第3章 ヴォルペレスの街(6)
——まさか、ピーオンたちがやられるとはな。
聞こえた。
「シッ」
足を止め、キヒュームたちは目の前の扉にピッタリと耳をつける。
やはり、声がする。
「ピーオンは我らの魔具に適応する数少ないドラガンシア族の男だったのじゃが。あぁ、惜しい。とても惜しい。それに、ヴォリーもまた氷の力が強い女であったのに……。とても惜しい」
小さい声ではあるが、聞き取れる。口調の割に幼い声だ。ピーオンは山頂で倒したあの少年、ヴォリーはおそらく妙に艶かしいクルダマオ族の女であろう。
キヒュームたちはいくつかの戦闘と探索を終え、地下牢奥深くまでやってきていた。そして、この扉の奥こそが地下牢の深淵部なのだろう。行き止まりなのだ。この薄い鉄製の扉の向こう以外に、進める場所はどこにもない。
「ルブフ様の言うとおりです。そうです。二人は大事な大事な同志だったのです。欠けてはいけない存在だったのです! それなのに」
別の声が聞こえたと思ったら、突然、扉が勢いよく開いた。ゴンッという音が鳴り響いた。ぶつかったおでこが痛い。
「それなのに、よくも、よくもお前たちは!」
大男がいた。真っ赤なツノ、真っ赤な翼、真っ赤な鱗から出る褐色のいい肌。ドラガンシア族の男だった。言葉の端々、目つきにある憎しみを隠そうともしていない。
「まぁまぁ、ムンガよ。落ち着くがよい」
「ルブフ様……」
「この者たちは何も知らぬのじゃ。無知故、我々と敵対しておるのじゃ。この者たちも我らの素晴らしき善行を知れば、我らの味方になってくれるかも知れぬ。その芽を簡単に潰すでないぞ」
「ですが……! ですが、ルブフ様! この者たちは同志をたくさん倒してここまできました! 何も知らないからと言って、これまでしてきたことがチャラになるわけでは」
「もちろん、其方の言う通りじゃ。じゃがの、我は皆に平等にチャンスを与えたいのじゃ。この者たちも救いを求めてるやもしれぬ。この者たちも自分の悪行を悔い改めるかもしれぬ。そのチャンスを潰したくないんじゃ。ワシと付き合いの長い其方なら、わかるじゃろう?」
「……はい。ルブフ様の仰せのままに」
大男が頭を下げる。それと同時に部屋から二つ結びの背の低い少女が出てきた。髪飾りに可愛いぽんぽんが二つ付いている小さな女の子だ。
後ろから出てきたクルダマオ族の少女、ルブフは涼しげな顔つきをしていた。その隣に、渋面をした大男が庇うように並ぶ。ルブフは他のクルダマオ族と同様、灰色の肌をしている。ただ灰色の目はクリクリと可愛らしく、鼻もちんまりとして、まるで子供の理想系とでもいうように、やけに可愛らしかった。
「ルブフ様。これ以上前に出てはいけません。コイツらに何をされるか……」
大男はルブフの体を守るように大きな右腕を前に出し、ルブフを制止する。ルブフは頷いた。
「其方は本当に過保護じゃの。ワシは其方よりも随分年上だと言うのに」
「だから、です。ルブフ様は自分を一体、幾つだと思っておられるのですか。若くはないのです。無理をされては困ります」
「あはは。そうじゃの。心配かけて悪かった。……さて」
ルブフは屈託のない笑顔をキヒューム達に向けた。
「こんなところで立ち話もなんじゃし、中に入ってゆっくり話そうぞ」
地下牢の廊下は土埃でいっぱいだというのに、ドラガンシア族の大男ムンガとルブフがいた部屋はコンクリート造りになっており、埃とは無縁な場所だった。そこら中の壁に取り付けられた小さなモニターの数々は、地下牢を隅々まで映し出している。部屋中央にある特別大きなモニターには何やらよくわからない数式がずらりと並んでおり、モニターの下には謎のパネルが置いてあった。
無機質だ。ここには生を感じられない。無機質で、寂しい。
