第3章 ヴォルペレスの街(4)
「アンタ、何をしてるんだい!」
ドリュウルが久しぶりに声を荒げた。ドリュウルもまたコートを脱ぎ捨て、いつものこざっぱりとした格好に戻っていた。よかった。皮肉にも少年が放つ炎の暑さで眠気が治ったのだろう。
「あれ? ドラガンシアの女じゃん。うっわぁ! フード被ってたから誰かわかんなかったや!」
同胞の存在を知って嬉しそうに笑う割に、放っている炎の威力を落とそうとしない。ドリュウルが一歩前に出た。
「もしかして、アンタ一人でこの街の雪を溶かし払おうって言うのかい? それでそんなに魔力を放出しているのかい? それなら、そんなことするのはもうお辞め。アタシたちは雪を降らせる根源を叩きにきたんだ。アンタが無理をしなくても大丈夫なんだよ。この威力で魔力を放出してたら、アンタ、死ぬよ。今すぐ辞めな」
少年は気分を害したように、眉を寄せた。
「雪を降る根源を叩く……? なに言ってんだよ。そんなことさせるわけないだろう」
「は、アンタ、なに言って……」
「なに言ってって、お前こそなに言ってんの。オレの命の恩人に指一本触れさせるわけないじゃん」
笑顔は消え、冷ややかさだけが少年の顔に残る。
「命の恩人だと?」
「そっ。人間族のお前には、わかんないか。でも、そこのドラガンシアの女ならなんとなく察しがつくよな? だから、ここに来たんだよな? な?」
「それは……」
ドリュウルの言葉には微かな戸惑いがあった。ドリュウルは何かを知っている。それなのに、隠しているんだ。
「へぇ。他種族のお仲間さんにはこの街の儀式、伝えてねぇの? 噂では学校でも教えないって言うもんな。教育と信仰は分ける……だっけか? ていの良い言い訳だよな。実際していることは、ただの隠蔽工作だってのに」
少年の物言いは、悪意に満ちていた。責めるように、ドリュウルに視線を向ける。ドリュウルは深呼吸をして、再び一歩前へ出た。
「仕方ないだろう。悪しきクルダマオ族の力を利用するにはその方法しか——」
「バッカじゃねぇの?」
少年の口調が、乱れた。
怯むな。きっと彼は何か重要なことを口にする。一言一句聞き逃すな。
キヒュームはしっかりとウッドデッキに立つ少年を見つめる。いかつい顔がさらに歪み、威嚇しているような面になる。彼に纏わりついている炎がボッと力を増した。ドリュウルと同じように、腕、膝から下は真っ赤な鱗に覆われている。肩周り、太ももは人間の肌と同じだ。ドラガンシア族はファッションに無頓着なのか、皆が一様にピッタリと体にフィットしているタンクトップになっているキュロットワンピースを着ている。違うのは服の色くらいだ。だから、鱗に覆われている手も足も顕になっている。ドリュウル一家で見慣れているせいか、その姿に疑問を持ったことはない。けれど、彼の服はなんだか、ドリュウルたちドラガンシア族が着ているものと、決定的に何かが違う気がした。それが何かはわからないのだけど。
「お前は本当にそれしかないって信じてるのか? お前は、本当に、ドラガンシア族が、クルダマオ族の力を操るためには、生贄が必要だと、本気で、思ってるのか?」
少年は一言一言、丁寧に発音して尋ねる。ドラガンシア族、クルダマオ族、力を操る、生贄……彼の言わんとしていることは、人間族であるキヒュームには何も汲み取れない。
「必要さ。この世をより良く治めるためには、犠牲が必要なのだから」
少年をじっと見、ドリュウルは軽く頷いた。
生贄、犠牲。
まさか、まさかと思うが、ドラガンシア族は文明が発達したこの世界において、未だ生贄なんてものを捧げているのか? だけど、そんなまさか。
疑問が頭をもたげる。ラクビースもアイレーンもまたそう感じていたのか、目が合ってしまった。
ドリュウルと少年の顔を見る。二人の真剣な表情からはなにも窺えなかった。
「本気で、そう思ってるのか?」
「……わからない。実のところ、アタシにはわからないんだ。アタシは生まれも育ちもブランダミグマだからね」
「なんだよそれ。答えになってないじゃないか。誤魔化すなよ」
少年の顔が苦しそうに歪む。
「……そうだね。生贄なんて無駄なこともうやめりゃいいのに、とアタシ自身は思うよ。さっきも言った通り、アタシはずっとブランダミグマで育ってきたんだ。ヴォルペレスには長期休みにしか来ない。アタシにとったら、この街への帰省は旅行みたいなもんさ。だから、マランダーサ教を信仰していないし、教義もよく知らないんだよ。そもそも、ブランダミグマでは生贄なんてものを使わなくても、上手にクルダマオ族を使っているしね」
