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 猫の死体が地獄絵図のように広がっていた。


 場所は、僕と彼女が出会った思い出の、そして因縁の、おそらく始まりの場所である裏庭を更に奥へと進み、裏門を抜けた先だった。


 そもそも、こんなところに門があることなど誰も知らないだろうし、誰も登下校には使っていないだろう。僕も今日始めて存在を知ったぐらいだった。


 黒い鉄の裏門を抜けて暫く歩いた所に、大きな筆で線を引いたような太い河川が延びていた。河川は筆を洗った絵の具水を流したように暗く淀んでいて、遠くのほうには水圧を調節する門が設置されていた。どこにも辿り着かないような、流れることを拒否してしまったような川だった。


 そして長い川の脇を下った河川敷に、そのブラックスポットはあった。


 ざっと眺めただけでも大小さまざま、色取り取りの猫であった肉の塊が、河川敷に架かる大きな橋の下で虐殺にあっていた。


 体中から血を流している猫もいれば、四肢が爆ぜたように首だけの猫もいる。剥製のように死後硬直した猫もいた。しかしだいだいの猫の死骸は腐り、蛆が湧き、悪臭を放った目も当てられないような悲惨な光景だった。猫は死んだ姿を見せないというが、ここでは恥ずかしげも臆面もなく、死屍累々だった。


 彼女は足元に転がる猫の死体に視線を送り、その死体を素手でさわり、口を開いたり――――ナイフで腹を掻っ捌いたりし始めた。


 僕は目を疑った。


「おい、何やってんだよ?」


「何って、調べているんでしょう。この猫ちゃんたちが何故死んだのかを」


 可愛らしく猫ちゃんと言いながら、サバイバルナイフをざくざく猫の死体に突き刺す彼女の姿はとても禍々しく、常軌を逸したジェノサイダーに見えた。


 おそらく、この光景を動物愛護団体に見られたら、裁判で勝訴することは不可能に近いだろう。


「呆然と立ち竦んでいないで手伝いなさい」


「手伝うって、猫の死骸になんて触れないよ。それに死んだ猫の腹を掻っ捌いたりしたら、猫の祟りがあるかも知れないだろう?」


「晦日君、正直言って、あなたのそういう意気地のないところとか、猫の祟りなんて平気で言っちゃう所とか、私本当にうんざりしちゃうのよ」


 彼女は立ち上がって猫を指したナイフを僕に向けた。

 僕は飛び上がった。


「いいこと? 猫の祟りなんていうものはね、人間が猫に愛情を抱きすぎたために、その愛情がいびつな形で表現されてしまった寓話であり、御伽噺なのよ。猫又も、鍋島の化け猫騒動も、化け猫遊女も、全ては人間が――――あの生意気で、自由気ままで、恩知らずな動物に異常な性癖を見出したからに過ぎないのよ。現代風に言ってしまえば、つまり猫耳ね」


「また猫耳か。古くから伝わる民間伝承を全部猫耳で片付けるなよ。全国の猫好き、猫愛好家、猫耳教団に祟られるぞ」


「受けてたちましょう。それならば、私は平安の世を恐怖のどん底に陥れた禁断の呪法、蠱毒厭魅を用いて、呪詛返しを行うわ」


 本当に出来そうで怖い。


「ともかく、下らない戯言はその辺にして頂戴。私は忙しいのよ。手伝う気がないのならせめて酸素の無駄遣いだけは控えなさい」


 生きていることを否定され、十五分後。


 彼女は死体の猫に鞭を打つ行為に見切りをつけた。そして流れる川で猫をめった挿しにしたナイフを洗い、そして胸のポケットにしまった。


「ところで、と言うか今更だけど、そのサバイバルナイフは何なんだよ?」


 もう一度ナイフを取り出した彼女は、扱いなれた様子でナイフを手の中でくるくると回したり、半身で構えたりして、華麗なナイフ捌きを披露した。


 やれやれ、女の子がこんな華麗なナイフ捌きなんか見せたりしたら、世の中の女の子に初心で純真な願望を抱いている男の子達は、みんな幻滅してしまうだろうな。


 実際、僕もがっかりしていた。


「ソグ社、シールナイフ。ブレードはAUS-8鋼材、パウダーフッ素処理塗装、全長三百十ミリ、アメリカ海軍特殊部隊シールチームに制式採用されている、実践向きのサバイバルナイフよ」


