6
赤が散る。
赤が散る。
私が散らした、赤が舞う。
最後の一人を斬り捨てて、布で拭うふりをして術で血を掃う。曇り一つない刀身を鞘に仕舞ったと同時に、戦闘終了の号令がかかった。
「てめぇらよくやった! 生きてるやつは身体洗ってくそして寝ろ!」
豪快に笑いながら血塗れの隊長が近寄ってくる。隊長でありながら前線を駆け抜けるのはどうかとは思うけれど、だからこそ隊の結束は強く、男は慕われていた。
「よお、アセビ。相変わらずいい腕だな」
彼らの寿命以上の年月を鍛錬してきた記憶を身体が覚えている。長くてたかだか数十年の相手に、そう簡単に負けはしない。天人の身体は身軽で疲れにくい。力も人間とは比べ物にはならず、空を飛ばすとも地を走っても誰も追いつけない。
隊長は、無精髭を擦りながら、私を上から下まで眺めた。
「しかし、毎度思うが、お前さんはどうしてそうも汚れねぇんだ」
「あなたが被りすぎではないかと」
「はは! 違いないな!」
武器が鈍器なのが大きいだろう。剛腕で振り回す大剣は研がれていない。斬るというより相手を叩き潰す武器だ。
「今日は楽だったな。神の眼はよその戦場に向いてたか」
「その為に各地同時に進軍しているのでしょう」
「その通りだな」
神の眼が向いている戦場では、こっちの兵がいる地が割れる。だけど、多方向に向けることは難しいらしく、同時に仕掛ければ犠牲は少なくて済んだ。
「ただ、最近神の眼自体が動いてないらしいぞ。どこの戦場でも神の眼が現れてねぇ」
「なら、力を溜めているんじゃないですか?」
「おおっと。そいつはまずいな」
調子がいいようでいて、この人は指揮官でもある。だから、向こうから話しかけてきたとはいえ、戦闘後の忙しい時に独占するのもまずいだろう。
「それでは失礼します」
「おう」
軽く礼をして向けた背中に、言い忘れてたと声が続く。
「今晩飲むから、お前もつきあえ」
「分かりました」
承諾して今度こそ歩き出す。その後ろで「つき合いが悪いわけじゃねぇんだけどなぁ」とぼやく声が聞こえた。
「で、俺らはそのまま迂回して神殿の奪還に向かう」
「あそこの教会は?」
「あれはもう燃えてるぞ。王を連れ去った教会が、神殿の膝元で無事でいられるわけがない。国民の怒りがもろに向かった一つだからな」
神殿は神城によって占拠され、ずっと閉ざされている。中で働いていた人は外に出された人もいれば、未だに神殿に留まっている人もいるという。王に近しかった人達は皆残されているというので、老臣も側近も、ローリヤ達も、神殿にいるはずだ。
幽閉されているのだろうか。無事なんだろうか。ああ、ローリヤの結婚式はどうなったんだろう。
見たかったな。そして、目一杯の花を抱えて祝福したかった。
「で、お前は神の眼についてどう思う?」
「人間神は、天神と違って人の願いから生まれた神です。信仰が薄まれば力も弱る。今までは絶対神として在ったけれど、人間が真っ二つに割れた現在、その力は弱っているはずです。乱発できる力を保てなくなったのだと思います」
「つまり?」
「次の一発を溜めている場合、一番攻め込まれたくない舞台につぎ込んでくる可能性があります」
「神殿奪還を目論む隊とかな」
つまりは、ここだ。ここが一番神殿奪還の可能性がある部隊だ。だからこそ、私もここを選んだのだから。
人間神にとって、人間への傲慢な態度は諸刃だ。力を誇示すると同時に、人間の心が離れれば力は弱まっていく。人間神は、人間の頂点に立ちながら、人間がいなければ存在すら保てない神なのだ。
飲み会と言いつつ、実質は飲みながら会議をしているようなものだ。何故私相手なのかは分からないけれど、上官の指示は一応守るべきだろうとつき合っている。
