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拾壱

 巡樞は用務員室で目を覚ました。

 固い布団に横たわり、ぼんやりと見知らぬ天井を見つめた。


 視線が暫く虚空をさ迷い、その後で彼女の赤い瞳は僕を捕らえ、留まった。

 その篝火が揺らめく瞳は、どこか安心しているように見えた。


 あの後、僕は彼女を用務員室まで運び、威武将門はあの場所に残って後始末をすると言った。


「少年、ここからは私に任せてもらいたい。ロゴスの場合は、事を公にできない様々な事情が複雑多岐に蛇の如く絡んでいる。そのことは君の体のことも含めて理解してくれると思う」


 僕は頷いた。


「あの御手洗御霊という少年は、一体何者なんですが?」


 僕は尋ねた。


「御手洗御霊? その名に覚えはない。しかしロゴスの影に現れる残滓――――真理を求め彷徨う現象ではあることは間違いないだろう」


「流されてはいけない血が流れる日って…………一体、何なんですか?」


「流されてはいけない血が流れる日、全ての現象が無へと還り、全てのものが一から生み出されると言われている。見聞、伝聞の類なので真偽の程はわからないが、私の救い、拠り所といったところだよ。だが、ロゴスに関しては知っていることのほうが少ないことを分かって貰いたい。私もいつも歯がゆく、悔しい、忸怩たる思いをしている。役に立てなくて申し訳ない」


 彼を責める気など全くなかった。


 彼だって狼男と言う現象を抱えてこれまで生きてきたのだ。その人生は僕の想像の絶する壮絶なものであっただろうし、その現象のせいで多くの取捨選択、取捨択一を経ているはずだ。おそらく諦め、手放したもののほうが断然に多いだろう。それでも彼は懸命に自分の生を全うしているのだ。そんなことは、考えるまでもなく理解できた。


 だから僕は信頼に足る彼に全てを任せることにした。

 僕達にできるところまでをやりきって。


 結局、僕は御手洗御霊と共に体験した事象の地平線での出来事を、そして巡樞の血が流してはいけない血であると言うことを、その他多くの言葉を威武将門に話さなかった。彼がそれを救いや拠り所とし、流されてはいけない血が流れる日を、そのたった一日を待ち続けているとしても、僕が彼にこの話をすることはない。


 そして、巡樞にも話さないだろう。


 僕は既にそのことを決意していた。

 もうこれ以上、彼女の周りで何事も起きて欲しくない、僕は本気でそう思った。

 僕は彼女を見つめ返して瞳を持ち上げた。


「あの猫の化け物はあなたが倒してくれたのかしら? 不死身さん」


 彼女は初めて出合った時のように、僕のことを不死身さんと呼んだ。

 しかしそこには初めて出合った時には存在しなかった親しさのような物が籠もっていた。

 気がする。


「ああ、僕のナイフ捌きを見せてやりたかったよ」


 彼女は一回こくりと頷くと、それ以上何も尋ねなかった。

 この場所にいることでおおよその察しは付いているのだろう。


 僕としては根掘り葉掘り聞かれずに済むのは有難いことだった。

 下らない嘘はつきたくなかったし、何よりも彼女に誠実でない態度を取りたくなかった。

 僕はもう何も深く考えたくなかった。


「結局、私たちの体のことは何一つ分からなかったわね?」


「ああ」


 僕は嘘をついた。


 少なくとも彼女の現象については、手掛かりとは言えないまでも、見聞、伝聞の類による僅かな言質や、謎を得ている。しかし彼女自身がロゴスとも呼べる存在であり、真理そのものであり、彼女の血は決して流れない、流されてはいけない血であるなんてことを――――僕は絶対に口にしたくなかった。


 それに御手洗御霊のあの多くの意味を含んだ、煙に巻くような、また彼自身も全てを十全に理解していないような言葉では、僕には何一つ理解できることはなかった。しかし、これはもう解決したことなのだ。真理の探求者は灰へと姿を変えた。


 灰は灰に、塵は塵に、ロゴスは真理に。


「私があの抗癌剤を作って晦日君を助けに行く時、思った以上に時間がかかったのは、実は私の遺伝子を調べていたからなの」


「僕を見殺しにする気だったのか?」


「まさか、どうせ八つ裂きにされるぐらいじゃ死なないでしょ?」


「痛みは感じる」


「大丈夫よ、ドがつくぐらいのマゾなんだから」


「僕は猟奇的なSMの趣味は持ち合わせていない」


「この際、晦日君がドのつくマゾか、ただのマゾかはどうでもいいのよ」


 どの道、マゾは確定しているわけだ。

 不名誉この上ないな。


「私のDNAは、短い検査の結果だけれど全く普通の人と変わりがなかったの。テロメアの異常もなければ、DNAが円環になっているわけでもなく」


「まぁ、普通の人間ってことでよかったじゃないか。僕はあんな猫の化け物にはなりたくないし、バクテリアみたいな単細胞生物も、あまりいい気はしないけどな」


  僕はそう語りながら、自分自身が傷ついていくのを感じた。


「晦日君は今のままでも十分単細胞だから大丈夫よ」


「何が大丈夫なのか分からないぞ?」


「既にそこが単細胞だと言っているのよ」


「短絡的だけど二人とも無事で何よりだ」


「まぁ、それも、そうね。でも、一体どうなっちゃっているのかしらね? 私達の体は――――」


 彼女はどこか遠く、遥か彼方へ問いかけるよう尋ねた。


 正確には彼女の体だ。


 僕と彼女は同じではない。

 もちろん彼女のその答えが帰っていくことはない。

 それは彼女の中をただ巡るだけの、くるくると回り続けるだけの問いなのだから。


「これからゆっくり探せばいいだろ? 時間ならたっぷりあるんだからさ。何度も失敗しながら、時間をかけて探そうよ。僕が付き合うぜ。とことん」


 僕は言った。

 そして続けた。


「空っぽなんかじゃないよ、あんたは。必死に関わろうとしているし、手に入れようとしているし、戦っているし、捜し求めている。それにあんたの器の中には――――僕がいるさ」


