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師弟失格  作者: 守野伊音
師弟失格
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 神殿から街までちょっと距離があるので、馬車を使って移動する。羽を使えばすぐだけど、羽を生やして街に降り立つ必要はないだろう。

 お忍びだから神殿の馬車ではなく普通の馬車だけど、向かい合って座れない大きさの小さめ馬車なのは偶然か、お爺ちゃん達の策略か。ルタが横に座っているだけで幸せだけど、なんとなく馬車の天井を見てしまう。その内、ムーディな音楽が聞こえてくる気がしてならない。なんというトラウマを植え付けてくれたのだろう。

「……ん?」

 天上に何か黒い物を見つける。ただの汚れかと思っていたけれど、よく見ると文字だ。腰を浮かせて視線を寄せる。

『それいけ!』

『やれいけ!』

『今じゃ!』

『そこじゃ!』

『そこじゃって!』

「何が!?」

 中腰のまま叫んでしまった私を、不思議そうな目でルタが見上げた。

「師匠?」

「な、なんでもありませんよ、ルタ。ちょっと亡霊……生霊が」

 亡霊だと洒落にならない。

 咳払いして気を取り直した私は、ルタの隣に座り直す。その瞬間、車輪が石にでも乗り上げたのか激しく揺れた。

 側面に手をついて揺れに耐えた私達の前方、御者台の窓が開いて御者が覗きこんでくる。まだ若い御者二人だ。

「すみません! わざと揺らしましたが、『きゃあ、怖い』みたいな感じで引っ付けましたか!?」

「せめて隠して頂けませんか!?」

 心の声が駄々もれどころか隠す努力すら見受けられない。

「って、なんで離れてるんですか!」

「あれだけ揺れたら引っ付けるでしょうが! もう一回やりますから次こそ頑張ってくださいよ、アセビ! 次こそはちゃんと」

 御者の言葉を遮ってぴしゃんと小窓を締める。

 腰が大惨事になったお爺ちゃん達はついてこられまいと思っていたけれど、まさか若手にまで伏兵がいるとは。いやでも、よく考えると室長まで老臣達の仲間だったことを踏まえれば、若手が手先であることは十分考えられた。



 馬車の中がしんっと静まり返る。この気まずさどうしてくれよう。

「…………師匠は、街に用事と仰っていましたが」

「そ、そうなのよ! 用事でね! すっごい用事でね!」

 ルタが逸らしてくれた話題に全力で乗っかる。出来る弟子は気まずい時の話題逸らしも抜群だ。

「孤児院にお金を送ろうと思って」

「寄付、ですか?」

「寄付というより……仕送り? 違うわね……育ててもらったところですからね、少しくらい恩返しをしたいと思っているの。今までは働けなくなってからの余生分を貯めていて、あまり送れなかったから」

 今は代変わりをされて、院長先生は変わっているけれど、新しく院長になった先生もお世話になった人だ。身体が弱いのだから無理して遠くに行かなくても、馴染のあるこの町で仕事を探しなさいと、ずっと心配してくれていた。

 二年間みっちり貯めたし、王様付をしている間に弾んでもらった分で結構ほくほくな額になっている。かなり老朽化しているベッドを全部屋分買い替えることだって出来るかもしれない。