開け放された窓から片足を投げ出して座り、立てた膝の上で酒の入ったコップを揺らす。
「アセビさん、危ないですよ!」
「大丈夫です」
隊長の弟がわたわたと両手を振る。そして、酔ってもいないのにふらついて転んで床と仲良くなった。
「カルカラ、お前何やってんだ?」
「うう……兄さんも止めてくださいよ!」
「あ? そこなら落ちても下にバルコニーあるし、死ぬこたねぇだろ」
「そういう問題じゃないよぉ!」
兄に筋肉と運動神経全てを根こそぎ奪われたらしいカルカラは、何もない所で転ぶ特技を存分に発揮して私の傍に戻ってきた。まだ十三歳だからお酒は飲んでいないのに、見事な転びっぷりだ。
擦りむいた鼻を押さえて涙目になりつつ、カルカラはきぃと怒った。
「大体、アセビさんはどうしていつもそういう危ない所に座るんですか!」
「偶に立ってます」
「余計危ないですよ!」
どうしてと言われても、風が気持ちいいからだと何度も言っているのに納得してもらえない。ルタがいるときはこんな行儀が悪いことはしなかったけれど、元々窓から走り抜ける風を受けるのは好きだ。
「馬鹿だから、高い所が好きなんです」
「はあ、馬鹿なんですか」
納得頂けたようだ。天人はみんな高い所が好きなのだけど、まあいいか。
「アセビさんはお弟子さんがいるって言ってましたよね?」
「……はあ」
話が凄く飛ぶ子だ。
カルカラはきらきらとした目で私に詰め寄った。
「お師匠さんってかっこいいですよね! 何のお師匠さんなんですか?」
「何の……」
何のと言われると、何のだろう。
「やっぱり剣ですか?」
「剣も教えましたね」
一通りの武器の扱いは教えた。もっとも、あっという間に上達していくから、鍛錬を欠かさず行わないと、こっちがついていけなかったけれど。
今日は星が良く見える。あの星の中でルタと眠った日々を思いだしていると、お酒を持っていないほうの手をカルカラが握った。
「俺も弟子にしてください!」
「絶対嫌です」
「ちゃんと兄弟子とも仲良くできます!」
「多分無理です」
手を振り払ってマントの中に仕舞いこむ。ショックを受けてよろめいたカルカラが壁にぶつかって倒れたのを見て、隊長が膝を叩いて大笑いしている。
「いい案だ! よし、そのまま粘れカルカラ!」
「酔っ払いは黙っていてください」
酔っ払いが乗ってきた。これだから酔っ払いはと言いたいけれど、この人は素面だろうが酔っていようがこういう人だ。
「どうして駄目なんですかぁ! 俺も強くなって、兄さんと一緒に戦いたいです!」
「でしたら、そこのお兄さんに習ってください」
「兄さんが人に何かを教えるのが向いているように見えるんですか!?」
「見えません」
泣きながら縋ってきても駄目なものは駄目だ。酔っ払いの勢いに背を押されないでほしい。
「私は元々、めんどくさがりで我儘な女です。師匠には向いていませんよ」
「じゃあ、どうして兄弟子は受けたんですか」
ぶくっと膨れて言われても困る。そして、さりげなく兄弟子にしないでほしい。私は弟弟子を取った覚えはない。
「どうしてって……」
家に連れて帰ってから、押しに押されて押し通されて、思わず頷いてしまった。あ、駄目だ。これ言ったら確実に押し通される。
私は少し考えて、とりあえず事実を伝えた。
「可愛かったから」
「姉弟子ですか!? うわぁ、やったぁ!」
「男です」
「がっかりぃ……」
なんて不純な志願理由。もっとルタを見習ってほしい。真剣に、その全てを懸けて私を師に掲げた理由は殺す為。そこに不純な理由は存在しない。ただ、ちょっと物騒だっただけだ。
