拾参
おそらくこれはエピローグ的なものになるのだろう。
結局、僕は彼女に、巡樞に再び会うことができないまま、新学期を迎えた。彼女のマンションの場所を知っているのだから、会いに行くという選択肢もあったのだが、それは結局のところ行動に移さなかった。色々な理由を付けてみたが、やはり彼女自身が関わろうとしないことならば、それは意味が無いことなのだと言う結論を与えた。
だから僕は待つことにした。
一月九日。
始業式。
新学期。
三学期の始まり。
僕はいつも通りの格好で学校へ向かう。新しい学ランを新調し、その上にピーコートを纏い、下は黒い袴、足元は下駄を履いた。あれほど変態的と言われたようが、世界中の人間が僕をど変態と罵ろうが、僕のこのスタイルだけは変える気はなかった。それに、ここまで来たら、僕はもうこのスタイルを一生貫いてやろうという気になっていた。
そう、これは望む、望むまず、好む、好まずに関わらずやって来た、僕一人の戦いなのだ。
負けるわけにはいかない。
鋭く刺すような木枯らしは今日も高みの見物で、体を縮こまらせる僕達を見下ろし、電柱の上を覗いてみれば北風小僧の寒太郎だかが、行きかう人々をよしよしと見つめている気がした。冬の空にかかる雲は厚く淀んでいる。それは分厚い灰色の掛け布団を空一面にかけたように見えた。天気予報士の心許無い予想では、初雪は今夜辺りに降るらしい。
僕の通う高校の、大きく鎌首をもたげた門を潜り抜け、校舎までの石畳を歩いた。色々なものが視界に入るが、別段特別な感情というものは湧き上がっては来なかった。
丸肌にされた欅並木。
登校する制服姿の生徒達。
少し先のほうではダッフルコートを着込んだ物語繭が、相変わらず本を読み耽っていた。僕の背中に物語繭じゃない人物の声が張り付いた。振り返ると、クラスの同級生、蛤録輔と蜆重三の二枚貝が僕に追いつき、新年の挨拶を交わした。
「なぁ晦日、お前神隠しの噂って知っているだろう?」
そして初登校早々、オカルト話を持ちかけて僕の心を憂鬱にした。
「俺達たった今見たんだよ、なぁ?」
「ああ、見たぜ。神隠しにあった美少女を」
二人の目は輝きを放ち、その後ろには後光すら見えた。
「どうせ、先輩か他クラスの女子だろう」
二人は大きく首を振る。
「いや、俺達と同じ一年生だよ。同じ色のスカーフをつけていた」
「ああ、それにあんな可愛い子が校内に、しかも同じ学年にいたら、俺らが知らないわけないぜ」
「もしかしたら、この学校に住み着いている座敷童子かもしれない」
座敷童子。それはもしかしたら新たなる現象なんじゃないだろうか? 僕は思わずびくりと肩を震わせた。あの日を境に、僕の周りでおかしな現象は起こっていない。そしてこれからも起こらないで欲しいと思っている。あんなものが日常茶飯事的に起こりでもしたら、そう考えるだけで寒気がした。
僕達はそのまま会話を続けて足を進めた。会話は冬休み中のろくでもない出来事の話題に変わり、高校生特有の下らない毒と、お下劣に塗れた会話に塗り替えられ、座敷童子の話はいつの間にか北風小僧の寒太郎に巻き上げられて、どこかへ連れて行かれてしまった。僕は今直ぐにでも貝になりたかった。校舎に入り下駄箱で上履きに履き替えようとすると、箒を持って校外へ出て行こうとする、体格のいいジャージ姿の用務員を見つけた。
威武将門だった。
僕らの視線が交錯し、威武将門は僕に気がついたように瞳を持ち上げた。それから小さく首を振り、僕に無言のメッセージを送る。僕もそれに了解したというように瞳を持ち上げると、彼は片目を瞑って素敵過ぎるウィンクを返してくれた。僕は木枯らしよりも冷たく、体中を蟻が這いずり回るような感覚に襲われ、体中の肌が粟立ったが、何とか立ったままそれをやり過ごすことに成功した。
やれやれ、相変わらずとんでもない人だ。
教室の中はずいぶんとざわざわしていて、みんなで久しぶりの再開を祝福しているように見えたが、たかだか二週程度の休日でそれほどの懐かしさや喜びを感じるものなのかは、大いに疑問だった。まぁ、人間社会の正常で正規の営みとしては、これが正解なのだろう。
僕にはどこか歯の浮いたものを感じさせた。
僕は窓際の一番後ろの席に座った。教室を見回し、そこにいるはずのないものを探し求める。教室の入り口を見つめ、窓の外を眺め、それから初めて気がついた誰も使っていない忘れ去られた机と椅子を眺めた。
それはあの裏庭の桜の木と重なって見えた。
何となく二度と会えないような気がしていたけど、それでも僕は彼女の面影を探していた。
いつまでも。
全校生徒が集まる集会場で始業式を行い、校歌を歌い、何人かの先生の言葉を聞いた。生活指導の先生は、この辺りで最近起きた連続殺人事件について、少しだけ触れた。結局、あの犯人は見つかっていない。しかし世間様や、僕に関わりのない大衆は、もはやそんなことを忘れて前に進んでいた。
忘却こそが最大の前進。
過去の賢人はやはり素晴らしいことを言う。
僕も色々なことを忘却するべきなのだろうか?
