第1章 冒険の始まり(3)
「ドロボウー!!!!!」
キヒュームたちが動き出すより先に、男のドスの効いた声が届いた。周りの人たちは動きを止め、声のする方に一斉に顔を向かせる。
「泥棒だ! 泥棒が出た! 薄汚いリスのケモタリア族の少年だ! 取り押さえてくれー!」
果物屋の店主の怒号に当たりがざわめき出す。不安と怒りが波のように人々に伝播するのがわかった。ランダミグマ市民は平和を乱すものが嫌いなのだ。
「おい、泥棒だってよ。俺たちで捕まえようぜ」
「悪事に手を染める奴はケモタリア族の風上にもおけん。今すぐ監獄に入れるべきだ」
前から、後ろから、横から、声がする。皆が果物屋の味方だった。そして、それはキヒュームたちも同様だ。泥棒なんて狡い真似を許してはいけない。背の高いドリュウルが目を見開き、くまなく辺りを見回す。キヒュームは野次馬の人々を押し除け、ドリュウルが犯人を見つけやすいようにサポートした。
キヒュームたちがなんとか野次馬の最前に来た時、果物屋の店主と小さいリスの少年を見た。
「わっ、ちょっと。いきなり、何? 僕が泥棒? 僕は泥棒なんてしてないけど」
「俺はこの目でお前がリンゴをバッグに入れるところを見たんだよ」
頭を振る。目を擦って再び開けてみる。何度見ても、泥棒だと思しき背丈の小さいリスの少年は決して逃げようとせず、店主と真っ向から対峙していた。
逃げてないものをどうやって捕まえろっていうんだ?
押さえ込む必要がないほど堂々としている犯人に、周囲の者も困惑している様子だ。
『本日のおすすめ! ヴァルペレス産の新鮮な焼きリンゴ』
そう記されたペラ一枚の紙切れが風に揺れる。古来の人間族に親しまれた果物から、最近遺伝子組み換えに成功した七色の果物まで置かれて、屋台は色とりどりに飾られていた。
泥棒リスは堂々と立ち、自分よりも二倍ほど大きい人間族の店主を、まん丸で無垢な瞳で見つめている。店主もそれに対抗するように、一歩前へと踏み出た。
「お前はここ最近商店街を荒らしている盗賊団の一員だろう」
あたりにざわっとどよめきが走る。
「一晩で店のものを全てゴソッと盗み取る得体の知れない盗賊団だ」
「まさか! そんなわけないよ! 大体、今は真っ昼間なのに、なんでわざわざこんな人通りの多い時間に盗むのさ」
「敵情視察するために派遣されたんだろう。この店の店主はどれだけ馬鹿なのかというのを図るためにな。お生憎様。ウチは泥棒を取り逃すほど柔じゃねぇんだ」
店主の張り上げた声に皆が耳を傾け、二人の行く末を見守る。なにが本当のことなのかと、探るような好奇の目だ。捕える、捕えないは、事実が分かってからでも遅くない。
野次馬たちは固唾を飲み、キヒュームもふっと息を吐いた。
「敵情視察で盗みを犯す? もしそれが事実だとしたら、その盗賊団、かなりの馬鹿なんじゃない? そんな想像をする店主さんも同じようなものだと思うけど」
「なにを!」
泥棒リスが馬鹿にしたように片眉をあげる。挑発に乗せられた店主は、顔を茹で蛸のように真っ赤にした。
これはよくないな。腕を組む。泥棒リスのペースに乗せられている。これじゃあ、泥棒リスが犯人だろうと、店主が言いくるめられてしまうかもしれない。
「それに、もし、【仮に】、僕が犯人なのだとしたら、僕は絶対に自分の手を汚すようなことはしないよ。ケモタリア族をみくびってもらっちゃ困る」
泥棒リスが胸を張る。それが合図だとでもいうように、小動物のリスが彼の周りに集まってきた。
「ケモタリア族は動物を使役できるんだ。家事をするときも、仕事をするときも、魔物を倒すときも、何をするときも動物を使役する。だから、もし、僕が盗みをしたいと思ったら、僕自身が直接盗むわけないんだの。自分の手を汚さずに、動物の仕業にして盗みを働くことができるんだから。ここまで理解できるかな?」
泥棒リスは流暢に捲し立てる。店主は「理解できるに決まってるだろう!」と怒り口調で答えたけれど、泥棒リスの正論に気圧されたのか、先程よりも随分と控えめな声だった。
「よかった。店主さんはさすがにそこまで馬鹿じゃないってことだ。ケモタリア族は自分の使役する動物と共に生活するのが当たり前になっている。だから絶対に、僕が動物を使わずに盗みをするわけがないんだよ」
