表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「悪役令嬢寄り?――断罪の前提が間違っている」

なろう聖女は物語を信じ、元ギャル悪役令嬢は現実を見ている

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/01/06

本作は、いわゆる「悪役令嬢もの」「聖女もの」の構造を、

少しだけ現実寄りの視点から見つめ直した物語です。

正義は本当に正しいのか。

善意は、常に良い結果を生むのか。

そして「物語として必要」という言葉は、誰を救い、誰を切り捨てるのか。

主人公は、特別な力も華々しい復讐も持ちません。

ただ、現実を見て、理解して、受け入れるだけの人間です。

その態度が、誰かにとって不快であり、誰かにとって救いになるなら、

それで十分だと思っています。

楽しんでいただければ幸いです。

 夜のコンビニは、どこも似たような匂いがする。

 揚げ物とコーヒーと、床に染みついた洗剤の残り香が混ざった、ちょっと落ち着く匂いだ。


 私は片手に缶コーヒー、もう片方の手でスマホをいじりながら、横断歩道の前に立っていた。

 イヤホンから流れているのは、最近ハマっているプレイリスト。テンポは軽いけど、歌詞はわりと重め。


 別に急いでいたわけじゃない。

 明日も仕事だし、帰ったらシャワー浴びて、だらっと動画見て、寝るだけ。


 いつも通りの夜だった。


 信号は赤。

 車の音。

 スマホの画面に映る通知。


 ――次の瞬間、視界が横にひっくり返った。


 衝撃は、思ったよりも痛くなかった。

 音が遅れて追いかけてきて、体が浮いた感覚だけがあった。


 あ、やば。


 そう思ったのが、たぶん最後の意識だった。


 怖いとか、後悔とか、そういうのはなかった。

 ただ、


 ――あー、そっか。


 って、妙に冷めた感想だけが頭に残った。


 人生って、案外こんなもんか。



---


 次に目を開けたとき、天井はやたら高かった。


 白い天蓋。

 重そうなカーテン。

 知らない匂い。

 知らない言語のざわめき。


 体は軽くて、妙に小さい。

 声を出そうとすると、赤ん坊みたいな声しか出ない。


 あ、これ――


 理解は早かった。


 転生。

 異世界。

 よくあるやつ。


 別に驚きはしなかった。

 なろうも漫画も、それなりに読んでたし。


 死に方も派手じゃなかったし、選ばれし者感もない。

 たぶん、運が悪かっただけ。


 だからこの状況も、


 「そういうもの」


 として、すんなり飲み込めた。



---


 育つにつれて、分かったことがある。


 どうやら私は、かなり偉い家に生まれたらしい。


 公爵家。

 王国でも指折りの名門で、軍と財政に強い影響力を持つ家。


 使用人は多く、教育は厳しく、期待も重い。


 でも、不思議と息苦しさはなかった。


 礼儀作法も、政治の話も、歴史も、

 全部「必要なスキル」だと思えば、別に苦じゃない。


 前世で身につけたのは、

 空気を読む力と、深入りしない距離感。


 それが、そのまま役に立った。



---


 私は泣かなかった。

 わがままも言わなかった。

 特別目立つこともしなかった。


 だから周囲の評価は、いつも決まってこうだった。


 ――完璧な公爵令嬢。

 ――非の打ち所がない。


 内心では、少しだけ思っていた。


 これ、フラグ立ちやすいな。



---


 聖女が現れたのは、私が十六になった頃だった。


 異世界から召喚された少女。

 光の属性。

 癒やしの力。

 人懐っこい笑顔。


 そして何より、


 「物語の主人公みたいな立ち位置」


 王太子は彼女に寄り添い、周囲は自然と道を開ける。


 その光景を見たとき、私は確信した。


 あー、これ。


 悪役令嬢ポジ、来るわ。



---


 聖女は悪い子じゃなかった。

 むしろ善意の塊みたいな子だった。


 でも、彼女の目は、

 この世界を「現実」として見ていなかった。


 イベント。

 フラグ。

 役割。


 そんな言葉が、透けて見える気がした。