 うきうきしている私とは対照的に、ルタはなんともいえない表情を浮かべた。

「……師匠、失礼ですが、まさか全部送るつもりだなどということは」

「ふふ、ルタったら。全部送ってしまったら日常生活で困ってしまうじゃない」

 ルタったらおかしい事を言う。それとも、ルタ流の冗談だったのだろうか。だったら師匠として乗るべきだっただろうか。しまった、ノリの悪い師匠と思われただろうか。

 慌ててルタを窺うと、何故かほっとした顔をしていた。とりあえず、こっちもほっとする。何かは分からないけどルタが安堵するなら私も嬉しいです。

「そうですね」

「十日後の次のお給料まで保つくらいは残していますよ」

 にこにこと笑い合って幸せな気分になっていたら、ルタがぴしりと動きを止めた。そして、片手で眉間を押さえて俯く。

「…………俺も寄付をしますから、ご自分の稼ぎはご自身の為に使ってください」

 師匠の出身地に寄付を申し出てくれる弟子。なんて出来た弟子なのだろう。ルタは素晴らしくいい子だ。思わず涙ぐんでしまう。

「でも、大丈夫よ。いきなり大金が送られてきてびっくりさせてしまわないように、しっかり手紙も書きましたからね」

 身体の事を知っている先生達はとても心配してくれていたので、もう大丈夫だということも伝えたかった。

「手紙、ですか?」

「読みますか?」

「宜しいのですか?」

「ええ」

 別に読まれて困るものは書いていない。

 鞄から取り出した手紙をルタに渡す。本を読み慣れているルタは文字を追うのが早い。すぐに読み終わるだろう。元よりそんなに長い手紙じゃない。

 余生の為に今まで貯めてきたけれどもう不要になったから、今までお世話になった分も含めて是非そっちで活用してほしい。今まで本当にありがとうございました。そういう旨が伝わるよう書き連ねたのだけど、何故かルタは両手で顔を覆ってしまっている。

「……師匠、差し出がましいようですが、書き直しを進言します」

「え? どこか書き損じていたかしら?」

「いえ、相変わらず美しい書体です」

 ですが、と、ルタは躊躇いがちに口を開いた。

「まるで遺書です」

 あれぇ!?

 慌てて手紙を読み直していたら、馬車が激しく揺れた。完全に油断していてルタの胸に頭突きをかます。

 すぱぁんと開いた小窓から御者が中を覗き込む。

「どうですか!?」

「今度こそうまい感じでいい雰囲気になりましたか!?」

 一切の隠す努力を放棄した二人が期待に満ちた目で見たものは、思いっきり咽込んでいるルタと、舌を噛んで悶えている私だった。



 この街は観光客でも栄えている。なんの観光かというと、言わずもがな神殿だ。銀行の順番を待っている間、向かいのカフェでお茶を飲んでいた私達の前を観光客が笑いながら歩いていく。ひっきりなしに行き交う観光客の中には、十歳ほどの子どもの手を引いている若夫婦もいた。

「ねえ、お父さん。神殿には入れないの?」

「そうだね。神殿は外から見学させて頂くんだよ」

 子どもは不満を頬で表現する。ぷくりと膨れた頬が可愛らしい。

「つまんなぁい。神城は中に入ってもいいのに、なんで?」

「神城は神様をお祀りしている場所だけど、神殿は王様のお住まいだからだよ。お前だって、家にたくさんの人が入ってきたら困るだろ?」

「そうだけど、せっかく来たのに。王様は神様なの?」

「神様に一番近い御方だよ」

 もう一度つまんないと膨れた子どもは、母親のスカートに抱きついて歩きにくいと怒られていた。

 微笑ましい光景を眺めていた視線を戻す。そこには、この世で一番神に近いルタがお茶を飲んでいる。ルタとまたこうして過ごせるなんて信じられないけれど現実だ。こんな日々が訪れるなんて夢にも思わなかった。

 幸せだなぁと緩む口元を放置して眺めていると、ふと視線を上げたルタと目が合う。赤い瞳がふわりと細まった。どうしよう、幸せすぎて死ぬんじゃなかろうか。ルタがあんまりにも柔らかい雰囲気を出して笑ってくれるので、私もぽっくり予備軍に仲間入りしそうだ。

