日常は続……かない?
「…………、……ナ……ィナ、リィナ!」
「わ、アデル、どうしたの?」
大きな声で呼ばれた名前に小さく驚き、ぱちぱちと瞬きをして首を傾げたカリーナに、アドルファスは苦笑した。
先程、突然アドルファスをぼんやり見つめたまま静止して動かなくなったカリーナ。傍から見ればおかしな挙動だが、アドルファスからすれば、これは割とよくあることだった。
カリーナの癖とも言うべきか、彼女は急になにかを思い浮かばせるように動かなくなり、どこか遠くへと意識を飛ばす。そういう時のカリーナは一切喋らなくなるし、思考に深く沈んでしまうのか、名前を呼んでもしばらく気が付かないのだ。
出会った頃からずっと、これが日常茶飯事のため、アドルファスはとっくに慣れてしまっていた。
「またどこかに意識を飛ばしてたから。何を考えてたの?」
「あ~~……うーん、内緒!」
突然ガン見した挙句、置き去りにして考え事をしていた手前、申し訳ないのだが、今考えていたことは秘密にすることにして誤魔化した。
まさか貴方のハイスペックぶりを思い連ねていました、なんて到底言えないだろう。
「ふぅん。まぁ、リィナが話したくないなら無理に聞かないよ」
「ありがたいけど……、アデルっていつもそうだよね。優しいっていうか。それでいいの?」
「聞かれてもいいの?」
「いや、ちょっと話せないけど」
ふ、と柔らかく笑ったアドルファスが、カリーナを覗き見る。端正な顔立ちに浮かぶ、ちょっと悪戯げにも見えるその表情に、カリーナはぱちくりと瞬きをした。
「優しくするのは当然だよ。だってリィナは俺の好きな人なんだから」
ひぇ、なんて、口から漏れそうになった間抜けすぎる悲鳴を飲み込んだ。
非のつけどころがない美形にこんなこと言われて、平静にいられる人間がいるなら、今すぐ教えて欲しい。冷静さを保つコツを教えて貰うために。
アドルファスはこうして、時折カリーナを口説く。
(もう、ずるいなぁ……っ)
とんでもなく整った彼の容姿は、実はカリーナの好みど真ん中なので、いつも情けない悲鳴が漏れ出そうになる。流石にこれが出てしまうと恥ずかしいので、全て飲み込むのだが。
そんなの聞かれて、もし万が一引かれでもしたら、しばらく立ち直れないだろうし、なにより羞恥で憤死しかねない。
カリーナとアドルファスは、幼少の頃から結婚の約束をしていた。
結婚の約束と言っても、ただの子どもの可愛らしい口約束だ。おままごとの延長線のものでしかない。確証などどこにもない二人の約束事。
けれど、カリーナは何となくアドルファスと将来結婚すると思っているし、それはきっと彼の方も同じなのだ。
アドルファスがこのアールトス村に引っ越してきて、もう十年になる。
お隣さん同士になってから、仲良くなるまでに少し時間はかかったけれど。
一緒に遊んで、子どもらしい無茶をして、怒られて、些細なことで笑って、泣いて。楽しいときも、寂しいときも、悲しいときも、どんなときもいつだって隣にいた。
たくさんの時間を過ごして、たくさんのことを共有してきたのだ。
お互い、基本的には穏やかな気性をしているので喧嘩こそあまりしなかったが、二人は幼馴染みとして確かなものを積み上げてきている。
アドルファスと結婚できるなら、幸せになれるという確信がカリーナにはあった。このままいけばきっと、二人は結婚することになるだろう。
しかし、ここで引っかかるのはアドルファスの常ではありえないようなハイスペックさである。
非凡と言うべきか、物語やゲームであれば確実に何かが起こるような、そんな主人公らしさがアドルファスにはある。何より、こんなにハイスペックな人間が、ただの村人のままでいられるはずがない。
カリーナは、アドルファスの能力の高さを目にする度に驚くし、常人はこうはいかないだろうと毎回思う。それだけアドルファスはすごかった。もうとにかくすごかった。何がって、全てが。
こんな村人が普通なのだと言われたら、カリーナはキレる自信がある。
んなわけあるかい、と。
そんなとても普通とは言えないアドルファスは、こちらの思考をよそにクスクスと楽しそうに笑っている。涼やかなアーモンド形の目が柔らかな曲線を描く。
それを見たカリーナは、嫌な予感がした。
これはまた何か甘い言葉が飛んでくるぞ。
「リィナは相変わらず照れ屋だね。可愛いなぁ」
(ほらぁ!!)
予想に違わない糖度の言葉に頬が熱くなる。
照れ屋もなにも、超がつくほどの美形に、しかも好きな人にそんなことを面と向かって言われて、照れない人間はいないだろう。
どう対応していいのか分からなくなったカリーナは、無理やり会話を切ることにした。
毎回のことながら、まんまとしてやられていて悔しい気もするが、ここで反撃に出たとして、口も頭も回るアドルファスに到底適う気がしないし、何よりこれ以上の糖分は要らない。
「う、もうこの話終わり!」
「はいはい。それで、薬草のお世話は終わったの?」
「終わってるよ。もうそろそろローリカス草の花が咲きそうだった」
「そっか。じゃあ、何して過ごそうか? 本読む?」
アドルファスは引き際を見極めるのが上手い。こちらの様子を見て、すぐに頭を切り替えたようだった。
そのことにホッとしつつ、カリーナは口を開く。
「うん。本読もうかなって思ってた」
「そうだと思ってた。俺の家に来る? まだ読み途中のあったでしょ」
「うん!」
アドルファスの提案に、カリーナは目を輝かせて頷く。
いつも通り、読書をして過ごそうと考えていたのはアドルファスにはお見通しで、読み途中の本があることも知っている辺りが、いかに彼がカリーナを見ているかがよく分かる。
家庭菜園にある薬草の様子を見て、そのお世話が終われば、他に用事がない限りは本を読んで過ごすのがカリーナのお決まりのルーティンだった。
小さな頃からほとんど変わらないその一日の流れを、幼馴染みであるアドルファスが知らないはずがないのだ。
代わり映えのしない、惰性とも言い換えられるようないつも通りの日常。
しかし、この日、そんな温かくも淡々とした日常は裂かれることとなる。
「急な訪問、失礼する! アドルファス・クイン様はこちらにいらっしゃるか!」
「えっ?」
突如響いた知らない声に、カリーナとアドルファスは顔を見合せた。
やけに通る声で呼ばれたアドルファスの名前。しかも、いつもは穏やかな村がにわかに騒がしい。ただ事ではなさそうである。
一体何があったというのだろう。