 だから私は、距離を取った。


 近づかなければ、摩擦は起きない。

 そう思っていた。


 ――甘かったけど。



---


 噂は、勝手に形を作る。


 冷たい視線。

 無言の比較。

 聖女の隣に立たない、というだけで生まれる違和感。


 私は、何もしていなかった。


 それでも世界は、


 「悪役が必要だ」


 と判断したらしい。



---


 その事実を、私はまだ静かに受け止めていただけだった。


 この時点では。



---


 公爵令嬢としての私の生活は、静かで、整っていた。


 朝は決まった時間に起き、

 家庭教師と剣術師範に挨拶をし、

 午後は政治史と外交文書、夜は晩餐会の同席。


 退屈かと言われれば、そうでもない。

 前世の仕事より、よほど合理的だった。


 結果を出せば評価される。

 失敗すれば理由を求められる。

 空気だけで殴られる場面は、むしろ少ない。


 少なくとも、公爵家の中では。



---


 父――ヴァレンティナ公爵は、無駄な言葉を使わない人だった。


 私に対しても、過剰な愛情表現はしない。

 だが、判断は一貫していた。


 「立場を理解しろ」

 「感情で動くな」

 「黙るべき時を誤るな」


 前世ギャルだった私には、

 この教育はむしろ分かりやすかった。


 要するに、


 生き残れ

 ってことだ。



---


 王宮に出入りするようになると、

 自然と王太子レオナールとも顔を合わせる機会が増えた。


 彼は、悪い人ではなかった。


 穏やかで、誠実で、

 「正しいこと」をしようとする意志がある。


 ただ――


 正義を疑う視点を、持っていなかった。



---


 聖女レイナが彼の隣に立つと、

 場の空気が一段明るくなる。


 彼女が笑えば、

 「正しい未来」がそこにある気がする。


 それは、たぶん事実だ。


 ただし、


 物語の中 では。



---


 私は、王太子とも聖女とも、必要以上に親しくならなかった。


 敵対もしない。

 媚びもしない。

 ただ、礼を尽くす。


 その態度が、

 いつの間にか「冷淡」と呼ばれるようになった。


 不思議なものだ。


 距離を取ると、

 「何か企んでいる」と解釈される。



---


 最初の噂は、取るに足らないものだった。


 聖女に挨拶をしなかった。

 笑顔が硬い。

 王太子と距離がある。


 どれも事実ではある。

 だが、罪ではない。


 それでも、


 物語は、空白を嫌う。



---


 ある日、侍女が怯えた顔で言った。


 「お嬢様……最近、王宮で……」


 私は、話の続きを促した。


 「“悪役令嬢みたい”って……」


 あー。


 来た。



---


 私は笑わなかった。

 否定もしなかった。


 ただ、内心で整理する。


 聖女は転生者。

 なろう読者。


 この世界を、

 既知のテンプレ として見ている。


 なら、次に必要なのは――


 悪役。



---


 不思議なことに、

 聖女本人は、私を悪く言わなかった。


 むしろ困った顔で、

 「誤解されてますよ」と言っていた。


 善意なのは分かる。


 でも、それが一番危ない。


 彼女の中では、

 もう物語が始まっている。



---


 王太子は、調停しようとした。


 「行き違いだ」

 「悪意はない」

 「話し合えば分かる」


 正しい。


 ただし、遅い。


 物語は、

 話し合いで止まらない。



---


 噂は、やがて「確信」に変わる。


 証拠はない。

 動機もない。


 でも、


 それっぽい。


 それだけで、十分だった。



---


 私は、父に一度だけ言った。


 「たぶん、私、切られる」


 父は少しだけ黙ってから、答えた。


 「理解しているなら、それでいい」


 それ以上、何も言わなかった。



---


 その夜、私は久しぶりに前世を思い出した。


 事故の瞬間。

 誰も悪くなかった、あの理不尽。


 そして思う。


 ――ああ、同じだ。


 世界が違っても、