 おそらく、それが僕に言える今精一杯のことだった。

 その言葉に彼女が納得したかどうかは分からない。


 彼女は瞳を開いた時から一度も表情を変化させず、言葉も平坦なままだった。


「そうね、そうかもしれないわね――――」

 

 彼女も続ける。


「晦日君は私の器の一番下に沈めといてあげるわ」


 最悪の解釈をされていた。


「僕を溺死させる気か、もがいてでも這い上がってやる」


「あら、それは無理よ。だってその上からコンクリートを流し込むもの」


「海に沈める気かよ?」


「山に埋めても、いえ、もっと何か酷い手は――――」


「いい加減にしろ」


 どの道、僕は最悪の最後を遂げるようだった。

 彼女らしい返答だった。


「ねぇ、晦日君、私が寝ているときに何かしたでしょう?」


「何かって、何を?」


「たとえば、紙縒(こより)りで鼻の穴をくすぐるとか、額に肉って書くとか?」


「修学旅行の初日かよ、先に寝た奴が罰ゲームとかやってないぞ」


 突然何を言い出すんだとばかりに、そして彼女の要求どおり、フルスイングの突っ込みを返した。


「本当に相変わらずね。晦日君は。そのいかにも俺突っ込んでやったぜ、みたいなドヤ顔――――私、本当にうんざりしちゃうな」


 あー、はいはい。


 まぁ、分かってはいたけど、相変わらず手厳しい言葉が返って来て、僕は肩を落とすことになった。

 でも何故か心は穏やかだった。

 これが生きているという実感だろうか?


「そういえばね、晦日君――――寝ている時に、私、夢を見ていた気がするの。暗い部屋で一人ぼっちで、たぶん幼い頃の夢ね。でも、何故かしら? 晦日君の声が聞こえた気がするの」


「ふーん、夢の中の僕は何だって?」


 彼女のその夢を、僕は知っていた。それは僕達が事象の地平線で共有したものだろう。そして、その夢を共有できたからこそ、今僕と彼女がこうしてこの現実の世界で言葉を交わしていられるのだと、僕は実感した。


「何度も何度も僕を鞭で打ってくださいって懇願してたわ」


「そんな訳あるか」


 まさか、夢の中の出来事まで勝手に書き換えているとは。

 やれやれ。


「ねぇ、晦日君――――この間、晦日君がここで寝ている時に、私が晦日君にしてあげたお礼、知りたいかしら?」

 

 今度は一体何が起きるんだ?

 知りたいような、知りたくないような。


 まさか呪詛の言葉とばかりに、僕の耳元で永遠、毒を吐きまくったんじゃないだろうな?

 考えただけで寒気がした。

 それにこれまでの流れからすると、ろくなことじゃないことは確実だった。


「まぁ、一応…………」


「煮え切らない返事ね」


「知りたいです」


 簡単に屈服する僕。

 僕達のヒエラルキーの構造はすでに決定されているようだった。


「じゃあ、こっちに来なさい――――」


 僕は言われて彼女が横になっている布団の枕元まで近づいた。


「もっと近くよ」


 言われて近づく。


「もっとよ」


 僕は彼女の顔を覗き込むような格好になった。


「もっと」


 そして――――


 顔を上げた彼女の唇が、僕の唇と重なった。

 時間が止まった気がした。

 それは本当に巷で聞く恋愛話のように、永遠の時間のよう気がした。

 彼女の唇は柔らかく、ふんわりとして、とてもいい匂いがした。


 僕の思考は停止していた。


 僕たちは目を瞑らずに見つめあったまま、僕は彼女を、彼女は僕を見つめていた。

 彼女は澄ました顔をしていた。

 赤い宝石のような瞳が揺れている。


 僕は一体どんな顔をして、どんな表情で彼女を見つめていのだろうか?


 後ろ髪を引かれながら、唇がゆっくりと離れ、そして遠ざかる。


 夢のような、幻のような、走馬灯のような、そんな時間が過ぎ去り――――僕は体が固まったまま、ただただ彼女を見つめていた。


「ごちそうさまでした。どう、狂喜乱舞して死にたくなったでしょう?」


 僕は何も言えずに、焦点の定まらない目でどこか違う景色を見ていた。


 お花畑を。


 余韻に浸っていた。


 確かに、彼女の言うとおりだ。

 死にたくなるほど恍惚感だった。


「あらあら、死に顔じゃないけれど、なかなか嬉しい顔をしてくれるわね。今日のところはその顔で良しとしましょう」


「おそまつさまでした」


 何とか一言振り絞った。


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