「俺、強くなりたいんです!」
「嫌です。絶対、もん、こ、は」
門戸は開きませんと頑張って言い切ろうとしたけれど無理だった。見てみぬ振りしようとしたけれど難しい。
私の前で、カルカラが申し訳程度に帯剣していた剣を抜いたのだ。その見事なまでのへっぴり腰。細くて華奢な剣なのに、二の腕から太腿までぶるぶる震えている。
「お、俺だって、代々王に仕える一族の一人! きっと強くなって、王様を守るんです!」
「……頑張ってください」
「そこは俺の心意気に心を打たれて師匠になってくれるところでしょう!」
「え――……」
それは無理があるんじゃないだろうか。
私はお酒を飲み干して、盆の上に乗せた。
「一つ付け足すなら、弟子な上に私の恋人です」
「た、爛れてる!」
「そうでしょう。ですから」
「大人の世界ってやつですね! すっごいどきどきしますね!」
だから関わらないほうがいいですよと続けようとしたのに、どうしてそうなってしまったのだろう。
頭を抱えかけた視界の端で、にやにや笑ってる隊長に気付いてやめた。なんだか思う壺にはまっている気がする。
「どうして私に構うんですか。自分で言うのもなんですが、わりと怪しい部類に入ると思いますが」
「おう! 相当怪しいな!」
「そう思うなら、次の作戦暴露する上に、護衛もつけないで飲み会なんてしないでください。後、大事な弟を弟子入りさせようとしないでください」
お開きだとコップを置いて立ち上がる。カルカラがまた、危ないですよぉと半べそになったけれど、髪とマントを流れていく夜風が心地よくて無視した。
「俺の家はな、代々王様に仕えているわけなんだが」
あ、酔っ払いが語り出した。早々に退室するべきだったと内心舌打ちする。
「俺は武勇馬鹿だから、普段は軍人やってるが、王の大事には駆けつける王軍だ。一族も大抵王にお仕えする職に就いている」
「はあ。私は孤児だから、家族の話は聞かれても出来ませんよ」
だから早々に解放してほしい。いっそこのまま窓から飛び降りてやろうかと足元を確認する。このくらいの高さなら、羽を出さなくても普通に飛び降りられるだろう。目測でそう判断して、あまり長く続くようなら飛び降りようと身構える。
「で、だ。その中には神殿で働いてるのもいてだな。神殿が占拠された折に、俺達は一度中に侵入したことがある」
「え?」
「まだ、ここまでがちがちに固められてない頃だったからな。少々の無茶を通せば、少数で入り込めたんだよ。まあ、中にいる奴らは、王が帰還なされるまでここで待つといって一緒には出てこなかったんだけどな。それで、うちの身内がな、こう言うんだよ」
隊長は、声色を変えるためか一回咳払いして、人差し指を立てた。
「いいか、ブルクス。もしもお前達の所に、朝焼け色の髪と金紫の瞳をした、普通の顔、もしくは綺麗な顔した女が現れたら、絶対に逃がすな、足止めしろ、ってな」
「…………ん?」
「子細は話せぬが、いいな、必ずじゃぞ。わしらの代わりに屋根裏で音楽をじゃぞ! って訳分からねぇことをだな。一応自分でもお前は大丈夫だろうと判断はしたが、まあ、そういうわけだ。宜しくな、アセビ!」
懐かしい口調と単語に、私は目を伏せてふっと小さく笑いを零した。
お爺ちゃん達の身内だなんて聞いてない。
私は無言で窓から飛び降りて逃走を図った。しかし、兄の手によって窓から放り落とされてきたカルカラが、でっぱりでワンバウンドを得て降ってきたのを見て、両手で顔を覆う。
神殿奪還はこの部隊が一番可能性ありそうだなと思って、何も考えずここを選んだあの時の自分を責めたてたい。