 構造は変わらない。



---


 翌週、王宮から正式な召喚状が届いた。


 名目は、


 事情聴取。


 私は、鏡の前でドレスを整えながら、

 静かに息を吐いた。


 あー……。


 イベント、始まったな。



---


 事情聴取と呼ばれたそれは、

 最初から“裁く前提”の場だった。


 円卓の向こうに並ぶのは、

 王太子、神殿関係者、貴族代表、騎士団長。


 全員が、

 「公平な判断をする顔」をしている。


 私は、その光景を見て思った。


 ああ、これもう決まってるわ。



---


 質問は丁寧だった。


 聖女との関係。

 王太子への態度。

 宮廷での立ち居振る舞い。


 どれも、

 “罪にならないこと”ばかり。


 私は、事実だけを答えた。


 感情は挟まない。

 余計な言葉も足さない。


 それが逆効果だと、

 分かっていながら。



---


 「つまり……不満はなかった、と?」


 誰かが言う。


 「立場をわきまえていただけです」


 私がそう答えると、

 場に微妙な沈黙が落ちた。


 可愛げがない。


 そんな評価が、

 無言のうちに共有される。



---


 聖女レイナは、

 少し困った顔で私を見ていた。


 「誤解なんです」

 「悪気はないんです」


 彼女は、そう言う。


 それは、真実だった。


 でも、彼女の言葉は、

 物語を“修正”するものではない。


 ただ、

 イベントを“美しく整える”だけ。



---


 王太子は、場を収めようとした。


 「憶測で人を裁くことはできない」

 「証拠はない」


 その発言に、

 私は一瞬だけ期待しかけた。


 ――でも。


 続く言葉で、

 その期待は消えた。


 「だからこそ、

 国民が納得できる形が必要だ」



---


 出た。


 納得。


 それは、

 事実よりも優先される魔法の言葉。



---


 貴族の一人が口を開く。


 「彼女が悪意を持っていないとしても、

 不安を生む存在であることは確かだ」


 騎士団長が頷く。


 「秩序のためには、

 象徴的な判断も必要でしょう」


 神官が、祈るように言う。


 「聖女様の光を、

 曇らせる存在は……」



---


 私は、もう分かっていた。


 ここで問われているのは、

 私が何をしたか ではない。


 私が、何者か だ。



---


 私は、公爵令嬢。

 王国最上位の権力構造の一部。


 そして今、

 物語にとって“不要な存在”。


 それだけ。



---


 ふと、

 前世の記憶がよぎる。


 事故の後、

 ニュースで流れた短い一文。


 「詳しい原因は調査中です」


 あのときも、

 理由はどうでもよかった。


 必要だったのは、

 話を終わらせること。



---


 「しばらく、

 お立場をお休みいただくのが妥当では」


 誰かが、そう言った。


 それは、

 追放の言い換えだった。



---


 王太子は、

 しばらく黙っていた。


 彼は、迷っている。


 それが分かった。


 でも、

 迷いは決断を止めない。



---


 私は、この場で初めて思った。


 ――あ、これ。


 私が何も言わない前提 なんだ。



---


 だから私は、

 あえて何も言わなかった。


 弁明もしない。

 反論もしない。


 その沈黙が、

 さらに空気を固める。



---


 「……本人も、

 理解しているようだ」


 誰かが、

 安心した声で言った。


 理解している。


 その言葉は、

 とても都合がいい。



---


 私は、心の中で苦笑した。


 うん、理解してるよ。


 この世界は、

 正義が必要なとき、

 ちゃんと悪役を用意する。



---


 数日後、

 正式な場が設けられることが決まった。


 公開の断罪裁判。


 国民の前で。

 正義の名のもとに。



---


 私は、

 その知らせを聞いても、

 驚かなかった。


 ただ一つだけ、

 確認した。


 ――どこまで行くつもり?


