悲劇の異世界の少女とその真相について
「この国では代々、王妃となる女性を異世界から召喚しているのです」
白と金で彩られた美しい世界に、よく通る男の声が響く。
空に届きそうな遥か遠くにある天井には、これまた美しい絵が隅々まで描かれている。
神聖、荘厳、そうした言葉を具現化したような空間をぐるりと数度見回して、ようやく女性は目の前の男の方へ向き直った。
冷たい石床に直に座り込むのは、肩口で切りそろえられた黒髪にぱっちりとした黒い目、おまけに喪服のような黒いワンピースに身を包む、女性…と言うよりは『少女』と呼ぶ方が相応しい若い娘。
対峙するのは、頭部からつま先まで純白のローブに身を包んだ、背の高い男。布端から覗く髪も目も白銀で、冗談のように対照的な構図だ。
ようやく目を合わせた黒い少女に、男はホッとしたように微笑み、言葉を続ける。
「この儀式の始まりや歴史は追々説明いたしますが…貴女は次の王の妃となるべく、この地に召喚されました」
「…………?」
なるべく柔らかく、と気遣われた声色だったが、彼女はその言葉に眉をひそめる。
『言葉が通じない』と言う可能性もあったが、それは彼女が現れてすぐに発した『ここどこ?』と言う台詞で解決している。
貴方のこと?と無言で問いかける彼女に、白い男は苦笑して首をふる。
「最初にこの部屋に居たあの方が、王太子殿下…貴女の夫となる次の国王です」
「………」
返されたのは無言だったが、その表情は笑ってしまうぐらい雄弁に語った。『冗談じゃない』と。
それもそのはず。彼女がこの部屋に現れたほんの数分前には、白い男以外にも多くの人間がそこに居たのだが。
その中でもとりわけ美しい…金髪碧眼と言ういかにもな容貌の男が彼女を見て発した第一声が
「こんな醜い女を妻になどできるか!」
……だったのだ。
彼女が事態を把握する間もなく、その派手な男とその他は部屋を出て行ってしまい、今現在このだだっ広い空間には白黒両極端な二人だけである。『あの方』と称されたのが誰かは明白だろう。
「……心中はお察しします。ですが、貴女は召喚の儀の条件に合い、そしてこの地に招かれた。承諾して頂くより他に選択肢がありません」
「………」
これは正しく強制であり極悪な手段だ。けれど、この国は代々それで成り立ってきており、白の男も非道さを承知の上で儀式を行った。大なり小なり問題はあったが、それでもこの国はこうして平和に続いている。『今回もきっと大丈夫だろう』と誰もが信じ願って、今日と言う日を迎えたのだ。
「………」
白い男は彼女の目の前にかがみ、床にこすりつけるように深々と頭を下げた。それが彼に出来る最大限の誠意なのだろう。
「……わかり、ました」
数分の間をおいて、ぽつりと落ちた声に、男はようやく顔を上げる。
……けれど、見上げた彼女の黒い瞳は光を灯していなかった。
その意味を問う間もなく、侍女と思しき女たちが迎えに現れ、黒い少女は立ち上がる。
彼女の輪郭は色の割にひどく希薄で、男の肩よりも背は低く、触れたら折れそうなほど華奢だった。
「あ、ま、待ってくれ…っ!」
慌てた男に侍女たちは微笑んで返し、少女は今度こそ要人に相応しい対応で儀式の間を離れて行く。
儀式の執行者として自分が関われるのはここまでだろう。
「………大丈夫、だよな」
残された白い男は一人、深く深く溜め息をつく。どうか、上手くいくように、と。
* * *
黒い少女が通されたのは、代々王妃になる女性が使っていると言う特別な部屋だった。
天井には豪奢なシャンデリアが輝き、暖色で統一された美しい調度品の数々。もちろん塵ひとつ落ちておらず、カーテンのまとめ方まで計算しつくされた最上級の空間だ。
扉でしきった奥は寝室になっており、大人の男が三・四人は寝られそうな天蓋つきの特大ベッドが鎮座している。
「わたくしたちは隣りの間に控えております。御用が御座いましたら、いつでもお申しつけ下さいませ」
