表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
師弟失格  作者: 守野伊音
師弟失格
16/17

 


 走ってきたカルカラは、スタート地点で剣を振っている私の姿を見た瞬間崩れ込んだ。ぜえはあと身体全体を使って呼吸しながら寝転がった身体を摘まみ上げる。

「いきなり止まると心の臓に負担がかかりすぎるので、ちょっと歩きなさい」

「う、うへぇ……し、師匠の、仰せの、ままに!」

「どさくさに紛れて弟子入りしないでください。誤魔化されませんよ」

「しょんぼりぃ……」

 へろへろと歩きだしたカラカルは、近くの天幕の周りを一周回って、転んだ。その隙に掌を撫でるように掲げて剣の形を変える。さっきまで振っていた剣より一回り小振りで細い、いつも使っている剣だ。

 剣を鞘に収め、剣帯に固定している間に、カルカラは地面を這って積んである木箱の上まで移動した。まだ整わない息で胸を膨らませながら汗を拭う。

「そ、そうか。兄さん達も、こうやって、ちゃんと体力つけてたんですね」

「知らなかったんですか?」

「俺、昔は身体が弱くてあまり外に出られなくて。そしたら兄さん、俺の部屋の窓から見える場所で剣の稽古とか鍛錬してて、そればっかり見てたんです。でも、ちゃんと、こういうことも、やってたんだろうなぁ」

 自分の息でげほっと噎せたカルカラに水を渡す。なるほど、部屋で退屈している弟に見せるパフォーマンスとしては、身体作りの様子より、実際に武器を振っている姿のほうがいいだろう。

 礼を言って水を飲み干したカルカラは、ようやく一息ついたようだ。

「アセビさんはどんな子どもだったんですか?」

「泣き虫で甘えたで我儘で、両親の姿が見えないとぴいぴい泣くような子どもでした。転んだら泣いて、からかわれたら泣いて、すぐに泣いて両親の元に戻って、抱っこしてもらっていました」

 正直に答えたら、驚いたカルカラの目が丸くなる。

「想像できません」

「そうですか?」

「それなのに、どうやってそんなに強くなったんですか?」

「私が、弱かったからです」

 だから強くなろうと思ったんですかと聞かれて、静かに笑って首を振る。訳が分からないと首を傾げる彼は知らなくていい。あんな仄暗い感情、知らないままの君でいたらいい。

 私は、彼らみたいに何かを守るために武器を握ったんじゃない。

 両親殺した人を、ルタの両親を殺す為だけに武器を握り、殺意を頼りに憎悪を活力として腕を磨いた。

 掌を見つめて、ぎゅっと握りしめる。

 でも、だからいま、私は戦えた。

 過去があったから今がある。あの惨劇があったから、私はルタと出会い、ルタを解放する力を持った。

 ルタの両親を殺してよかったとは思わない。全ての始まりであった、お父さんとお母さんが殺されてよかったとも、死んでも思えない。もしも時が戻ったら、私は全力で両親を助けに走るだろう。過去の自分を殺してでも、ルタの両親を殺させないだろう。

 あの日々があってよかったとは思えない。そう思う日は絶対に来ない。

 それでも、その結果ルタと出会えたのだとしたら、私はもう、あの過去を憎むことはできなかった。







 鬨の声が上がる。しかしそれは、双方の軍営からではない。睨み合っている神城軍は、静かに佇んでいるだけだ。仲間の上げる声を聞きながら、私は目を開けた。少し離れてはいるけれど、視認できる場所に懐かしい建物がある。神殿は、あの日から変わらぬ形でそこにあった。

 帰ってきた。時間がかかったけど、約束は守ったよ、みんな。

 たった十年。なのに随分時が過ぎてしまったと思えるほど、私は人間として生きてきたようだ。



「あいつら、前に出てきやがらねぇな」

「まあ、どう考えても神の眼がくるんでしょう」

「だろうな」

 神城軍と睨み合っている間にある開けた土地。目標である神殿が神城軍の背後にある以上、私達はここを進まなければならない。

 ブルクス達に出来る神の眼対策といえば。重しのついた縄を全員が所持し、地に飲み込まれそうになった時出来るだけ遠くに投げることしかない。無事だった誰かが掘り起こすか引っ張り上げるかして、間に合えば生きている。間に合わなければ死ぬ。

「ま、それでも俺らは行くしかねぇんだがな」

 ぼりぼりと頭を掻いたブルクスは、鎧の頭部をかぶり直す。私は付けていない。視界が狭まることのほうが致命的だった。天人の一番の武器は、身体能力を駆使した身軽さだ。だから、鎧も急所を守る箇所だけにある。どちらにせよ、神相手だと鎧があろうがなかろうが無意味だ。


