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師弟失格  作者: 守野伊音
師弟失格
11/17

 幼い子どもの甲高い声が聞こえる。

『いんちょーせんせ。アセビっておかしいのよ。神さまにお祈りしたくないっていうの』

 孤児院は教会に隣接されていた。

 毎週行われる祈りの日に参加しない私に、院長先生も神父さんもとても困っていたのを知っている。

 優しく、時に厳しく諭されても、頑として祈らない私という子どもは、さぞかし異質だっただろう。

 ある日院長先生は、私を抱きしめて言った。

『ここにくる子どもの中には、そんな運命を与えた神様を信じないと言う子がいます。けれど、アセビ。何故かしら。あなたは、そう叫ぶ子ども達とは違って見えるの』

 だって、院長先生。

 私の神はただ一人なのです。全ての天人の祖であるあの御方だけが私の神なんです。

 これは信仰ではない。天人にとって神とは信仰するものではなかった。神とは、敬愛すべき祖であった。尽くすのは忠義ではなく、信愛だった。そんな形で神と関わってきた天人が、人間の神を崇め奉ることがどうしてできるだろう。

 最早失くした神であっても、この身が既に天の物ではないのだとしても、それでも。

 どうしても、人間の神に祈ることは、出来なかった。




 憎むことは疲れた。憎悪の結果、この子を巻き込んだことをずっと後悔している。

 それでも、天界と人間界の業を全てルタ一人に背負わせた人間の神に対して、思う所がないまま過ごすというのは難しかった。

「師匠は、俺が憎くはないのでしょうか」

「大好きよ」

「…………どうも」

 即答してしまった。ここはもっと溜めるべきだった気がするけれど、飛び出した言葉はひっこめられない。仕方がない。事実だ。

「ルタこそ、私が恐ろしくはないの」

「恐ろしいです」

 即答されてしまった。もうちょっと溜めてくれたら心の準備が出来た気がするけれど、どっちにしても受ける衝撃は変わらない。仕方がない。事実だ。

 身体にどっと押し寄せるこの感覚は知っている。復讐を果たした後と似ていた。無尽蔵の活力を生み出した憎悪が去った後は、全てが燃やし尽くされて何も残ってはいなかった。空っぽの身体と心に、疲労感に似た虚無が伸し掛かって、身体は酷く重たかった。

 あの時はしばらく動けなくなった。温かい記憶だけが溢れる家から一歩も出ずに、空っぽの心を持て余した。

 けれど、いまは立っている。立って、思考は巡っていた。仕方がない。これは仕方がないことだと、飲み込もうとしている。だって、あれだけ世界の全てだったルタを失おうとしている心の中は、まだ空っぽじゃない。

 得たものがある。どうせ終わるからと走り抜けてきた人生の中で得たものは、昔失った温かいものによく似ていた。

 後で号泣しようと決めて、ずくずくと痛む胸を抑え込む。ローリヤ、難しいよ。言いたくないことを伝えようと頑張っても、やっぱり無様な真似は曝したくないと、ちっぽけな誇りが泣き叫ぶ。

「師匠、俺は、貴女が何より恐ろしい」

「…………ええ」

 大丈夫、ルタ。ちゃんと立っているから、ちゃんと聞いてみせるから、全部言って。あなたが言おうと決めたことなら、私は、どれだけ聞きたくないことでも逃げださないから。

 ルタは、また一歩近づいた。


「貴女を失うのが何より恐ろしいのです」


 ちょっと、予想していた言葉とは違った。いや、だいぶ。

 拒絶の言葉に身構えていた心が呆ける。呆けている場合ではないけれど、飲み込むのに一拍を要した。

「貴女は、師であると俺に打ち明けてから変わってしまいました。他の人間の前では変わらないのに、俺の前では口調もあまり崩してはくださらない。ご自分の気持ちを、伝えてはくださらない。…………仇の息子である俺が、やはり憎くなったのではないのですか? 貴方を殺した仇そのものの俺が憎いのでは、恐ろしくなったのではと思うと、恐ろしくてならないのです。……俺は、貴女を愛しています。けれど、貴女が俺を憎むのなら、それでも、いい、と。貴女が俺を好いてはくださらなくても、傍にいてくださるのなら、貴女を失わなくてよいのなら、もう、それだけで」

「な、んで、そんな。私、あなたが憎かったことは一度もないわ。恐ろしかったことだって、一度も。私、あなたを愛しているし、大好きですし、ちゃんとお付き合いしたいなと思って確認というか告白をしようと思って、今日、ここにいるんですよ!? あなたが恋しいから傍にいたいけれど、あなたがそうじゃないのに断れなかったらどうしようとか悩んでいたのに、その間ルタは私に憎まれていると思っていたの!?」

