第3章 ヴォルペレスの街(1)
ヴォルペレスまでの道のりは、それなりに困難であった。クルダマオ族の魔力の影響を受けて活発になった魔物たちを(ドリュウルが盾となり、ラクビースがリスで翻弄し、キヒュームが銃でトドメを指し、アイレーンが傷ついた者たちを回復して)次々と倒し、クルダマオ族の刺客をやっつけ、分岐点がいくつかあるゴツゴツとした岩山を登り、単調なトンネルをくぐり抜けた先に、キヒュームたちの目指した場所があった。
トンネルを出た瞬間、キヒュームは慌てて首をすくめた。あまりに冷たい風がキヒュームたちを迎え入れたからだ。白い地面に、白い雪。この場全体が雪で覆われていた。それは考えてもみなかった光景だった。凍えるほど寒く、震え上がってしまう。
ドリュウルの顔つきが曇る。眩い太陽が分厚い雲に隠されてしまったような暗い顔つきだった。先程までやる気に満ち満ちていたドリュウルの顔から輝きが消えていく。ドリュウルの大きな目が壮大に連なる雪山を見つめたまま、しばらく動かない。
「なんだよ……、これ……」
ドリュウルからかろうじて出た言葉は、それだけだった。彼女は軽く頭を動かすと、心を落ち着かせるために深呼吸をする。
「ドリュウル……」
なんと言ってあげればいいかわからない。ひどく動揺した気分だ。キヒュームは眉間に浅い皺を刻んだ。
「これが、天災……ですのね」
アイレーンが悲哀の声を出す。
「……きっとね。先を進もう。ここにいたらみんな凍えちゃうよ」
ラクビースがぶるりと体を震わせた。
キヒュームは人生で初めて、薄着でいることを後悔した。シァオイリの地は基本的に温暖で、どの季節でも、どの地域(寒い地域ももちろんあるが、少数だ)でも、薄手の長袖で過ごせるくらいなのだ。故に、ここにいるみんなの服装は決して寒さを防げるような代物ではない。
ラクビースの空気に晒されている尻尾はボワッと膨らみ、アイレーンの着物風ワンピースから出ている白い肌が、さらに白く透けるかのように血の気が失せていく。
ドリュウルが何も言わずに、歩み出した。その無言がドリュウルの圧を際立たせ、彼女の孤独な雰囲気を引き出しているかのようだった。
キヒュームたちは活火山の中にあるヴォルペレスの街まで続く山道を無言で歩く。不安と焦燥のためか、ドリュウルの歩幅がでかい。キヒュームたちもドリュウルの足並みに合わせる。途中で会う魔物たちもモノともせずに張り倒していった。
「……なるほどね。もうどこも火山は活動していないってわけかい。すこしでも希望を持って探したアタシがアホみたいだね」
ドリュウルは突然立ち止まり、肩を落とす。あと五百メートルほど行けば、ヴォルペレスに着くぐらいの時だった。
「ドリュウル……」
「そんな哀れみの声をかけないでくれよ。雪景色を見た時から、この山々は変わってしまったことくらいわかってたことだったさ。だけどまさか、一晩で活火山が雪山に変貌するとは、ね……。クルダマオ族の魔力ってのは、そんなに強いのかよ」
ドリュウルが吐き捨てる。口からボワっとした温かい炎が放たれた。
そうなのだ。ヴォルペレスは活火山の中にあった。それもいつでもどこかが噴火していて、マグマが流れ出るようなそんな活火山の中にあったのだ。ドラガンシア族は炎に強い。暑さを好むが故に、自ら選んで活火山にドラガンシア族だけの街を作っていた。それが、この有様だ。雪に覆われてしまったヴォルペレスの山々は以前の様相からガラリと変わってしまったのだ。
「アイツら、大丈夫かね……。早く行ってやんないとね」
ドリュウルが再び歩き出す。彼女はこぶしを握っていた。そのこぶしは細かく震えている。
「アイツらっていうのは……」
いつの間にか隣を歩いていたアイレーンがキヒュームに尋ねる。
