第2章 闇オークション(4)
中に入ってキヒュームは戸惑った。深夜の湖のほとりのようにしんっと静まり返っていたからだ。会場の熱気も人の気配も感じられない。舞台裏側とはこんなにもステージと空気感が違うものなんだろうか。ラクビースが用意していた煙玉を使う瞬間がないまま、キヒュームたちは歩き続ける。
舞台を照らすライト以外何もない。誰もいない。舞台袖だというのに、金庫ひとつない。そろそろ舞台がはっきりと見えてくる。
順調すぎる、なにもかも。
キヒュームの胸がざわめいた。異様なほど甘い匂いを嗅いだのだ。これから起こることは順調とは程遠いものだと感じている。それだけではなく、舞台ステージから獲物を誘う蜜のような甘い甘い匂いがする。
「ごめん、しくったかも」
ラクビースが真剣な声にハッとする。ラクビースの目がピクリと動き、言葉に苦笑が浮かんでいた。
「さぁ、君たち、何を立ち止まっているんだい? 皆々様がお待ちですよ。早く舞台まで歩いて来なさい」
司会者の恭しく気取った、しかし、棘のある声が舞台袖に響く。
「ほらほら、早く。ここにいる皆様は忙しいのです。オークションだけが人生じゃない、君たちもわかるでしょう? 警戒しなくていい。これはエンターテイメントなんだから。ささっ、早くいらっしゃい。私たちは君たち盗人を喜んで歓迎致しましょう!」
ジリっと後退りをする。けれど、それは許されなかった。いつの間に後ろにいたのか、大男に体を羽交い締めされ、舞台に投げ出されてしまったのだ。思いっきり体が地面に叩きつけられる。スポットライトが当たり、眩しい。目が開かない。それと同時に、激しい歓声が湧いた。舞台袖からも舞台下からも四方八方から上がる、大きな歓声だ。それはハッコオイ族の美少女が出品された時と同じような下品なものだった。
「さぁさぁ、君たちを待っていたよ。……いやいや、本当に待っていたのさ。君たちは知らないかもしれないが、このオークションには毎度必ず盗っ人が現れるのだよ。本当に毎回ネズミが入り込む……いや、今日の泥棒はリスかな」
会場にワッと笑声が広がった。だんだんと光に目が慣れてくる。キヒュームは瞼を開け、震える体を起こした。光が、視線が、熱が、キヒュームに集まる。それらがまるでキヒュームを縛り付ける紐のように絡まり、キヒュームは硬直してしまう。口も、体も、動かすことができない。
「うまく騙せていると思ったでしょう? チッチッチッ。世の中はそんなに甘くないのだよ。希望を持たせて絶望に落とす、これぞ真のエンターテイメント。……さて、ここで君たちに種明かしといきましょうか。そして、種を明かした後は、お待ちかね、君たちの公開オークションを行うこととします!」
「公開オークションって、なにを……」
ラクビースもすでに立ち上がっており、仮面から覗く瞳が鋭く司会者を見る。
「まぁまぁ、そんなに結論を急がないで。その件もきちんと説明いたしますからね。まず、皆様の手に付いているその魔具は数字を送信する他にも、録音、録画、心拍数の計測ができるのです! そのため、怪しい行動をばっちり感知し、我々は未然に危険を防ぐことができるのです! どうです? 画期的でしょう?」
「うん、そうだね」
司会者のネチネチとした声がキヒュームたちを嬲る。彼らは思っている以上に油断ならない相手だったわけだ。
「それで、私たち運営は君たち二人の異様な心拍数を察知いたしました。魔具でずっと君たちを監視していたのです。そうしたら案の定、君たちはトイレで落ち合い、そうしてココへとノコノコやって来た……。護衛を眠らせて、ね。どうやって護衛を眠らせたのか知りたいところですが、それはオークションが終わってから聞けばいい話……。さぁ、仮面を外し、素顔を晒しなさい」
ラクビースが小さく唸った。
「簡単に外すわけないだろう?」
「それはそうですね。どの盗っ人も同じことをおっしゃる。さぁ、かつて敗北した盗っ人どもと同じように、私たちに抗ってみせなさい。そして、私たちに服従しなさい」
「おいおい、まさか、丸腰の僕たちを取り囲んでいる、この大男たちに痛ぶらせるわけじゃないだろうな?」
「と、いいますと?」
司会者の右目がピクリと動いた。まるで、反論されることが意外だったかのように、だ。