 答えは、

 もう分かっている。



---


 だってこれは、

 物語の山場 だから。



---


 断罪裁判の日、

 王都の中央広場には人が溢れていた。


 処刑ではない。

 公開裁判だ。


 それでも、空気はよく似ている。


 正義が集まり、

 誰かを裁く準備が整った場所の匂い。



---


 私は、公爵令嬢として正装していた。


 深い色のドレス。

 家紋を刻んだ装飾。

 背筋を伸ばし、視線はまっすぐ。


 非の打ち所がない。

 少なくとも、外から見れば。



---


 王太子レオナールが、

 高台から声を上げた。


 「本日ここに集まってもらったのは、

 王国の正義を示すためだ」


 その言葉に、

 群衆がざわめく。


 正義。

 その単語は、いつも拍手を生む。



---


 彼の演説は、丁寧だった。


 感情に訴えすぎず、

 冷静さを装い、

 誰かを直接罵らない。


 「疑惑」

 「不安」

 「民心」


 そういった言葉を並べて、

 “必要性”を語る。



---


 私は、静かに聞いていた。


 内心では、

 ほとんどチェックリストを消す感覚だった。


 うん、予定通り。

 想定内。

 ブレなし。



---


 次に呼ばれたのは、聖女レイナだった。


 彼女は白い衣を纏い、

 少し緊張した面持ちで前に出る。


 「私は……誰かを傷つけたいわけじゃありません」


 声は震えていた。


 それは、

 演技ではない。



---


 「でも……この国には、

 正しい流れが必要だと思うんです」


 その瞬間、

 群衆が頷いた。


 正しい流れ。


 便利な言葉だ。



---


 レイナは、

 私をちらりと見てから、

 続けた。


 「悪役令嬢、という役割は……

 物語では、避けられないことが多いです」


 ……言ったな。



---


 一瞬、

 場の空気が止まった。


 だが次の瞬間、

 人々はそれを飲み込んだ。


 物語。


 その言葉に、

 違和感を覚える者は少ない。


 だって、

 分かりやすいから。



---


 私は、その場で初めて聖女を見た。


 彼女の目は、

 どこか現実を見ていない。


 まるで、

 読んだことのある展開を

 なぞっているだけ。



---


 王太子は、

 その発言を訂正しなかった。


 咎めもしない。


 それが、

 “正義側の物語”として

 受け入れられた証拠だった。



---


 私に、発言の機会が与えられる。


 ここまでは、

 形式通り。


 私は、

 公爵令嬢として一礼した。



---


 「このような場を設けていただき、

 感謝いたします」


 声は落ち着いている。

 感情は見せない。


 「私自身、

 聖女様や王太子殿下に対し、

 害意を抱いたことは一切ございません」


 事実だけを並べる。



---


 「ですが、

 それが王国の不安を招いたというのなら、

 私の立場が原因なのでしょう」


 群衆が、

 静かになる。


 理解した、と言いたげな空気。



---


 「王国の正義が、

 この判断を下すというのなら」


 私は、少しだけ言葉を区切った。


 「私は、異議を申し立てる立場ではございません」



---


 完璧だ。


 誰もが、

 そう思ったはずだ。


 理解ある悪役。

 物語を乱さない悪役。



---


 王太子は、

 安堵したように息を吐いた。


 この瞬間、

 彼は確信した。


 これで収まる。



---


 だからこそ、

 次に私が発した言葉が、

 場を凍らせることになる。



---


 私は、一拍だけ置いた。


 ほんのわずかな沈黙。

 それだけで、空気がざわつく。


 ――まだ何かある。


 誰もが、そう感じたはずだ。



---


 「一つだけ、確認させてください」


 声の調子は、まだ公爵令嬢のまま。

 丁寧で、冷静で、感情はない。


 王太子が頷く。


 「どうぞ」



---


 「本日の判断は、

 あくまで“私個人”に対する処分、

 という理解でよろしいのでしょうか」


 一瞬、間が空いた。


 だが王太子は答える。


 「もちろんだ。

 君一人の問題だ」



---


 ……あー。


 やっぱ、そこか。


 私は、ほんの少しだけ視線を伏せた。



---


 「では次に。

 この判断は、公爵家当主――

 私の父の意思とは、無関係ということで?」


 ざわり、と空気が揺れる。


 王太子の表情が、わずかに曇った。


 「それは……」


 だが、逃げ道はない。


 「無関係、という理解で進めてよろしいのですね」


 押す。



---


 「……ああ。

 公爵家全体を問題にしているわけではない」


 その言葉に、

 貴族の何人かが安堵した顔をした。


 ――まだ、分かっていない。



---


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


 ここで、

 仮面を外す。



---


 「あー……なるほど」


 口調が、変わる。


 はっきりと、

 空気が変わった。



---


 「じゃあさ」


 私は、肩の力を抜いた。


 「私を悪役にするってことは、

 公爵家が“悪を生んだ家”になるって意味なんだけど」


 ――静寂。



---


 「え?」


 誰かが、間の抜けた声を出した。



---


 「いや、違うって顔してるけど」


 私は、淡々と続ける。


 「王国の正義が、

 “公爵令嬢は悪でした”って公式に認定するんでしょ?」


 「そしたらさ、

 それを育てた家は何?」



---


 王太子の顔が、

 目に見えて青ざめた。



---


 「待て、それは拡大解釈だ」


 慌てた声が飛ぶ。


 「個人の資質と家系は――」



---


 「あー、うん」


 私は軽く手を振った。


 完全に、ギャルの口調だ。



---


 「理屈は分かるよ。

 でもね、それ通るの、

 “身内の会議室”だけだから」


 「外向けには、

 “公爵家の娘が悪役でした”