「……それも、作戦のうちかもしれないだろう。動物を使うと見せかけて、自分で手を下す……。フンっ、悪党のしそうなことじゃないか」
閃いた、とばかりに店主がニヤリと笑う。
「全て動物に罪をなすりつけることができるってのに、そんな馬鹿な作戦があるもんか。そもそも、僕がやったっていう証拠がないだろう。証拠があるなら出してみろよ」
泥棒リスが勝ち誇った笑みを浮かべて、声高らかに言った。店主は怒りで顔を真っ赤にしながら、泥棒リスの持つカバンに指を差す。
「そのカバンの中! そこに赤いリンゴが入っているのを見たんだ、私は!」
泥棒リスがヒョイっと軽快な動きで、カバンからリンゴを出した。
「あぁ、これのことかい? これは家から持ってきた僕のおやつだよ。盗んだんじゃなくて、最初から僕が持ってたんだ」
「ふんっ。どうだか。お前こそソレが家から持ってきたリンゴだとどう証明するんだ? できるもんならしてみろ」
売り言葉に買い言葉だった。どちらの主張にも客観的な証拠が何一つない。
果たしてどちらが本当のことを言っているのだろう。
キヒュームはじっと考える。人のざわめきが大きくなっていく。野次馬が増えているのだ。ブランダミグマは平穏を好む街であるが故に、争い事は珍しい。みんな、諍いが物珍しくて集まってきているのだろう。
このままじゃ、真相がわかる前に警備隊が来てしまう。
警備隊はどちらの証言を信じるだろうか、そんなこと考えるまでもなかった。最近、この辺を騒がせている窃盗集団、店主の盗まれたという証言、カバンの中にあった真っ赤なリンゴ……おそらく、警備隊は泥棒リスを捕らえるに違いなかった。
「真犯人を見つけるしか、このリスが助かる方法はなさそうだ……」
ドリュウルがボソリと、考えたことを口にした。
その通りだ。このまま警備隊に引き渡されたら、泥棒リスの有罪が確定する。
いつもならこの街の『疑わしきは罰する』という犯罪を許さないという強固な姿勢と、犯罪に対する迅速な対応に感謝している。だけど時間を間近で見た今、真相が分からずに罪人を裁くこの街の方針に疑問を抱いてしまう。
リンゴがカバンに入ってなければ、どうなるかは分からなかったが……。
時に偶然は残酷だ。無実の者を有罪にし、有罪の者を無実にすることがある。キヒュームは眉を寄せた。
かわいそうに。あの泥棒リスがいくら無実を訴えても、彼は有罪になるだろう。窃盗がそれなりに軽い罪なのが、不幸中の幸いか……。
「仕方ない。ボクがその窃盗団とやらを捕まえてあげる。それなら、文句ないでしょ?」
泥棒リスが長袖のブラウスをたくし上げ、ぐるりと肩を回した。
驚きのあまり、キヒュームの肩がぴくりと動いた。
窃盗団を捕まえる? 世迷言を。そんなことができるはずがない。この街の警備隊が血眼にして探しているのに、尻尾さえ掴むことができない奴らだぞ。
誰もがそう思っているのか、動揺のさざなみが起こる。店主ですら、驚きの表情を浮かべていた。
泥棒リスが鼻を鳴らした。そして、再びふんぞり帰る。
「一日……、そうだな、明日のこの時間まで、猶予をくれ。その時間が過ぎたら、警備隊にでもなんでも、突き出してくれればいい」
店主は表情を険しくした。
「そう言って、逃げる気だろう」
「まさか! 逃げるわけないよ! そうだ! 心配なら誰か見張人をつければいいよ。僕が不正できないように、店主様が選んだ人が僕を見張るんだ。どう?」
「見張り役か……」
店主が野次馬たちを一瞥する。ばちり。目が合った。ばっちりと、合ってしまった。店主は声高らかに言った。
「そこの若いの! お前だ、お前。人間族の学生のお前だ。お前がコイツを見張りなさい」
「は?」
思わず、声が出た。何かの冗談ではないかと、様子を伺う。けれど、店主の目は冗談を言っているようでも、若いキヒュームを馬鹿にしているようでもなく、本気だった。
ドリュウルの赤目がチラリと動いた。
どうしてキヒューム?
瞳が尋ねてくる。
キヒュームは首を振る。
一体どうして、俺が見張り役なのだろう。
店主がキヒュームを手招きする。泥棒リスも、観衆も、全員がキヒュームに注目する。
どうして、俺なんだ?
キヒュームは人々の好奇の目に晒されながら、店主と泥棒リスの前へ歩み出た。




