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師弟失格  作者: 守野伊音
師弟失格
15/17

 今晩の野営地は二つ向こうの大きな街の側となるから、この町は通過するだけだ。ぞろぞろと歩く兵隊を、町民達は物珍しげに見ている。

 十年経ったなんて思えないほど、驚くほど変わっていない町並みだ。

 どうせこの姿をアセビと分かる人などいない。身体的な特徴で人間としての名残は一切残っていないのだ。だから、ただ通り過ぎればいい。その角を曲がったら教会の屋根が見えるから、それだけ眺めて去ればいいだけだ。

 そう思いながら向けた視線の先は、空っぽだった。

「え…………」

 歩きながらも視線は固定されたままになる。十年前のあれ以来、あちこちの教会が焼かれたと聞く。ここもそうだったのか。じゃあ、隣接していた孤児院は?

 踏み出した足を地面につけたまま向きを変える。じゃりっと地面を削った私は、隊列を抜けて野次馬の中に潜った。



 行ってどうする。どうせもう誰も私が分からない。何ができるわけでもない。だから、行ったって無意味だ。

 そう思うのに、走り出した身体は止まらない。家の間を抜ける細い道を走り抜けた先に、十五年過ごした場所がある。

 辿りついたそこに、何十年も前に建った古ぼけた孤児院はなかった。教会も無い。比較的新しい建物と、広い庭がある。

 その建物の前で、子ども達が箱を持って声を上げていた。

「募金おねがいしまーす」

「戦争であたらしい友達が増えてます」

「だから、募金お願いしまーす」

 ああ、ここは変わらない。過ごした建物は無くなって、あの時孤児院にいた皆は大人になってここにはいないけれど、何も変わらない。子どもが孤児院にいる現実に安堵するのはどうかと思うけれど、何故かほっとした。

 立ち尽くす私のマントを小さな手が引く。年少さんの女の子だ。

「あの、おかね、おねがいします」

 基本的に、自分達を守ってくれる兵士や警邏から募金を取らないようにしているのだけど、この子は小さいから知らないのだろう。もしかすると、最近孤児院に加わった子かもしれない。兵隊の通過時に一時的に増える人を目当てに募金を募集するけれど、兵隊から貰わないよう街道から外れた場所でするのはそういうわけだ。警邏からも貰わないのは、町を回っている彼らとは遭遇率が高いため、一々搾り取っていては彼らが破産するからである。


「えっと、ちょっと待ってね」

 多くはないとはいえ、兵士には給金が出る。それを纏めた財布を取り出して、女の子の手に渡す。

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 ぱっと顔を綻ばせて走っていく女の子を見送る。ちゃんと役割を果たしたよと、先生達に褒めてもらいに行ったのだろう。勢いのあまり、財布をがちゃがちゃと振り回している後ろ姿に苦笑して、もう一度孤児院を見る。

 おそらく、もう二度と来ることはないだろう。それでも、天界という故郷を失ったいま、育った場所が変わらずそこにある事実に安堵する。

 小さく頭を下げて背を向けようとすると、孤児院からさっきの女の子が走って出てきた。その後ろから杖をついて歩いてくる人は院長先生だ。私のいた頃は副院長先生だった人である。年を取ってはいるけれど、見知った顔を見て、知られるはずがないのに心持ち顔を逸らしてしまった。



 院長先生は、お年を召した身体で、それでもしゃきりと背筋を伸ばして私に頭を下げる。

「申し訳ありません。兵隊さんには募金をお願いしないものだと、まだ教えておりませんでした」

 孤児院の目の前で募金を募集する班にいる子だから、他の子より注意が甘かったのだろう。

 女の子はぷくっと頬を膨らませて、ぎゅっと院長先生の服を握り締めている。褒めてもらえると思ったのに、大好きな院長先生が私に頭を下げている姿を見て泣きそうだ。

「いいんです。分かっていて、私が渡したのです。ね?」

「…………うん」

 こくりと頷いた女の子の眼から大粒の涙が零れ落ちる。声を出さないところを見ると、少々意地っ張りとみた。可愛い。

「どうぞお納めください」

「ですが、こんな、財布ごと」

「隊で食事は出ますし、どうせしばらく買い物とも縁がありません。持っていても困るお金ですので、どうか皆の冬服の足しにでもしてください」

 まもなく冬が来る。冬はお金がかかるのだ。薪がいる、風邪を引いた子どもに薬と医者代がかかる。年の瀬は、捨て子が増える。

 だから、せめて少しでも足しになればいい。

 まだ何か言いたげな院長先生に軽く頭を下げる。

「そろそろ隊列に戻らないと遅れてしまうので、これで失礼します」

「あの、せめてお名前を教えては頂けませんか?」

「名乗るほどのことではありません。では」

 こっちから会話を切って終わらせる。そして、今度こそ最後だと孤児院を見上げた私の耳に、奴の声がした。


「アセビさぁん! どうしたんですかっべぷ!」


 盛大に転んだカルカラを振り向けない。院長先生の眼が見開かれたからだ。

「アセビ?」

「迎えが来たので私はこれで失礼します」

「あなた、アセビなの!?」

 そうは院長先生が許さなかった。振り払おうと思えば振り払える年老いた指は、大変力強い。逃がすものかとぎりぎりと私の腕を握り締めている。そういえば、元副院長先生は、ローリヤとよく似ていた。怪力具合が。これ、振り払おうとしても無理かもしれないと冷や汗をかきながら、慌てて否定する。

