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師弟失格  作者: 守野伊音
師匠失格
2/17



「では、各々方、本日も恙なく参りましょう」

 室長の声を締めとして全員一礼し、今日の朝礼が終わった。

 静かに列を成して部屋を出て、各々持ち場に散っていく。




「アセビ! 一緒にいこ」

「うん!」

 同室のローリヤと並んで、今日の掃除場所に向かう。

 私は神殿の掃除人として配属されることに成功した。こうして気の合う同世代の女の子と同室になって、友達にもなれたし、凄く最高の気分だ。

 広い神殿は、土地をぜいたくに使った作りで、二階が全くない。広大な土地に延々と平屋が続いているので、用事がある部屋に行こうとして迷う人間が続出する。住み込みで働いている者や、もう長く神殿で暮らしている神官達も、普段使っていない道を歩くと迷うくらいだ。

 そんな中、つい先日配属されたばかりの私とローリヤは、悠々と道を進んでいく。擦れ違った神官に頭を下げて道を譲り、私達は顔を見合わせた。

「うふふ……迷ったわ」

「……迷ったね」

 当然、迷っている。二人で肩を落として溜息をつく。バケツに入れた掃除道具ががしゃんと文句を言うけれど、迷ったものは仕方がない。


「まあいいわ。迷っても叱られないのがこの神殿のいいところだもの。せっかくだから探検しながら行きましょう! それで、誰か見つけたら道を聞けばいいわ。神官以外よ!」

「うん」

 中庭に沿って作られた通路は、屋根があるだけですぐに外に出ていけるので、向こう側に見つけた人でもいい。知り合いがいたら走って渡ってしまおう。

 ぐっと握り拳を作ったローリヤは、先日若い神官に道を聞いて、同じくらいの日に配属されたのに覚えてないのかと笑われて憤慨して以来、神官嫌いになっていた。別に全ての神官がああいう性格ではないと思うけれど、まあ、その内落ち着くだろうと思って何も言わないでいる。

「ねえねえ、アセビはどうして神殿で働こうと思ったの? 私はね、お給料がいいから! お給料いっぱい家に送ってあげられたら、弟達に絵本いっぱい買ってあげられるんだ!」

 ローリヤは、二つに編んだ三つ編みを一つに纏めた髪をぴょこんと跳ねさせて振り向いた。快活な笑顔が好ましい。そして可愛い。こんな屈託ない笑顔を、見てみたかった子どもがいた。自分がその笑顔を奪っただなんて考えもつかなかった馬鹿な私は、いつかそんな顔で笑ってくれる日がくればいいと呑気に思っていたのだ。

「私ね、とっても大事な男の子がいるの」

「好きな子!?」

 すわ恋バナかと目を輝かせて食いついてきたローリヤに苦笑を返す。

「ううん、弟みたいな子。私、その子に何もしてあげられなかった。それどころか、凄く、嫌われてたんだ」

 一際大きな風が吹いて、目を細める。その先にいた人を見た瞬間、一度止まった心臓がどくんと泣いた。

「あ、うそ、王様よ! 王様がいらっしゃるわ!」

 首を傾げて私の視線の先を追ったローリヤが、私の肩を揺さぶって興奮した声を上げた。



 長く伸びた黒い髪を先程の突風で靡かせ、空を見上げているその瞳はまるで宝石のように紅い。神の恩恵を一身に受けたこの世の美の集大成だと唄われたその人は、今日も一人で世界に立つ。

「ああ……なんて綺麗なの…………でも、不思議ね。この世に一人の尊い御方なのに、お見かけした際に話しかけても良いだなんて、室長達も不思議な指示を出すのねと思ったわ」

 ローリヤは、うっとりと見惚れながらも首を傾げた。室長は、そんな恐れ多いと慄く新人達に、長らくの慣習だから構わない、けれど答えを頂けない場合が多いことを肝に銘じるようにと言った。

