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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第4章 過去
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(5)離婚と結婚の理由

「お久しぶりです。すっかりご無沙汰してしまって……」

 一条遥はベージュ色のパンツスーツを着て立っていた。にこやかな笑顔で会釈する。


 叔父のマンションに何度か出向いたが、彼女に会うことはなかった。娘はふたりとも母親と一緒に白金台の自宅で暮らしていると、悠がボストンから帰ったころに聞いたことがある。遥とも最後に会ったのがそのころだ。

 どちらかといえば華やいだ場所が苦手そうな女性だった。まだ妹のほうが社交的だったように思う。

 だが今は、華道の先生をしているというだけあって、非常に美しい身のこなしで堂々としていた。


「いや、こちらこそ。匡叔父さんにはいつもお世話になりっぱなしで申し訳ない。本当なら叔母さんのところにもご挨拶に伺わないといけないのに……さぞ、怒っておられるだろうね」

 そう言いながら、悠も軽く頭を下げた。


 遥の母、由美は悠の母より少し年上だ。悠や遥たちが小さいころは仲がよかったように思う。だが、静夫婦が祖母と暮らすようになり、しだいに由美は夫の兄弟との付き合いを避けるようになっていく。

 そして悠が一条の後継者として会社に入ることが決まったとき、あからさまな不満を口にしたのだった。


(どうも僕は、由美叔母さんに嫌われてる気がする。沙紀との一件が理由のような気はするが……でも、もっと前から……)


「気になさらないで。あんな嫌味ばかり言われたら、誰だって近づきたくないわ。ごめんなさいね……母が不満に思ってるのは私なんです。男の子だったらよかったのに……なんていつも言ってるから」

「今の時代、性別は関係ないんじゃないかな? 男でも女でも、その気になれば一条の家は継げると思うよ」

「財産は……そうね。でも、母が継いで欲しいと思ってるのは会社だから。私は、ご長男である聡叔父様の息子さんに返すのは当然だと思うんだけど……そうは思わない人が母のことを焚きつけているのよ。私に似合いの親戚筋の男性がいるから、ってお見合いの席まで用意して」

「ああ、それで、叔父さんが僕と君を結婚させようと言い出したんだ」

 遥は困ったように笑い、うなずいた。


 結婚した相手が遥に代わって会社の代表権を持つ。遥はそのまま華道教室を続ければいい。一族経営を続けるなら、これが正しい道だ。誰もが納得する。――そんなふうに諭されたという。


「納得しないんじゃないかな? とくに、里見の叔父さんとか静叔母さんが」

「そうなの。母はなぜか悠さんを仮想敵のように思って、それくらいなら父も失脚して里見叔父さんが社長になればいい、なんて言うのよ」

 遥は笑うが悠にすれば笑えない。

「やっぱり、叔母さんはよっぽど僕が気に入らないんだな。叔父さんも無茶を言うよ。遥の結婚相手が僕なんて……挨拶に行っただけで、叔母さんに家から叩き出される」

 悠は大きく息を吐いた。


 ここは華道展の行われた大阪市内のホテルだった。

 レストランの個室を取り、まるで見合いのようにふたりきりで顔を合わせている。さすがの悠も少し緊張していたが、叔父たちの思惑がわかり、ネクタイを緩めた。


「悪かったね。せっかくの華道展なのに、こんな厄介な話をすることになって。君に迷惑をかけるつもりはないから。僕からちゃんと叔父さんに話を通すから安心して欲しい。久しぶりに会えて嬉しかったよ。今度は叔父さんも一緒に、ゆっくりと会おう」

 食事は注文しているはずだった。だが、気持ちが急いてしまって、どうにも腰を落ちつけていられない。早口で遥に声をかけると、悠は部屋から出て行こうとした。


「あ、待って、悠さん」

 そんな悠を焦った様子で遥は引き止める。

「何?」

「厄介なんて思ってないわ。私……悠さんの薬指にはまった指輪の理由はよく知りません。でも、何か事情があると聞いてます。悠さんがそれを外して、違う指輪をはめるつもりがあるなら……私じゃダメかしら?」

