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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第4章 過去
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(7)偽りの真実

「小岩! いったいどうなってるんだ? 彼女はどういう女性なんだよ……もう、訳がわからない」

 

 初体験から一ヶ月が過ぎた。

 夏休みの間、色んな場所で沙紀を見かけた。男同士で出かけたときも、大学付近でも、そして彼女とデートのときにも。新学期は始まってからは毎日大学に姿を見せるようになった。

 最初は偶然だと信じていた。いや、思い込もうとしていたのだ。だが、しだいに話しかけてくるようになり……。これはもう、何かの意図があるとしか思えない。

『あの、申し訳ありませんが、もう来ないでもらえませんか? 彼女も妙に思ってて……僕の事情は以前お話したとおりですから』

 少し卑怯な気はしたが、弱気に出ては負けだと思い、悠は正面からそう伝えた。すると、『ええ、そうだったわね』そんなふうに答えて、ここ二日ほど沙紀の姿は見なかった。


「それでわかってくれたのかと思ったら……。彼女、マホさんの大学まで会いに行ったんだ!」


 沙紀は彼女に“ふたりの関係”を告げたという。

 悠は問い質され、嘘がつけず正直に白状した。しかし、当たり前だが『童貞が恥ずかしくて』などといった言い訳を彼女が許してくれるはずもなく。浮気は浮気だ、と責められ……。

 交際を白紙に戻したい――そんなメールが一通届き、悠の初恋はあっけなく終わった。


「自業自得なのはわかってる。責任転嫁をする気はないよ。でも、あの沙紀って女、教えてもいないのに僕の携帯に電話してきたんだ。『今度はいつ会える?』そう言って」

「い、一条……おまえ、何かしたんじゃないのか? 何か期待させるようなことを言った、とか」

 何も言った覚えはない。これでも弁護士を目指しているのだ。迂闊な言葉だけは口にしないよう普段から心がけている。 

「とにかく、俺にはわからないよ。最初に話したとおりの付き合いしかないから、人となりなんて知らないし……。ケー番やメアド替えて、やって来ても無視しろよ。年齢差考えても、おまえってまだ十代だし。責任云々なら、あっちにあるだろ?」

 

 悠もそう思っていた。初めての恋が簡単に終わってしまったことは残念だが、二度とこんな過ちは犯さない。今度こそ、誠実な恋愛をしよう。次こそは……。


 一週間後、すべてを“ひと夏の思い出”にしてリセットしようとした悠の前に、沙紀が現れた。

 そして彼女は一通の戸籍謄本を差し出す。そこに書かれてある名前は『遠藤沙紀』。それは彼女自身の戸籍謄本らしいが、発効日が三十年以上前になっている。どうやら『児島』は別れた夫の姓で『遠藤』が本名のようだ。


(どうして僕がこんなものを見なきゃならないんだ?)


 渋々目を通すが、そこに書かれてある名前に悠は驚愕する。母の欄には『遠藤美和子』という名前が、そして父の欄に書かれていたのは『一条聡』――悠の父の名前だった。



~*~*~*~*~



「ふざけないで!」


 美月の押し殺したような叱声が聞こえ、振り返った瞬間、悠は頬を叩かれていた。

 一瞬で、意識が過去から現在……マンションのルーフバルコニーに戻ってくる。


「なんなの? その投げやりな言葉は。信じたいものを信じればいい? それは、何も釈明しないけど自分を信じて欲しい。そういう意味なんじゃないの?」

「そう……じゃない。何を言っても信じてはもらえない。この十年、いやと言うほど繰り返してきたんだ。だから、もう……」

「信じてもらえないも何も、私は一度も説明を受けていないわ。お姉さんの存在をあなたが口にしたときも、ボストンのときもそうよ。何も話さないあなたに、執拗に尋ねることはしなかった」