「ヴォルペレスに住むドリュウルの親戚のことだよ。ドリュウルのご両親はブランダミグマに住んでるけど、アイツの祖父母や叔父叔母従姉妹たちは、みんなヴォルペレスに住んでるんだ」
「なるほど、そうだったのですね……。それは、さぞかし心配でしょうね」
アイレーンが寂しそうに目を伏せる。その姿はとても大人びていて、ドリュウルの言う幼な子のようには見えなかった。
それから、キヒュームたちは口をつぐみ、早足で歩く。すぐにヴォルペレスの街だと告げるアーチ状の鉄製の門が、キヒュームたちを受け入れた。いつもは熱で赤くなり『ヴォルペレス』と名を浮かび上がらせる門は、雪で埋もれて真っ白であった。
ドリュウルが駆け出す。残された三人は互いに見やり、ドリュウルを追いかけた。
「おーーーい、みんな、いるかぁ? ムートナガとゴンニアの娘、ドリュウルが帰ってきたぞ!」
ドリュウルが叫んだ。
「おーーーい、誰か、いないのかぁーい? 誰でもいいから返事をしてくれ!」
ドリュウルがゆっくりと歩みを進めながら叫び続ける。
アーチを抜けた先には、たくさんの家々が傾斜に沿って器用に並んでいた。木造家屋の多いランダマグマの街と違って、コンクリート造の家が立ち並んでいる。活火山に耐えられるように、コンクリートなのだろう。おそらく人間族が作り出した、マグマにも耐えるコンクリートを使っているはずだ。以前、ドリュウル一家と一緒にヴォルペレスに観光に来た際、母のヒュリカが自慢げに教えてくれたのを覚えている。
「ダメだ……。誰も返事をしやしない……」
ドリュウルは落胆した様子で、こちらに引き返してきた。歩きづらそうな急な坂をいとも簡単に降りてくる。さすが足腰が強いドラガンシア族だ、とこんな時でも感心してしまう。ヴォルペレスの街は山を切り崩して作られた街なだけあって、坂だらけなのだ。
「あのさ……、クルダマオ族をなんとかしたいのもそうなんだけど……。まずはアタシの親戚の家に行ってもいいかい? 私事で悪いんだけどね……」
「何言ってるの、ドリュウルさん。元よりその予定だよ」
ラクビースが笑った。キヒュームもアイレーンも頷く。
「家族が心配になるのは当たり前だ。……それに出来ることなら服を用立ててもらいたいし」
キヒュームは自分自身を自分でギュッと抱きしめ、ぶるりと震える仕草を見せた。手のひらに触れる繊維が冷たい。口に出して、自分の体が冷え切っているのだと気がつく。
「あぁ、申し訳ない。無駄話をしている場合じゃないね。ここじゃ、アタシの力も半減も半減だよ。はやく伯父さんの家に行こう」
ドリュウルがくるりと方向転換をし、ズンズンと坂道を歩く。
凍える。その一言が身をもって感じられるような天候だ。坂を上がれば上がるほど、気温が下がっていく気がする。明らかに異常気象だ。
キヒュームたちはドリュウルの親戚の家に向けて歩く。まっすぐ向かえばいいものを、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、なぜかふらふらと街を探索する。この寒さの中で歩き回るのは拷問に近い。肌がヒリヒリとしていたと思ったら、いつの間にか感覚がなくなってきている。たぶん露天商が並んでいたであろう、不燃性の布で建てられた屋台が雪に埋もれ、形を崩している。すれ違う人は誰もいない。白い息も凍りそうな寒さでは、誰も外を出歩かないのだ。
「ついた」
寒さで頭がぼんやりし始めたとき、ドリュウルがつぶやいた。
「ここが……?」
キヒュームは体をさすりながら、ドリュウルの指した家を見つめる。
その建物は、以前ドリュウル一家と訪れた時に比べると随分様変わりしていた。気温で赤くなる特殊なコンクリートを使っていたそれは、寒さで紫色に変色しており、ドア扉の上、表札がわりにコンクリートに刻まれた『ヴリカムイ』という苗字は雪が詰まり、白く浮き出ているようだった。