一通りの内装を案内した後、侍女たちは優雅な礼をとって扉を閉める。
もちろんすぐに動けるように準備しつつ、新たに主となった少女に呼ばれるのをただじっと待ち続けた。
何せ普通の客人とは違うのだ。こちらの流儀を押し付けてはいけない。勤めの長い優秀な彼女たちはただ呼ばれるのを待ち続けた。
……けれど一時間経ち、二時間経ち……間もなく日付が変わろうと言う時刻になっても、少女からの呼び出しは一度もなかった。
召喚の儀が執り行われたのは昼時である。さすがに食事すら運んでいない状況に不安を覚え、年かさの侍女が部屋を確かめに入った。
黒い少女はちゃんと部屋に居た。けれど、それはとても主らしからぬ状態で…彼女は部屋の隅の床で膝を抱えて座っていた。
「そのような場所ではお体を冷やしてしまいます。ここには椅子もベッドも御座いますわ。どうぞこちらに」
驚きつつも侍女はなるべく優しく声をかける。けれど、少女は首を横にふるばかりでそこから一歩も動こうとはしない。
同じようなやり取りを数度繰り返して…結局侍女は小さな体に毛布をかけて、手元には呼び鈴を置いた。いつでも呼んで下さいと。
突然見知らぬ世界に来たのだ…きっと混乱しているのだろう。心配に思いつつも、侍女たちは部屋を後にして、また主が呼ぶのを待つことにした。夜中も交代交代で、ただじっと待ち続けた。
けれど、夜が明けるまで待っても、彼女からの呼び出しは一度もなかった。
* * *
少女の様子は、翌朝すぐに王太子…彼女を妃として娶る予定の男…の元に伝えられた。ついでに、たまたま同席していた白い男にも。
容貌だけは美しい王太子は、数秒の間考える素振りをした後『ああ、あの不細工な娘か』と薄く笑った。
まさか忘れていたのか?と驚く臣下たちを気にするでもなく、ただ一言「放っておけ」と言い放ち、それ以上はその話題には触れなかった。
白い男がその日の公務を終えて、少女の様子を伺いに来たのは、それからさらに数時間後。
時刻は昼を回っていたが、控えの間の侍女たちはそろって首をふった。彼女からの呼び出しはまだ一度もないらしい。
「…丸一日、何も食べていないのですか?」
侍女に促されて部屋に入れば、報告の通り少女は部屋の隅でうずくまっていた。
豪奢な部屋だからこそ、その姿はひどく小さく…同時に不気味にも見える。
「せめて水を飲んで下さい。毒なんて入っていませんから」
気を利かせた侍女の用意した水差しを出してみるものの、少女は小さく首をふるばかりで、男と目を合わせようともしない。
「私たちは貴女に決して危害を加えたりしません。要望には出来るだけ応えます。どうか、話しをして下さい」
懇願とも聞こえる声に少女はほんの少しだけ顔を上げるが、すぐに伏せて何の反応もしなくなった。
結局その日も侍女を呼ぶ鈴は一度も鳴らず、勝手に運んだ食事にも水さえも少女が手をつけることはなかった。
* * *
さらに翌朝、臣下と共に白い男は直々に王太子の元へ報告に訪れた。
彼女が召喚されてからずっと何も口にしていないこと、このままでは確実に衰弱してしまうこと。状況報告とともに、医師を呼びたい旨と彼女に会って欲しいと言う要望を沿えて、深く頭を下げる。
けれど、酷薄な笑みを浮かべた王太子は、彼らの望みとは真逆の返答を告げる。すなわち
「あれが懇願してくるまで、何も与えるな」
医師などもってのほかだ。強情をはっても所詮小娘。すぐに折れる。そう笑いながら告げて、男たちに背を向けて行ってしまった。
白い男も臣下も知っている。王太子にはすでに後宮にお気に入りが居り、しきたりで呼び出した娘になど最初から興味はないのだと。
「……だが、彼女は被害者に他ならない。冷遇などもってのほかだろう」
王太子には聞こえないとわかっていても、声に出さずにはいられない。握り締めた拳には、いつの間にか爪が食い込んでいた。
