だったよね?熱帯じゃないよね?もう30℃後半行ってるんじゃないのか?
「暑い…ただひたすら暑い……。」
カッターシャツの胸元を掴んで、パタパタさせる事によってカッターシャツの中まで冷たい空気を入れ込む。
ここから高校まで歩くのに要する時間は掛かっても精々5~6分くらいだ。
長時間炎天下に居るのでは無い為大丈夫とは思うが、念には念を入れてホームのベンチと案内表の間に挟まれた自動販売機で120円のスポーツ飲料を買う。
250mlのお手頃サイズの物で、肩掛けバッグの側面の小さなポケットにスッポリと収まった。
熱中症で倒れるとか洒落にならない。
あれって気分メチャクチャ悪くなるって言うし、出来ればなりたくないからな?
この手の物は自作出来ると聞くが、前に失敗したのでいつも市販の物を飲んでいる。
レモンと塩をドバドバ入れまくったせいで味覚がショートしたのは幼き日の思い出。
「にしても、あんまり人居ないな……。」
この気温のせいだろうか、ホームには人影が数える程しか無く、改札口を出ても大通りには歩行者は誰一人居なかった。
あれ?もしかして俺って浮いてるのか?
こんなクソ暑いのに外出る俺って馬鹿なのか?
「ははっ……。」
テッテテテテテン テンッテンッ
テッテテテテテン テテテンッ
ふと、その時着信音が鳴り響いた。この耳に焼き付いた音の旋律は間違いない。俺の携帯電話が鳴っている。
ズボンのポケットから手早くタッチパネル式の携帯電話を取り出し、着信に応えた。
「はい、もしもし?」
『よう!こんなクソ暑いのに補習なんてお前もツイ』
うん、ただの間違い電話だろう。イタズラ電話だ。イタ電。
あんなピザ声の奴が俺の友人、いや、周りに居る訳が………ありましたよ。
くそっ、アイツ、今のタイミングに電話掛けんな!
数十秒も経たない内にまた着信が掛かって来た。今度はそれを華麗にスルーする。アイツの話なんて金箔みたいな薄さだ。世界最薄だよ。マイクロメートルの世界だよホントに。
「さて……行くか。」
テッテテテテテン テンッテンッ
テッテテテテテン テテテンッ
またまた着信が掛かってきた。
駄目だ、もう出るしかないらしい。くそう!嫌なのに!
「はいもしもし?」
『おい!着信拒否をするな!悲しくなるだろうが!』
お前の心情なんか知ったこっちゃないぞ。
この声の主は俺の友人……と言っていいのか分からないが一応友人の長岡 健太郎だ。
夏休みや土日といった休みの日には一日中部屋に籠もってネットの海を大航海するという名前の「健」という字に180度反した私生活を送っている。
声と混じって聞こえる爆発音からゲームをしながら対話をしている事が分かる。全く、無駄に器用な奴だ。
「はいはい……で、用件は何だ?」
『いや、ちょっと相談したい事があってな?』
「相談したい事?お前にしては珍しいな…。」
『おう……。』
健太郎が相談する事なんてどうせしょうもない事だ。
この前は確か女性のスリーサイズをパッと見ただけで当てれるようになりたいとかいう呆れた相談をされた。俺はその時、自分でも出来たのが不思議なくらい綺麗にスルー出来たが、今回は出来るか分からない。
まぁ、相談が真面目な事なら俺もそれと相当な態度で乗るが…。
『ナ ニ っ て ど う や っ た ら 大 き』
「爆ぜろクソ童貞野郎がッッッ!!!」
怒りの怒声と共に着信終了ボタンを押した。その流れで電話帳で健太郎を着信拒否にした。
ったく、あんな野郎がまともな話なんかする訳無いしな……。時間の無駄だったか……。
「はぁ………。」
叫んだら更に暑くなりましたよ…誰かアイスノンでも持ってないでしょうかね?
目的地の高校まで進む足の動きを速めた。
~~~~~~~~~~~~~~~
くそっ……暑すぎる!
