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第3章 ヴォルペレスの街(3)



 雪が降っている。ドリュウルの口が半開きになり、白い息が一定の速い速度で溢れる。時折、黒目が瞼の裏に隠れそうになっていた。


 まずい。


 キヒューム、ラクビース、アイレーンはドリュウルが倒れそうになるたびに、後ろから体を支える。


「悪いね……。アタシの体がどうも、言うことを聞かなくて……」


「気にしないでください。困った時は助け合いです。かくいうわたくしも、キヒュームさんに助けられましたから」


 アイレーンの澄んだ返事が雪に晒され、より透明感を増して聴こえた。キヒュームたちは歩く。その時、ドリュウルがかろうじて動いていた足を止め、身じろぎした。低く唸る。


「ここだよ。ここが、呉服屋だ」


 目の前にあったのは露天商だった。


 コンクリートで出来たテントのようなものに雪が積もり、つららができている。露天商の奥にある家は民家になっているらしく、ドリュウルの親戚の家のように立派なコンクリートの家が建っていた。誰もいない。けれど、露天商の裏手には多くの服が積み上げられていた。どれも冬服だ。突然の寒波に慌てて店に引っ張り出したのだろう。どの服も裏手のカウンターに乱雑に置かれ、売り物とは到底思えなかった。


「ちょうどいい。この服を借りよう」


 そう言うや否や、ラクビースは商店カウンターをピョンっと乗り越え、適当なコートを数枚手にこちらへ戻ってきた。そろりと優しい手つきでドリュウルに服を着せる。ドリュウルの瞼は今にも閉じそうになっていた。


「……すまないね。あぁ。なんだろう。すごく温かい。……これは、ドラガンシア族の魔力が込められてるコートだね。まるで温泉にでも浸かっているような暖かさだよ」


 ドリュウルが着せられたカーキ色のムートンコートをギュッと体に巻き付ける。


「ほんとだ、すごく温かい」


 ケープ風の真っ白なコートを見に纏ったラクビースが頬を紅潮させながら言った。


 キヒュームもラクビースから受け取ったダッフルコートを着てみる。ドラガンシア族用だからか、キヒュームの体に対して明らかに大きい。まるでロングスカートのような丈になってしまっていた。


 温かい。コートを羽織った瞬間、芯から体が温まる。温かさが血液を通じて身体中に流れていく。静かに体内に巡っていく。コートって、すごい。魔力ってすごい。ささやかな興奮がさらにキヒュームを温かくさせる。この体の芯からポカポカするような温かさをキヒュームは心から求めていたのだ。


 長いため息が吐き出された。誰のものだかはわからない。もしかしたら、キヒュームの息だったかもしれない。とにかく、この場にいる全員が温かさにホッと息を撫で下ろしたのだ。


「ああ、いい気持ちだ……。今にも寝てしまいそうだよ……」


 大きな欠伸をしたドリュウルの目は、トロンとしている。


 キヒュームは慌てて、ドリュウルの頬を叩いた。


「おい、寝るなよ。なんのために暖かいコートを探したと思ってるんだ」


 キヒュームは強引にドリュウルの肩を揺らす。けれども、温かさで心地良くなってしまったのか、ドリュウルの目はトロンとしたままだ。


「キヒュームくん、これは由々しき事態かもしれない」


 ラクビースの言葉に、アイレーンもフッと息を吐いた。


「ええ。考えたら当たり前でしたね」


「え?」


「わからないかい? ドリュウルくんのお家は暖炉によって暖かかった。そして、冬服が売られ、この暖かな服を買った人たちはそれなりにいると考えられる。……防寒対策をバッチリとしているはずなのに、この街には誰もいない」


「つまり、ドラガンシア族は外界気温が低いと、厚着してようが何してようが冬眠するってことか……?」


「多分、そうなんじゃないかな。それに、今まで忘れていたけど、ドラガンシア族が寒い地域に旅行に行くのは、よく眠るため……というのも聞いたことがある」


「それじゃあドリュウルは……」


 今にも倒れそうになっているドリュウルを支えながら、嫌な汗がツーっと背中を流れる。


 ドリュウルはおそらく、このまま放っておいたら眠りに落ちてしまう。


 ほとんど確信していたキヒュームたちは目配せをする。


 彼女をどうするべきか。置いていくべきか、それとも、無理にでも叩き起こして連れていくべきか。


「連れて行ってくれ」


 驚いたことに、沈黙を破ったのはドリュウルだった。


「こんな状態でついて行っても、足手纏いになることは、自分でよくわかっている。でも、アタシも行きたい。アタシがこの街を守りたい。なんてったって、アタシは、ドラガンシア族なんだから……っ!」


 キヒュームたちの支えを振り払い、息も絶え絶えにドリュウルが言う。


 この真っすぐさと強さが、ドリュウルの美点だ。常に上を向き、ジャックと豆の木の話の豆の木のようにぐんぐんと伸びていくような勢いと強さがある。


「役に立たないと思ったら、囮にでもして、置いていってもらって、かまわないから。だから、アタシを連れてってくれ。頼むよ……」


「そんな……わたくしたち、ドリュウル様を置いてくなんてこと、できません」


「そうだ。ついてくるなら、どこまでもついてきてもらう。……だけど、ドリュウルさん、本当にいいのかい? ここで寝てた方が安全かもしれないよ」


 ドリュウルは大きく一つ、頷いた。


「そんなの、重々承知だよ。だけどね、アタシは行きたいんだ。アタシは、この街がどうしてこんなことになっているのか、知りたいんだよ」


「……、連れて行こう。こうなったドリュウルは誰がなんと言おうと、どんな手を打とうと、梃子でも動かない。手に負えないほど強情なんだ。ドリュウルをこういう状態にした時点で俺たちの負けだよ」