「師匠?」

「ふふ……幸せだなって思っているの」

 正直に答えると、ルタは一瞬目を瞠った。面食らった顔も可愛い。

 更に幸せになりながら見惚れていると、ルタは初めて見る、はにかむような顔で小さく呟いた。

「……俺もです」

 ぽっくり。




 駄目だ。志半ば過ぎるここで逝ってしまうわけにはいかない。未練があり過ぎて亡霊になる予感しかしない。

 私は根性で生き返った。

「私の用事はこれで終わりなのだけど、どうしましょうか。ルタはどこか行きたい場所はある? 本屋さんかしら? 何か欲しい物があったら言ってね。いま、予定外に懐がほこほこなの」

 ルタの助言を受けて、結局貯金の半分を残したので懐は温かい。ほっかほかだ。

 お店に並んでいるくらいなら大抵の物が買えてしまう。自信満々に胸を押さえて笑えば、ルタはがっくりと項垂れた。

「……師匠」

「はい?」

「今日は、俺に払わせてはくださいませんか」

 ルタは困ったように笑う。これも初めて見る顔だ。笑っているのに、なんだかいつもより大人っぽく見える。不思議だ。まあ、勿論胸は貫かれた。

 懐に手を差し込んだルタを見て、持ち金対決をするのかなと思って私も財布に手をかける。でも、てっきり財布が出てくると思ったルタの懐からは、あの懐中時計が出てきた。

「俺は隠しているつもりでしたが、師匠には気づかれていたのですね」

「ええ、だってずっと見ていたじゃない」

「流石天界の技術です。千年間一度も止まらず空を見せてくれました」

 ルタと共に千年を過ごした時計。その時計を贈れたことが誇らしい。なんだか私も一緒に過ごせたような気がする。

 地上には存在しないものなので、ルタはすぐに蓋を閉じて仕舞ったけれど、次いで財布が出てくることはなかった。

「俺は、貴女から沢山の物を頂きました。単純に物だけ見ても、この時計だけではなく、生活面においてもそうです。それをお返ししたいのです」

「そんな必要は」

「師匠」

 私の言葉を遮ったルタが知らない顔をする。まるで知らない人みたいだ。思わず背筋を正してしまう。

 昔から会計をしていると申し訳なさそうな顔ばかりしていたけど、師匠が弟子の面倒を見るのは当たり前のことだし、私はルタの物を買うのは好きだし、嬉しかった。テーブルからちょこんと胸から上を出していた小さなルタは、今は私より高い身長でまっすぐに私を見ている。

 緊張で硬くなった掌に汗をかいてきた。やめて、ルタ。今の私は、いつもと違うあなたをちょっと知っただけでもぽっくり逝きそうになるぽっくり症候群なんです。……あれ? それはいつもか。

「お返しだけではなく、俺がそうしたいのです。俺はずっと、貴女に何かを贈りたかった。今日、その機会を頂けませんか?」

 どうしよう。凄くデートっぽい。いや、でも、真面目なルタのことだ。純粋にお礼をしてくれるつもりなだけかもしれない。

「師匠?」

「よ、宜しくお願いします!」

 なんとも返事が出来ないでいると、ルタの瞳が悲しげに伏せられていく。

 慌てて承諾すると、驚いたようにぱっと開いた瞳がきらめいて、今日一番の笑顔も輝いた。

「ありがとうございます」

 奢ってくれる側のルタがお礼を言ってくる。本当にルタは真面目だ。ずっと気にしていたのだろうか。こんなにも律義で、まっすぐで、笑顔が可愛い弟子を持てた師匠は。

 ぽっくり。






 観光客が溢れ返る街だから、食事処には事欠かない。私達は、食べ損ねた朝食兼昼食を、色々な出店を回って食べることにした。そういえば、昔ルタは食べ歩きが酷く下手だった。というより、お皿に乗っていない食事が出来なかった。上品だから別に出来なくてもいいのだけど、今ではそつなく腸詰肉薄皮巻きを食べている姿を見ると、成長したなぁと感慨深い思いが湧き上がる。

