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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第3章 心の扉
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(5)可愛い酔っ払い

(どうして、他のひとにはあんな笑顔を見せるの?)


 下の公園でもそうだった。

 親しげに悠に近づき、キスするように顔を寄せて笑い合っていた。付き合いがあったらカードなんて渡さない。悠はそんなふうに言ったが……。

 この小柄な女性にしてもそうだ。

 悠は人のよさそうな笑顔を見せ、彼女に近づきたいそぶりだった。美月の視線に気づき、諦めたに違いない。もしこの場に自分という妻がいなければ、悠ならすぐに親しくなったのだろう。

 美月の母を思わせる華奢な来生茉莉子という女性に、コントロールできないほどの嫉妬を感じた。


「一条さんには今日初めてお会いしたんですけど……本当に美男美女のご夫婦ですよねぇ。羨ましいです」

 茉莉子は勧められた缶ビールを手に美月を見てニッコリと微笑む。

 彼女の“羨ましい”は、悠の隣に立つ美月に向けられた言葉だろうか? 疑問を胸に抱え、美月は曖昧な笑みを返した。

「ハーバード大学をスキップで、なんてスゴイですよねぇ。私なんて、高校出るので精一杯でした」

 他意はないのだろう。

 だが、美月の耳には“可愛げのない女”と言われているように思える。

「一条さんと結婚されたということは、奥様のご実家も大きな会社を経営されてるんですか?」

「それは……」

 美月は“藤原”も“桐生”の名前も出したくなかった。

「一条とは……主人の弟と私が同級生だったの。幼なじみと言えばいいのかしら……学校が一緒で。私の父は……千早物産の社長をしているわ。でも、オーナーではないから」

 すると茉莉子は驚いたような声を上げた。

「うわぁ! 千早物産は業界大手ですよ! 同じ業務用や冷食を取り扱ってますけど……資本も利益も桁違い! やっぱり違うんですね。住む世界が違うって感じです」

 その大袈裟な反応に、美月のほうがびっくりだ。

 

 “藤原”は文句なく国内最大だろう。地方都市のO市であっても、その名前を出せば、あらゆる場面において過分なほどの特別扱いを受けられるはずだ。それより一段下になる“一条”でも、県知事を悠のオフィスに呼びつけることくらい可能だった。

 それに比べたら、“桐生”は財閥名でもなんでもない。

 ただ、故人とはいえ美月の曽祖父、桐生久義の名前を出せば、大概のムリは通ってしまう。今でも桐生の名前には強大な権力が寄り添っていた。それは美月にとってマフィアより性質が悪く、無駄としか思えない。

 大したことはない、と言いたくて父の会社名を出したが……。

 それが逆に茉莉子の中で、具体的な存在として響いたようだ。


「素敵な結婚式だったんでしょうね……ひょっとして海外ですか?」

「え? ええ……ボストンで」

 茉莉子をはじめ周囲の女の子たちは、美月のひと言ひと言に歓声を上げる。

 式といっても判事の前で誓い、結婚証明書をもらっただけだ。あとは、日本国内で入籍の手続きを済ませてもらい……。

 美月はふと気づくと、はじめて口にした発泡酒を飲み干していた。

 

(どうして私のことは渋々しか口説いてくれないのに……他の女性には積極的なのかしら。どうして……私の何が気に入らないと言うの?)


 美月の中に芽生えた苛立ちはアルコールの勢いを借りて、悠へと向かった。

 那智と楽しそうに笑う悠の姿も気に入らない。すべて、自分の悪口を言われているように感じる。


(ふたりして私のことを笑ってるの? 今夜預けるから、しっかり教えてやって欲しい……とか?)


