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ポワミエ伯爵邸に帰宅し、すぐに自身の父親がいるであろう執務室へ。予想通り机に座り、執務をこなしている最中だった。
コレットはそこで、ベルワーテ侯爵邸での出来事を報告する。
ジョイルが画家を目指していること、ベルワーテ侯爵家の責務をコレットに押し付けようとしていること全て。
父親であるポワミエ伯爵は前に手を組み、そこに額を押し付けた後、重い溜息を吐く。
コレットはポワミエ伯爵からの言葉を待っていた。そんな些細なことを報告しに来たのかと、失望したのだろうか。婚約の継続を命令されるのではないかと、気が気でない。コレットに彼との結婚を望む熱は冷めている。
「それで、コレットはどうしたい?」
自分に、婚約を継続するか否かの権限がないと思っていたコレットにとって、予想外の言葉だった。これは試されているのだろうか。
家や領地のために婚約を継続するか、自分の心に従うかの選択を迫られる。
コレットは、家や領地のために婚約を継続することを決めた。
「私は、婚約を継続した方が良いと考えております」
ポワミエ伯爵は、娘であるコレットの言葉を静かに聞いている。
「上の家格である侯爵家と縁続きになることは、ポワミエ伯爵家や領地に恩恵をもたらします。爵位をお継ぎになる予定のベルワーテ侯爵令息は、私にすべてを任せると仰いました。すぐには無理でも、サロモンの代になるころには――」
「私が言いたいのは、そう言うことではない」
コレットはポワミエ伯爵に言葉を遮られる。
今度は彼女が、伯爵の言葉を静かに聞く。
「私はようやく……コレットが幸せになれると思っていた」
ポワミエ伯爵の言葉は、コレットにとって意外だった。
「家のためとはいえ、幼少期から淑女教育に加えて領主教育もさせていた。無理をさせたな……。コレットが病気や事故に遭うと、後継者の問題が出て来る。そのために、もう一人、子供をもうけることにした」
ポワミエ伯爵は親指と人差し指で目頭の辺りを揉む。
「生まれたのは男児。これで、コレットに爵位を継ぐ資格が失われてしまった。可能性として想定はしていたがな……今でも申し訳ない」
父親からの謝罪に、意外そうにするコレット。伯爵として威厳を示すためか、これまで厳しい態度を取ることが多かった。
娘がそんなことを思っているとも知らず、ポワミエ伯爵は更に続ける。
「せめて良い嫁ぎ先をと思い、ベルワーテ侯爵から話が持ち込まれたことを機に縁談を結んだ。ベルワーテ侯爵令息は勉強ができ、優秀だと聞いている。派手な交友関係もなく、浪費もない。幼少期から親交があったため、気心が知れていることから心労も軽いだろうと考えていた」
この縁談は“ポワミエ伯爵”ではなく“父親”としての決断だったのだ。
父親からの深い愛情が、心にしみる。
それと同時に、何故あの時、手を払いのけたのかを理解する。
ジョイルの中にコレットへの愛が、ひとかけらも無いからだ。
彼に違和感を覚え、愛の言葉が偽りだと無意識に気付いたのだろう。
「ようやく、コレットが幸せになれると思っていたのに……まさか……」
ポワミエ伯爵は再び、重い溜息を吐く。
「もう一度聞く。コレットはどうしたい?」
この結婚では幸せになれないと、暗に言っているのだろう。再び彼女に選択する権利を与えた。
父親からの問いに、コレットは背筋を伸ばし、意を決して答える。
「ベルワーテ侯爵令息との婚約を、破棄したく存じます」
ポワミエ伯爵は少し笑いながら、分かったと了承した。
コレットは、自身の中に溜まっていたモヤモヤが晴れていくのを感じる。ジョイルに対して、意外と鬱憤が溜まっていたのだろう。
まだ正式に婚約破棄したわけではないが、清々しさを感じていた。心がとても軽い。
「次は、領地で収穫される梨の流通について相談させてくださいませ」
「ああ、いつでも来なさい」
コレットは、自身の父親と心の距離が近くなったことを実感していた。