 天界はあちこちの雲の上に出かけて食事をする人が多くいたから、食べ歩きできる軽食が多かったのだ。

 一緒に過ごした痕跡をルタに見つける度、嬉しくなると同時に、少しだけ、苦しかった。





 お爺ちゃんから貰った冊子は、それいけやれいけの余計な助言文以外は意外にも役立った。この雑貨屋さんが面白い、この本屋さんは品揃えが渋い、この薬局は湿布薬が豊富。意図せずして、お爺ちゃん達行きつけの薬局を知ってしまった。

 いろんな店をひやかして、次はどこに行こうと二人で冊子を覗き込む。その姿を観光客と勘違いしたのか、催し物のチラシを配っていたお姉さんが声をかけてくれた。まあ、千年間外に出ていないルタと、田舎者の私。ほとんど観光客と変わらないのだけど。

「教会で色々と催し物やってますよ」

「教会、ですか」

 不意打ちに聞いてしまった名前に、思わず声に感情が滲み出た。喧噪の中では大した棘にはならなかったけれど、ルタの視線が首筋を焦がす。

「ええ、ここは神城とは真逆の位置にある代わりに、他ではちょっと見られないくらい大きな教会がありますから。いつもは一般入場が禁止されている区画も解放されて、色々やっているみたいですよ。カップルさん限定催しもあるみたいだから、是非行ってみてください!」

 お姉さんの言葉に、他の観光客も集まってきた。彼らが教会への道を教えてもらっている間に、私は足を引いてその輪を抜け出す。気づいたのはルタだけだ。いや、他の人も気づいていたかもしれないけどどうでもいいことだろう。ルタだけ気づいてくれたらいいことなので別にいいけれど、出来ればルタにだけは気づかれたくなかったような気もする。

 人ごみを縫って、避けている内に、大通りから何本か外れた道沿いの公園に辿りついた。

「師匠」

 後を追ってきたルタに呼ばれて、一拍開ける。

「なんですか、ルタ」

 声に余計なものが混ざらないよう努める。あなたが好きよ、ルタ。あなたが大好き、あなたが愛おしい。そんなものだけを世界に放ちたい。

 なのに、ルタは私の奥を見つけようとする。私が、ルタの奥を知りたがったように。知らなかったことを悔いたように、瞳の奥を探ってくる。

「ルタ、次はどこに行きましょうか。結構いろいろ回ったし、どこかで休憩しましょうか。それとも、もう帰っちゃいましょうか」

「師匠」

 瞳が追ってくる。ルタが追ってくるのに、振り払って逃げるなんてできない。そして、したくない。

 でも、言いたくないなぁ。

 知られたくないなぁ。

 師匠として、凛としていたい。

 アセビとして、綺麗な感情だけをあなたに見せたい。

 だけどきっと、それは歪なことだ。ただでさえどこか壊れて歪な私という形が、更に歪んでいくだろう。歪んだ関係が紡ぎだした結果を知っているのに、またその綻びを見て見ぬ振りすることは、愚かだ。

 横髪に編み込まれた髪飾りが視界の端で揺れる。これはローリヤがつけてくれたものだ。背を押してくれた友達いる。昔、天の空で生きた私にはルタだけだった。ルタだけの為に生きて、ルタだけの前で美しく在れればよかった。長く生きても所詮その程度の存在だ。

 でも、今は、たった十七年と少しなのに、随分といろんなものを見た気がする。



 じりじりと焦げつく胸の痛みを無視して、息を吐く。どれだけ生きても、どんな経験をしても、曝け出すという行為はいつまで経っても恐ろしいものだ。

「ごめんね、ルタ。私、一度も教会で祈ったことはないの」

 ルタは、驚かなかった。

 一歩近づいてきたルタを見上げる。赤い瞳は、酷く静かだ。

「人間の神は、お嫌いですか?」

 答えに予想がついているのだろう問いを受けて、私の口角が上がっていく。笑っているような気がするけれど、私はいま、どんな顔をしているのだろう。



「大嫌い」



 赤は、静かに伏せられた。



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