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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第3章 心の扉
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(3)男の本音

 桜フェスティバルの会場から暁月城まで、徒歩で約十分。当然、悠のマンションから歩いて行けない距離ではなかったが、タクシーを使った。

 国宝暁月城、国内で唯一、個人所有の城だという。外堀を回り、夕日川とは反対側の入り口でタクシーを降り、悠は美月と共に城門に向かって歩く。堀の周囲は公園として綺麗に整備され、桜の数は多くないが、バーベキューなどを楽しむ花見客がたくさんいた。

 その桜の中に見事な枝垂桜しだれざくらを見つけ、美月は嬉しそうな声を上げ、近寄って眺めている。


(休暇を取り、妻とお城に花見か……とても自分のこととは思えない)


 この間の少々不恰好なスーツ姿と違い、今日の美月は身体のラインが綺麗に浮かび上がっている。

 それは、ついさっき購入したばかりの、カシュクールワンピースに着替えたせいだ。七分袖で色はロイヤルブルー、スカート部分のドレープが美しく波打つジャージィ素材だった。肌の露出が大きい訳でもないのに、ひどく扇情的に思える。中身の豊かさが容易に想像できてしまう胸元も、思わず手を添えたくなるヒップのラインも、すれ違う男の視線から覆い隠したくてならない。

 悠は思わず……。


「美月ちゃん、花冷えの時期にそれじゃ寒くないかい? 上着を貸そうか?」

 我ながら、情けないと感じつつ、尋ねてしまう。

 だが、そんな悠の男心が美月に伝わるはずもない。

「いいえ、大丈夫よ」

 にっこり笑って断られる。


 それも当然。年齢相応に、着飾ったほうがいいと薦めたのは悠だった。だが、五千円程度のワンピースを美月が着るとオートクチュールの一点物に見えるのはなぜだろう。それも、信じられないほどセクシーだ。

 今の彼女に誘惑できないのは、駅前に立っている昔話の銅像くらいではないだろうか?



「あれ? やだ、一条さんじゃありませんか?」

 女性に名指しされ、悠は慌てて振り返った。

 もちろん、美月に見惚れていたことを指摘されたくない、という後ろめたさからだ。

「こんな時間にこんな場所で……珍しいですね。お仕事ですか?」

 一瞬、誰か思い出せなかったが、話すうちに記憶に浮かんでくる。地方テレビ局のアナウンサーで、一年ほど前、二~三度付き合って別れた女性だった。たしか、結婚間近で最後のアバンチュールとかなんとか……楽しみたいと言われて、悠も気軽に応じた。