慌てる臣下をよそに、白い男は踵を返し少女の元へと足を運ぶ。せめて自分だけは、彼女の味方でなければ。
憤る心を抑えながら扉を開ければ、黒い少女はやはり部屋の隅でうずくまっていた。
* * *
少女が召喚されてから三日経った。
呼び鈴は一度も鳴らず、少女は部屋の隅からいまだ動かない。王太子に止められたせいで勝手に食事を運ぶこともできなくなった侍女たちは、ただただ不安を募らせながら、黒い少女が呼んでくれるのを待っている。
「……おなか、空かないのですか?」
少女の目線にあわせて、白い男が問いかける。
今朝も王太子に話しに行ったが、『しつこい』の一言で一蹴されてしまった。
「………」
黒い少女はもはや顔をあげることもなく、男の声が聞こえているのかも怪しい。
毛布から覗く手足は初日に見たよりも更に細くなり、血色を失いつつある。
「貴女が望んでくれれば、すぐに助けられるのです。お願いですから…」
初日にしたように、白い男は深々と頭を下げる。けれど、彼女からの返答はない。
「………そんなに、あの方の妃となるのは嫌ですか?」
先ほどよりもいくらかトーンの下がった声で問いかける。
質問の内容に侍女たちはぎょっとしたが、白い男は自分たちより格段に上の人間である。諫めることも出来ず、続く言葉をただ待つ。
「死んだ方が、マシなほどに?」
彼のよく通る声が、部屋に響く。
毛布の下で、少女が笑った気がした。
* * *
彼女の召喚儀式から五日目の朝、黒い少女はついに動かなくなった。
元々華奢な体つきであったし、飲まず食わずでは目に見えた結果だった。
まさか強情を貫き通すと思っていなかった王太子はさすがに慌てて、すぐに医師を手配しようとしたが時すでに遅し。ならばと遺体の隠蔽を命令しようとしたが、その前に全てが現国王の耳に届いてしまった。
召喚された女性たちは心身ともに様々な問題を抱えることになる。それは彼の時も同様であったし、息子も未来の妃の説得に時間をかけているのだと見守っていれば……ほとんど顔も合わせることなく死なせてしまっていたのだ。
噂は瞬く間に広まり、国民からは非難の声が殺到。
特に『異世界人の妃』を神聖視する神職の者たちからの抗議はその日の夜には暴動にまで発展し、騎士団が出動したりと大変な騒ぎになった。
それから数日後、国王を始めとする有力貴族たちは王太子の王位継承権剥奪を決定した。
おとぎ話の王子のように容貌だけは美しかった男は、歴史の汚点としてのみ名を残し、静かに表舞台から消えていった。
* * *
半旗が静かに揺れる中、城下町では名前も公表されない『異世界の女性』を悼む声と共に、人々の顔には笑顔が溢れている。
それは王城から遠く離れた町外れ、屋敷と呼ぶにはいささか小さな民家の周りでも同様で、追悼の言葉と感謝の言葉が一対になって住人たちの口からこぼれている。
「継承権を剥奪されて、こんなに喜ばれる王子ってのもなかなかいないだろうね」
手に持った小さな椀の中身をよくかき混ぜながら、男が苦笑する。
あの覆いつくすローブを着てはいないが、白銀の髪と目をした色素の薄い男は、間違いなく王城の白い男だ。
そして、
「浪費癖やら女癖の悪さやら、顔の綺麗さで補いきれない失態話ばかりだったからね。自業自得と言うものよ」
彼の前の簡素なベッドに腰掛けるのは、黒い髪に黒い目の…対照的なあの黒の少女。
頬はすっかりこけて、手足も棒きれのようになっているが、その瞳には強い光が灯り、彼を見つめている。
「はい、口あけて。少しずつ飲み込むんだよ……全く、こんな無茶なことして」
「最良の結果になったんだから良かったじゃない」
「ちっとも良くない。何も君がやらなくても良かったじゃないか」
差し出された小さなスプーンの中身をちびちびと舐めながら、少女は穏やかに微笑む。男の方は眉をひそめたまま、けれど彼女の体勢などを気遣いつつため息をつく。
「……一歩間違えたら本当に衰弱死してたんだぞ?」