 そんなとんでもない被害妄想まで生まれる始末だ。

 美月は立ち上がると、悠の前までズンズン歩いていった。



「悠さん!」

「み、美月ちゃん? どうしたんだ!? 靴も履かずに」

 言われて初めて気づくが、そんなことはどうでもいい。

「悠さんはどっちなの?」

「な、何が?」

「仕事のできる大人の女性と、華奢で可愛らしい女性――どちらが好み?」


 そんなことを聞いてどうするのだろう。

 見た目は大人でも中身はお子様の美月だ。男性の自尊心を満足させ、気持ちよくさせるような言葉も言えない。高いのはプライドとIQと身長だけ。その中のひとつだって、悠を惹きつける材料にはならなかった。

 おそらくあと十年、いや、五年もすれば少しは大人になれるだろう。でもそのときには、悠はさらに先に進んでしまっている。きっと気まぐれにベッドを共にしたくなったときだけ、『美月ちゃん』と呼ばれるのだ。

 もちろん冷静に考えれば、五年後どころか二週間後には、彼女の人生から悠はいなくなっている予定なのだが……。


「選択肢はそのふたつだけかい?」

「もっと……あるかもしれないわ。あとは……少しヒステリックそうだったけれど、日本人離れしたボディラインの女性とか……」

 悠のオフィスを訪ねたとき、別れ話の最中だった女性を思い浮かべる。

「何か誤解をしているみたいなんだが……。僕の好みは――」

「スタイルだったら負けないわ! 恥ずかしくてずっと隠してきたけど……胸だって小さくはないのよ!」

「あ、ああ、もちろん、それはよーく知ってるから。美月ちゃん、ひょっとして飲んでる? アルコールは苦手だっただろう?」


 悠の言葉に背後から「発泡酒を……一本だけなんですけど」そんな申し訳なさそうな声が聞こえた。

 美月は酷く子供扱いされた気がして、カッとなり叫んだ。


「苦手じゃないわっ! 子供扱いしないで! ただ……嫌いだから、飲まなかっただけよ。飲めない訳じゃないもの」

 悠は驚いた様子で美月に近づいてくる。

「ちょっと、ふたりでその辺を歩こうか。気分は悪くないかい? ……美月ちゃん?」

「どうして? どうして、そんなふうに呼ぶの? 悠さんは……私のことが抱きたいの?」


 悠の後ろに見える那智が、そのセリフを聞くなり咳き込み始めた。


「昨夜もいきなりバルコニーでセックスしたし……。そういうセックスに、あの人たちは応じてくれたの? だったら、私にもできるわ!」


 美月はそれを証明したくて、ワンピースの裾を持ち上げようとする。


「待った! ちょっと待った。美月ちゃ……いや、美月。ちょっと待つんだ」


 両腕を掴まれ止められたとき、じわり、と美月の瞳に涙が浮かんだ。

 こんなことくらいで泣いたことなど一度もない。周囲に大勢の人がいるのに。子供のころから泣いて親を困らせたことも、同情を買うのも大嫌いだった。

 なのに、まるで涙腺が崩壊したかのように涙が込み上げ、熱い水滴が頬を伝う。


「だって、他の人には……じっと顔を見て笑いかけるくせに……。私と、目が合ったら逸らすじゃない。ずるいわ! セックスのときは見てくれたもの。だから、すぐに私を抱いて!」


 叫んだ瞬間、ふわっと身体が浮いた。「わかったから、きちんと掴まってるんだ」悠の声が耳もとで聞こえる。

「ご覧のとおりだから、もう抜けるよ。騒がせて悪かったね」

 それは多分、那智に言った言葉だろう。


 美月は悠の首にぎゅっと抱きついた。自分のものだと人に見せ付けるように。だが、離婚して美月がいなくなれば、すぐにも同じ場所を他の女性が占領するのだ。

 悠から色々教わり、たくさんの経験をして楽しい思い出ばかり抱えて別れよう。

 そう思っていたのに、一度味わった果実はまるで麻薬のようだ。もっと欲しい。悠を独占したい。そんな思いが美月の中を駆け巡っていた。

    

   

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