「た、確かに私はアセビという名ですが、あなたが仰るアセビとは人違いですよ」

 人種違いである。

 そう諭そうとしたのに、院長先生はかっと目を見開いた。

「そうよ、あなたはアセビね!?」

「ち、違います!」

「いいえ、違いません。相手が欲しがった物は、分けるどころか丸ごとぽんっと渡してしまうところ、変わっていないようね」

「うぐっ」

 しっかり覚えていらっしゃる。そこはお年を召して記憶があやふやになっていて頂きたかった。

「あなた神殿にいたから、心配していたのよ。あれから手紙を送っても届かないし、手紙も送られてこないし。前院長先生も亡くなるまであなたを案じていらっしゃったわ」

 確信を持って詰め寄ってくる院長先生を見られず、視線が彷徨う。その顔に、院長先生のしわくちゃで温かい手が伸びた。

「あなた、どうしたの。この顔、どうしてしまったの」

「あの、先生……」

「あれだけ可愛らしい顔で笑っていた子が、なんて顔をしているの」

 院長先生は、悲しげに顔をくしゃりと歪ませた。

「どうしたのです。何があったの? 悲しいことがあったの? どこか痛いの? どうしたの、アセビ。先生に話してごらんなさい。先生はいつだってあなたの味方よ」

 頬を包んだ手に引かれるまま背を曲げると、先生は額をこつんと合わせた。怖い夢を見た時、悲しいことがあった時、嫌なことがあった時、先生は子ども達にこうしていた。


 どうしよう。目の奥と鼻の奥が凄く痛い。堪えようとすればするほど、声が震える。

「せ、んせ。私の、顔、とか、年、とか、他に、幾らでも、言うこと、あるんじゃ、ないですか?」

「子どもが成長したら顔くらい変わりますよ。それに、女がいつまでも若くて何の悪いことがありますか。あなた、綺麗になったわねぇ。素敵よ、アセビ。素敵な女性になったのね。先生嬉しいわ」

 そんな問題じゃないですよと言いたかったのに、声が出ない。

 人間であることに、特に執着が合ったわけじゃない。どちらかというと、天人ではなくなった事実のほうがつらかった。けれど今は、怖い。今まで出会った人達に、人間ではなくなった私を気味悪がられることが、怖かった。

「あらあら、まあまあ」

 院長先生は杖を手放して、私の頭を抱え込んだ。しわくちゃで年老いた身体。なのに、温もりだけは全く変わらない。あの頃は全力で握りしめた背には手を回さず、自分の顔を覆って隠す。でも、院長先生はそれごと抱きしめてしまった。

 目の奥が、鼻の奥が、喉の奥が。胸が、熱い。



 人間であること。天人であること。

 天人ではなくなったこと。人間ではなくなったこと。

 その全てに悔いはない。だけど、変わり続けるこの身の在り方を見ても、アセビを受け止めてくれる人の存在が、どうしようもないほどありがたかった。



「アセビ、ねえ、アセビ。こっちに来て頂戴」

 涙を止めようと必死になっている私の手を引いて、院長先生は孤児院の窓の前に立つ

「中を見て」

 鼻を啜りながら中を覗く。そこは子ども達の部屋だった。

 部屋の左右に一つずつの二段ベッドで四人部屋。部屋の在り方は昔から変わっていない。使い込まれた跡があるけれど、私達の時はもっと古かったから、きっとどこかで買い替えたのだろう。

「そのベッド、あなたが送ってくれたお金で買ったのよ」

「え?」

 懐かしそうに目を細めて部屋の中を見ている院長先生は、何かを思いだしたのかくすくすと笑う。

「十年前にね、色々あったでしょう? その時教会に火がつけられて、孤児院も一緒に燃えてしまったの。もう、途方に暮れたわ。皆で呆然と跡地に立っていたらね、あなたのお金で買ったベッドが納品されちゃったの。酷いのよ。建物はもうないのに、これで仕事は終わったってベッドだけ置いていっちゃったの。もう、困ってしまってね」