ドリュウルがフーッと息を吐く。口から漏れる赤い炎に真っ白な水蒸気がまとわりついていた。
「おーい。アタシだ。ドリュウルだよ。アンタたち、中にいるんだろう? 寒さで凍えそうなんだ。出てきてくれ」
一歩前へ踏み出し、コンクリートで作られた重厚な玄関扉を叩く。けれども返事がない。寒さで限界を迎えそうだったキヒュームも声かけをしてみた。
「ごめんくださーーーい! ドリュウルの友人のキヒュームです! 誰が居ませんかー!」
やはり、返事はない。
「仕方ない……強行手段だ」
ドリュウルがボクシングの構えのポーズを取った。
ドアが壊される。
来たる衝撃にグッと身を構え、両目を閉じた。けれど何も起こらない。そっと片目を開ける。
ドリュウルは構えを解いていた。身体を少し屈めて、ドアノブの上のあたりを何やら弄っている。
「なに、してるんだ……?」
「何って、鍵を開けてるんだよ。何かあった時のためにって合鍵を持ってるからね。……あ、いくらアタシだって、普段はこんな家主の許可もなく入るなんてことはしないよ。でも今こそ『何かあった時』だろう? そういうわけで、強行手段にでてるってわけさ」
「なるほど」
キヒュームが縮こまっていた体を少しだけ緩める。完全に緩められなかったのは寒さのせいだ。
ガチャ。鍵が開いた。チラリと覗く部屋は、しん、と静まり返っている。
「お邪魔しますよっと……」
ドリュウルがわざと身を縮め、遠慮がちに室内へと入り込む。
中に入り、全員の足が止まった。木の燃えた匂いがする。香ばしくて温かみのある匂い。ぽかぽかで温かい部屋を、その匂いがさらに温かくさせる。辺りは真っ暗だった。ラクビースが玄関扉を閉めた時、室内は真っ暗闇に落とされたのだ。ドリュウルがふっと息を吐く。その時、部屋の至る所にぶら下がっている蝋燭が一斉にボッと火をつけた。室内は外の灰色コンクリートの寒色からは想像できないほど、暖色で溢れていた。壁や床はまるで木製のような茶色。ラグは長毛の赤いものを使い、その上に置かれているテーブルは一枚板の高級そうな代物だった。先程まで誰かが火を焚べていたのだろう。部屋奥にある暖炉にはまだ赤い火の粉がピチピチと飛び跳ねている。
「ねぇ、みんな返事しないから、勝手に入っちゃったよ。みんな、どこにいるんだい?」
ドリュウルの大きな声がだだっ広い室内に響く。窓という窓が閉まりきっているからか、声がよく反響した。
「みんな、寝室にいるのかね。……ちょっとお邪魔しますよ」
ドリュウルが慣れた手つきで、玄関すぐ横にある階段を上がる。
「この家は単純にできてるんだよ」
そうドリュウルが言ったのは、キヒュームが初めてこの家に招かれた時だ。
二階建てのこの家は、なんと一階にリビング、二階に寝室の二部屋しかないのだ。玄関ホールを抜けると、六十坪くらいの部屋がドンッと待ち受けているのは圧巻だ。ドリュウルの祖母、伯父叔母夫婦に加え、従姉妹が五人、計十人のドラガンシア族が住むには十分な広さであった。ドリュウルの母、ゴンニアさんが言うには、ヴォルペレスの街にある家には個々人のプライバシーなんてものはなく、大抵こういう造りになっているらしい。
「アタシの爺ちゃんと母さんはそれが嫌でブランダミグマに逃げ込んだらしい。爺ちゃんはブランダミグマ支部への転勤を希望したわけさ。母さんが自分に似て自分だけの時間を大切にしていることに気がついてた爺ちゃんは、転勤ついでに母さんも一緒に連れ出したんだと。ま、要するに、爺ちゃんも母さんも父さんも、ドラガンシア族からしたらちょっと変わり者なんだよ」
ドリュウルがそう言いながら、ニカっと笑ったのを覚えている。




