第3章 ヴォルペレスの街(5)
「俺は、ドラガンシア族が嫌いだ。嫌いなんて生ぬるいもんじゃない。俺は、俺は……、ドラガンシア族が憎い」
少年の声に触れた。誰かが喋る時、キヒュームの意識の霧が晴れる。世界に焦点が合う。
「どうして、俺たちの楽園を壊そうとするんだ! 俺たち贄は幸せになっちゃいけないのか? 俺たちの救世主様は日の目を見て生きちゃいけないのか?」
「ピーオン黙りな」
「でも!」
「こいつらに何を言っても無駄だよ。こいつらは何も見ちゃいない。何も知ろうとしちゃいない。そんな奴らに何を言っても無駄なんだよ。……だから、アタイたちは戦うんだ。アタイたちの信念の元、戦うんだ。戦って勝たなきゃいけないんだよ」
「……。そう、ですね」
ピーオンと呼ばれた少年と、クルダマオ族の女は口を閉ざした。もう話すつもりはないらしい。唇がきつく結ばれる。
何か言葉を発する余裕もなく、再び意識が遠のいていく。
体が勝手に動く。自分が自分の意思で自分を動かしている時よりも、今の方がいい動きができている気がする。
ぼんやりとしながら、キヒュームはそれでも銃を撃ち続けた。
どのくらいの時間が経ったのだろう。少年の吐息が聞こえた。グハッという音がして小さな口から血が流れ出る。
「くそッ、なんで、なんで、こんな奴らに俺はやられるんだ……。くそッ。これじゃあ姉さんの役に、立ててねぇじゃねぇかよ。恩を仇で返してるのと同じじゃねぇかよ」
「ピーオン! ……お前ら、よくも、よくもアタイたちの可愛いピーオンを! ……許さない。お前らをアタイは決して、許さない」
ピーオンが消えている。いつの間にかこの場にいなくなってしまった。だけど、誰もそれを気に留めてはいない。目の前の、たった一人になってしまったクルダマオ族の女を見つめている。
濁った灰色の瞳が、ギロリとキヒュームを捉える。怒りに任せて攻撃をされるかと思ったが、女はこれまでと同じように冷静に攻撃するだけだった。
なんだろう、この違和感。
ここにいる全員がまるで何かに操られているかのようだ。機械的に同じような攻撃をし、意思もなく戦っている。なぜだか、胸がずきりと痛んだ。
そしてまた、意識は遠くなって……。
「く、くそ……。アタイもここまでか。だけどね、この先、お前達が思っているほど、甘くないよ。アタイ達の同胞が、お前達を氷漬けにしてしまうだろうさ」
バタッ。
女が倒れた。その横に先ほど消えたと思っていた少年が横たわっている。
「倒せた、ね」
ラクビースが口を開く。それに答えたのはアイレーンだ。
「……ですね。みなさま、すごいお怪我。少しお待ちになって。わたくしが回復して差し上げますから」
「ありがとね、アイレーン。戦っている時も、アンタが後方支援をしてくれたから、アタイ達は死ぬことなく、ここまで戦ってこれたんだよ」
「そんなそんな。わたくしにできるのは回復魔法を使うことだけですから」
「……それにしても、寒いね。あぁ、そうか。この少年の魔力が切れちゃったからだね」
四人は辺りを見回す。先程まで四人を取り囲んでいた炎のサークルは綺麗さっぱり消えていた。山頂に雪はない。けれど、風が冷気を運び込んでくる。
「行こう。いつまでもここにいたら凍えちゃう。見て。クルダマオ族の女性が出てきたところが開いたままだ。正面突破だ、いいね?」
ラクビースの言葉に三人は頷いた。ドリュウルが目線を倒れている二人に向ける。
「コイツらは……どうしようか」
「ここに置いておくしか、ないだろう。彼らにも何か事情があったにせよ、敵は敵だ。同情の余地もない。それに、彼らを背負いながら敵陣に乗り込むなんて無謀な真似だってできない。今は一刻を争う。この寒さだ。ドリュウルがいつ冬眠の準備を始めてもおかしくない。だから、先に進もう」
さすが、これまで過酷な旅を続けてきた仲間だ。彼らはキヒュームの言葉に無言で賛成を示し、脱いだコートを拾い上げ、地下牢に続く入り口へと歩き出した。
倒れている二人は目を閉じ、安らかに眠っている。
あっけない戦いだった。いや、実際には何分も戦っていたような気がする。ぼんやりとしていたせいで、時間も感覚も全てが朧だ。朧の世界の中で少年と女は消えていった。【生贄】、【救世主】、その不可解な言葉だけを残して。
キヒュームは大きく息を吐く。白息がたちのぼりすぐに消えた。
「ここはまた……随分と埃っぽい場所だね」