「だからさ、これは【エンターテイメント】なんだろう? 丸腰の僕たちを痛めつけるのって、本当にエンターテイメントって言えるのかな」
キヒュームは絶句してしまった。
こんな追い詰められた場面でも、ラクビースは人を挑発することができる度胸のあるケモタリア族なのだ。
「弱ってる奴を一方的にいじめて楽しむのってさ、弱い奴のすることだろう? 本当に自分が強者だと信じるのなら……」
ラクビースが一拍置いて、
「本気の相手を打ちのめして、自分の力を示すはずだ」
司会者が低くぼそりと何かを呟いた。そして、優雅な動きで右手のひらをラクビースに向け、続きを促す。
「君が【本物の】エンターテイナーだというのなら、僕たちに武器を持たせてくれ。僕たちは全力で抗う。君はその僕たちを片手で捻り潰せばいいさ」
キヒュームの背中にポンっと何かが当たった。キヒュームを励まし、背中を叩くかのような軽い衝撃だ。声が出そうになった。けれど、ぶつかった物の正体を知り、唇を噛み締め、辛うじて堪えた。
「正々堂々と、なんて望んでないよ。ただ、僕たちに本気で抗わせてくれ、と言っているんだ」
司会者の仮面の下が歪むのが見える。
足元が温かい。
キヒュームは目を開けたまま、思考をフル回転させる。
見えた。背中を押されたあの瞬間、見えたのだ。
キヒュームの背中を押すラクビースの遣いの小リス、ラクビースの足元に立ち、ウィンクする小リス、まるで誰かを探しているような身振りをする小リス。
ラクビースが何かを伝えようとしている。
彼がこの一瞬で何か新しい作戦を組み立てたのだ。
わからなくては。理解しなくては。まだラクビースは諦めていないのだ。
背中を押したのはキヒュームを励ますため。ラクビースの足元に立っているのは、まだ諦めてないとキヒュームに伝えるため。では、もう一匹は?
……ドリュウルだ。ドリュウルはまだ、捕まっていない。
ドクン、と鼓動が跳ねる。
向き合う司会者の目元を正面から見つめる。
敵側はキヒュームとラクビースが盗っ人二人組だと思っているのだ。それ以上でも、それ以下でもない。キヒュームらの本当の目的を彼らは知らない。
「わかりました。挑発と分かっていますが、乗りましょう。何の武器がお望みですか?」
「僕は見ての通り、ケモタリア族の男だ。だから、戦うために遣いのリスをこの場に入れることを許してほしい。そして僕の隣に立つ彼は人間族だ。魔力を持たない。故に、銃などを貸し出してほしいが……、飛び道具は観客にも危険が及ぶと僕は承知している。だから、エアガンかなんかで構わない。そういうものを貸し出してはくれないだろうか」
「リスを招き入れるのは承知致しました。ですが、エアガンや銃の類を貸し出すことはできません」
「どうして?」
ラクビースが目を細める。
「そういった品はこの場に存在しないからです。存在していたとしても、それはオークションに競り出される商品。商品を武器として提供するわけにはいかないでしょう。なのでその人間族の彼には……素手で戦っていただくしかありませんねぇ」
「エンターテイメントを諦めるのかい?」
「君たち、思い上がらないでいただきたい。君たちは私たちに交渉することはできたとしても、指図できる立場にはないのですよ? 君たちは袋の鼠……袋の栗鼠なのだから。私たちの温情で、君たちが本気で戦うことを許しているということを忘れないでいただきたい。よろしいですか?」
「まぁ、それもそうだね。あなた方様のご厚意に感謝するよ」
ラクビースは司会者の恭しい口調を真似して一礼をした。
「分かって頂ければ良いのです。……お待たせいたしました。紳士淑女の皆様、皆様にご覧いただいた通り、これから盗っ人と我らが自慢の護衛の乱闘を始めたいと思います。あぁ、心配には及びません。ご観覧席には決して被害が起きぬよう、高性能防御システムを作動させますので。……さぁ、ケモタリア族のリス、仲間のリスをお呼びなさい」
司会者がキヒュームたちの方を見たり、観客席を見たりと忙しなく、けれども、洗練された動きで、人々に呼びかける。
束の間だが、沈黙が訪れた。そして、次の瞬間、観客のざわめきがドッと広がった。




