1章 3 氷の剣士
ボスの男が手下の男に指示を出す。下劣な文言を聞いたせいか背筋に寒気が襲う。
「お嬢ちゃん大人しくしててくれよ、間違って切っちまうかもしれねぇ」
何人かの手下の男が葉に近づこうと手を伸ばす。
――が、突然、そのうちの一人が転倒した。
慌てた一人は隣をつかみ、ドミノ倒しのように倒れていく。
「何してやがる!!」
ボスの怒号が部屋に響く。
「ざらついたコンクリートにヒビでも入っていたのだろうか」と、男たちが足元を見た。するとどうだ、彼らが先程まで立っていた場所は、スケートリンクのようにツルツルとした氷で覆われているではないか。
氷は水溜まり程の大きさから徐々に、じわじわと、意志を持つかのように広がっている。やがてそれは地面だけでは留まらず、転がったままの男に触れ、その身体を這うように肉を凍らせていく。
蜘蛛の子を散らすように大慌てで氷から距離を取る手下達。その様子を見たボスは、ふと何かを思い出したように顔を上げた。その視線は葉の隣を向いている。
「クソ野郎、人が寝てる間に好き勝手殴ってくれやがってよぉ。あぁ体痛ぇ」
ボスの視線の先、葉の隣から唐突に不機嫌な声が。
そこには、白髪の少女が首を鳴らしながら胡座をかいていた。そしてその後ろには、バキバキに折られた木片が散らばっている。恐らく椅子だったものの成れの果てだろう。
「シ、シアンさん!良かった、目を覚ましたんですね」
「おう。悪ぃな、寝てた。アンタをこんな危険に晒す予定はなかったんだが…………おいライアぁ!!」
思わず縋るように名を呼ぶと、シアンはあっけらかんとした態度で葉の拘束を解いた。その後すぐにブチ切れ『ライア』と誰かの名を怒鳴り上げた。
「テメェ人を置き去りにした挙句早々に迷子りやがって、どこほっつき歩いてた!おかげでこちとら寝不足だわ」
「あはは!寝不足は関係ねーでしょ、じっこせきにーん。体調管理くらいちゃんとしろってことだろ、幾つだお前」
ボスの後ろからべーっと威嚇する金髪の少女。顔が似てるためもしやとは思ったが、やはり関係者のようだ。
般若のようなシアンに、怖気付いた男たち。さらに慌てふためき、場が騒然とする。
そんな中、ボスの男だけが静かにシアンを睨みつけていた。
「聞いたことはある、凍結の魔人、不殺の誓い、護リ人のシアン…………。そこの氷も貴様の仕業だな」
「はっ、知ってるんなら話は早い。大丈夫大丈夫、身動きは取れなくなるが死にはしない。どれだけ非道な野郎であっても剣に誓って殺しはしないぜ」
男の眉間にシワが寄った。よく見ればうっすらと冷や汗も滲んでいる。
溜息をつきながら男の様子を一瞥したシアン。その手にはどこから出したのか、氷のような刀身の剣が握られていた。
彼女は静かに「危ねぇから端によってろ」と葉の手を引く。
「シアンさんは?逃げないの?貴女頭から血でてるんだよ?!それに……」
――あんな大男に勝てるわけない。
葉はそう言おうとしたが、真正面からシアンを見て思わず口を閉ざしてしまった。なぜなら、その目にに迷いは無かった。なんなら自信さえ伺える。
「言わないでくれてよかったぜ。いくら保護すべき迷イ人でもそれを言われちゃあ腹が立つ。安心しろよ、あの程度どうということも無い」
葉が壁際に離れたのを確認した後、シアンは男達に向き直る。
先程の挑発と、未だ氷から逃げ惑い、戦意喪失しかけている手下達を見て、ボスの男も苛立ちを顕にしていた。
「随分侮ってくれるな、女。立派な噂は耳にしているがまさかこんなガキだとは思わなんだ。どうやらただの独り歩きだったようだ」
「はっ、その態度だけは褒めてやるよ。ただ、次に私を外見で侮ったら潰す」
