第2章 旅立ち(3)
「私たちが必ず、キヒュームさんをお守りいたす」
ずっとキヒュームの隣に立ち、見守っていた警備隊員に声をかけられる。おそらく、警備隊員もシェイコンの言う【貴様ら】のうちの一人がキヒュームであることがわかったのだろう。
「だけど、俺の、俺たちのせいで、こんな事態になったんだ……。守られる資格なんて」
動揺で声が震える。
俺は、とんでもないことをしでかしてしまったのではないか。
「資格もへったくれもない。そもそも今のこの状況は、お前さんのせいでもなんでもないんだよ。ラクビースさんの情報によれば、元々これは計画されていたことらしいじゃないか。だからお前さんが責任を感じる必要は一切ないのだ」
「そうかもしれないですけど。でも」
「でも、じゃない。私たち警備隊の仕事は、個人を、市民を、そして、国民を守るのが仕事。そして、悪人を捕らえるのもまた私たちの仕事なのだ。我々シァオイリ国民は、卑劣なクルダマオ族になど、決して屈しない。だから、キヒュームさんは安心して我々に守られてくれ」
キヒュームはキュッと口をつぐむ。
大人にそこまで言われて反論するほど、キヒュームは子供ではなかった。
だけど、自分が責任を取らなくちゃ。
口にはしないけれど、やはりそう思ってしまう。
ラクビースに話を持ちかけられた時、ラクビースになんと言われようとも警備隊員に相談していれば、こんなに大事にはならなかったのかもしれない。相談しなかったキヒュームに責任はある。……どうしても、そう考えずにはいられなかった。
「とりあえず、警備隊本部に戻ろう。本当はもう少しキヒュームさんを休ませたいが……、アイツらがキヒュームさんを狙っている以上、より安全な場所へと保護する必要がある。一緒に着いてきてくれるかね?」
キヒュームはうなずく。
ただでさえ、多くの者に迷惑をかけているのだ。もっと寝たいなどと言ってこれ以上、迷惑をかけたくない。
「よかった。俺の名前はゴーネッヘだ。よろしく」
赤い鱗に覆われた左手が差し出される。キヒュームも右手を出した。力強い握手だった。
「それじゃあ、行こうか」
二人の手が離れた時、光が点った。
鋭く冷えた光だった。
光はゴーネッヘの頭から足までを貫く。一瞬の出来事だった。誰も息さえしていないかのように、静かな瞬間だった。キヒュームが手や口を挟む暇もない。
ゴーネッヘは驚いたような表情をしている。
先ほど握手をしていた手がふわりと宙を舞う。
ゴーネッヘが倒れてゆく。倒れてしまう。支えなければ。
「ゴーネッヘさん!」
叫んで手を差し伸べる。けれど、ゴーネッヘが倒れる方が早かった。
ドサッ。
鈍い音が響く。
なぜ、どうして、いったい何が。
キヒュームは無我夢中で倒れてしまったゴーネッヘを抱え込んだ。
温かい。生き物の温もりが腕を介してダイレクトに伝わってくる。なのに、魚の干物のように目は呆然と見開かれ、鼓動も呼吸も感じられない。
死んでいる。雷鳴により、即死だ。
確認しなくてもわかった。
誰かの甲高い叫び声が鈍い音となり、キヒュームの中にぼんやりと反響する。キハュームはほとんど無意識的にゴーネッヘの瞼を閉じた。
「キヒュームくん!」
ぼやけた音響の中で鋭い声が耳を貫く。耳はその声だけを器用に拾う。
「おい、おい、大丈夫かい!」
背中を揺さぶられた。振り返り、見慣れた二つの顔に涙を滲ませてしまう。
「ドリュウル……ラクビース……」
「いったい、ここで何があったんだ。その人は、一体……」
ドリュウルとラクビースの眼に哀の色が浮かぶ。驚愕をも含んだ色だ。
キヒュームはゴーネッヘに視線を戻す。それから、ゴーネッヘの身に起こったことをできるだけ詳しく語った。二人とも黙って耳を傾けていた。なぜか周りの喧騒が遠くに感じる。ここには三人しかいないかのように、静かだ。
「……つまり、ゴーネッヘは見せしめで殺されたってわけか」
キヒュームが話し終えたところで、ラクビースは露骨に表情を曇らせ、呟いた。キヒュームはその言葉の真意を理解できず、思わず、聞き返す。
「わからない? この街はもう奴らの手の内なんだよ。どこに彼らの刺客が潜んでいてもおかしくない。キヒュームくんを国が保護しようとした途端、コレだ。……彼らはわざとゴーネッヘさんを殺したんだよ。誰かの庇護にあやかろうとすれば、近くの者が死ぬぞっていうキヒュームくんに対する脅し、あるいは、キヒュームくんを……いや、今回の闇オークション崩壊の計画に関わった僕たちを保護したら、皆このようになるぞという政府に対する脅迫……つまり、見せしめだ」