それがこの部屋の第一印象であった。暑くもないのに、キヒュームの顔に玉の汗が吹き出す。
ルブフはパネルの前に置かれている丸椅子に腰掛け、ムンガはルブフを守るようにルブフの横に立つ。
「ワシだけ座ってすまない」
「ルブフ様が座らずして、誰が座るのです。それが、年の功というものです」
「ムンガはワシを年寄り扱いしすぎじゃ。ワシはまだまだピチピチじゃよ」
「本当にピチピチの若者ならば、【ピチピチ】なんて言葉は使いません」
「こりゃ、また一本取られた」
ゴホンッ。
ドリュウルが空咳をする。二人の視線がドリュウルに移る。ルブフは可愛らしく笑っているものの、ムンガは険しい顔でこちらを睨みつけていた。ムンガはまだしも、ルブフからは不思議と敵意を感じない。というより、クルダマオ族全般が持っている卑しさのようなものがないのだ。
「盛り上がってるところ悪いんだけどさ、教えてくれるかい? ヴォルペレスに大雪を降らせてるのはアンタたちかい?」
「そうじゃ」
ルブフが間髪入れずに頷いた。ドリュウルの赤い眉毛がピクリと動いた。
「どうして、そんなことを」
「天罰じゃよ」
朗らかで明るい声がドリュウルの言葉を遮る。
ルブフはにこやかに笑っている。笑いながら、床についていない足をぶらぶらとさせていた。
「天罰だって……? もしや、世界大戦のことを恨んでのことじゃないだろうね。アンタたちクルダマオ族が大敗退したのは、因果応報、自業自得じゃないか。アンタたちが戦争を始めさえしなければ、アタシたちは平和でいられたんだ!」
口を挟む隙もないほど、高揚した口調で捲し立てる。顔を歪め、肩を激しく揺らしながら怒鳴るドリュウルの姿は、幼馴染のキヒュームでさえ、後退りしたくなるほどに恐ろしかった。
「若いドラゴンシア族の少女よ。落ち着きなされ。ワシらは……少なくとも、ワシは世界大戦のことなどなんとも思っておらん」
ルブフは表情一つ崩さずに笑っている。ルブフはとびきりの美少女というわけではないが、薄灰色の滑らかな肌と丸い顔に愛嬌があって、彼女の笑顔を前にすると力んだ力が抜けてしまう。そのせいなのか、怒りで震えていたドリュウルの肩は落ち着きを取り戻していた。
「ワシは世界大戦のことなんてどうでもいいと思っておる。世界大戦なんて、ワシは参加していないしな」
「じゃあ、なんで天罰なんて」
「マランサーダ教」
しゃがれた声で、ムンガは口を挟む。
こくりと、ルブフも頷く。
「そうじゃ。マランサーダ教なんていう馬鹿げた宗教を信仰しているドラガンシア族への天罰じゃ」
ドリュウルは開きかけていた口を閉じる。先ほどまで上気していた頬の色は青くなり、決まりが悪そうに自身のつま先を見る。
わかりやすい。ドリュウル自身が気づいているかはわからないが、ドリュウルは素直な女なのだ。人情があり、まっすぐで、わかりやすい。それが彼女のいいところである。彼女は嘘をつけない。自分にも、他人にも。だから、付き合いやすかった。だから、彼女を信じられた。
でも、目の前のルブフは……。
少しも正体が知れない。
天罰、などという重苦しい言葉を使っているくせに、ずっと微笑んでいる。微笑み、諭すように、語りかけてくる。その様子が今までにあったクルダマオ族と重ならず、どこか底知れぬ恐ろしさを感じさせるのだ。
「其方たちがピーオンとヴォリーからどこまで聞いたかは知らないが、ワシら、クルダマオ族は、この地下牢に閉じ込められてから五百年。【生贄】として不条理に捧げられたドラガンシア族の赤子を生かしていた。合理的な人間族の其方にならわかってもらえると思うが、ワシらの魔力には【生贄】は必要ないからな」
ルブフは相変わらず足をぶらぶらとさせながら、話し続ける。