 困ったと言っているのに、院長先生はおかしくて堪らないと笑っている。

「そうしたら、子ども達が、ベッドがあるからここで寝ようって言い出して。幸い晴れていたし、春だったから、星空を見ながら皆で眠ったわ。そうしたらね、教会を燃やした人達が、家を奪って申し訳なかったって寄付を募って持ってきてくれたの。いろんな人達がベッドだけで暮らす私達を見て手を貸してくれたわ。だから私達はまだここにいられるのよ。屋根を求めて他の建物や孤児院に移ってしまっていたら、きっとここには戻れなかったわ」

 両手で私の手を握って、院長先生は笑った。

「あなたのおかげよ、アセビ。あなたのおかげで、私はここで子ども達を、あなたを待っていられるの」

 先生は、私の努力を全部根こそぎ無に帰させるつもりらしい。必死に止めようとしているのに、次から次へと涙が溢れて止まらない。

「ありがとう、アセビ。あなたのおかげで、この地は今も子ども達の故郷よ」

 立ってすらいられなくて地面に膝をつく。

 人間であっても天人であっても、繋がっていた。変わらないものがある。変わりゆくものがある。その全てが繋がって、廻っていく。その中に私もいた。誰かと繋がっていることが、繋がり続けていく世界の歯車の一人でいられることが、こんなにも嬉しいことだなんて知らなかった。過去が手を広げて待っていてくれることが、こんなにも、苦しいほど幸せなことだなんて、知らなかったのだ。

 ごめんね、ルタ。ルタに会う前にもう、幸せになってしまった。フライングですよ師匠と、ルタは怒るだろうか。



 なんとか涙が止まった頃、背後からそぉっとカルカラが声をかけてきた。

「あ、あの、アセビさん、もう戻らないと……」

「分かっています」

 鼻を啜って振り向けば、あの小さな女の子と手を繋いで、所在なさ気に立っている。おろおろと周りを見回すカルカラに比べて、女の子のほうがしっかり立っていた。

「カルカラ、あなた剣の修行だなんだと言う前に、純粋に足腰鍛えて身体を作らないと、どの道何も出来ませんよ」

「で、弟子入りを許してくれるんですか!?」

「上官命令分を果たしただけです」

 がっくりと項垂れたカルカラを無視して、院長先生に頭を下げる。先生も深く礼をした。置き去りにしてしまっていた先生の杖を拾って、女の子に渡す。

「ここでの記憶が、これからのあなたの支えとなりますように」

 きょとんと眼を瞬かせる女の子の頭を撫でて、もう一度先生に頭を下げる。

 そして今度こそ、背を向けて走り出す。足がもつれて転びそうになるカルカラの首根っこを掴んで速度を上げて、だいぶ進んでしまった隊列に戻る。


 帰ろう。神殿に、ルタの元に、帰ろう。ここからもう一度旅立とう。私には故郷が二つある。それはとても幸せなことだ。

 帰る場所があるから旅立てる。帰る場所を持たずの出立は、ただの彷徨い人だ。


 目指すは神殿。ルタの帰る場所を確保して、それから迎えに行くから、待っていてね。

 話したいことがたくさんあるの。共有したい思いがいっぱいあるの。



 神の眼はきっと、この部隊に降るだろう。それを振り払った時、彼らが私を見る目は変わるのだろうか。化け物と恐れるだろうか。異質だと嫌悪するだろうか。何せ、他に天人は一人だけしかいないから、天人と遭遇した時の人間の反応を想像できない。神殿にいた人達は環境も人選も特殊だったから、あまり参考にならない気がする。

 これ以上、無くしたくないものを増やしたくなかった。恐れるものを作りたくなかった。

 でも、もういい。

「お、アセビ、戻ったか」

「どこ行ってたんだよ」

「土産は? おい、土産は?」

 伸びてきた手をぱしりとはたく。

「財布すら無いので無理ですよ。ほら、早く行きましょう。この調子だと雨が降りますから、今のうちに距離を稼いでおかないと。この先はすぐぬかるむ湿地帯なんですよ」

 げっと呻いた人達は速度を速めた。一人伝令が走っていったので、ブルクスに知らせに行ったのだろう。

 それを見送って、空を見上げる。

 もう、いいのだ。もし脅えられても、恐れられても、嫌悪されても。その先があるのなら、変わらないものもあるかもしれないと思えるから、もう、いい。

 失くしても失くさなくて、きっといつかは廻り合える。今まで出会ってきた人達のように、出会いたい存在と巡り合えるその時があるのなら、もう、何も恐れない。




 神殿の奪還時に神の眼を弾けば、人間神は現れるだろうか。ルタの身体で現れるなら、神城まで出向かずともそこで終わりにしてやる。

 私は剣を握り締め、目を閉じた。

 ルタ。

 人間神から、あなたを解放する。人間神によって作り変えられ、魂にすら入り込まれたあなたを解放する手段は一つだけだ。私がルタにしてあげられる唯一だ。

 あなたを解放する。

 あなたの死を、あなたの救いとする。

 それが、師匠として、私がしなければならない最後の役目だ。




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