「今日は取材かな? 結婚生活は順調かい?」

 自分に向けられた質問は無視して、相手に尋ねる。

 すると、

「暁月城の取材なんです。結婚は……半年で別れました」

 彼女は笑って答えると、ふいに悠の近くに身体を寄せた。ごく自然に腕を掴み、背伸びしてささやく……。

「一条さんとのセックスが忘れられなくて。また付き合ってくれませんか? いつでも電話待ってますから」

 いつの間に取り出したのか、彼女はネームカードを悠の上着のポケットに押し込んだ。

 グロスに艶めいた唇が、悠を見つめて思わせぶりに微笑み……彼女はあっという間に、撮影クルーと共にいなくなった。



 悠がポケットに手を入れようとしたとき、背後から別の手が押し込まれた。

「ふーん、テレビ局の人なのね。悠さんと同じ歳くらい? 今の人は、私の存在を知ってるのかしら? それとも、知られたら困る……とか」

 桜に気を取られているとばかり思っていたのに、美月は全部見ていたらしい。こういうときは何を言ってもヤブヘビになる。悠は何も答えずにいた。

「このネームカードはプライベート用みたい。携帯の番号も書いてあるわ。でも、連絡を取るのは私がボストンに帰ってからにしてね」

 冗談めかして言うが、美月の表情は強張っていた。


 悠は、美月がポケットに戻したネームカードを取り出すと、一瞥もせず握りつぶした。そのまま、目についたゴミ箱に捨てる。

「連絡は取らない。それに……付き合いがあったら、こんなものは渡さないだろう? さ、那智さんと合流しよう」

 あからさまにホッとした美月を見ていると、キスしたくて堪らなくなる。

 そんな気持ちをごまかすように数歩先に進み、立ち止まって、思い立ったように手を差し伸べた。

「さあ、どうぞ、奥さん」

 差し出した右手の上に、美月の左手が乗せられ……。

 その細く柔らかな手をギュッと掴んだ。



~*~*~*~*~



「悠さんはお城のこと、詳しいの?」

「いや、実のところ、ここに来るのは今日が二……三回目かな?」


 手を繋いで石段を上がりながら美月に尋ねられ正直に答える。

 最初は地元商工会のメンバーに案内されて天守閣まで登った。展示されている品も、最上階からの眺めも大したものだとは思う。だがとくに、何度も登ろうと思うことはなかった。

 悠の抱いた感想は、この石垣なら道具なしのフリークライミングに最適だ、といった不謹慎なものくらいか。そんなふざけた感想が口にできるはずもない。

 あとは昨年、那智に誘われ花見に顔を出した程度だった。


「あとで天守閣に上がってもいいかしら?」

 よほどこういった史跡が珍しいのか、美月は天守閣のある本段まで上がりたい様子だ。上を見つめながらドンドン石段を上って行くので、慌てて引き止める。

「ああ、わかった。わかった。でも、那智さんたちがいるのはこっちだ」


 彼女の手を引き、中段を月見櫓つきみやぐらに向かって進む。

 その手前に桜が見え、多くの花見客がシートを広げていた。下の公園付近と違うのは、火気の使用を禁じられている点だ。騒ぐ若者は少なく、それぞれに花見弁当を手にしていた。


「君が花見に誘われて、こんなに喜ぶとは思わなかったよ。公共の場で飲んでる連中を軽蔑してるんだと思ってた」

「迷惑をかけるのはダメだと思うわ。でも、たしかに日本国内では、違法行為にはならないんですもの。それに、那智さんなら人の迷惑になるようなことはなさらないでしょうし……」

 最後の言葉に、訳のわからない苛立ちを感じる。

「たった数回会っただけで随分信頼したものだな。ひょっとして、僕は余計なことをしたのかな? セックスも那智さんから教わりたいなら……僕からも頼んでこようか?」


 心にもない言葉だ。なぜ、こんな言葉が飛び出すのか、自分でもよくわからない。

 すると、繋いだ手が一気に振り解かれた。


「はっきり、おっしゃったらいいわ。昨夜は退屈だったから、他の男性のベッドで勉強してきてくれって」


 美月は怒って、ひとりで歩き出そうとする。

 しかし、足場の悪いその辺りは、彼女のハイヒールには似つかわしくない場所で……。途端に美月はヒールを引っ掛け、倒れそうになった。


「危ない!」

「構わないから、放っておいて!」

 手を伸ばし、悠は美月の身体を支えた。しかし、彼女はその腕から逃れようと必死だ。

「悪かった。僕が言い過ぎた……謝るから、このまま支えさせてくれ」

「結構よ。私はひとりで歩けます。転びそうになったら、裸足になればいいだけだもの」

「……君が悪いんだ……那智さんばかり褒めるから」


 本音を口にすると、美月の抵抗がなくなった。


「だって……あなたのお友だちだし……。いやだ、それじゃまるで、ヤキモチでも妬いてるみたいだわ」


 美月がじっと見上げている。

 その目に吸い寄せられるように、唇を重ねそうになったとき……悠の耳に、思わせぶりな咳払いが聞こえた。



「……邪魔者にはなりたくないんだけどね。でも、桜より注目されてるみたいなんだけど……」


 それは申し訳なさそうな那智の声。

 ハッとして周囲を見回したとき、降り注がれる何十もの視線に、さすがの悠も赤面するのだった。



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