「毎年捧げられる【生贄】という名の赤子たち。地下牢で育てられ、翼を持っているというのに飛ぶことのできない赤子たち。本物の親に捨てられた赤子たち。いないものとして忘れ去られた赤子たち。ワシは彼、彼女らが不憫で不憫でならなかった」
ムンガが片手で目元を抑える。ルブフはムンガの背中を優しくさすった。
「だから、ワシら捕えられたクルダマオ族はドラガンシア族の赤子を愛を込めて育てることにした。牢獄の中に赤子の隠れられる場所を作り、カメラに細工をし、ドラガンシア族の者たちにバレぬよう、細心の注意を払いながら、ワシらは子供を育て続けたんじゃよ」
ルブフはふーっと長く息を吐いた。ムンガを撫でていた手を止めると、今度はその手を自分の胸にそっと当てる。
「それでも、監視員であるドラガンシア族らにバレることもあった。大抵の場合、【生贄】を【使用】していなかったことに対して叱責され、子を取り上げられた。けれど、赤子ではない者は【生贄】として【再利用】することができないと思ったのか、ワシらの子たちは【返却】され、ワシらが育てることを許された。……その代わり、次の年の生贄は確実に殺すまで見届けられるという、残忍なことになったが……」
ルブフの視線が床に落ちる。
ルブフの口ぶりから、ドラガンシア族が生贄を生き物ではなく、物として扱っていることは明らかだ。ドリュウルの顔を盗み見る。下唇を噛んで、俯いている。その表情だけでわかってしまう。生贄を物として扱うドラガンシア族の蛮行は事実なのだ。そうでなければ、ドリュウルがこんな顔をするわけがない。
「それでも、ごく稀ではあったが、ワシらの味方をしてくれるドラガンシア族の者がいた。ワシらがドラガンシア族の赤子を救っていることに涙を流し、子供達をよろしくお願いします、と低頭する者もいた。時にはその者たちと協力して、生贄を殺さないで済むようにと画策することもした。……其方のように優しい心を持つドラガンシア族の者もいたのだよ」
ルブフはにっこりと笑うと椅子から降り、今度はドリュウルの手を取り、優しく撫でた。ドリュウルの体が驚きでびくりと跳ねる。
「其方らになら、ワシらの行った天罰の意味がわかってくれるように思う。【生贄】なんてものを推奨しているマランサーダ教はおかしい。他種族におかしいと言われ、それを隠すほどに自身らもおかしな信仰だとわかっているはずじゃ。それなのに、それを信仰し続けることは罪ではないのか?」
ルブフがキヒュームたち一人一人の顔を見る。熱を帯びた瞳だった。
「ワシは、罪だと思う」
キヒュームたちが答えるより先に、ルブフが低く唸るような声を出した。
「だって、そうじゃろう? 非合理だと、非道徳だと、わかった上であやつらは生贄を捧げてるんじゃ。おかしいじゃろ。そんなの、許されざることじゃろ。戦争を始め、世界を窮地に追い込んだワシらが断罪されるのは、まだわかる。でも、赤子じゃよ? 何も知らない、何の罪もない赤子じゃよ? それを生贄と称して殺すのは、非人道的じゃ。許してはいけない。許されない。だから、天罰なんじゃよ。天罰を与えねばならんのじゃ」
ルブフがドリュウルの手を離した。ドリュウルの真っ赤な鱗に覆われている手の甲は心なしかいつもより赤い気がする。
背中がうそ寒い。胸の奥がずくずくと痛む。生贄なんて、そんな非道なことを、本気で行なっていたなんて。しかも、生贄の命を救っていたのはクルダマオ族だったなんて。信じられない。いや、信じたくなかった。
「でも」
重たい口を開いたのはドリュウルだった。キヒュームは視線を僅かに動かし、ドリュウルを見る。ドリュウルの面には、哀しみとも、苦しみとも、痛みとも、取れない、苦悶の表情が浮かんでいた。何を言うべきか思案するかのように、口をまごつかせている。そして、グッと顔を引き締め、意を決したように、ドリュウルが姿勢を正した。




