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師弟失格  作者: 守野伊音
師弟失格
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「うーん?」

 薄暗い室内では今一分からず、手鏡を持って窓際に移動する。そして、薄く開けたカーテンの隙間から入る朝日の下で、もう一度目の下を引っ張りながら鏡を覗き込む。それでもよく見えないなと呑気に思っていたら、卵型の鏡に映る自分の肩越しに、顔面に髪の毛を張り付けた女性が映っていて心臓止まるかと思った。

「……アセビ、どうしたの?」

「私の台詞ですね!」

 寝ていたはずのローリヤは、顔面に髪を張り付けたまま、恨みがましいじっとりとした目で私を見ている。

 ばくばくと鳴り続ける心臓を鎮めようと、胸元を握り締めた。なんだか癖になってしまった動作を見た瞬間、じっとりとした瞳がかっと見開かれた。

「痛むの!?」

「痛みません!」

 掴みかかる勢いで服を引っ張られて、慌ててその手を握る。

「ど、どうしたの、ローリヤ!」

「それはこっちの台詞よ! 二年も一緒に過ごしたのに、死にかけてたこと隠してたじゃない! 私、そのこと未だに許してないんだからね! 道理でお風呂一緒に入らないなって思ってたのよ! 恥ずかしがり屋さんなのかなうふふとか思ってたのに、死にかけてたとか、ちょっとあなたどういうことよ――!」

「その節は本当に申し訳ありませんでしたぁ!」

 ばらしはしないが隠しもしないルタのおかげで、結局師弟関係の暴露に至った訳だけど、ローリヤには、師弟関係より死にかけていたことを隠していた方を激怒された。箒を捩じ切り、桶を砕き、ついでとばかりに砕かれた手摺が哀れだったけれど、次はお前の番だと両手を振りあげられて、絶叫しながら謝罪したものだ。しかし、友達だと思ってたのにとぼろぼろ涙が降ってきて、もう、本当に申し訳なくてならなかった。

 ガラムからも散々怒られた。ローリヤを泣かしたことをそれはもうねちねちねちねちと、姑のごとく怒られた。姑を持ったことがないから分からないけど、窓の桟をつーっと指でなぞり、あら、埃が、というくらいのねちねち具合だった。

 老臣達にも、それはもう怒られた。王様が一人になるじゃろうがとかんかんだった。後、死ぬのはわしが先じゃ! いやわしじゃ! わしじゃと言っているだろう! の大合戦で収拾がつかなくなった。三日三晩の激論の末、皆纏めてぽっくり逝くという笑えない結論に至ったと聞く。現実にだけはしてくれるなと他の側近達が嘆いていたとも。

 それにしても、隠し事ができないルタは素直でいい子だ。可愛い。ちょっと盛大に隠し事されていたような気もするけれど、たぶん、私が鈍かったんだろう。ルタの愛らしさに目が眩みまくっていたようだ。流石ルタ、可愛い!



「ほんっと――うに! 具合が悪いんじゃないのね!?」

「至って健康です!」

「なら、いいけど……」

 まだ疑っている瞳に、慌ててカーテンを開く。

 そして、ずいっと顔を近づける。

「目の色、変わったかなって」

「え? あ、ほんと! 光の加減で色が変わって見える。……綺麗ねぇ」

 何の変哲もなかった茶色の瞳が、光を弾く際に金紫を映す瞬間があった。

 ローリヤにもそう見えたということは見間違えじゃなかったらしい。

「やっぱり、昔に戻ってるのかなぁ」

 髪は命が繋がったあの日に戻った。次は目となると、この調子だと顔も身体も変わっていきそうだ。他に目立った変化はないかなと手鏡を覗き込んでいると、やけに部屋の中が静かなことに気付いた。顔を上げると、ローリヤが奇妙な顔をしている。

「どうしたの?」

「アセビは……その……」

 言いづらそうな様子に首を傾げ、とりあえず手鏡は置いた。

「今の姿より、天人の姿のほうが、好き?」

「え?」

「だから戻っちゃうのかな、って」

「好きっていうより」

「いうより?」

 躊躇いがちな様子に首を傾げながら、両手を広げてくるりと回る。髪だけ異様に長くきらめいて、一歩遅れて背中に戻ってきた。あ、寝癖。

「髪はともかく、この姿で生きて十七年くらい」

「うん」

 髪を掴んでびよんびよんと広げる。

「こっちは三百年強。さあ、どっちが魂に馴染んでるでしょう!」

「断然三百年強ね。…………え!? そういう問題なの!? どっちが好きとか、どっちの生き方を選びたいとかじゃなくて!?」

「え!? そういう問題じゃないの!? 違うの!?」

「私に聞くの!?」

「そうだよね! ごめんね!?」

「いいわよ!? 友達だもの!」

「ありがとう!」

「どういたしまして!」

 ぜえはあと荒い息が部屋に響く。そして、目を合わせた私達は深く頷き合った。とりあえず、身支度を済ませよう。

 女の朝は忙しいのだ。



 さらしの手間がいらないから今までよりはゆっくりできるけれど、その分髪が長い。流石にあの頃までの長さはないけれど、腰まで伸びた髪に手間がかかる。今生ではなくても慣れているといえば慣れているので、そこまで苦ではないのが救いだ。

 梳いて、編んで、ぐるりと回して纏め上げる。

「ローリヤ、どうかな。曲がってない?」

「ちょっと待ってぇ……アウト――」

「え!? どこ!?」

「一房落ちてる。ねえ、私のは?」

「左の三つ編みが多い気がする」

「げ、やっぱり?」

 お互い鏡に向きなおして髪をほどく。掬い損ねた髪を混ぜ込み、もう一度纏め直す。今度は大丈夫とお墨付きをもらった。ついでに、ローリヤの三つ編みは右が多かったのでアウトだ。