マランダーサ教。
聞いたことがある。たしか、歴史の授業で習った言葉だったと思う。あぁ、でも思い出せない。今になって自分自身が授業中寝てばっかりだったことを悔やむ。
「マランダーサ教は消滅したはずじゃ」
口を挟んだのはラクビースだった。
「……ふぅ。隠しても仕方ないね。アンタたちはアタシの仲間だし、これから苦楽を共にする仲だからね。教えてやるよ」
ドリュウルの表情が引き締まる。
「だけど、ここで聞いたことは他言無用で頼むよ。ドラガンシア族の存続に関わる問題なんだ」
「わかった。誰にも言わないよ」
「ラクビース、ありがとね。…….アンタも、それでいいね?」
ドリュウルが少年に向かって問いかける。少年は鼻を鳴らして、口の端を歪めただけだった。
「世界大戦が始まる前、みんなの知っての通り、アタシたちドラガンシア族はマランダーサ教を信仰していた。その昔、熱ともに生きるドラガンシア族は活火山を転々としていたんだ。けれど、いくら熱に強いったって火山が噴火したら、ドラガンシア族だとしても太刀打ちできない。そんなある日、一人の赤ん坊が親の不注意で爆発寸前だった活火山の山頂に落ちちまったんだ。そしたら、そう。山の活動が収まったんだよ。それから、ドラガンシア族は定期的に生まれたばかりの赤子を【生贄】と称して活火山の山頂に投げ込むようになった。それがいつしか信仰になって、マランダーサ教になっていった——」
「そんなクソみたいな歴史はどうでもいい。さっさとコイツらにお前らが【今現在も続いている】クソな所業を教えてやれよ!」
少年が怒りでこめかみをピクピクと震わせ、ドリュウルに指図をする。
「悪いね。アタシの連れが歴史を何も知らないバカでね。説明してやらなきゃいけないんだよ」
「バカで悪かったな」
すかさず、キヒュームはツッコミを入れた。けれど、ドリュウルは無視して話を続ける。
「……現在、ヴォルペレス以外の学校ではマランダーサ教は大戦争時代の終焉とともに忘れ去られたとされている。戦後、ドラガンシア族が他の種族の文化に触れることで、【生贄】という信仰がいかに馬鹿馬鹿しいかわかったから、という理由で信仰されなくなったって、教えられてるんだ。……だけど、事実は違う」
ドリュウルが一拍間を開けた。
誰も喋らない。無言でドリュウルが話し出すのを待っている。
「戦前何百年も信仰されてた宗教だ。信仰や信心なんてものは簡単に無くなりはしないんだよ。マランダーサ教は粛々とドラガンシア族の族教として受け継がれていたんだ」
キヒュームたちを取り囲んでいる炎がパチパチと音をあげた。
「…‥知っての通り、今のヴォルペレスの街では火山が噴火することはない。それは、信仰の賜物なんかじゃなくて、クルダマオ族の魔力のおかげなんだ。クルダマオ族がこの地の均衡を保つために、氷の魔力でこの火山の炎の力を抑え込んでいたんだよ。こんなこと言いたかないけど、クルダマオ族のおかげで、五百年もの長い間、アタシたちドラガンシア族はこの地に定住することができたんだ」
ドリュウルが視線を巡らせる。それから、ため息を吐いた。息は白くない。ドリュウルは唐突に少年を指差す。いや、違う。ドリュウルは少年が立っているウッドデッキを指差しているのだ。
「あのウッドデッキの下に穴がある。牢獄だ。そこには何十人ものクルダマオ族が収容され、何人もの【生贄】の死骸がある……」
キヒュームの背中に嫌な汗がじんわりと広がる。この場は温かいはずなのに鳥肌が立つ。
「信仰ってのは厄介だね。アタシらドラガンシア族の面々は、マランサーダ教の教義に照らし合わせて、『クルダマオ族に【生贄】として赤子を殺させることでクルダマオ族の力が強くなる』って本気で信じてしまったのさ。だけど、他種族と友好を深める中で、マランサーダ教は野蛮だと非難された。だから、ドラガンシア族はマランサーダ教を信仰しているくせに、そのことを他の種族に隠して生活してるんだよ。……今現在までね」
生唾を飲み込む。
そんなことが、あっていいんだろうか。つまり、今もドラガンシア族の赤ちゃんは【生贄】として死を迎えているわけだ。
身体中がゾッと寒くなる。そんなこと、ありえない。信じたくない。けれど、ドリュウルの苦悶な表情が惨たらしい現実を示唆している。
この文明社会において、どうしてそんな野蛮なことができるのか。
「ドラガンシア族を軽蔑するだろう?」
少年が口元を歪めて笑った。キヒュームと目があった瞬間、彼の目元が揺れる。そこに動揺を感じた。