「でも、まあ、大丈夫ですよ、隊長」

「んあ?」

 私は、並んでいた最前列から一歩踏み出した。

「神の眼は、そっちにはいきませんから」

「おい、待て、アセビ!」

 伸びてきた手に掴まれないよう、一回転して距離を稼いだ。ブルクスと同じように皆が前に出ようとする。だけど、それを掌で制す。

「隊長、皆、ちょっと待っていてください!」

 皆の前では初めて浮かべる全開の笑顔に、皆の足が止まった。神城軍に向けて後ろ向きに歩きながら、私は両腕を広げる。

「ここは、私の約束の場所なんです」

 ぐるりと回って神城軍を向く。一拍遅れて、マントと髪が背を打つ。

「十年前、私が尻尾巻いて逃げだした場所なんです」

「お前……」

 ぱんっと両手を合わせると、帯剣していた剣が姿を消す。代わりに、離していく掌から新たな武器が現れる。月の光のように美しい剣は、どう見ても地上のものではない。

「だから、この戦場は私に譲ってください」

 かたかたと世界が揺れた。地面が揺れている。

 私は口角を吊り上げ、懐かしい傲慢を浮かべた。


「久しいわね、人間神。相変わらず土竜のように地面に潜っているようね。お前が殺し損ねた私は、こうしてお前を踏みつけているというのに。……だが、無様な愚神であるお前にはお似合いのねぐらだとも」

 私を中心とした地面に凄まじい速度で亀裂が走っていく。相変わらずきれいに煽られてくれて助かります。用意してきた煽り台詞、実はすでに品切れだったりする。

 ちゃんと煽られてくれた人間神の亀裂が私を中心として地面を走り回る様は、乱雑な蜘蛛の巣のようだ。美しい巣の張り方を知らず、歪な巣の在り方であろうが手放しで称賛され、感謝されてきた人間神。思えば、人間神も哀れな神だ。傲慢な天界からの救済への願いとして生み出された、救いの象徴であった彼女を諭す者は誰もいなかった。人間の願いから生みだされた彼女は、人間の子どもでもある。親から存在を願われ、やることなすこと肯定され、崇め奉られてきた力ある美しい子どもに、傲慢になるなというのも無理な話だったのだと、今なら思う。

 否定を知らない子どもに手に入らないものなどなかった。欲しいものはすべて彼女の手の内だ。存在してすぐに大役を果たした子どもが目指す理想はどこにもなく、誰もそれを求めなかった。己の在り方を振り返り、惑う理由すらなかった子どもは、欲しいものを欲しいがままに手に入れた。それが罪であるとも傲慢であるとも知らぬまま、誰にも教えてもらえないまま。

 何がいけなかったのか分からない彼女にとって、裏切ったのは人間だろう。急速に裏返っていく世界に、さぞや混乱を極めているだろう。




「あの時はほとんど人間だったから、お相手できなくてごめんなさいね。でも、今なら」

 青空に向けて掲げた剣に雷が降る。地上が彼女の楽園ならば、未だ制されぬ私の故郷は天人の楽園だった。空からの恩恵を纏った剣を振りかぶり、くるりと逆手に持ち直す。

「ちゃんと戦ってあげられるわよ!」

 剣を地面に突き刺した瞬間、私を中心として大釜の底が抜けたかのようにごっそりと大地が砕けた。

 陥没した大地の底で蠢く光の蔦の中に、その姿を見つける。

 久しぶり、ルタ。遅くなってごめんね。

 首が座っていない赤子のように傾くルタの腕が、俯いたまま無造作に振られた。

 一振り。たったの一振りで、世界が割れたかのような亀裂が一直線に走っていく。ひやりと落ちていく冷や汗に気付かれないよう、唇を舐める。どちらの陣営にもかからなくてよかった。両陣営とも、戦うことも忘れてこっちに見入っている。それでいい。余計な血を流さなくて済むのなら、それに越したことはない。

 蠢く蔦が一斉に空に向けて突き出されてくる。落下しながら羽を弾きだす。飛ぶ為じゃない。もっと勢いをつけて落ちる為だ。

 再度雷を纏った剣を振りかぶり、怒声を上げて光蔦の中に叩きつける。

「その穴倉から出てこい、人間神!」

 雷が蔦の中を走り抜け、全ての蔦の光が塗り替えてられていく。

 憐れみに似た感情が浮かんでくる。人間神の力は随分衰えた。まだ若い神なのに、まるで終焉を迎える老神のように凋落している。天からの恩恵を受けているとはいえ、一天人である私に押されてしまうほどだ。