 美月が怒っている。

 それは潤んだ瞳でキスをねだる彼女とは別人のようだ。


「あなたから説明してくれるの待っていたからよ。信じて欲しければ、それに相応しい努力をなさい! たとえ容易に信じてもらえなくても、一万回、十万回でも、伝えたい真実は繰り返すべきだわ!」


 その気迫に押され、たじたじになりながら悠はどうにか口を開く。


「真実を知ったら……君はきっと僕を軽蔑する。抱かれたことを後悔するかもしれない」


 いつも怯えていた気がする。

 美月の瞳に浮かぶ、尊敬のまなざし、それが軽蔑に変わる瞬間を想像して。十一年前、母が露わにした悠への拒絶。その記憶は、彼からあらゆる勇気を奪い取った。


「それは……真実とやらを聞いてみないことにはわからないわね」

 弱気を見せる悠に美月は容赦ない。

「でも、ひとつだけ確認させてちょうだい。遠藤沙紀さんは本当にあなたのお姉さんなの?」

「――法的に言えば、違う」

「お父様はなんて?」

「絶対に違う、と。父の言葉を信じるなら、違うだろう」

 悠の言葉に美月は安堵の息を吐く。

 やはり、倫理的な問題から、そこが一番気になっていたらしい。

「そう。でもあなたは、お父様の言葉が信じられないのね」


 そんなことはない、と言えず……悠は美月から目を逸らした。


 

 父は母と出会う十年以上前、大学生のときにひとりの女性と結婚した。五歳年上の看護師で、一条の祖父母の反対を押し切り入籍。しかし、結婚から一年も経たず、ふたりの結婚生活は破綻した。

 ――十一年前の悠が知っていた父の“最初の結婚”はこの程度だ。


 相手の名前は遠藤美和子という。彼女が父と結婚した目的は一条の財産だった。祖父の調査でそれが判明し、祖父は金を積んで離婚届にサインさせた。ところが、妻を信じようとした父は離婚届を破り捨ててしまう。そのせいで、再びサインさせるために更なる金と半年あまりの日数を要したのである。

 離婚が成立した二年後、父は予定より長くなったアメリカ留学を終え帰国した。親友と共同出資で法律事務所を開こうとしたとき、戸籍に記載された子供の存在を知る。

 その子供が『沙紀』だった。



「それは“離婚後三〇〇日問題”かしら?」

 悠は黙ってうなずく。

 離婚後三〇〇日以内に生まれた子供は前夫の子供と推定される、というヤツだ。沙紀は離婚の成立か約八ヶ月後に誕生していた。出生届を出すと、嫡出推定を受け、自動的に前夫の戸籍に入る。海外に出ていた父はそれに気づかなかった。

 すぐに嫡出否認の訴えを起こし、離婚の係争中であったことから比較的容易に認められた。

「DNA鑑定は?」

 美月は当然のように質問するが、

「今から四十年ほど前の話なんだ。当時は血液鑑定が主流だったらしい。でも、それ以前に決着がついたので、鑑定は不要だった……そのときはね」

「それなら問題ないじゃない」


 たしかに問題はない。

 様々な状況を知った今の悠なら、そう思えるだろう。


「十一年前、僕は父が再婚であることだけ知らされていた。その状況で、彼女が父の嫡子と認められた戸籍謄本を見せられたんだ――」

 女性は五歳も年上で実家は地方に住む低所得者層だった。若さの勢いで結婚したものの、父は妻を置いて渡米してしまう。残された妻は一条の権力に押し切られるように、離婚を強制された。沙紀親子は父に捨てられた被害者である、と。

 沙紀はそのとき、悠に“嫡出否認”を受けている事実を話さなかった。

 そして言った言葉は――


『私は血の繋がった姉よ。あなたは実の姉とセックスしたの。それだけじゃないわ……私のお腹にはあなたの子供がいる。これって誰に相談したらいいのかしら? 私たちのお父さん? それとも、あなたのお母様がいい?』


 色あせた戸籍謄本の上に置かれた妊娠証明書を見たとき、悠は人生に取り返しのつかない過ちがあることを知った。 



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