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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第4章 過去
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(4)縁談

 まさか、遠藤沙紀が美月に会っているとは思いもせず……。

 悠はそのころ、大阪市まで来ていた。


 出社してすぐ、社長――叔父の一条匡いちじょうただしから呼び出しを受けたのだ。

「それは……電話では済まないことなのか?」

 秘書の戸田順平にそう問いかける。

 東京まで行けば日帰りでは済まない。今、とくに今日はO市から離れたくなかった。真や小太郎が来ている、ということもある。だがそれ以上に、美月と過ごせる限られた時間を失うのが辛い。

「社長は本日、大阪支社に顔を出されるそうです。本部長にも支社ビルまで来て欲しいとのことでした」

 戸田は社長命令を淡々と口にする。

 御堂筋沿いにある大阪支社ビルなら駅からもそう遠くはない。用件が込み入ったものでなければ、おそらく夕方までには戻れるだろう。

「わかった。明日からもう六日間休暇を取らせてもらう。いいように手配してくれ」

「さらに、ですか? あの……」

「これ以上の延長はしない。支社長や副本部長には私からも声をかけておく」

「……承知いたしました」

 戸田は何か言いたそうだったが、口を閉じた。


 六日後には満月がくる。

 そうなれば、美月は離婚届けにサインをして、ボストンに帰るだろう。そのあと、真が美月を追おうと、ふたりが結婚しようと、悠が口を挟むことではない。

 もうすぐ、美月を守る義務はなくなる……。



「いきなり呼び出して悪かったな。それも、長期休暇中だったんだって?」

 大阪支社ビルの応接室に入るなり、先に到着していた匡に声をかけられた。

 匡と顔を合わせるのは、年始の挨拶以来だ。何度か東京本社にも顔を出したし、会議もあったが、たまたま社長不在のときばかりだった。


 匡は先代社長である祖父の三男だ。父が長男で、次男は関連会社の社長を務めている。他には妹がひとり……叔母の里見静さとみしずかはピアノ教師だが、夫の里見隆之さとみたかゆきが一条グループ本社で副社長をしていた。

 悠が大学三年で自宅を出たとき、真っ先に世話になったのがこの里見夫妻だった。現在、一条邸と呼ばれる先代社長宅に住んでいるのは彼らなのだ。

 同居から数年で匡の妻、由美ゆみと姑の仲がこじれてしまい、同居を解消したという。そのすぐあとに祖父が亡くなり、ひとりになった祖母の面倒をみる、という理由で結婚したばかりの静が自宅に戻った。そして今から十年と少し前、祖母も亡くなり……。

 父と次男は早々に後継者問題から抜けていたが、問題は匡と里見だ。創業者一族の直系である匡と、外様でありながら静を妻にして一条本邸で暮らす里見、それぞれの派閥がぶつかり合い微妙な様相を呈している。

 このふたりにはそれぞれ弱点があり……。

 匡には娘がふたりいるが、妻とは随分前から別居状態で、娘も妻と暮らしていた。ふたりとも特別な教育は受けておらず、経営に携わる気はない、と宣言している。

 一方、里見夫妻には子供がいなかった。

 悠が親元を出たとき、双方から養子にならないかと誘われた。両方の顔を立てるため、悠は断ったが……。


「いえ……ここしばらく、個人的事情でお休みをいただいております。勝手をして申し訳ありません」

「ああ、そのことなら聞いてるよ。例の嫁さんが来てるんだって? 桐生に何かあったのか?」

 匡も悠の結婚理由を知っているひとりだ。

「今のところ、そういうことではなさそうです。ただ、彼女本人の都合で、話し合いが必要になっただけですよ」

「もう……七年になるのか? 桐生も色々顔ぶれが変わって、激しい動きは見えなくなったな。私の知る限りでは、だいぶ力が弱まったように思うんだが……」

 革張りのソファに腰を下ろしたまま、匡は眉間にシワを寄せ深刻そうにうなずいている。


(こうして見ると、匡叔父さんと父さんてよく似てるんだよな……)