「ちょいと、キヒューム、失礼だね」


 キヒュームはわざとらしく肩を竦める。ドリュウルの声は苛立ったようであったが、顔は嬉しそうだった。


「一緒に、いきましょう」


 アイレーンが顔を上げる。


「わたくし、回復魔法は得意ですから。ドリュウルさんが寝てしまったら、目覚めの魔法で起こしますね」


「それは名案だ。僕もいくつか目覚め薬を持っているから、いざという時はそれも使おう。……それに正直なところ、地の利を活かせるだろうドリュウルさんには色々と助言をもらいたいし」


 ドリュウルは連れて行く。これでこの件は一件落着だ。でも……。


「そうとは決まったものの……」


 ラクビースも言葉を濁す。


「あぁ、この後どこに向かっていいのか、全く見当がつかない。クルダマオ族の奴らがどこを拠点にしているのか、俺たちは何も知らないんだ。」


「それなら、アタシ、ぴったりな場所を知ってるよ。……本当に、ぴったりな場所を、ね」


 ドリュウルが暗く重い沈んだ声を出す。眠いからではない。心から不愉快なことがあるというような声だった。


 ドリュウルは計画の通りに店に服の代金と、一筆書いた手紙をカウンターの上に置くと、


「ついてきな」


 フラフラな足取りで進み出す。


 キヒュームもラクビースもアイレーンもその足取りについて行く。


 四人の雪を踏む足音が重なり、ヴォルペレスの街に響いた。


 ドリュウルに連れて行かれた先は、ヴォルペレスの坂を上がって、上がって、上がった先にある、山の頂上だった。時折、魔物に遭いながら、勝負が始まるたびに寝てしまうドリュウルをアイレーンが起こしながら、なんとかここまで来たのである。


 通ってきた雪の山道とは違い、辺りはだいぶ開けている。木々が伐採され、更地になっているのだろう。山頂というよりも丘の上と表現した方が正しいような気がした。この空間の中央には、ほんの少しだけ地面と段差のあるお粗末なウッドデッキが置かれていた。


 澄んだ空気がピリッと鼻腔をくすぐる。


 先程から顔が冷気に晒されて痛い。頬も、鼻も、真っ赤になっているのが手に取るようにわかる。他の三人の顔ものぼせたように赤く蒸気していた。


 四人は四手に分かれて、山頂をよく見て回る。


 ここに一体何があるのだろう。ドリュウルの言う心当たりとは一体……。


「ふーん。ここまで来れたんだ」


 少年のような快活な声がした。


 急いで辺りを見回す。


 誰もいない。何も起こらない。他の三人も特に変わった様子はない。キヒューム以外は誰にも声が聞こえていなかったようだ。山頂に差し込む陽射しが、ほんの少し翳っただけだ。雲の流れが早い。これまで幾晩も越えてきた。ほとんど休みなしだ。だから、きっと疲れてしまっているのだろう。幻聴が聞こえてしまったのだ。急に風が吹き込む。顔が寒い。


「何も、ないな……」


 ある程度探索したところで、キヒュームが白息混じりに言う。みんなで今後の方針を話し合おうと、一旦、ウッドデッキの前に集まったとき、音がした。


 シュッ。


 ウッドデッキを見る。


 ドラガンシア族の子供が立っていた。


 一体、どこから?


 空は曇天。しんと静まりかえった山頂。ドラガンシア族が羽ばたいた時に発する羽の根も聞こえていなかった。


 それにドリュウルが言っていたが、寒さで凍えるドラガンシア族は力が抜け、空を飛ぶことができないらしい。飛んできたわけがない。


「どうしてこんなところまで来たんだ?」


 耳のそばを子供の声がサッと通った。


 心臓がバクバクと音を立て始める。


「君こそ……どうして……」


 今度の声はラクビースのものだ。


 呼吸を整え、目の前の子供を見据える。


 子供がケタケタと笑った。


 ドリュウルか、アイレーンか、唾を飲む音が聞こえた。


 怖い。


 なぜだかわからないけど、恐怖の感情が心の内から滲み出てくる。ドラガンシア族の子供なら、街で、学園で、幾度となく見てきた。普段ならドラガンシア族であると言うだけで、それほど取り乱しはしないだろう。だけど、今目の前にいる子供は異様なのだ。うまく言葉にできないが、瞳の奥に底知れぬ恐ろしさを持っていた。


「きゃっ!」


 アイレーンが悲鳴をあげて、数歩下がった。頬を抑えている。抑えている手からツーっと赤い液体が流れ出た。


「びっくりした?  まだまだオレはすごいことができるんだぜ?」


「うわっ」

「きゃあっ!」

「アッツ!」


 さっきより、さらに派手な悲鳴が右に左にほとばしった。山頂の周りを縁取るように、炎が燃えたぎっている。炎で円を描いていた。


 非日常な光景に声を失う。それに加えて、熱い。一気に汗が吹き出てきた。


「あははっ! 間抜けな奴ら!」


 少年がバカにしたように笑う。


「ねぇ、大丈夫? オレ、まだまだ全然力出してないけど」


 汗で滲む視界の中に少年の意地悪げな顔が浮かぶ。キヒュームは汗を拭い、コートを脱ぎ去った。燃えるような真っ赤な目がキヒュームたちを嘲笑っている。ドリュウルのよりも赤黒い髪と赤黒いツノ、そして、ドリュウルよりも小さい体に炎が纏わりついていた。フッフッと火の息を吐き、こちらを挑発している。


 一瞬、オークション会場にいたクルダマオ族の男と容姿が重なった。しかし、すぐにそれは錯覚だと思い至った。ドラガンシア族がクルダマオ族に似ているわけがないのだ。



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