 って事実だけが残るの」



---


 誰も、言い返せない。



---


 「これ、私がどうこうする話じゃないから」


 私は続ける。


 「もう“前例”作っちゃっただけ」



---


 「正義のために必要だったんでしょ?」


 私は、群衆を見回した。


 怒りはない。

 嘲りもない。


 ただ、確認。



---


 「じゃあさ、

 その正義で、後始末もやってね」



---


 王太子は、

 言葉を失っていた。


 初めて見る顔だった。


 正義を語る人間が、

 自分の足元を見た瞬間の顔。



---


 私は、最後に一礼した。


 それは、

 公爵令嬢としての最後の礼だった。



---


 「別に恨んでないよ」


 そう言ってから、

 少しだけ口角を上げる。



---


 「世界って、

 そういう仕組みじゃん?」



---


 誰も、

 引き止めなかった。


 引き止められると思っていた者も、

 もういなかった。



---


 私は、そのまま広場を後にした。


 拍手はなかった。

 罵声もなかった。


 ただ、

 居心地の悪い沈黙だけが残った。



---


 馬車に乗り込むとき、

 振り返らなかった。


 振り返る理由が、

 もうなかったから。


 追放の処分は、

 形式的に読み上げられた。


 公爵家令嬢としての立場、

 および後継者候補としての資格の剥奪。

 王都からの退去。

 国外追放ではないが、

 “居場所はない”という宣告。


 分かりやすい。



---


 屋敷に戻ると、

 家宰がすでに待っていた。


 「準備は整っております」


 余計な言葉はない。


 私も、

 「ありがとう」とだけ答えた。



---


 父には、会わなかった。


 それは、

 拒絶でも、怒りでもない。


 最初から、

 必要ないと分かっていた。



---


 公爵家は、

 何も声明を出さなかった。


 抗議もしない。

 弁明もしない。


 その沈黙が、

 王国中枢を一番不安にさせた。



---


 王太子レオナールは、

 その夜、眠れなかった。


 何度も、

 私の言葉を思い返す。


 前例を作っただけ。


 その意味が、

 じわじわと効いてくる。



---


 彼は、初めて理解した。


 自分は、

 誰かを裁いたのではない。


 構造を壊したのだ。



---


 王国の会議は、

 表向きは平穏だった。


 だが、水面下では、

 問い合わせが殺到した。


 公爵家は、

 王国の正義に従うのか。


 それとも――



---


 答えは、

 まだ出ない。


 沈黙は、

 最大の意思表示だった。



---


 聖女レイナは、

 裁判後、しばらく笑えなくなった。


 「思ってたのと違う」


 そう、呟く。


 だが、

 何が違うのかは分からない。



---


 彼女にとって、

 悪役令嬢は“イベント”だった。


 断罪すれば、

 物語は次に進むはずだった。


 なのに、


 何も、

 すっきりしない。



---


 私は、

 静かに王都を離れた。


 見送る人は、

 数えるほどしかいなかった。


 それで、十分だった。



---


 馬車の中で、

 私は一度だけ思う。


 ――これ、

 ほんとに正義だった?