 こうやって一緒に身支度をできるのも、ローリヤが結婚するまでだ。おめでたいことだし、諸手を上げて喜んだけど、やっぱりちょっと寂しい。




 お揃いの仕事着に着替えて部屋を出る、と同時に、ローリヤはくるりと反対方向に向かう。

「じゃあね、また後で」

「ローリヤさぁん、朝食、一緒しませんか?」

「いや」

 きっぱりと一刀両断された。考える瞬間すらない。

「王様との食事に同席を許して頂いても、喉を通らないわよ! 朝食は一日の活力なのよ!? 朝食食べられなかったらお昼までもたないに決まってるじゃない!」

「ですよね! でも、食堂でルタと食べてるとすっごく目立つ! 緩和が欲しい! でも幸せ!」

「幸せなんだからいいじゃない! 大体、なんで未だに一般従業員用の食堂使ってるの!? 相部屋のままは嬉しかったけど!」

 ごもっともな言い分に、私はふっと笑って視線を逸らした。

 確かに、食事に必ずルタが現れるいま、王様の居住区閣に幾らでもある二人で食事できる部屋に行くべきだろう。それを用意してくれると側近の方々は快く言ってくれた。それに、王様が一緒では従業員の皆も気が気ではないだろう。作っている人達はもっと気が気ではないと聞く。分かっている。分かってはいるのだけど。

「用意してくれた部屋で食べてるとね、どこからともなく雰囲気ある音楽が流れてきて、照明が暗くなっていくんですよ。朝なのに、朝食食べてるのに」

「うわぁ……」

「勝手にしまっていくカーテン開けたら、窓の外から紐で引っ張るお爺ちゃん達がですね。しかも、無理な体勢でぎっくり腰発症してるお爺ちゃん達がですね」

「う、うわぁ……」

 あんなシュールな朝食初めて。



 ローリヤは私の肩に手を置いて、しんみりと頷いてくれた。友達とはいいものだ。悲しみを分かち合える存在が傍にいてくれる幸せを噛み締める。

「ま、まあ、側近の方々も、老臣様方も、長年の悲願だった王様の恋人登場なんだから、張り切っちゃうのも分かるんだけどね」

「それなんだけどね」

 私は、常々誰かに聞きたかったけど、聞く機会を得られずに今日まで来てしまった疑問を友達にぶつけてみることにした。

「私、ルタと恋人なのかな?」

「………………え?」

 木枯らしの気配がする。

 気持ちのいい朝だというのに、ローリヤの顔から一気に血の気が失せた。待って、ローリヤ。物理的に血を失うのは私の特権です!

「ア、アセビは、王様の事、す、好きじゃ、ないの?」

「大好き!」

「え!?」

「全身全霊で愛してる!」

 握り拳で力説したら、訳が分からないといったようにローリヤが額に手をついてよろめいた。

「訳が分からないんだけど……」

 訳が分からないといったようにではなく、訳が分からなかったようだ。確かに説明不足だったなと補足する。

「いや、その、確かに愛してるとは言ったし、ルタも言ってくれたけど、付き合ってとかの確認はないというか、今まで通りというか……逆にちょっとぎこちないというか……これ、付き合ってるのかな?」

 前は、両親みたいに失うのが怖くてあまり人と関わらないようにしていたし、今生でも長く生きられないからとルタだけ目指して一直線に生きてきた私は、そういったことに疎くて、今一よく分からない。

 準備運動を終えて張り切った木枯らしが室内を駆け抜けていく。それに負けないようぐっと握り拳で気合いを入れ、ローリヤに詰め寄る。

「結婚間近の恋愛の先輩! 教えてください!」

「この恋バナ、責任重大すぎる!」



 恋愛の先輩は、とにかく朝食食べてから考えると走り去っていってしまった。確かに、一日の活力がないと頭も回らない。

 私も、活力摂取しに行こうと玄関を目指す。そこに辿りつくまでには、窓から外に出る女性達の姿が目立った。本当に申し訳ない。

「すみません……」

「あら、いいのよ! 毎朝王様を拝見できるんですもの! 王様に宜しくね!」

 蠱惑的な足を惜しげもなく晒して窓枠を乗り越えていったお姉様は、うふんとウインクしてくれた。出勤が重なる時間帯にはいつも混雑していた玄関が、今はしんっと静まり返っている。

 開かれ固定された扉の前には、ルタが立っていた。基本的に男性禁止の女性宿舎だから、中に入ってきたら駄目だと言った言葉を忠実に守り、扉の真ん前で待っているルタは、私の姿を見つけてふわりと微笑んだ。ルタが、ルタが笑ってる! 今日もいい日になりそうだ。

 きゅんっと貫かれた胸を押さえようとして、さっきローリヤにも勘違いされたことを思いだし慌てて下ろす。この癖直そう。

「おはよう、ルタ」

「おはようございます、師匠」

 昔みたいに手を繋ぐこともなく、ただのアセビだったときに周りをちょろちょろしていた距離より半歩遠い位置で私達は歩きはじめる。

 ルタの雰囲気はとても柔らかい。話だってしてくれる。

 でも、なんだか少しぎこちない。それは私も同じだろう。どういう態度を取ればいいのか分からない。普通にいるだけでこれなのに「私達付き合ってるの?」とは物凄く聞きづらい。以前、樹齢二千年の木を薦めた負い目もある。

 でも、と、食堂を目指し今日のメニューについて話しながら、私は思う。

 何はともあれ、今日もルタは可愛い。これだけで世界の九割は平和だと信じている私は、馬鹿師匠と呼ばれる覚悟はできている。




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