表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第3章 心の扉
22/55

(4)奪わない恋もある

「上手くいったみたいじゃないか。おめでとう」

 発泡酒を差し出され、悠はそれを受け取りながら、那智の言葉に答えた。

「いや、そんな……めでたくはない、というか……」

「なんだ。まだ、離婚するとか言ってるのか? 往生際の悪い男だな」

 悠は黙ったままプルトップを開け、口に運んだ。

 

 美月は那智になんと言ったのだろう。これではまるで、悠から離婚を言い出したかのようだ。離婚して欲しいと言ったのは美月のほうである。悠はこれまでどおりの関係を……。


(……これまでどおり?)


 これまでと同じでいられるはずがない。そんな思いを自覚しながら、悠は従業員の女性たちと楽しそうに笑う美月を見ていた。

 桜の下にブルーシートを広げ、男女六人ずつの従業員が寛いだ表情で楽しんでいる。みんな二十代で仕事場の雰囲気はすこぶるよさそうだ。面識はあるものの、悠自身はそれほど親しい付き合いをしてきたわけではない。那智にしてもそうだ。彼から声をかけられ、色々誘われなければ、友だち付き合いはなかっただろう。

 そんな中、ひと際悠の視線を惹くのは、やはり美月だった。

 今の彼女は保護しなければならない少女ではない。目が離せないほど、魅惑的なひとりの女性に過ぎない。カシュクールワンピースの胸元から形のいい鎖骨が見え……。悠はその部分に口づけ、強く吸い上げて、自分の刻印を押して回りたくなった。

 動悸が早くなるのはアルコールのせいだけではないようだ。

 食道から胃に流れ込んだはずの液体は、なぜか悠の下腹部に熱をもたらした。これ以上、美月を見つめて少年のような妄想を続けたら……この場から立ち上がることもできなくなるだろう。

 悠はその思いに軽く首を振る。

 

 

「あ、すみません、遅くなりまして。……差し入れをお持ちしました!」

 那智と並んで大きな石の上に座る悠の横で、女性の声がした。

 声のしたほうを見ると、細くて小柄な女性が満面に笑みを浮かべ立っている。彼女は両腕でビールの箱を抱えていた。350ml缶を一ケース……かなり重そうで悠が手伝おうとしたとき、那智のほうが素早く動いた。

来生きすぎさん、どうしたの? 中山くんは一緒じゃなかったの?」

 女性は少し切なそうに微笑み、

「えっと……中山さんは別の仕事で。どうもすみません、せっかく声をかけていただいたのに」

「いや、そんなことはいいんだけど。ひとりなら電話すればよかったんだ。取りにいったのに……重かっただろう?」

「いえいえ、こう見えても私、力持ちなんですよ!」

 那智はさっさと箱を持ち上げ、従業員に「アカツキフーズからの差し入れだ」そう声をかけてひとりに手渡した。

 従業員たちは「ありがとうございまーす」と声を揃える。

 女性は何度も頭を下げながら、

「こちらこそ、いつもお世話になってます」

 そう言ってニコニコ笑った。


「紹介するよ。うちに業務用の食品を入れてくれてるアカツキフーズの営業で来生さんだ。――来生さん。彼は市内の一等地に支社ビルを構える、一条物産の統括本部長殿だよ。嫁さんも一緒だけど、女性には手が早いから、声をかけられてもついて行ったらダメだよ」

 那智は笑いながら言う。

 本気か冗談かよくわからない那智を横目で睨みつつ……。


(こっちから、乗り気じゃない女性を口説いたことはないぞ。それに、『十六夜』の女の子にだって一度も声は……)


 不満を口にしようとしたが、ふと心に何かが閃き、悠は彼女に手を差し出した。


「はじめまして、一条悠です。こう見えて、妻ひと筋の真面目な男なんですよ。逆に真面目に見える男のほうが……彼は意外とムッツリだから、気をつけたほうがいい」

 横から「どこが妻ひと筋なんだ?」という那智のつぶやきはとりあえず無視する。

 すると彼女はクスクス笑いながら、

「アカツキフーズの……正確に言えば営業補佐をしています、来生茉莉子です。気をつけるなんて、そんな……那智さんは、聖人と呼ばれるような方ですし、ファンの方もいらっしゃるくらいですから。私なんて、とても相手にもしていただけませんよ」

「一条、調子に乗って失礼なことを言うなよ。来生さんにはちゃんと恋人がいるんだから。それと念のため……奥さんが二メートルほど離れた場所から、君を見ていることを忘れるな」

 釘を刺すような那智の声だった。


 言われて、悠は桜の下に視線を向ける。

 すると、こちらを見ていた様子の美月がスッと目を逸らせた。彼女は横を向きながらも、どうやら悠が茉莉子に向ける笑顔が気になるようだ。それに気づくと、彼自身どうにも落ちつかなくなる。

 何かを察したのかどうかわからないが、茉莉子はバネ仕掛けのように勢いよく頭を下げ、従業員たちの輪に加わっていった。



「聖人ねぇ……僕には狙ってるように見えるんだけどなぁ」

 茉莉子はストレートのボブ、あまり手の入っていない感じのするサラサラの黒髪をしていた。紺色のスーツを着て、それが制服を思わせるデザインのせいかもしれない。二十歳前後……女子高生と言っても通用する外見だ。

「未成年ならさすがにまずいか……。那智さん幾つでしたっけ?」

「お前のふたつ上だよ。ところで、美月さんの歳は?」

「……たしか、今年の十月で二十四歳だったと」

「じゃあ同じ歳だ。来生さんもついこの間二十三歳になったと言ってたから」

 那智の言葉に驚いた。


 今は美月と隣り合って座り、店で用意した料理を一緒に食べている。

 体型は、バストを中心にふた回りほど小さい……というのは大袈裟か。だが、骨格がしっかりしていて背の高い美月に比べ、あまりにも頼りなく感じる。化粧は、むしろ茉莉子のほうがしっかりしているみたいだが、美月のほうが際立って見えた。

 

「一年以上付き合ってる恋人がいる。彼女は結婚まで考えているんだ。いい子だから、幸せになって欲しいんだけどね」

 那智の言葉には含みがあった。

「それって……さっき口にした“中山”って奴?」

「耳がいいな。いや、勘がいい、と言うべきかな」

 苦笑いを浮かべて那智は差し入れの缶ビールを口に運んだ。

「ということは……彼女のほうが考えてるだけで、結婚も婚約もしてないんだろう? だったら、ごちゃごちゃ考える前に、奪ってみればいい」

 数日前に言われた同じセリフを那智に返した。

 あの夜はしたたかに酔っていて、自分の話した内容はよく覚えていないが、言われた言葉はしっかりと覚えている。人間の記憶は意外と都合のいいようにできているらしい。


 彼は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、

「私は何も奪わない。でもそれは、奪えないこととは違う。間違えるなよ、一条」

 余裕綽々で笑われ、ヤケクソ気味に手にした発泡酒を飲み干す悠だった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