「でも、この件が脅しだなんて、どうやってわかるんだよ。現に、俺はゴーネッヘさんが亡くなったのは、落雷がたまたま当たってからだと思った。脅しにはとても思えなかったよ」
やや焦った口調で、ラクビースの言葉を遮る。ラクビースの表情はさらに曇った。患者に余命を伝える前の医者みたいだと思った。
「この脅迫を何度か繰り返したら、そのうち誰もが嫌でもわかるだろうさ。キヒュームくんの護衛がどんどん死んでいくんだ。『キヒュームくんを護衛する、すなわち、死だ』という因果関係が簡単に結びつくようになる」
ラクビースが口を強く結ぶ。
キヒュームの心臓がヒュッと縮こまった。
キヒュームに、キヒュームたちに関わったものは見せしめに殺される……。それは考えただけでもおぞましいことだった。
彼らは俺のことをどのくらい知っているのだろう。彼らの調査能力というのはどの程度のものなのだろう。
キヒュームは思案する。
もし父親と母親が俺のせいで人質に取られたら、もし学園の仲間が俺のせいで殺されてしまったら、もし近所の人が俺のせいで危ない目に遭ってしまったら……。
考えれば考えるほど、それはおぞましい結論しか導き出せなかった。
「実は」
ドリュウルが口を開いた。キヒュームが狼狽え、不安に苛まれているのと同様、ドリュウルの振る舞いもまた憔悴しきっているもののそれだった。
「アタシたちを護衛していた者たちも、殺された」
「えっ」
「地震に驚いて外に出た時、同じように雷に打たれたんだ。それで……」
言葉が何も出てこない。絶句するというのはこういうことを言うのだと、初めて知った。
「アタシもラクビースの意見と同じだ。この死は絶対に偶然じゃない。誰かが故意にアタシたちの周りの人たちを殺めてるんだ」
ドリュウルの声が震える。怒りを滲ませた声だ。
三人の間に流れた束の間の沈黙は、ドリュウルによって破られた。
「だから」
ドリュウルが息を吐く。
「アタシたちはここを出なくちゃいけない。アタシたちがここにいるだけで、誰かが死ぬ。誰かが犠牲になる。シェイコンだかなんだか知らないが、ソイツの宣言通り、アタシたちを自らの手で殺すまで、アタシたちに付き纏ってくるだろう。アタシたちは守られてるだけじゃ、いけない。それだと犠牲だけが増える。だから、シェイコンとやらの挑発に受けて立たなきゃいけない。誰も、犠牲にしないために。……これが、ラクビースとアタシが出した結論だ」
「キヒュームくん抜きで決めてごめん。だけど、ことは急を要する。僕たちがここにいるだけで、人が亡くなってしまうんだ。どちらにせよ、ここから出なくてはいけない。それはキヒュームくんも同意してくれると思う」
ドリュウルとラクビースは真っ直ぐにキヒュームを見詰める。キヒュームは雷鳴で絶命したゴーネッヘに視線を落とした。
「そう、だな。何もせずに、ここにいたらいけないと、俺も思う。そして、このまま終わらせてもいけないと思うよ。俺たちが戦いの火蓋を切ってしまった。戦いがいつか始まる物だったとしても、俺たちが、喧嘩をふっかけてしまったんだ。その責任を取らないといけないって、思ってたところだよ。俺たちが始めたんだ。俺たちで終わらせなくちゃいけない。これ以上、俺たちの同胞を殺させるわけにはいかないんだ」
そうだ、これ以上、誰も殺させてはいけない。殺させない。
キヒュームは奥歯を噛み締める。視線を上げる。周りの音が突如、鮮明になった。人々は叫び、戸惑い、狼狽えている。足音や人の声を全身で受け止める。
ドリュウルもラクビースも頷いた。
もう後戻りはできない。引き返すこともできない。戦いは始まってしまった。
正直なことを言えば、キヒュームは怯えていた。シェイコンの【お前たち】がキヒュームたちを指しているなら、あまりにも怖すぎる。シェイコンはクルダマオ族の皇帝だと名乗った。クルダマオ族は強力な魔力を持った種族だ。その種族の王ともなれば、どれほど力を持っているのだろう。
その力を前に怖気つかずにいられるのか、打ち勝つことができるのか、考えるだけでも冷や汗が出る。小さなプランクトンが大きな人喰いサメに立ち向かおうとしているようなものだ。どのように倒せば良いのか、皆目見当がつかない。
それでも、やるしかないのだ。進むしかないのだ。不安を抱えながら、戦いに身を投じるしかできないのだ。
それはやはり、足がすくむような怖気をキヒュームに与えた。だから、声を大きくして、己に聞かせるように叫ぶ。
「行こう。それで、 叛逆を試みるクルダマオ族を撃破するんだ」
行かなければならない。そこに、俺のやるべきことがある。
「お待ちになって!」
妖艶な声。三人は振り向く。アイレーンがいた。キヒュームの背筋がピンッと伸びる。