 男の子が目を輝かせて語りそうなことを、女の子が無表情で語っていた。


 世も末だ。


「そういうことじゃなくて、そんな物騒なものを持ち歩く必要があるのかって事だよ?」


「言ったでしょう、戦いは望む、望まず、好む、好まずに関わらないって。最低限の備えは必要よ。晦日君流に過去の賢人の言葉を借りれば――――“備えあれば嬉しい鞭”よ」


「賢人の言葉を勝手に書き換えるな」


 まぁ、しかし、それは確かにその通りだった。


 彼女には自分の身を守るだけの正当な理由があるのだが、やはり僕としてはそんなものを持って振り回しては欲しくなかった。


 女の子がナイフを持っているなんて世の中は間違っている気がした。


「そのナイフ貸せ、僕が預かる」


 僕は彼女の手からナイフを引ったくり、自分のコートの中に入れた。

 彼女は僕のその行動を、特に反対も拒否もしないで受け入れた。


「あらあら、急に男らしいところ見せ付けちゃって。まぁ、せいぜいしっかり守って頂戴ね」


 他人事のように言って続けた。


「でも、そのナイフ、所持しているだけで銃刀法違反だから、捕まっても私のせいにしないでよ」


 川に投げ捨てようかと思った。


「とにかく、ナイフなんか持ちあるいちゃダメだ。それにナイフを使用しそうな状況もこれからは極力避けなきゃ」


「私だって、何も好き好んでこんな血腥いことに関わっているわけじゃないのよ。何度も言うようだけど、望む、望まず、好む、好まずに関わらずよ。でも、晦日君がそういうなら、もうナイフは持ち歩きません」


 おお、やけに素直じゃないか。

 もしかしたら、僕の言っていることに少しだけ理解を示し始めたのかも知れないな。


「これからは拳銃を持ち歩きます」


「余計ダメだ」


 この女、やはり何も分かっていない。


「デザート・イーグルなんていいと思うんだけど、どうかしら? いかつくて、威力が抜群で格好いいじゃない?」


「どこかの女暗殺者かよ。肩が外れるぞ?」


「男の子は私みたいな華奢な女子が、ごつくてでかい武器や兵器を持って一生懸命に戦っている姿に萌えるのよね?」


「発想がオタクだ」


「リア充でスイーツである私をオタク扱いするなんて、失礼にも程があるわね」


「あんたのどこがリア充でスイーツなんだよ。アニメオタクで腐女子の間違いだろ」


「あら、腐女子って何かしら? 私、BLも、ヤオイも、ショタも分からないけれど」


「詳しい。めちゃめちゃ理解している。僕は女の子からBLやヤオイなんて単語は聞きたくないし、それにショタはもはや犯罪だ。非実在性少年は犯罪」


「晦日君はもちろん受けね。それもドMの」


「やめろー、僕を汚すな」


「しかし、晦日君が攻めと言うのも、萌えると言えば、萌えるわね。普段とのギャップが何と言うか、とても背徳的ね。いっそ誘い受けと言うのも、おつなものね」


 女の子に汚されました。

 僕はもう死んでしまいたいです。


「下らない妄言や妄想はここまでにして、ともかくナイフはもう持たないから安心しなさい。もちろん拳銃も冗談よ」


「そんなの分かってるよ。拳銃なんてどう考えたって調達できないんだから」


「できるわよ。私の弁護士に頼めば、拳銃くらい簡単に調達してくれるわ」


「気をつけろ。そいつは絶対弁護士じゃないぞ」


 彼女の弁護士は凄腕過ぎました。

 おそらく犯罪者です。


「何言っているのよ、弁護士よ。それもめちゃくちゃ凄腕のね。法曹界のブラックジャックって呼ばれているわ」


「尚更気をつけろ。絶対免許持ってないぞ、そいつ。金で何でも引き受ける闇弁護士だよ」


「私の恩人に対して無礼千万な物言いね。確かに怪しい人だけど、私にとっては返そうにも返せないぐらいの恩のある人よ」

 

 彼女にしては珍しい言い方だった。

 この女が自分から恩人だ何て、相当感謝しているんだろうな。


 まぁ、その弁護士のお陰で彼女は一応自由を勝ち取れたわけだもんな。


「そっか、まぁ悪く言ったことは謝るよ」


 僕は素直に謝った。

 恩人を悪く言われて気持ちのいい人間はいないだろう。


「大丈夫よ。ポール・スミスは懐の大きい人だから、その程度で気にしたりしないわ」


 今なんて?