 大体、口調が変わったと言うならルタだってそうではないか。

「ル、ルタだって、私にちっともうるさいって言ってくれなくなったじゃない!」

「…………言ってほしかったのですか?」

「…………言われてみると、別にそうでもないですね」

 そして我に返ってみると、告白しようも何も、もうしてしまったような気がする。

 室内ではないし、木枯らしさんの本領発揮だ。

「ちょ、ちょっと待ってください」

「……はい、師匠」

 整理する時間が欲しい。

 二人で黙りこくって数秒、口元を押さえて視線を逸らしたのは同時だった。

 …………つまり、両想いということでいいのだろうか。



 お互いにある負い目が絡まっているけど、それを剥いでみるとそういう事という結論で、大丈夫、ですか?

「ルタ、私、皆みたいに、綺麗に、愛せないかもしれない。だから、その……嫌だったら、遠慮なく弾いてください。それを踏まえて言います。ルタ、私と」

「俺と交際してください、師匠」

 台詞取られた。

「そして、どうかこの先も共にいてください。貴女と共に在れる伴侶に、俺を選んでください。俺は、貴女と生きたい。貴女の隣で生きるを許されたいのです」

 よかった、勘違いじゃなかった。付き合っているかどうか分からなくてもだもだしている間に、ルタに凄まじい勘違いをさせていたことは反省しよう。ルタの態度が変わった、気持ちが分からないと思っていたけれど、よく考えれば私だって同じだったのだ。

 これからは、そんなことがないように心がけよう。……これから。これからを過ごせるのだ。ルタと、これから過ごせることがどれだけの奇跡か、私は知っている。

 そして、その奇跡を得たことで、私は気づいてしまった。

 いや、ずっと気づいていた。分かっていたのに、見てみぬ振りをしていのだ。


 ごめん、ルタ。

 私は、とても、醜い。




「ルタ、私、たぶん、凄くめんどくさいと、思う。し、嫉妬とか、しちゃうかも、しれない」

「俺は常にしていますが」

「怒ったり、文句、言ったり、しちゃうと、思う」

「素敵ですね」

「見栄張って、う、嘘だって、つくかも、しれない」

「楽しみです」

「い、いっぱい、泣くかも、しれない」

 愛おしいのだ。どれだけ縺れても、どれだけこじれても、どれだけ面倒な縁であろうと、この子が、ルタが、恋しいのだ。

「し、師匠」

 ルタが狼狽えている。弟子を狼狽えさせるなんて師匠失格だ。分かっている。分かっているけれど、どうかもう少しだけ待って。

 欠けた歯車みたいにがくがくと動いていた心が、ルタの前で涙を流すたびにくるくると回っていく。私の心はきっと、一度壊れている。憎悪がこの身を焼いた時、今までの温かい物を燃やし尽くして力とした。だから、憎悪が終わった時、私は壊れたのだ。

 壊れて空っぽだったそこに愛おしさが広がった。そして、愛おしさに後押しされるようにぽつぽつと感情が戻ってきた。けれど、自分が戻したくないと思った感情は無理やり押し込めてきたから、それらは酷くでこぼこだった。ルタの目に映る自分は綺麗でいたかった。醜い感情を持たず、温かいものだけで構成された自分でありたかった。

 比重がおかしくて、心が回る度に、がくん、がくんと、奇妙な動きで回る。憎むことに疲れて、人間神への嫌悪を見てみぬ振りをした。負の感情を押し込めて、明るい物だけ見ようとした。この世が美しい物だけで構成されていない以上、醜いものはそこかしこにあったのに、私はそれらを見えないふりをした。見えなければ、気づかなければ、醜い感情を抱えなくていいのだと、抱えなければ、ルタにそんな自分を見せなくていいのだと、思ったのだ。

 そうして出来上がったものが歪でないはずがない。

 愛とは尊いものである。だから恐れずに全力でぶつかれた。少し仄暗い面に向かいそうになっても、愛で誤魔化した。

 私はルタを生きる意味にした。そうして、憎悪に飲まれた醜い自分を作り直したのだ。

 そうだ。私は、こんなにも出来の悪い、卑怯な師匠だった。


 でも、伝えなければ。

 だって、こんな私と一緒に生きたいと言ってくれる人がいるのだ。それが、ルタなのだから、もう隠してしまえない。これ以上、卑怯にはなるわけにはいかない。一緒に生きたいと言ってくれた人に、誤魔化して隠した自分を教えずに押し付けるのは、酷い詐欺だ。