 雷から逃げだすように光蔦がルタを乗せたまま天に躍り出る。暴れ回る光蔦は、のた打ち回る彼女の苦悶に見えた。分からない、分からないと、子どもが泣き叫んでいる。長命を持つ者にとっては瞬きのような一瞬で裏返った彼女の世界。

 人間の願いで生まれた人間神は、親からその全てを否定されて彷徨った。そして、いま持っている欲しかったものに縋りついた。


 天神は間違えた。天人が美しく力を持つのは、天神が自分よりも生れ出る天人に力を分け与えたからだ。そうして我が子を愛した。我が子だけを、愛した。傲慢さを溢れだし、自らよりも劣る存在を虐げ始めた天人を諌めず、天人だけを愛し、天界だけを愛した。

 天人は間違えた。天神から与えられた力は誰からも虐げられぬよう、己が身を守れるようにと与えられた愛だったのに、力に酔って傲慢になった。

 人間神は間違えた。否定されないことは全て正しいのだと、自分で善悪を知ろうとしなかった。与えられた力の意味を知ろうとしないまま、見ないまま、聞かないまま、己の為だけに他者を踏みにじった。

 人間は間違えた。自らが生み出した神を願いだけで奉り、何も教えなかった。祈りで生まれた神は救世主であり、己達の望みに反した行動はしないだろうと無意識に驕った。



 みんな間違えた。

 それぞれがそれぞれの咎で罰を受けた。

 だけど。

「ルタ」

 空高い蔦の上で両手を垂らし、項垂れるルタの前に浮かび上がる。

 その業を一身に背負ったこの子は、そろそろこの因果から解放してあげてほしい。願いにより人生を奪われた。望まれて魂を侵された。

 ようやく笑ってくれるようになったのだ。ようやく、何の制限もなく心を動かし始めたところだったのだ。初めて、彼は自分の願いで生きようとしていたのだ。

 そして、その心で、私を望んでくれた。

「ルタ」

 それが、何より嬉しかった。




「王様、起きてください。朝ですよー」

 ぴくりとルタの指が動く。

「今日の寝起きも凄まじく悪いですね、王様。また掛布引っ剥がしちゃいますよー? でも、寝起きでも美しいですね、王様!」

 クビにしてもらおうと必死だったけど、彼の近くにいるのは幸せだった。眠る彼の顔をいつまでだって眺められると思った。無防備な寝顔はいつもより少し幼くて、出会った頃のようでとても懐かしかった。

 何かに押さえつけられるようにぎこちない動きで、ルタの首が持ち上がる。

「王様! 今日はいい天気だからどこかに出かけませんか! 街でお祭りがあるんですよ! 年に一回のお祭りですよ! 是非とも出かけませんか!」

「………………うる、さい」

 絞り出されたような声に、私は笑う。顔を上げたルタも、ぎこちなく笑っていた。

「です、よ、師匠」

「あら、ごめんなさい。更にあなたの好みを探って、可愛い女の子を紹介しようと思っていたのだけど」

 ルタは苦笑する。

「酷い、人ですね。俺、は、貴女、以外は、いりません、よ」

「私もよ、ルタ」

 そう伝えたら、驚いたように目を瞠った後、幸せそうに笑ってくれた。

 神は勿論、樹齢二千年にだって譲ってあげない。もう誰にも渡さない。私のルタだ。私の弟子で、恋人で、ずっと愛しているただ一人の男だ。

 だから、私の手で終わらせる。



 ぎちぎちと嫌な音を立ててルタの腕が軋む。開かれた掌が剣を形作っていく。必死に私を殺そうとしている人間神は、もしかしたら私を殺せば全てが元に戻ると思っているのかもしれない。楽園に入り込んだ異物を排除すれば、裏返った彼女の楽園が元の形を取り戻すのだと。

 そんなことは有り得ない。壊れてしまったものは元には戻らない。そんな簡単なことすら、彼女は知らなかった。

 一度憎悪に染まって壊れた私という形も、願いと期待のままに壊されたルタという子どもの形も、堕ちた天界も、真っ二つに割れた人間の在り方も。そうして崩れ去った彼女の楽園も、決して元には戻らないのだ。

