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真夏の水どろぼう

 今年も猛暑の季節がやってきた。毎日のように気温が40度近くまで上がり、夜も寝苦しい熱帯夜が続く。地球温暖化が原因だと分かってはいるが、エアコンの設定温度を下げて目先の快適さを優先する始末。昔は夕方になるとざっと雨が降って、気温が下がることが当たり前だった。ところが、ここのところは雨さえなかなか降ってくれない。私が住む北関東の田舎では数日前に節水が呼びかけられたほどだ。

 仕事はコンビニのオーナーで、もう十五年になる。店は田園の中にぽつんとあり、決して好立地とは言えないが、国道に面しているため客入りはそこそこ良い。ちょっと前までは人手を集めることに悪戦苦闘していたが、最近は海外からの働き手が来てくれるようになって、私以外はベトナム人やネパール人の青年たちが同僚である。

 働きぶりに不満はない。手持ち無沙汰な時には、よく同郷のメンバーと店の裏口で雑談をしているが、それを注意することはしない。最低限は働いてくれているし、そんなことで辞められたら私の方が困る。それに、裏口は隣接する神社の巨大な御神木の影にすっぽりと入っていて、夏でもどうしてか涼しい風が吹く。枯れ葉が落ちてくることはあるが、エアコンの冷風より気持ちが良いと私も気に入っていた。

 順風満帆とまではいかないが、コンビニ経営ではまだ恵まれた環境。しかし、ここひと月はある問題に頭を悩まされていた。それは『水どろぼう』の存在である。それもただの泥棒ではない。ショーケースに空のペットボトルを残し、中身の水だけを盗んでいく不可解な泥棒である。

 最初はショーケースに売られていた500ミリリットルのミネラルウォーターが一回に数本分なくなるだけだった。客から空のペットボトルが入っていたと指摘され、確認してみると、まだ開封されておらず穴も開いていない空のペットボトルが五本ほど出てきた。不良品かと思ったが、こんな軽い物を陳列しようとすればすぐに分かる。他の店員に聞いても心当たりはないと言われ、防犯カメラにも何も映っていなかった。近くの派出所の警察官にも相談してみたが、子供のいたずらでしょうと早々に匙を投げられた。

 発生頻度は数日おきだったが、ここ一週間は毎日起きている。また、盗まれる量も増えた。昨日は同様の手口で2リットルの水が三本消えただけでなく、バックヤードの水まで被害を受けた。段ボールに保管されていた在庫を開封したところ、8本中4本が空になっていたのだ。

 特徴は水以外盗まれないこと。一本当たりの単価は安いため、被害額もそんなに多くはない。しかし、この怪奇現象を受けて一人の女性従業員が来れなくなってしまった。空いた穴は私が出勤することで埋められたが、いつもう一人増えるか分からない。ただ盗まれ続けることも癪に障ったため、一日中陳列棚を見張ることもしてみた。しかし、その瞬間は一向に訪れず、レジの応援に呼ばれたわずか五分の間にまた盗まれた。

 これはただ事ではない。ベトナム人の一人はドゥク何某という精霊の仕業だと言い出した。ここは日本なのだから河童かもしれないと言い返したが、そういう話ではない。もう一人が休職すると言い出して、ミネラルウォーターの販売をやめることも考え始めた。

 その日の深夜、迷信には惑わされないと強気に言い放ったベトナム人の店員を残し、私は疲労で悲鳴を上げる体に鞭打って裏手の神社に足を運んだ。人智を超えた現象に困らされた時、人に出来ることは神頼みだけ。隣接していたものの、初めてのお参りだった。管理の行き届いていない境内を進んで拝殿の前に立つと、狛犬にお辞儀をしてから賽銭箱に千円札を投入し、二礼二拍手一礼で窮状の解決を願う。

 その直後だった。どこからともなく低い唸り声が聞こえて、私は大慌てで拝殿から離れた。何か祟られるようなことをした覚えはないが、粗末な人生の全てを反省した。しかし、声は止まらない。しばらくして冷静になると、その声が拝殿や本殿の方向ではなく、背後から聞こえていることに気が付いた。

 振り返るとそこには例の御神木があった。樹齢500年は越えているであろう大木は風に枝を靡かせている。その風切り音が悲鳴になっていた。まだ8月上旬。枯れ葉が舞っていることはいつも疑問だった。近づいてみると、唸り声が悲痛に満ちた言葉に変わる。

 「喉が渇いた、喉が渇いた」

 そうだったのか。その時の私は、どこが喉なのだと指摘出来そうなほど落ち着いていた。ここのところ猛暑が続き雨も少なかった。足元の地面はコンクリートのように固く、靴で蹴ると乾いた土埃が舞う。これほどの大木となればコンビニの下にも根が伸びているだろう。あんなペットボトルの量では気休めにもならなかったはずだ。

 「待っていろ」

 私はコンビニに戻るなり裏口へ回り、掃除用のホースを手に取って蛇口をひねった。ホースの出口を指で握って水に勢いをつけると、フェンス越しに水やりを始める。それを10分ほど続けていると、ベトナム人店員が交代の時間を告げてきた。

 それから毎日、この御神木には水をやることにした。ガーデニング好きな妻から水やりは早朝が良いと教えられ、日の出前の水やりを勤務作業に加えて他の店員にも協力してもらった。それ以来、『水どろぼう』は現れていない。

 後日、この神社を管理していた老父が夏前に癌で入院していたことを常連客から聞かされた。御神木は老父から水を与えられていたが、それが滞り、我慢の限界が来てコンビニの水に手を出した。今ではそれが真相だと考えるようにしている。

 残念なことに、木は人の言葉に答えてくれない。しかし、大きく広げた枝葉は今日も裏口に影を落とし、憩いの場を私たちに作ってくれている。

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