 泣きじゃくりながら話す、酷く聞き取りづらい言葉を、ルタは一つ一つ拾ってくれた。私が立ち尽くしたまま泣きじゃくるから、ルタは顔を見ようと膝をついて両手を握っている。

「ごめ、なさい。ごめんなさい、ごめんなさっ……」

「どうして謝るのですか? つまり俺は、これからもっと色々な師匠を見られるということですね。楽しみです」

「ごめ、なさ……私はっ」

「それを言うなら俺のほうが…………知られると師匠が逃げていきそうな気がします」

 ルタはちょっと目を逸らして呟いた。



 私の涙が止まった頃、ルタはようやく立ち上がった。膝の汚れをそのままに、私にハンカチを渡してくれる。私も持っているけれど、ありがたく受け取って涙まみれの瞳を覆う。

「……ルタの器の大きさは、凄いわ」

「俺をそう育ててくださった師匠が凄いのですよ」

 さらりと師を立てるルタの凄さは留まるところを知らないようだ。

 鼻を啜ってハンカチを目から離すと、穏やかに微笑むルタがいる。

「これから宜しくお願いします、師匠」

 これから。そう、これから、ルタと、生きるのだ。汚い感情だって見せて、醜い想いだって吐露して、その上で繋がった絆を頼りに。

 両親がそうやって繋がって家族となったように、私も生きられるだろうか。

「こ、これから、宜しくお願いします、ルタ。だ、だから、その……とりあえず、手を、繋ぎませんか」

 さっきまで握ってくれていた手は、温もりが離れてしまうと小さな風すら冷たく感じる。なんだかとても寂しくなって、我儘なのか甘えなのか分からない要望を出してしまった。

 たぶん、私の顔は真っ赤になっている。

 さっきまでずっと繋いでくれていたはずなのに、ルタは躊躇うように視線を泳がした。

「し、失礼します」

 そう言って、そっと手を繋いでくれたルタの耳も、赤かった。






 結局後半は手を繋いで立ち尽くすだけで終わってしまったけれど、今まで繋いだことがなかったのかと自分でも思うほど心臓が忙しかった。

 馬車まで戻った私達が手を繋いでいたからか、お互いの顔が赤かったからか、帰りの馬車はほとんどの揺れを感じなかった。最初からそうしてほしかった気がする。

 でも、馬車で並んで座っていると、ルタが「師匠、何か我儘言ってください」だの「何かねだってください」だの、無茶ぶりしてきて困った。あまりに何度も言うので「無理です、ルタの馬鹿――!」と罵ってしまった。はっと気づいて自分の口元を覆ったけれどもう遅い。一度飛び出した言葉は戻らないのだ。

 まさか、今まで見たこともない笑顔で「はい、師匠」と肯定してくるとは思わなかったけれど。


 そんなこんなで、行きより断然早く辿りついたような気がする神殿の門をくぐったら、何だか中が騒がしい。

 耳を澄ませていたルタが舌打ちして、その顔から表情が消える。

「師匠、少々厄介事ですが、お気になさらないでください」

「え?」

 この神殿内での厄介事なんて、どこからともなく聞こえてくる雰囲気ある音楽だけだと思っていた。けれど、よく見ると奥にたくさんの人が見える。この神殿の神官だけでなく、見慣れない制服を着ている人間達だ。

 彼らは、ルタの姿を見つけると走りはしないまでも、早足で近寄ってきた。

 だが、その間に老臣と側近が立ち塞がる。そして、見慣れない服を着た人達もだ。

「控えろ、神城よ! 王の道を塞ぐなど、あまりに無礼ではないか!」

 お爺ちゃん達の聞いたこともない声音に驚く。天井の高い吹き抜け内にびりびりと声が駆け抜けていく。

 しかし、それを叩きつけられた相手は怯まなかった。

「王よ、どうぞ正気に戻ってくださいませ。王の伴侶は我らが悲願。ですが、よりにもよって天人など、神は許されませぬぞ!」

「神城官よ、ここは神殿だ。地上を統括する我々議会とすら一線を引く、不可侵の場所であることを忘れるな!」

「そのようなことは百も承知だ! だが、神官が王を御諌めせぬと言うのならば、我らが出てくるより致し方あるまい!」

 神城に仕える神城官は、身を引いたルタの代わりに地上を収めている議会の者を一括し、上品な衣服を翻して私を睨み付けた。その視線との間に老臣が滑り込む。

「黙れ、神城官。ここは神殿ぞ! その昔、王の幸福だけを願い、その為だけに在れと定められたこの神殿に仕える我ら神官の前で、よくぞそのような口が利けたものだな! 我らは王の為だけにある。ここは、神殿だ! 神の御心も、人間の切望も与り知らぬこと! 嘗て、その為に全てを懸けてくださった王の御心だけをお守りするが我らの務めだ!」