 答えは、

 もうどうでもいい。



---


 世界は、

 正義がなくても回る。


 ただし、

 歪みは残る。



---


 国境を越えたあたりで、

 馬車が止められた。


 盗賊ではない。

 軍でもない。


 身なりの整った護衛と、

 落ち着いた空気。


 私は、

 ああ、と内心で納得した。



---


 「お久しぶりです。

 ……と言うべきか、

 初めまして、と言うべきか」


 馬車の外に立っていたのは、

 隣国の宰相――エドワルドだった。


 王宮の晩餐会で、

 何度か顔を合わせたことがある。


 合理主義者。

 正義を信用しない男。



---


 「迎えに来た、って顔してるね」


 私は、

 遠慮なく言った。


 もう、

 公爵令嬢の仮面はいらない。



---


 「ええ。

 あなたが王国を去ると聞いて」


 彼は、

 淡々と答える。


 「正義は、

 いつも少し早とちりをする」



---


 私は、

 思わず笑った。


 「最初から分かってたでしょ」


 彼は、

 小さく肩をすくめる。


 「ええ。

 あなたが“悪役”になる理由が、

 何一つ見当たらなかった」



---


 彼は、

 条件を提示した。


 庇護でも、救済でもない。


 ただ、

 「必要な人材として迎える」。



---


 「あなたは、

 現実を見て判断できる」


 「それは、

 物語を信じる者より、

 ずっと価値がある」



---


 私は、

 一瞬だけ考えた。


 でも、

 答えはすぐ出た。



---


 「じゃあさ」


 私は、

 軽く首を傾げる。


 「正義とか、

 振りかざさない?」



---


 「もちろん」


 即答だった。



---


 「失敗したら?」


 「修正します」


 「裏切ったら?」


 「切ります」


 シンプル。



---


 私は、

 それでいいと思った。



---


 馬車を乗り換えながら、

 私は言った。


 「ねえ、ひとつだけ」


 「なんでしょう」



---


 「私を拾うと、

 面倒だよ?」



---


 彼は、

 少しだけ笑った。


 「面倒だから、

 価値がある」



---


 その言葉は、

 私にとって十分だった。



---


 国境線が、

 後方に遠ざかる。


 私は、

 初めて思った。


 ――ここなら、

 息ができる。



---


 ギャルだった頃も、

 公爵令嬢だった頃も、

 どこかで感じていた違和感。


 それが、

 ようやく消えた。



---


 私は、

 現実を見ている。


 そしてこの男も、

 同じ場所を見ている。



---


 それだけで、

 十分だった。



---


 王国は、すぐには崩れなかった。


 正義は続き、

 王太子は即位し、

 聖女は変わらず光の象徴として祀り上げられた。


 表向きは、

 何も問題がなかった。



---


 ただ、

 小さな歪みが、

 確実に残った。


 公爵家は、

 沈黙を貫いたままだった。


 反乱も起こさない。

 離反も宣言しない。


 ただ、

 “積極的に支えなくなった”。



---


 軍の動きは鈍り、

 財政の助言は減り、

 外交の裏配線は静かに切られる。


 それは、

 反逆ではない。


 正義に従った結果としての、

 自然な帰結だった。



---


 王太子――いや、国王は、

 それに気づいていた。


 だが、

 取り消すことはできない。


 正義は、

 一度振り下ろすと、

 自分では拾えない。



---


 夜、

 一人になると、

 彼は思い出す。


 あの言葉。


 前例を作っただけ。


 それが、

 どれほど重いかを。



---


 聖女レイナは、

 以前ほど笑わなくなった。


 周囲は言う。


 「責任感が増した」

 「大人になった」


 でも彼女自身は、

 どこか落ち着かない。



---


 悪役令嬢は去った。

 物語は進んだ。


 ――はずだった。


 なのに、

 何かが足りない。



---


 彼女は、

 ふと思う。


 「本当に、

 あれでよかったのかな」


 でも、

 その問いは、

 物語には書いていなかった。



---


 一方、私は。


 隣国の執務室で、

 書類をめくっていた。


 特別扱いはない。

 期待だけがある。


 それが、

 心地よかった。



---


 宰相が言う。


 「正義は、

 使いどころを間違えると、

 コストが高い」


 私は、

 コーヒーを飲みながら答える。


 「でしょ。

 だから私は、

 最初から信用してなかった」



---


 彼は、

 少しだけ笑った。



---


 夜、

 一人で窓の外を見る。


 前世の事故も、

 断罪の広場も、

 もう遠い。


 でも、

 忘れてはいない。



---


 世界は、

 物語じゃない。


 正義は、

 いつも正しい顔をして、

 誰かを切り捨てる。



---


 だから私は、

 今日も現実を見る。


 それだけで、

 十分だ。



---

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この作品で描きたかったのは、

「ざまぁ」や「勝利」そのものではなく、

正義が選択を誤ったとき、何が静かに壊れていくのか

という点でした。

聖女も王太子も、悪意を持って行動していません。

むしろ善意の人たちです。

それでも、物語を信じすぎた結果、

現実の構造を見落としてしまいました。

一方で、主人公は最初から何も期待していません。

だからこそ、壊れなかったし、生き残れました。

もしこの物語を読んで、

「正しいことって何だろう」

「正義って、誰のためのものだろう」

と少しでも考えていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。

ご感想・評価などいただけると、とても励みになります。

ありがとうございました。


月白ふゆ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>追放の処分は、形式的に読み上げられた。 >公爵家令嬢としての立場、および後継者候補としての資格の剥奪。 >王都からの退去。 これはやらかしましたね。 罪状が明確ではないことは確認されているのに、…
あれ? 公爵家令嬢であっても「王国に不安を招いた罪」で裁かれるなら、 つまり同様に「王太子であっても公爵家との不和を作ったその罪により裁かれないといけない。具体的には王太子の座から降りる」って事になる…
ひとつたけ訂正を。 爵位の剥奪とありますが、爵位を持っているのは◯爵を名乗っている当主だけ(このお話の場合は主人公の父)で、家族に爵位はありません。爵位持ちの家族だというだけです。 持っていないものを…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