もうスポーツ飲料も飲み干し、空になった。新しい物を買おうとしたが、少し懐が寒くなるので止めておいた。まぁ、熱中症でぶっ倒れたら元も子も無いが。
現在の時刻は7時54分。まだ補習授業開始時刻までの猶予は十二分にある。
「……ん?」
ふと、道の傍を見ると、そこには空き地が広がっており、その中心にはひしゃげた自転車や錆びだらけの鉄の棒が積もって、2~3m程の山が形成されていた。
家を取り壊したのか、住宅街にポッカリと空いた空き地に積み上げられたゴミの山。その中にキラリと銀色に光り輝く物を発見した。いつもなら見過ごしているような物だが、何故か俺はそれに吸い寄せられるように近寄った。
「何だこれ……?」
それはまるで中世ヨーロッパの兵士が纏う防具の篭手、ガントレットのような物だった。それを拾ってまじまじと見つめてみる。
銀色の表面は太陽の光を反射して煌びやかに輝いており、まるで宝石のように惹かれる物があった。
手の甲の部分には丁寧な薔薇の装飾が施されており、花弁の中心にはアメジスト色に輝く宝石が埋め込まれている。
鎖帷子の下地の上に銀のプレートが付けられているという構造になっており、機動力を確保する為には必然的に弱点になる関節部分も綺麗にガードされている。
いや、何でこんな高価そうな物が捨ててあるんだ?捨てた奴馬鹿だろ……。
試しに銀のガントレットを右腕に装着してみた。ガントレットは驚く程に俺の手にフィットし、スッポリと入った。まるで、俺の腕を待ち侘びていたかのようにスンナリと、俺を受け入れた。
「凄ェ……。」
指を曲げたり、手をワシャワシャと動かしたりなどしてその感触を確かめる。まるでガントレットが俺の手と同化したようにスムーズに動く。
可動部に潤滑油を差し込んでいる為、という訳でも無いらしい。中指の第二関節を触ってみるが、全く油特有のヌルヌルとした感じが無い。
握り拳を作って、また手の平を広げようとした時、とある事に気が付いた。
「ん?人差し指が…。」
親指、中指、薬指、小指は離れたのだが、人差し指だけが手の平にガッチリと固定されているかのように離れない。
どこかで引っ掛かってるのか?いやでも、さっき見た時には手の平の部分にはそんな部位は無かったと思うけどな…。
よく見ると、人差し指の第一関節の傍の部分に小さなスイッチがある。注意深く見ないと分からないレベルの小ささだ。
スイッチを親指で押したが、何も変化は無い。
「何かこの指の形、デコピンみたいだな……。」
人差し指の爪を親指の第一関節の腹で抑え、人差し指を上にスライドさせる事で定規が元の形に戻る時のように瞬間的に強い威力を乗せて、元に戻る。手軽で、蹴りや殴る事の次に威力の乗る攻撃。それがデコピンだ。
そう言えば、デコピンって小2くらいの事で流行ったな…。あれをデコにされて、赤く腫れたもんな…。懐かしい…。
視界に入ったロッカーに指を向け、ゆっくりと指をスライドさせてみた。すると_______
ドガァァンッッ!!!
「_____ファッ!?」
ロッカーが消えた、いや、正確に言うとロッカーが吹っ飛んだ。5~6m程吹っ飛び、空き地を越えて道の傍のガードレールに突っ込んだ。デコピンを当てたドア部分はまるでダンプカーがフルスピードで正面衝突したかのようにひしゃげ、もはや鉄クズ同然となっていた。
え……いや…いやいやいやいやいやいやいや……!何でこんなにデコピンが強いんだよ、オイ!
これ、どうしてこんな破壊力があるの?魔改造でもされてるの?
手の平の指先が丁度当たる部分に小さなフックのような物がある。そこに人差し指を当てるとカチッという音が鳴り、先程のスイッチを押し、指を離すと、途轍もない速度で人差し指が突き出された。
空気を裂く轟音が辺り一面に鳴り響き、空間が揺れた。その風圧は反対方向にいる俺自身でも十分分かる程だった。
ガントレットを手から外し、まじまじと見つめてみる。傷一つ無いボディが日光を反射し、目に刺さる。
ここまで来ると、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「どうしてこんな兵器が捨ててあるんだ…?」
こんな最強デコピン兵器がポイッと捨ててあるんだ?
使い古されているような傷や凹みは一切無い、新品同然。そんな物が何故こんな壊れた自転車や変形した鉄の板などに混ざってあるのだろうか。それが疑問だ。
俺の前に誰かがこのガントレットを手にし、この悪魔的な威力に恐れ、手放したのか。または只のガラクタと見切りを付け、捨てたのか。最有力なのは前者だろうか。こんな光り輝く銀、その上宝石のような鉱石までもが埋め込まれているのだ。
まともな感性を持っている人間ならば、これをバラして、宝石商や質屋に売りつけるだろう。誰だってそーする、俺もそーする。
「持って帰るか……。」
勿論、転売する訳では無い。このガントレットに興味を持ったからだ。
コレは一体何なのか。コレはどういった構造をしているのか。コレは何故作られたのか。その秘密を紐解いてみたいからだ。俺自身でも何故こんな好奇心があるのか分からない。しかし、この探究心に底は無い。
ガントレットをバッグに入れようとした時、事件は起こった。
ピカァァァァァァ!!!
「ッ!?」
突如、ガントレットが煌びやかなバイオレット色に輝き出した。それは空に浮かぶ太陽のように突き刺すように、しかし何処か優しさがあるような光だった。
思わずガントレットを宙に放り出してしまった。光は更に輝きを増し、瞼を閉じていても瞼を貫通して光が目に入ってくる。腕で目を覆うのが精一杯だった。
どれくらい経っただろうか。それが数十秒か数分、もしかしたら数時間かもしれない。光は徐々に輝きを失い、ようやく目を開ける事が可能なレベルまで落ちた。
ゆっくりと目を覆っていた腕を下げ、ガントレットの状態を見る。
そこにはガントレットは無かった。ガントレットに代わって其処に居たのは____
「あいててて……。」
1人の少女だった。地面に腰を下ろし、座っている。
身長からして6~7歳程度だろうか。
肩辺りまである艶のある黒髪、アメジストのように淡いパープルの色素をしている大きな瞳、人形のように白く透き通った肌、まだ生育しきっていないという感じの幼さが大半を占めている顔立ち。
そして、こめかみを押さえている右腕には俺が先程付けていたガントレットが装着されている。
「えっと……何て言うんだっけ……。」
呆然とする俺をチラリと見て、少女はゆっくりと立ち上がると、俺としっかり目を合わせ、口を開けた。
「貴様が我が主となるべき人間か?」
「は……
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!???」
今日最高の大声が猛暑の夏空に響いた。
これが俺の日常が非日常と化した瞬間だった。