 私は未だ空を見上げるルタの横顔見ながら、胸を押さえる。じわりと滲みだすそれを抑え込み、握り込む。

「……たぶん、ずっと昔、誰か、彼に寄り添う人がいてほしいと願ってくれた人が、いたんじゃないかなって、思ってる」

 今でもその思いが続いていて、どんな人との出会いも阻害しないようにされているんじゃないかな。私の願望が詰まった予想に、ローリヤは、だったら素敵ねと言ってくれた。

 彼の姿が見える位置にたくさんの人の姿が見える。皆一様に見惚れるように彼に視線を向けているのに、話しかけている人の姿はない。室長も、返事はないものだと思えと言っていた。

「ローリヤ、私ね」

「ん?」

「私は傍にいてあげられないし、あの子もそれを望まない。でも、私、何かあの子の為に出来ることがあればと思って、ここにいるの」

 すぅっと息を吸う。やめろやめろと掃除道具達はがしゃがしゃ鳴って私を止める。決して、私の震えじゃない!

「王様――!」

「アセビ!?」

 ぎょっとしたローリヤが私の手を握って止めてきたけど、私はもう一度大きく息を吸った。

 酷くゆっくりとした動作で黒髪が揺れて、紅い瞳が私を見つけて止まる。


 ねえ、ルタ。笑うかな。私、今でもあなたが大好きだって知ったら、あなたは笑うかな。それとも、気持ちが悪いと顔を顰めるのだろうか。

 ああ、でも、ごめん。ごめんね、ルタ。私、あなたが本当に大好きだったの。あなたが現れたあの日からずっと、寂しくなかったの。

 私だなんて名乗らない。また私と一緒にいてだなんて願わない。


「いい天気ですね――!」


 だけど、師としてあなたの為に出来ることを探すくらいは、許してはもらえないだろうか。






 窓を拭いていたら、中庭に彼の姿を見つけてさっきまで拭いていた窓に指紋が付くことも忘れてすぱぁんと開け放つ。

「王様! こんにちは――!」

 振り向いてくれたのは最初だけで、後は完全に無視してくる背中を気にせず話しかける。ちなみに、通りすがりの人達は、皆一様にぎょっと振り向いてくれた。

「今日の夕食なんでしょうね! 私、ゴルマの種が好きなんで、あれを塗したお肉をかりっと揚げたのが出ると凄く嬉しいんですよ! あ、王様は何が好きですか――!?」

 長い足を駆使してあっという間にルタが消えていく。

「王様―! また今度――!」

 遠いので声を張り上げなければいけないのは難点だ。近くてもあっという間に遠くなるから更に大変なのである。

 一日一会話を目指しているけれど、未だ会話になった試しがない。

「今日も駄目だったかぁ」

「アセビったら凄いわ……私だったら、恐れ多くてとても」

 きらきらとした感嘆の瞳で雑巾を絞り千切ったローリヤだったら、きっとルタも興味を持って視線をくれるだろう。ローリヤ? 洗濯物は私に任せてね。

「えへ、力入れすぎちゃた」

 てへっと笑う様子が可愛らしくて、思わず顔が綻ぶ。愛らしい笑顔を浮かべるローリヤならまだしも、やせっぽっちで枯草みたいな髪の私では箒にしか見えていないかもしれない。

 私はうーんと唸った。最初にルタに話しかけてからもう一か月。掃除場所は慣れるにつれてどんどん奥の部屋になっていったから、ルタに会える機会は増えたけど、未だに一日七声止まりだ。せめて一会話! そして、目指せ私以外の誰かと会話!