 何かを言い返そうとした神城官を、議会が押さえる。

「神の御心ぞ!」

「確かに神託はそうであっても、遥か昔より我らに自治を御認めくださった以上、我らの規則を蔑ろにされては困る。神殿内で王の御心に反するなど、議会は断固として許さん!」

 ルタは天人であると同時に、人間であり、最も人間神に近しい。けれど私は、嘗ての人間達が滅ぼしたはずの天人の心を持っている。

 だからどうしたと言えばそれまでなのだろうけれど、神自ら神託を下したとなると、よっぽど私がお気に召さないようだ。大丈夫です、人間神。私もあなたが嫌いです。

 もしかすると、今まで一度も祈らなかったから人間神に見つからなかったのかなと、呑気に考える。


 ルタは、私と繋いだ手を持ち上げて、神城官達の前に見せつけた。どうです、ラブラブですよ。

「俺は、この御方と添い遂げられないのならば野に下る。そうして二人で生き、二人で滅びよう。神の御心に従えぬとなれば、最早俺は人間に不要な王だろう……いや、既に俺がいなくとも世界は回る。ならば、もう留まる理由もない」

 ざわついた人々の中で、老臣達はすぐに腰を落とした。

「王よ、我々もお供致します。この身が朽ち果てるまでお仕えすると誓っております故」

「わりとすぐ朽ち果てるかもしれませぬが」

「そうすれば骨でついていきます故」

「お前の骨はぼろぼろじゃろ」

「お主だって歯がないくせに」

「わしゃ髪がある」

「ふさふさの骨になります故、どうぞお連れください、王よ」

 何だか違う決意になった老臣の後ろに、側近達も膝をつく。その更に後ろには、室長やローリヤ、見知った顔がずらりと続いた。

「王の御心のままに」

 ここは神殿だ。

 王の為だけに建てられ、王の為だけに動き、王の心のままに在り続ける場所。

 ルタが千年生きた場所。その心を失わず、千年間過ごした場所。

 優しい、ルタの為だけの楽園。




「勘弁してくれ。ただの神殿の移転じゃないか」

 議員は頭を抱えて唸った。お爺ちゃんはかっかっかと笑う。

「新居じゃ、新居。新婚夫婦のための新居じゃ」

「屋根裏は広く取るんじゃぞ」

「ソファー設置してほしいのぉ」

「湿布も設置しておいてくれ。床下にもじゃぞ」

 勝手に話が進んでいく。やめて、お爺ちゃん達。新居では整った屋根裏でムーディな音楽流す気満々だ。


 ぶるぶると全身を震わせて充血した目を見開く神城官に視線を向ける。まるで射殺さんばかりだけど、怯む心が沸かない。

「身を引け、女」

「お断りします」

 私はこの人の願いでは退けない。人間神の命令でだって、死ねない。

 ようやくまともに動き出した心の源は、今度こそ憎悪ではないのだ。全てを燃やし尽くす力ではなく、育まれる力を元に動く心でようやく生きていけるのだ。

 嘗て両親が生きていたあの頃のような心で、もう一度生きてみたい。そんな温かい心でルタを愛したい。

 だから、私は引けない。

 我儘を押し通すために戦う力を、最も愛しい人から貰えた。だから、引かない。引きたくない。


 怒りで顔を真っ赤にしていた神城官は、ふと身体中の力を抜いた。

「そのようなことは許されない」

「それでも、嫌です」

「決めるは貴様ではない。我らが神だ」

 神城官の腕が持ち上がり、私の横を指す。王を指さすなど気でも振れたかといきり立った人々の声が聞こえる。けれど、私はそれよりも気になる事があった。

 ルタの手の力が抜ける。絡まっていた指が私の指を撫でながら滑り落ちていく。

「…………ルタ?」

 繋いでいた手が開き、何かが形作られていく様子を縫いとめられたように見続ける。

 そうして現れたのは。

「ル、タ」

 私の胸を貫くその剣は、成長に合わせて大きくしていったルタの。



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