ウッドデッキにできた穴——そこからハシゴを一階分ほど降り、地面に足をつけたところでドリュウルは言った。
四方を茶色い土の壁に囲まれた五畳ほどの狭い穴蔵のような空間。ハシゴと反対側にドラガンシア族が一人通れるほどの、つまり、それなりに幅のある一本道が続いている。
この場所にも、一本道にも、壁には松明がくくりつけてあり、穴蔵のような造りになっている割には明るい。それでも道の奥に何があるかまでは見てとることができなかった。
「僕のリスに偵察に行かせて、僕たちはここで待機するのはどうだろう?」
提案したのはラクビースだった。けれど、キヒュームは首を振る。
「やめておこう。さっき倒した二人がどのくらい影響力のあるのかは知らないけど、彼らがいないことに気づいて騒ぎになったときに、面倒だ。ここでじっとしていたら、出口も進む道も塞がれてしまった、ということになりかねない。それだけは避けたい」
「それもそうだね。よし、わかった。進もう」
四人はコートは不要と判断し、自分のバッグに仕舞い込んだ。そして、一列になり、進む。この時、キヒュームは確信した。誰の会話もない時、キヒュームの意識はどこかへと飛んでしまうのだ。
自分は確かに今、ここにいる。今、ここにいて歩いている。それなのに、ここにいない。不思議な感覚だ。この不思議な感覚を誰かに相談したいのに、誰かとの会話が始まった途端、今度はこの不思議な感覚を忘れてしまう。訳がわからなかった。自分のことなのにどうすることもできないもどかしさに、喉の辺りがむずむずする。
自分の身に、一体何が起きているというのだろう。
キヒュームたちは一本道を歩いた。壁にぴたりとハマっている鉄格子、鉄格子の隙間から見える独房のような空間、ここはまさしく、秘密の地下牢なのである。道は時折二手に分かれることはあるものの、同じ景色がずっと続いていた。
「想像してたけど、すごい人数、クルダマオ族がいるね」
ラクビースの口から独り言のように小さな言葉が漏れた。キヒュームは頷く。その通りだと思った。先ほどから、数歩歩くごとにクルダマオ族の下っぱや、洗脳されているであろうドラガンシア族と戦闘になる。
彼らはどこから出てくるのか。
そんな疑問は戦闘になればすぐに消える。
心が重い。体も重くてたまらない。
ここまで何戦しただろうか。戦うのが億劫で、少し開けた場所では時々逃げる時もある。こんな雑魚戦を繰り返したところで何か意味があるとは思えない。けれど、戦わなければならないのだ。彼らは無条件で襲ってくるのだから。
逃げた敵がどこに行ってしまったのか。こんなに戦闘をしているというのに、敵達が大騒ぎしていないのはなぜなのか。
疑問はまた一つ、また一つと現れては消える。
「一体、この場所はどれくらい広いのでしょう? それと、わたくしたちは一体、どちらに向かっているのですか?」
不意に、アイレーンが遠慮がちに口にした。
「そうだね。今回の目的は雪を降らせている大元を叩くことだ。だから、【アタシ】は、ヴォルペレスを陥落させようとしている親玉の場所を突き止めようとしていたよ。みんなは違うのかい?」
ドリュウルが【アタシ】を強調して言う。アイレーンの着物の袖がふわりと揺れた。
「あ、ごめんなさい。そうですよね。わたくしったら……。その、まだ、お客さん気分が抜けないみたいで。ただ皆さんについていくだけになっていました。これではいけませんね。気合いを入れ直します」
顔のすぐ下で両手をギュッと握るアイレーンの顔は、美しく引き締まっていた。
お客さん気分とは言うけれど、アイレーンはよくやってくれている。回復魔法は的確だし、威力は弱いが、水魔法も敵を倒すのに一役勝っているのだ。
美しい横顔を見ながら、キヒュームは思う。
「クルダマオ族がいそうな場所なんて、アタシはここしか知らないからね。もし、ここに親玉がいなければ…‥お手上げだよ」
「そういう先のことは、ここの探索を終えて、何も見つからなかった時に考えればいいさ。とりあえず、今はここを隈なく探そう。【親玉】ってやつがいなくても、これだけクルダマオ族がいるんだ。資料やらなんやら、何かしらあるだろう」
キヒュームが土の壁を触りながら、言った。ラクビースもキヒュームの言葉に頷く。
「じゃあ、行こうか」
四人の足音が、地下牢内に響く。その音が敵を呼び寄せるのか、幽霊のようにドラガンシア族が一人ととクルダマオ族が四人、にょきりと現れた。すでに意識は朦朧とし始めている。戦闘が始まった。