「誰かが懲りずに話しかけてたら、皆も話しかけやすいかなって思ったんだけど、誰も話しかけないね」

 気をつけて新しい雑巾をそっと絞っているローリヤは、そうねぇと苦笑した。

「みんな、どちらかというとアセビばかり見てしまっているわね。その細い体でよくもまあそんな大声出せるもんだって、警備の人感心してたわよ?」

「え!? それ困る! 私じゃなくて王様を見て、あ、親しみやすいなとか、話しかけてみようかなって思ってくれないと!」

「えー、それ無理――」

 無理かなぁ。何度もローリヤや同僚にも声をかけてみようよと誘っているけれど、未だに叶っていない。今度室長も誘ってみよう。なんだったら、警備の人も神官も誘ってみよう。赤旗機、皆で渡れば怖くないの精神だ。でも、皆で渡っても無視されるものは無視されるだろうけど、皆でいっせぇので「王様――!」と叫んだら、さしものルタも目を丸くするだろうか。

 自分の想像に楽しくなってきた私に、後ろから声をかけてくる人がいた。知らない神官だ。

「おい、あっちから王様がいらっしゃるぞ! もう一回チャンスだ!」

「ありがとうございます!」

 慌ててもう一回窓を開けると、確かに向こうからルタが歩いてくる。用事が終わったのだろう。最近はこうやって見知らぬ人がルタ情報をくれて応援してくれるけど、出来れば彼ら自身にも話しかけてほしいものだ。でも、一歩前進だと思えば焦ってはいけない。

「王様――! またお会いしましたね――! って、ああ――!」

 まだ私が此処にいることに気付いたルタは、明らかに今まで向かっていた進路を変えて通路の向こうに消えていった。





 そうして神殿で働き始めて二か月目の今日、私は、ちゅんちゅんと鳴く小鳥の声を聞きながら朝を感じていた。

 ルタの寝室で。

「……何故、ここにいる」

 私が五人くらいは平気で寝転べそうな広いベッドの上では、不機嫌を隠そうともしないルタが私を半眼で睨み付けていた。知ってる。朝に弱いよね。でも、私の弟子だった時は師匠より後に起きないようにと頑張っていたのも知ってる。ちょっとした悪戯心でどんどん起きるのを早くしていたある日、連日の疲れで結局昼まで眠ったルタの寝顔をにやにや眺めていたら、開眼一番拳を喰らったものだ。懐かしい。寝ぼけていたらしいけど、綺麗に顔面の中央にめり込んだので、私の弟子は術だけじゃなくて体術の才能もあると感激したものである。そうして私が作ったへたくそな朝食兼昼食を食べながら褒めちぎっていると、もうやめてくださいと消え入りそうな声で言ったルタが可愛くて、私は幸せだった。

 今考えると、自分の寝顔をにやにやした笑いを浮かべた親の仇が眺めていたら、そりゃあぶん殴りたくもなるだろう。さぞかし気持ち悪かったことだろう。本当に申し訳なかった。

 と、過去に逃避するのは置いておいて、いまは現在のルタの相手が先決だ。

 だから、私は胸を張って答えた。

「私にもとんと」

「…………何だと?」

「早朝、就寝中の私の部屋に室長が訪れ、本日付で王様付のメイドと、なりました、と」

 私、いま、ルタと会話をしている。私、いま、ルタと!

 喜びが湧き上がるけど、それと同時に、いまルタの頭に浮かんでいるであろう言葉と同じものが私の中に渦を巻く。

 どうしてこうなったんだろう。

 私は、出来れば遠くからルタと関わっていたかった。だって、私が傍にいるなんて知ったらルタは酷く嫌がるだろう。もう一回殺しに来るかもしれない。まあ、それはいいとしても、ルタに嫌がられたら傷つく。ルタに嫌悪の眼差しを向けられたら、それこそ殺してくれと叫びそうになるのだ。

 だから、出来れば遠くから、ルタの為に出来ることを探したかった。最近では、どれだけうるさく声をかけても怒らないルタに、話しかけてみようかなとぼそっと呟く人が出てきてくれた。話しかけるといっても、おはようございますの挨拶かららしい。それでも、そう思う人が増えてきたのは、凄くいい傾向だと思う。まあ、私は未だに返事一つもらったことがありませんが!