「ポール・スミス?」


「ええ、私の弁護士のフルネームよ」


「世界的なデザイナーでなけりゃ、絶対偽名だ」


 僕は世界の中心で偽名であることを叫びました。


 助けてください。

 僕の周りにはまともな人が誰もいません。


「もういい、これからどうするか決まっているのかよ?」


 気を取り直して言った。


 結局、これまでにやったことと言えば、図書館で新聞の記事を読んで、猫の死骸を眺めただけだった。

 少なくとも僕は。


 後考えられるのは、僕が酷く虐められ、汚されたと言うことだけだろう。


「その前に一つ聞いておくけど、晦日君は物語さんのことどう考えているのかしら?」


「どうって?」


 ずいぶん唐突な話になった。


「つまり好意を抱いているとか、女性として意識しているとかってことよ」


「え?」


 僕は驚いて口ごもってしまった。

 何だろう、このラブコメディのお約束の展開みたいなものは?


 物語繭。

 僕の同級生。

 僕が会話する数少ない女性。

 本の虫、ならぬ本の蛹。

 

 僕は彼女のことをどう思っているのだろうか?

 好意は?


 まぁ、あるだろう。


 恋愛感情は抜きにして――と言うか恋愛感情って奴が、今のところ良く分からない――彼女と話すのはそれなりに楽しいし、嫌な気はしない。


 彼女は始業式の日、初めて僕に話しかけてくれた女性だし、今のところはそれ以上でもそれ以下でもなかった。


 おそらく、これからもそうだと思う。


「好意はあるけど、恋愛感情はないと思う」


「曖昧ね」


「人間関係を構築するのが下手糞でね。良く分からないんだよ、そういうことが。それに僕は自分のことを語るのが苦手なんだよ」


「まぁ、不器用そうだものね」


「で、何で急に物語さんが出て来るんだよ」


「忠告よ。もしも、晦日君が物語さんに過剰な好意や恋愛的感情を抱いているのなら、それはあまり良い方向には発展しないでしょうねってことよ」


 どういう意味だろう?


 やけに意味深長だな。

 いや、彼女にしては言葉を選んでいると言うか、もしかして今回の件に物語さんは関与しているのだろうか? 


 巡樞は言った。

 

 彼女は普通じゃないと。

 それは、僕達と同じ、何らかの現象を背負った特殊な人間と言うことだ。

 物語繭が僕にしてくれた物語を思い出した。


 最後の話を除けば、どちらも当意即妙――――言い得て妙な物語のチョイスだったが、それは僕達の行動を知りえてのことなのだろうか?


 あの物語が何かの、そしてこの事件への暗喩になっていることは、僕も薄々気がついている。しかし、それが今回の事件と直接関わっているかと言われると、それは今のところ分からない。


 物語繭が今回の事件に何らかの形でかかわっている。しかし、あの連続殺人犯、シリアルキラーがイコール彼女だとは考えられないし、考えたくもないが。


「さて、夜も近づいて来たし――――そろそろ出るかも知れないわよ。晦日君、しっかり守って頂戴ね」


 僕の疑問を他所に隣で腕を組み、仁王立ちしている巡樞は、降りかかる火の粉は全部払ってやる、来れるものなら来てみなさいと言わんばかりに――――赤い双眸の奥に真っ赤な炎を滾らせていた。


「ねぇ、晦日君、こういうのって凄くわくわくしないかしら? 昔からよく言うじゃない、借りを返すは十倍返しってね。私は貸したお金も十倍にして返してもらわなくちゃ気が済まない性質よ」


 それは完全に悪い奴の発想だった。


「もちろん、その百乗倍返しだけれどね」


 僕はこの時、決して彼女に借りを作らないことを、そしてお金を借りまいと心に誓った。

 それは天文学的な数字となって返ってくるのだ。


「さっきの質問の答えじゃないけど、大体の絵は浮かび上がっているのよ。でも、決定的な証拠が欲しい、と言ったところね。まぁ、私達は法律を順ずる警察機関でも、しがない探偵業でもないのだから、ある程度そう言った手順を踏み倒して――――読者、視聴者に納得行かない形で事件を落着させてもいいんだけれど」


 誰に向かっていっているのか、誰目線の会話なのか良く分からなかった。


 彼女の中ではすでにあの連続殺人者、異常なるシリアルキラー、人肉を貪るカニバリズム主義者の特定はついているのだろうか?


「ワトソン君を納得させるのはホームズの役目と言うことで――――丁寧にことを進めましょうかしら?」


 要するにワトソンこと、僕に対しての言葉だった。


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