(7)初めての夜
*性的表現があります。苦手な方は飛ばして下さい。R15でお願いします。
美月は瞬きもせず悠の顔を見つめている。
すると……彼女は悠にとって予想外の行動に出た。
おずおずと手を伸ばし、ベルトのバックルに触れる。カチャカチャと音がして、ふいにウエストが自由なった。そのままボタンを外し、ファスナーを抓み……。
「待った、ちょっと待った。大胆にもほどがあるぞ、美月ちゃん」
気だるい雰囲気が吹き飛ぶほど、悠は驚きの声を上げる。
「だって……引き返して欲しくないから……」
その声は大人の女性のようでもあり、少女のようでもあった。あきらかな欲情を含んだ声。ゾクリとした感覚が悠を包み込む。
ファスナーを掴む小刻みに震える手を上から押さえ、一緒になってゆっくりと引き下ろしていく。
美月の手がかすかに、彼自身に当たり……悠は大きく息を吐き、深呼吸した。そうでもしなければ、一気に我を忘れて押し倒しそうだ。
そこまで進むと美月の手が下着の前で躊躇いを見せる。
(おいおい、それまで脱がせてくれるつもりなのか? まいったな……)
焦りとわずかな期待。下着姿の美月はじわじわと悠の官能に火を点ける。
どれほど深呼吸しても荒くなる息が整えられない。セックスはセックス。誰を抱いてもやることは同じだ。たとえそれが妻であったとしても……。そんな言葉を頭の中で繰り返すのだが、一向に逸る気持ちが収まらないのだ。
女性の裸を見るだけで反応する年齢はとうに卒業したというのに、美月を避けてきた長年の思いが、悠の中で猛り狂っていた。
「悠さん……やめないで。お願い……これが、私の願いなの。だから……」
動きを止めた悠が引き下がることを恐れたのだろう。美月は懇願するようなまなざしで彼を見つめ、次に自分からキスしてきた。彼女はそのまま悠の下着まで脱がそうと手を伸ばす。
ブラジャーの肩紐がしどけなく腕に落ち、たわんだカップから桜色の先端がこぼれ落ちそうになる。
悠は自分の下着に触れた彼女の手を掴んだ。
「わかったから、そんなに急かすもんじゃない。まだ日も沈んでないんだ。夜はこれからだ」
一旦ベッドから下りて悠はすべてを脱ぎ捨てる。そして美月を抱き締め、ふたりはベッドカバーの下に潜り込んだ。
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熱い吐息をあらゆる場所で感じる。
悠は彼女が想像できない場所まで口づけた。それは泣きそうになるほど切なく、蕩けるほど甘やかで……。“愛撫”という言葉の意味を途方もない快感と共に知る。
身体だけでなく、心まで無防備に晒されていく。
悠に触れられ、堪え切れずに口からこぼれる色づく息が、美月のガードを崩していった。
悠は優しかった。
その瞬間も。決して、乱暴に彼女の身体を知ろうとはせず……。美月の息遣いに合わせるように滑り込み、空虚な身体を満たしてくれた。
(私は……この世にひとりぼっちじゃないんだわ。悠さんがそばにいてくれる。このまま……離れたくない)
汗ばむ悠の首に腕を回し、彼の肌に頬を寄せ――美月は生まれて初めて、人に裸の心と身体を預けたのだった。
何度目かの波に攫われ、美月は夢と現実の間を彷徨っていた。肌を撫でる冷たい風を感じ、目を覚ましたとき、ベッドの中に悠の姿が見当たらない。
(悠さん……どこ?)
室内を見回すとルーフバルコニーに出る窓が開いている。外はもう真っ暗で……風はそこから入ってきていた。
おそらく、悠がバルコニーにいるのだろう。
美月はドキドキしながら身体を起こした。下腹部に鈍い痛みが走る。だが、それすらも心地よく感じて……。悠とまだ繋がっているかのような錯覚に、美月は恥ずかしくも嬉しかった。
悠は彼女の気持ちを察して戻ってきてくれた。那智の言うとおり、美月を欲しがり、二度と元には戻れない一歩を踏み出してくれたのだ。
(元の関係には戻れないけど、新しい関係を築くことはできるわ)
これからのことは新たに話し合って決めていけばいい。無言電話の相手に叫んでくれた言葉――『私の妻にこれ以上近づいてみろ。貴様が誰であれ、全力で潰してやる!』それが美月の耳にずっと残っている。
悠は美月を妻だと今も思っている。本物の夫婦になることを選び、未経験の彼女を受け入れてくれた理由――“彼は私を愛してくれている”と。
美月は下着や洋服をすべて身に着けるかどうか迷い……。
とりあえず、ベッドカバーを引き抜き、身体に巻いてルーフバルコニーに向かった。
「悠……さん?」
広いバルコニーには青銅色のガーデンテーブルとチェアがセットで置かれていた。他にはとくに何もなく、ほとんど使っていないのがよくわかる閑散としたスペースだ。
その向こう、バルコニーの手すりにもたれ、悠は立っていた。
片手に持っているのはevianのペットボトル。イージーパンツを穿き、シャツを羽織っている。その横顔は美月の知らない悠だった。
「……あの……」
「ああ、悪い。眠ったのかと思ったんだ。悪かったね、ひとりにして」
「いいえ……ごめんなさい、私」
「喉は渇いてないか? 何か持って来ようか? 同じでいい?」
そう言うと美月から視線を逸らし、まるで逃げようとする。
「待って、悠さん! あの……私、ちゃんと話してなかったから」
悠のことが好きだと、愛していると、言葉にして伝えたことはなかった。本当は精子バンクじゃなくて、あなたの子供が産みたい。桐生の問題さえ解決すれば、このままここで暮らしてもいい。ただ、美月はマサチューセッツ州とニュヨーク州の弁護士資格を持っているが、日本では弁護士として働けない。日本の大学に入り直し、新たに資格を取得してもいい、とすら考えていた。
ベッドカバーを握り締め、美月が本当の願いを口にしようとしたとき――。
「すまない」
「……え?」
「僕は、君を傷つけたかもしれない」
トクンと心臓が大きく打つ。
悠の沈んだ声と表情、それが何を意味するのか?
美月の中に嫌な予感が広がる。
「普段はこんな無防備な真似はしないんだが……。家に女性を連れ込んだことはないし、当然、ベッドサイドにはなんの用意もしてなくて……」
「それは……どういう意味かしら?」
「だから、君の計画に支障をきたすかもしれない。一応……避妊はしたつもりだが、充分でなかったかもしれないんだ。そのときは――」
美月にはなぜ悠がこんなことを言うのかわからなかった。
そして、言葉を失う彼女の耳に信じられない台詞が飛び込んでくる。
「もし君を妊娠させたら――最悪だな」
美月は奥歯を噛み締め言葉を返した。
「あなたは子供が欲しくないから、ということ? でも私は違うわ」
「わかってる。僕の問題だ。でも子供には関係ない。そのときはできる限りの努力をするつもりだが……ちゃんと、君や子供のことを愛しているフリができるかどうか、自信がないんだ。本当にすまない」
心からの謝罪と後悔の言葉、それは美月の愛をズタズタに引き裂いた。