 そのルタの声を聞けたのは嬉しい。嬉しいは嬉しいけど、想像していた状況とだいぶ違う。

 ルタは寝起きで頭が回らないのか、顔面を押さえて俯いた後、小さく呻いた。

「俺が昨夜、名前を聞いたからか……」

「俺!?」

「は?」

 ルタが、ルタが俺って言ってる!

 私の胸を衝撃が貫いた。だって、ルタはいつも私と同じで私と言っていた。小さな小さなルタが、私と言って背筋を伸ばしている姿は、それは可愛らしかったものだ。

 そのルタが、俺と。

 何だか感激してしまっていたけれど、そのルタの言葉を思い出して動きを止める。

「……名前? 私の? 名前?」

 いま、じわぁと胸に広がっていくのは血じゃない。喜びだ。

「聞いてくれたの!? 私の名前!? 嬉しい!」

 私の名前を誰かに聞いてくれたのか。私を、知ろうとしてくれたのか。

 ああ、どうしよう。嬉しい。嬉しすぎて…………礼節を忘れていた。

「………………聞いて頂けたのですか、私の名前を。有難き幸せでございます」

 今更敬語に戻して取り繕った私を、冷たい瞳が射抜いた。






「王様、王様」

 王様付に就任した私は、遠くからルタを見守りたい初心を大事に、一日目から仕掛けた。つまり、クビになろうと思ったのだ。この任はクビになって、また掃除人に戻りたい。そして遠くから、ルタに声をかける人が増えていく姿をにまにま見守ろう。

「王様はどんな人が好みですか?」

 うるさくしてクビになろうと決めたけど、ついでに情報収集はしておきたい。誰か、ルタにお似合いの女性を! 

 歴代の神官達も同じ願いで色々してきたらしいとは風の噂で聞いた。美人ばかりを側仕えにしてみたり、今度は可愛らしい子、素朴な子、小さな子ども、男。色々頑張ったらしいけれど、いまルタが一人なのを見るとすべて失敗に終わったらしい。

 寿命の差を心配する必要はない。天人の羽を相手の体内に埋め込めば、その人間は持ち主の天人が死ぬまで生き続ける。

 私はお世話おばさんになろうと決めた。


 本を読んでいるルタは、ずっと私に背を向けている。けれど、二か月間ずっと背を向けられ続けた私に隙はない。

「美人さん?」

 返事はない。

「可愛らしい人? 背は高いほうがいいですか、小さいほうがいいですか? セクシーな人がいいですか、スレンダーな人がいいですか? 髪の色は? 目の色は? あ、これだけは嫌っていう条件があればそれもお願いします」

「うるさい」

 返事があった! 会話を、私いま、ルタと会話をしている!

 じいんと感動していると、すっごい鬱陶しいものを見るかのような紅い瞳があった。

「クビですか!? じゃあ、また掃除人に戻して頂けると幸せです。あ、でも、せめてもの情けに好みを一つでも!」

「年上」

 なん、だと……?

 会話に感動する暇もなく、私は衝撃を受けた。ついでにいうと、耳をたてていたらしい側近の人達もよろめいている。古くからいる老臣なんて、そのままぽっくり逝ってしまいそうだ。

 齢千年を超えるルタより、年上。

 私は、男女の仲介をする難しさをひしひしと感じた。



 何故かクビにならなかった私は、次の日の朝もルタの寝室に駆け込んだ。礼儀も何もかも忘れて扉を叩き開ける。

 そして、一睡もせずに探し出した結果を意気揚々と寝ぼけ眼のルタの前に掲げた。

「見てください! 樹齢二千年ですよ、二千年! きっと王様が祈れば精霊の一匹や二匹できますよ! 年上ですよ王様! 念願の年上!」

 広げた分厚い本を隔てて尚、めり込んできた拳は痛かった。



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