「私だったからこそ、間違えないように貴方が気をつけてくれたでしょう? 統計で見ても異世界人は『黒髪黒眼』が多い。私がやっぱり適任だったのよ」
「だからって……ああもう」
スプーンの中身がなくなっているのを確認してから、男は少女を抱き寄せる。ただでさえ細かった体が、今は骨を抱いているように感じる。
「頼むから、もう二度とこんな無茶はしないでくれ。俺の方が心配で死ぬ」
「二度目があるとでも? 冗談じゃないわよ」
「…だな」
すり寄せられた頭もどこか固く、やはり骨っぽい。女性らしい柔らかさを楽しむには、まだしばらくかかりそうだ。けれど、彼女はちゃんと生きていて、『自分の腕の中に帰って来て』くれた。それが今はたまらなく嬉しいし愛おしい。
「……それにしてもあの王子、本当にバカよね。
私、自分が『異世界人』だなんて、一言も言ってないのにね」
黒い少女が腕の中で笑う。
……そう、実はこの少女は、生まれも育ちもこの国の住人だったのだ。役所に行けば親類はもちろん、“この男の妻であること”もわかってしまう、生粋のこの国の民。
出不精でやや引篭もりがちな薬師で、ご近所さんといつも行く店周辺にしか顔が知れていないと言うだけで。
もちろん、彼の職場たる王城の人間も『男が既婚者である』と言うこと以外は一切知らなかった。
「まさか何の確認もしないとは、さすがに俺も驚いたよ」
「色々と設定も用意して行ったのにね。貴方の腕、よほど信用されてたのね」
「儀式の責任者を任せられる程度にはな。まあ、確認するのも面倒だったのだろうけど」
さらさらとした黒髪を撫でながら、男はまたため息をつく。
「……術の精度云々より、俺は君が気に入られなくて本当に良かった」
「はっはっは! 初対面でいきなり醜い呼ばわりですよ!! さすがに傷ついたわ」
一応元王太子の好みとは彼女が真逆であることは確認はしていたが、何が起こるかわからないのが男女の情と言うものだ。
もしあの男が彼女を正式な王妃として迎えるべく対応をしたなら、この策は間違いなく失敗していた。
「……私、そんなに不細工かなあ」
「あいつは頭と同じぐらい趣味も悪いから仕方ない。俺には世界で一番可愛く見えてるけど、不満?」
「恥かしい貴方一人で十分だわ」
こけた頬を朱に染める彼女を、もう一度強く抱き締める。
白い男も今回の責任を問われはしたが、王太子が命令していたことと彼女を熱心に説得していたことなどが侍女たちから報告され、降格と減給、しばらくの謹慎などで処分が済んでいた。
「……しばらくゆっくり出来るし、今まで忙しかった分のんびり過ごさせて貰おうか」
「あら。じゃあ私早く回復しないと、子作りも出来ないわね」
「そういうこと。元々君細過ぎるんだから、この機会にお肉つけてくれよ」
「はあい」
痩せてしまった顔をいたわりつつ、白と黒の共犯者は幸せそうに口付けを交わす。
最初から仕組まれていた、おそらく最小規模の謀反は、こうして誰も知らないところでひっそりと幕を下ろした。
悪政の不安は去り、数年後に次の国王についたのは腹違いの弟王子。彼もまた異世界から召喚された女性を妃とし、生涯をかけてとても大切にしたと言う。
このシステムそのものを問題視し、やがて召喚儀式が撤廃されるのは結局何代も先の話。
呼ばれてすぐに亡くなってしまった悲劇の黒髪の少女の真相は、当人たち以外は誰も知らない。
白男は魔術系の賢者職。お城勤めで位も高いけど、出身は平民。
黒女子は少女とずっと描写してますが、童顔なだけでこの国では成人している年齢。引篭もり薬師。
王太子は顔だけ綺麗だけど国民からの支持率最悪の男。処刑は免れたものの、身柄は軟禁状態で生涯を終えることに。
異世界トリップモノって、何も持ってきてない場合は本人の発言とか態度とかで異世界人だと判断しなきゃいけない訳で。ちゃんと調べる手段を用意してないとこんな風に騙されることもあるんじゃないかなと。