 それでも、変わってはいける。元には戻らなくても、願う形に添っていくことはできるから。

「ルタ、あなたが大好き。ずっと、あなたが好きよ。……だから」

 剣の切っ先をまっすぐにルタに向ける。

 ルタは驚かなかった。軋む腕を広げて微笑む。



「私に、殺されてください」

「はい、師匠」



 震える剣を向けたままその胸の中に飛び込む。切っ先はまるで吸い込まれるようにルタの胸の中に消え、赤く色づいて背中から生えていく。

 呼吸が溶け合う距離で見つめ合い、ルタの唇から伝い落ちた血が私の頬を滑り落ちていくのを合図に唇を重ねる。血の味がする口づけは、酷く甘かった。


 響いた絶叫は誰のものだったのだろう。仲間達だったように思う。神城軍だったように思う。人間神だったように思う。

 その全てだったのかもしれないけれど、私はそれを確かめようとは思わなかった。そんなこと、どうでもよかったのだ。

 私は、柔らかく愛おしげに細められたルタの瞳が命を失っていく様子を見つめ、高く聳え立つ光の蔦の上で、一人泣いた。









 終わりを知らない人間神は、ルタと混ざり合ったまま死を得た。こんなもので神は死なないけれど、その衝撃は神の時間を止めるには充分すぎた。

 蔦が霧散する。

 ルタを抱きしめたまま重力に従って落下し、地面に触れる寸前に力を使ってふわりと降り立つ。命を失った身体を支えきれず、ゆっくりと膝を折りながら横たえる。

 大人数が走り寄ってくる音が聞こえるけれど、そっちに視線を向けようとは思わない。まるで眠っているようなルタの身体から、彼の瞳と同じ色をした生命が流れ出る姿を見つめて涙を流す。

 膝に乗せた頭から覆いかぶって抱き縋り、泣き続ける私を抱きしめてくれる腕はなかった。

「ルタ……」

 凄いね、ルタ。あなたは本当に凄い。こんなにも苦しい想いを千年も抱えていたのか。


 これで終わらないと分かっている私でも、身体と心を抉り取られたかのような痛みを。



 両手を重ね、祈りを捧げるように自分の胸に触れる。魂が別たれる感触に本能が恐怖を訴える。生理的に震えてしまう身体を押さえつけ、胸から離していく手の中で魂が羽の形で現れていく。天人は空を生きるもの。だから、魂を形作ると空を飛ぶ象徴となって現れる。

 触れただけで壊れそうな光を放っているのに、何より強くも見えた。これが魂だ。生命そのものだ。

 天人が人間に寿命を与えるときは、自らの羽をそのまま与える。けれど、これは違う。私の魂そのものを分け与える。

「ルタ」

 帰っておいで。

 今度こそ誰にも奪われないあなたの心で生きていいんだよ。

 血の味のする唇を重ねながら、魂を溶け合わせる。

 その為に、私の魂を使っていいから。私の魂をあなたの魂にしていいから。

 あげるよ、ルタ。全部だっていい。私の全部をあげる。だけど、出来れば私もあなたと生きていたいから、半分は残していいかな。

 あなたと全部を生きられるなら、半分の私だっていい。

 だから、帰っておいで。

 もう一度生きよう。もう二度と誰にも侵されないよう、あなただけの心で、あなただけの生を。



 小さく震えた目蓋に気付いて、少しだけ唇を離す。額を合わせ、睫毛が触れる距離で熱を分ける。ルタ、ここだよ。帰っておいで。こっちだよ、皆待っているよ。世界はあなたを待っている。

 だから、怖がらずに戻っておいで。

 ルタ。



「う……」

 微かに漏れた声と息に、詰めていた私の息が蘇り、涙が溢れる。

「ルタ」

「…………は、い……ししょ、う」

 目蓋を開くより先に返事を返すルタに、もう泣けばいいのか笑えばいいのか分からない。

 ゆっくり開かれていく瞳に涙が落ちてしまわないよう少し身体を離した私は、その色に目を瞠った。

 美しい生命の色が、私と同じ金紫に変わっている。

「ルタ……あなた、瞳の色が」

 魂を分け合っても、瞳の色が変わるなんて聞いたことがない。何か間違えただろうかと狼狽えた私の首に腕が回った。他の事に気を取られていて反応が遅れ、引かれるままに唇が重なる。

「憎悪の色には、もう、疲れたので、貴女の色を、頂きました」

 そう言って子どもみたいに笑う顔がぼやけてよく見えない。もっとよく見ていたいし、おかえりって言いたいのに、何も言葉にできない。大声で泣き喚くことすらできず、息もできないで泣き崩れる私を抱きしめたまま、ルタは万感の想いが篭った深い深い息を吐いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