 そのふたりに限らず、一条家の男はだいたいよく似ている。匡の隣に立っていると、『よく似た息子さん』と評されることも多い。

 悠は複雑な感慨に浸りながら、

「ええ、そうですね。ご心配をおかけして申し訳ありません。それに関しては現在調査を頼んでいますので……一両日中にも返事があると思います」

 人払いをしてふたりきりになった応接室で、匡の正面に座った。

「そうか。そうなったら、ようやくお前も“自由の身”だな」

 悠の気分にあまり相応しくない表現をしつつ、匡は相好を崩した。

 だが、不特定の女性と交際する悠の行動は、周囲から見たらそうなのかもしれない。

 悠が何も答えずにいると、

「向こうのほうはどうだ? O市まで追いかけてきたのか?」

 今度は声を潜め、匡は尋ねてきた。

「……いえ……今のところは」

「そうか……。まったく、あの女は本当に厄介者だよ。裁判所の命令も平気で無視するし、警察の介入にも引き下がらないんだからな。兄さんがあんな女と結婚さえしなきゃ……」

「叔父さん、もう、そのことは」

「ああ……すまん」

 

 それ以上は聞きたくなかった。

 沙紀の件だけは、悠の中ですべての価値観が逆転した出来事だ。逃げていると責められても構わない。可能なら、誰も知らないところまで逃げてしまいたい。それなのに、どうして逃げずにここにいるのか、悠自身にもよくわからなかった。


「あの、叔父……いえ、社長。ここに私を呼ばれた用件はなんでしょうか? 大阪支社に何か問題でも?」

 悠の肩書きは西日本統括本部長だが、この大阪支社は支社長の監督下に入る。そのため、あまり大阪支社のことは詳しくない。

 その大阪支社に呼び出されるということは……。

「いや、ここに来たのは定例の視察だ。あと、ついで、というヤツかな」

「ついで、ですか?」

「大阪市内のホテルで、はるかが師事する流派の華道展があるんだ。そういうときには顔を出しておかんとな」

 匡は少し恥ずかしそうに笑った。


 遥は叔父の長女の名前だ。二十七歳で独身。子供のころから続けてきた華道の准教授となり、教室を開いているという。

 ちなみに次女のあゆみは二十四歳。短大在学中に妊娠して、なんと箱根にある老舗旅館の跡取り息子に嫁いだ。現在は二児の母と聞く。


「……はあ……」

 それと自分にどういう関係があるのか、悠にはさっぱりわからない。

「最後に遥と会ったのは、もう五~六年前だろう……美人になったぞ。歩は母親似できついところもあるんだが、遥はこんな父親にも優しくしてくれる、いい子なんだ。お前も一緒に来い」

「え? あ、いえ……実は、それほどのんびりしている訳には……。実は、弟の真がO市まで来ていまして……その、色々相談があるらしく。明日の朝には帰京するというので、なるべく早いうちに戻って話を聞いてやりたいと思ってるんですが……」

 

 心の中で、ダシに使ってすまない、と真に詫びる。

 すると、匡は思いもかけない言葉を口にした。


「悠、こんなことは言いたくなかったんだが……。“遠藤沙紀”の件で、お前は後継者に相応しくないんじゃないか、という声が上がってる」

「待ってください! それは……」

「わかってる。若気の至りは誰にでもある。問題はそのあとだ。――桐生の名前で抑えていた部分も大きいが、さっきも言ったように力が弱くなってるだろう? そうなると逆にマイナス面が目立ちはじめてるんだ」


 美月に災いをもたらした桐生の権勢。それは奇しくも強力な後見となり、マイナスを抱える悠の後押しとなった。

 だが、その桐生の力が弱まっている。美月にとっては朗報だが、悠の評価に影を落としていた。


「元々、桐生の力をアテにしていた訳ではないでしょう? 僕が美月と結婚したのは偶然だ」

 勝手に期待して、勝手に期待はずれだというのはあんまりだろう。

 プライベート以外で、悠の仕事ぶりにマイナス評価はないはずだった。マイナス面を口にしているのはおそらく、一条の名前を持つ親戚筋の株主に決まっている。

 悠の後見に里見がいることを面白く思わない連中だ。


「そこで相談だ。そろそろ形式だけの結婚はおしまいにして、きちんと公表できる妻を迎えたほうがいいんじゃないか?」

「叔父さん、それは」

「遥とは従兄妹になるが結婚するのに問題はない。うるさい連中も黙らせることができるし、里見副社長も賛成してくれた。兄さんも……悠が決めることだ、と。本気で一条を継ぐ気があるなら、真剣に考えてくれ」


 悠は無意識のうちに左手の指輪に触れていた。 



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