それはこの数日、何度も自分に問いかけたが、その答えは結局のところを見つからない。それはやはり、僕の中をくるくると巡るだけで、答えの返ってくる問いではなかった。終業式が終わって教室に戻ってくると、担任の教師のホームルームが始まった。
担任、村雨皐月。
「よーし、さっさと席につけ。とっととホームルームを終わらせよう」
彼女は声を張り上げて、号令をかけた。大雑把に高い位置で纏めたポニーテールが左右に揺れ、大きな黒い真珠みたいな瞳が、新学期を向かえて教え子達が無事に戻ってきたことを喜んでいた。彼女が嬉しそうな顔をすると、僕達生徒も不思議と嬉しい気持ちになる。
「うん、皆、元気そうで何より。恐らく新学期早々で再開を懐かしみたい気持ちで溢れていると思うけど、暫くは私の話に耳を傾けなさい」
竹を割ったような話しかたで次々と些事を片付けていく姿には、彼女のリーダビリティが如何なく発揮され、ホームルームは無事に終わろうとしていたが――――突然、晴天の霹靂とばかりに、全校放送用のスピーカーからハウリング音が響き渡った。その甲高い機械音には女性教師だけでなく、僕達も耳を塞いで厳しい顔になった。しかし物語繭だけは、そんなことなどお構いなしで読んでいた本に没頭していた。
さすが本の虫、もとい本の蛹。
相変わらずだ。
その後、全校放送用のスピーカーからはマイクテストを行うように、「あーあー」と声が聞こえた。
その声を聴いた瞬間に、僕の中に湧き上がった感情は、何と説明すればいいのかな?
ずいぶんと昔に送ったはずの手紙の返事が、ようやく届いた。
そんな感じだ。
「えー、晦日裏兎君、晦日裏兎君――――ホームルームが終了しだい、至急図書館の多目的室まで来なさい。その際、ハンバーガーを買ってくることを忘れないように」
彼女はその、絶対に全校放送で流すに値しない、ガキの使いのような文言を、懇切丁寧に三回繰り返した。特にハンバーガーという単語に力を込めて。
僕が窮地に断たされたのは言うまで無く、かなりばつが悪い間が流れた。
ホームルームを終えた後、僕は急いで図書館に向かった。もちろん購買でハンバーガーを買うことを忘れなかった。その頃には、夜にかけて降るといわれていた雪がぱらぱらと降り始めていた。
図書館に入り、階段を登って三階にたどり着く。
多目的室の扉を開くと、彼女が、巡樞がホワイトボードの前に立っていた。
燃えるように赤い瞳を真っ直ぐに僕に向け、高い位置で腕を組み、足を開いた傲岸不遜、威風堂々たる立ち姿だった。バックグラウンドミュージックはもちろん威風堂々だ。あの奇妙な一日と全く変わらない彼女の姿があったが、一つだけ決定的な変化がそこにはあった。彼女の長く黒い髪の毛が、今日は二つお下げ――――“ツインテール”に結われていた。高いところで結ばれた二つのお下げは、兎の耳のように可愛らしく孤を描き、月に変わってお仕置きでもしてしまいそうな雰囲気をかもし出していた。
そして、僕はお仕置きされてもいいぐらいの気持ちになっていた。
しかしそれはどう考えても不意打ち、反則的ではないだろうか?
「――――遅いわよ」
開口一番、彼女は僕に告げる。僕は赤面しないように腹筋に力を入れながら、落ち着け、落ち着け、と自分に命じた。僕の中の萌が、今まさに燃え上がろうとしていた。
「今まで何してたんだよ? 連絡がないから、ずっと心配してたんだぞ」
「まぁ、色々と、身の回りの整理をね。これからは学校に来ることも多くなるでしょうから、その準備というか、心構えというか。それよりも、晦日君、私に何か言うことがあるんじゃないかしら?」
彼女は顔を上げて首を振る。アピールをするように二つのお下げが宙をぴょんぴょん跳ねた。僕は猫じゃらしにじゃれる子猫のように、今直ぐにでもその二つお下げに飛びつきたかった。
しかし、それは自重するべきだろう。
「めちゃくちゃ似合っているよ、その髪型」
「よろしい」
彼女は満足そうに頷いた。相変わらず、表情にはこれといった変化はなく、言葉も抑揚のない平坦なままだった。
「これから学校に来ることも多いって、授業にもちゃんと出るのか?」
「出ないわよ。今更高校の授業如き、この私が学ぶことは何もないもの。むしろ無知で浅学な学生や教職者達に、私が講義を開いて教えて差し上げたいぐらいよ」
さらっと嫌味なことを言ってのけた。
相変わらずだ。
「じゃあ、学校で何するんだよ?」
そう尋ねると、彼女は良くぞ聞いてくれましたとばかりに、両目の炎を煌々と燃やした。
嫌な予感がした。
「それはもちろん、私達の不死身の現象を解き明かすために決まっているじゃない。ねぇ、晦日君、これからも付き合ってもらうわよ。とことんね」
やれやれ、あれだけ痛い目にあったって言うのに全く懲りてないな、この女は。
次は一体どんなとんでもない事を言い出すんだろうか?
僕は心の中で溜息を吐いた。
「ああ、もちろん分かってるよ」
しかし、降参するように両の手を広げた。
「でもまぁ、まずはハンバーガーを食べようよ。お腹ペコペコだろ?」
僕が手に持ったハンバーガーの入った紙袋の視線を向けると、彼女は瞳を持ち上げて期待に溢れた表情になった。
「それも、そうね。ぺこぺこよ」
彼女のお腹がそれに答えるようにぐーと鳴った。
僕は笑った。
まぁ、とにかく一件落着。
お後がよろしいようで、とっぴんぱらりのぷう。