俺は今、いったいどんな顔をしているのだろう。彼を動揺させてしまうほど、ひどい顔をしているのだろうか。
「お前……本当に軽蔑してるのか?」
「は?」
「いいや、なんでもない」
少年は思考を遮るように首を振り、改めてキヒュームたちと向かい合うように姿勢を正した。
「とにかく、ドラガンシア族は時代錯誤の信仰を信じ、子殺しをしているんだよ。んで、生贄になった子供達を救ってくださった救世主様こそが——」
少年は最後まで言い切れなかった。
少年の立っているウッドデッキが音を立てたのだ。カタカタと内側から激しい音がしている。
「そこを退け、邪魔だ」
その音にドスの効いた重低音の声が重なる。
先ほどドリュウルが言っていた地下牢からだ。
「おおっと、ごめん」
少年が背中にある翼をはためかせ、ブワッと宙に浮いた。その瞬間、ギギギギギッという、木製のタンスを開いた時のような音を立てながら、ウッドデッキ全体がカラクリ箱のように右に左に木目が動いて、少年が立っていた場所、つまり、ウッドデッキの中心部が箱の蓋が開くようにパカリと開いた。
誰かがその中心部に開いた空間から這い出てくる。
嫌な感覚がどっと体を駆け巡った。灰色の手、灰色の顔、妙に尖った耳……クルダマオ族だ。
「勝手に救世主様にすんじゃないよ。まったく、本当に気色悪い。アタイたちはアンタたち赤子を利用するために生かしてんだ。ドラガンシアの馬鹿どもみたいに、アタイたちを信仰対象にしないでくれ」
完全に姿を現したクルダマオ族は、わざとらしく両手で髪をかきあげ、ブワリと紫色の髪の毛を膨らませた。
その仕草になぜだか、ほろりと艶が溢れる。
女の人だ。初めて、クルダマオ族の女を見た。
敵方である女を美しいとは認めたくないけれど、高くて筋の通った鼻に、切れ長の吊り目、シャープな輪郭は美しいという以外になかった。
「姐さん、すんません。俺、いや、俺たちは本当に姐さんたちに感謝をしていて」
「はいはい。わかってるよ。耳にタコができるほど聞いたからね。……そんなことより、目の前のこの状況はなんだ。炎のサークルに、四種族の男女。一体どういう状況なんだよ」
女が鋭い目をしてキヒュームたちを見つめる。
「コイツら、勝手に俺たちの敷地に入って来たんだ。だから、姐さんたちの手を煩わせる前に、俺が叩き潰そうと思ってさ。……だけど、コイツら、『雪を降らせる根源を叩く』とかなんとか言いやがって、しかも、あのドラガンシア族以外の女は、ドラゴンシア族が今まで俺たちにどんな酷い仕打ちをしてきたのか、知らないんだぜ。だから腹が立って腹が立って……」
「おしゃべりに興じてたと」
「いや、それは……そうだけど、違くて。だって、コイツら、何も知らないから……」
「はいはい。言い訳は結構。とにかく、コイツらはアタイらの敵ってことだよな?」
「それは、そうだ」
「じゃあ、とっとと殺すだけだろ」
女が舌なめずりをした。気味が悪い、というのが率直な感情だった。狐を思わせるような色香のある女だが、やはり、クルダマオ族の女だ。狡猾で、邪悪で、卑しさが体全体から滲み出ている。
二人に話しかける余裕は、なかった。少年が炎のサークルを狭め、女がドリュウルの体の地面真下から、まるでそれが生き物のように、氷柱を生やす。すんでのところで避けることができたが、危うく氷柱がドリュウルの体を貫通するところだった。
「戦うしかないみたいだね。アンタら、詳しい話は倒した後で聞くから覚悟しな」
ドリュウルの一言を合図に、キヒュームたちは構える。キヒュームは銃を抜き、ドリュウルは盾を出した。ラクビースはリスたちを呼び、アイレーンは美しく背筋を伸ばし、後方で支援の準備をしている。戦闘が始まるのだ。ここまでくる道のりで、荒れ狂った魔物たちと戦い、幾分もキヒュームたちは強くなっていた。それでも、やはり、クルダマオ族と言ったところだろうか。今回の勝負は厳しいものになると、直感している。
あぁ、まただ。
直感したと同時に、意識がぼやけ始める。戦闘が始まると……いや、ヴォルペレスの街までの道中もだが、なぜだか意識が遠のいて、自分が自分でなくなってしまっているような感覚に陥る。
これは一体何なんだ、と自問自答してもわからない。気を抜いているとすぐに、目の焦点は合わなくなり、視界が滲み、くすむ。
そんなこと、考えている場合じゃない。今は目の前の標的に、戦闘に、集中しなければ……。
身の内の決意も虚しく、キヒュームの意識が遠ざかる。