虚勢か矜恃か、男は飽くまで泰然とした態度は崩さない。その後ろで「ボスかっこいい!」という手下の声と「うわー、怖いもの知らず〜」と呆れる声が混ざりあっている。
二人は互いの剣を握り間合いを取り始める。
男の目が僅かに揺れたように見える。対するシアンは目を離さない。決して油断はせずとも、緊張も畏怖も感じていない様子。なんなら欠伸までし始めた。精神的余裕がどちらにあるかは誰の目から見ても明らかだ。
「欠伸とは余裕そうだな、護リ人!!」
「声がでけぇよ。筋肉野郎」
好機とばかりに男が剣を振り下ろす。
シアンはそれを一瞥し、軽く回避。そのまま足を深く踏み込み、男の首目掛けて回し蹴り。寸前のところで防がれたものの、防いだ男の腕に氷がまとわりついている。
氷は腕から急速に広がり全身を捕食するように覆っていった。
「何あれ、人が凍って……?!」
思わず声に出た。
CGじゃない、手品にも見えない。先程の地を這う氷と同じだ。それはまるで魔法のような奇術。
葉が動揺している中、シアンは男に切っ先を向けていた。
「ひとつ聞く。どうやって迷イ人の場所を知った。誰かの入れ知恵か?そいつを売ればその氷取ってやるよ。売らねぇってなら腕ごと取る」
「……慈悲など要らん。情報は渡さない、信頼が崩れては困るからな」
「あぁそうかよ。人攫いに信頼もクソもあるかって話だけどな……でもまぁ、言わねぇならもういいか。ちゃっちゃと終わりにしよう」
如何に屈強な筋肉と言えども、さすがに半身も凍らされては身動きが取れないらしい。ギシギシと音をたてるも、男の腕はピクリとも動かない。
やがて男は反対の手で隠し持っていた液体を足に注射した。
すると、突然の筋肉が爆発したように膨張を始めた。何かしらのドーピングなのだろう、一回り大きくなった肉塊が衝撃で氷を砕いている。そして再び剣を構え、静かに言葉を放つ。
「『剣を焚く 地を揺らす 脈を打つ音に隆起せよ』」
それは不思議な響きだった。
音も、単語もしっかりと聞こえているのに、意味が理解できない。否、脳内で再生してみれば単語の意味はわかる。だが、男から発せられた意味はどこか違うように感じた。
身体の内の、懐かしい何かを揺らすような音。
男の声が消えると同時に、彼の剣が轟々と燃え、シアンの足元が波打ちだす。男が剣を携え蹴り出すと共に地面が盛り上がり、槍のように次々とシアンへ襲いかかる。
「へぇ、抵抗するか。んじゃまぁ、半殺しは覚悟だな」
一つは避け、一つは凍らせ、一つは叩き切る。
一気に形成は逆転し、防戦になっているのが葉の目から見てわかる。
手下共のように統率のない動きでは無い。一つ一つが手足のように明確に退路を塞いでいる。その最中にも男は炎の剣を振り回し、強烈、凶悪な傷跡を建物や地面に残していく。かすっただけでも致命傷。加えて大火傷だろう。
(見てるだけで緊張する……これが…………異世界)
葉は強ばった身体を解くようにフッと息を吐く。その吐息が白く視認できたことで、空気が冷えていることに気がついた。
(体は暖かいから気づかなかった……もしかしてここ、すごく寒い?)
何故だか葉は寒さを感じていなかった。むしろ暖かい気さえする。
冷気の発生源はもちろんシアンだろう。正確にはシアンの持つ剣。男の燃える剣から出た熱と対抗するように冷気が纏っている。
ふと周りを見渡すと、先程まで氷で滑って転がっていた手下たちの姿が見えない。心做しか胸騒ぎがする。
「お、女ァ!この迷イ人がど、どうなってもいいのか?!」
そう考えた直後、昼間にも経験した首への冷ややかさを感じた。