「……遥……」


 決して押し付けるふうでもなく。控えめに微笑む遥だった。



~*~*~*~*~



 悠は新大阪駅の新幹線ホームに立ち尽くしていた。

 放送は耳に聞こえているのだが、内容が一向に入ってこない。頭の中が混乱して上手く考えがまとまらない。


『政略結婚とか会社の犠牲とか、そんな悲壮感漂うものじゃないの。ただ、父は以前から……自分は社長の器じゃなかった。みたいに言うことがあったから……』

 そう遥は言った。

 彼女は母親から縁談を押し付けられ、父親に相談したという。匡は自分が不甲斐ないばかりに、と落ち込んでいた。

 そのときに遥が悠と結婚してくれたら、すぐに社長の椅子を譲れるのに、と話したらしい。

 だが、遥にすれば訳がわからない。悠には妻がいると聞く。名前も知らず、親戚の誰も会ったことがないというのは不思議でならないが……。それでも本人たちが納得しているなら、他人が口を挟むことではないだろう。

 そう答えた遥に、匡はおおよその真実を教えたのだった。

『父は社長を降りたら母とよりを戻して、静かに暮らしたいというの。母もまんざらじゃなさそうだし……。私も両親が仲よくしてくれるのなら、それに越したことはないわ。それに……従兄妹同士の気安さもあるし、家族としての愛情なら育めると思うんだけど』

 悠の過去も噂もとくに聞くつもりはない。未来さえ誠実だと約束してくれるなら。遥は悠と結婚して一条を盛り立てたい、そう言ったのだった。


 叔父の先走りだとばかり思っていた。遥も迷惑をしているに違いない、と。

 だが、本気で一条グループの後継者になるなら、結婚は必須だろう。対外的に同行できる妻が必要になってくる。


(それが美月じゃダメなのか? 彼女なら、社長夫人として過不足などありはしない。美月が……いや、彼女が僕に望んでいるのは、離婚、だった。桐生の問題さえクリアしたら……)


 美月は子供を得るため精子バンクを使うか、好きな男をみつけて結婚するか……。どちらにせよ、悠のもとから離れていく。悠がそのことを考えた瞬間、携帯電話が鳴った。

 同時に下りの新幹線がホームに滑り込み、悠は一時間後にかけ直す、というため、電話を取る。

 だが電話の相手は……。

『一条美月さんの件でお電話させていただきました。桐生家の動向を探って欲しいとのことでしたが……』


 悠は切ってかけ直すと言えず、息を殺すようにして話を聞いた。


『現在、桐生家が動いている気配はないですね。残念ながら先の選挙で地盤を失い、政界では厳しいポジションに立たされているようです。当主不在ですから、仕方がないといえば仕方ないんですが』

 美月の帰国を察している様子も、O市まで人を回した様子もない。ただ、美月がまだかなりの資産を残しているのは事実。それを欲しがって動き出す人間が出ないとは限らない。

『ただ、今の桐生家なら金で片がつくんじゃないでしょうか? 一番は、相応の年齢になられた美月さんが桐生に当主として入られるのがベストですが……。ある程度警戒を怠らなければ、日本国内で暮らされることも可能だと思われます』


 美月や家族の身にこれ以上の危険は及ばない。そのことを聞いたら、彼女はどれほど喜ぶだろう。

 ホッとする反面、これで悠のお役御免が確定した。離婚を阻む理由も、子供を作るなという理由もなくなったのだ。


(だがそれなら……あの、嫌がらせの電話はいったい……)


 悠の背中に冷たいものが伝う。十年前から彼に纏わりつき離れない――呪いの言葉を吐き、家族の絆を断ち切り、悠の中から幸福に満たされる思いを奪った魔女の姿が思い浮かぶ。

 

 新幹線はゆっくりとホームから離れていく。

 悠は息をすることも忘れ、自分が乗るはずだった白い車体を見送っていた。



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