奴隷契約にはクーリングオフがない
マリンゼの父、アズベル・ドヌングは、国境沿いの“腐海の森”から現れた魔物を倒すのに必死だった。
ドヌング家は魔物の住む森から王都を守るため、国境沿いの辺境に屋敷がある。
辺境地というだけで、王都の貴族から馬鹿にされることもあるが、“オステッド王国を守る”という立派な役目を授かったドヌング家は別格だ。
そしてまた、ドヌング家と同じように、辺境地で国を守る者たちが存在した。
森から魔物が出てきてもすぐに対処できるよう、森と内陸の堺には深い水堀が作られている。そのため地を這う魔物が陸に上がり、王都にさまようことはほぼない。
水不足になってもすぐに流水させることのできる水の魔道士、コールハース家がいるからだ。
そして、空を飛ぶ魔物の対策として、防御壁、シールドを専門とする魔道士、フェルトフーゼン家がいた。
「なんだこの量は?!!」
見張りからの知らせに魔物の森付近へとやって来たアズベルは、魔物の大群を前に後ずさる。
水堀に溺れる魔物もいるが、大型のものはすでに陸に上がってきている。
そして空では、魔物たちがシールド目掛け攻撃を始めたのだ。
シールドには電撃が張り巡らされており、小さな飛行生物たちが次々と空から降ってくる。
しかし炎の玉を吐くグリフォンや、風のブレスを吐くロック鳥たちの一斉攻撃に、ついにシールドは破れてしまう。
フェルトフーゼン家のシールドが破られるなど初めてのことだった。
「なぜ飛行生物が集団で攻撃している?!! 至急城に連絡を!」
「転移魔法ですぐに状況を報告してくる!」
「城には近衛魔道士もいるし監視兵もすでに気づいていることだろう! それより王都を守るのが先決だ!」
「アズベル! まずはあれをどうにかしないと!」
コールハース家の主、エヴァン・コールハースが指を差す。群れで行動する地竜が、鱗のある長い身体を這わせて大群でこちらにやって来る。
「私は王都に行きすぐにシールドで食い止めよう! ここは任せたぞ、アズベル、エヴァン!」
「わかった!」
シールド専門の魔道士、バスティ・フェルトフーゼンが転移魔法の魔法陣を指で描き呪文を唱える。従者と共に王都へと転移した。
辺境地には村の住民も住んでいるため、他の従者たちは急いで避難指示を出していく。
アズベルは地竜の大群を前に思った。今日マリンゼは王宮内のバトルフィールドで練習試合だと言っていた。なんの魔力もないのに大丈夫だろうか?
マリンゼからのテレパシーもない。こちらから送ろうにも、マリンゼには受信する能力はない。
「(どうか、無事でいてくれよ我が娘!!)」
脚を引きずるアズベルが、地竜の動きを食い止めようと大剣を抜く。アズベルが大きく振り下ろすと同時に、エヴァンがその風圧に水の魔法を乗せた。
「水流出 !!」
アズベルとエヴァンの合体技というべきだろうか。
地竜がその風圧と水圧にふっ飛ばされて水堀へと沈んでいく。しかし相手は大群だ。
従者たちも戦う中、アズベルが手懐けた魔獣たちを解放する。
「アズベル・ドヌングの名のもと、民を守り魔物を討伐せよ! 魔獣解放!」
アズベルが呪文を唱えると、水堀の奥底から現れた美しい妖竜たちが、しなやかな身体を翻し水面上を飛び跳ねる。
しかし太い牙で地竜に食らいつき、次々と沈めていいった。
地中からは地割れと共にゴーレムたちが現れる。地竜たちの進行を岩の手足で食い止めた。
そしてどこからともなく、小さな鳥の魔獣、キマエナガたちが気前よく飛び出して来た。
すでに王都や城に偵察に行っていた彼らのリーダー、スカッシュがアズベルの肩に留まり報告をする。
「アズベル様ご報告でッシュ。」
「話せスカッシュ。」
「王宮内のバトルフィールドが飛行生物たちの餌食になっておりまッシュ。どうやらフィールド内にまかれた撒き餌の粉末が原因かと思われまッシュ。」
スカッシュが、自分の小さな4本指についた金色の粉末をアズベルに見せる。スカッシュがそれを小さな舌で舐めると、アズベルの肩から転げ落ちた。
アズベルが片手でスカッシュを受け止めると、手の中でスカッシュが酔ったように狂喜乱舞し始めた。
興奮剤のような、中毒性のある撒き餌だ。この粉末を口にした魔物は、我も忘れて暴れ狂うのだ。
「はあはあ♡ バーボンより最高でッシュ……はよボクのお腹をさしゅさしゅしてほしいでッシュ♡」
「それよりもマリンゼの様子はどうだった?!」
「な、なにか黒いスライムに取り憑かれていたでッシュ。」
「なに?」
黒いスライム? ……嫌な予感しかない。そういえば先刻もマリンゼは黒いスライムに取り憑かれて失神したと言っていた。
最下牢にいたはずのバモルヒークが、マリンゼのテレパシーを聞きつけ、擬態となり現れたと。
マリンゼがバモルヒークを操り、スライムの擬態を呼び寄せた? いや、魔族を操れる能力など聞いたことがない。
ドヌング家の魔力を封印、解放する士師の力は代々受け継がれるものだが、アズベルの魔獣を手懐け操れる力は、隔世遺伝とでもいうべきだろうか。魔族や知能の高い魔物には通用しないが、知能の低い魔獣には通用する。
親より、祖父母よりもずっと昔の先代から受け継いだ能力。魔道士の中でも、ここまで異種さまざまな魔獣を操れるのは珍しいとされていた。
もちろんマリンゼにもない能力だ。
「アズベル!! 魔物の数が多すぎる!」
アズベルの従魔たちでも手に負えない数だ。壁を作っていたゴーレムたちも、地竜らの突進に後退している。
空には途絶えることのない魔物たちの翼が、空を遮るように広がっていた。
「魔王軍の進撃より厄介かもしれない……」
魔王軍討伐時のことを思い出すアズベル。
魔物とは、魔王が生み出した闇の奈落 ダークピットから生まれるものだ。人間のように交配し、魔王の配下として逆十字の紋章を刻む魔族とは違う。
時として魔物が魔王軍を襲うこともある、野生の邪悪な生物なのだ。
フォルトナが魔王を討伐しても、魔物の発生源である闇の奈落 が消滅することはなかった。
ふと我に帰れば、ロック鳥の群れが近くの村に降り立っていくのがみえる。
「まずい!!!」
アズベルがゴーレムに指示を出す。
「行けゴーレム!! ペテル高原村の民を魔物たちから守れ!!!」
地中に埋まるゴーレムたちが、ボコボコと隆起を繰り返し、速度を上げ村へと進行する。
しかしとても間に合わない。ペテル高原村からは村民たちの悲鳴が上がり始めた。
このままでは村まるごと壊滅させられてしまう!
アズベルが顔面蒼白になりかけた時だった。
闇色の風が吹き始める。
空から無数の筋が駆け抜け、あちこちに支柱のようなものが立ち始める。天地を支えているかのような闇色の、真っ暗な柱だ。
「ま、まさかっ!! 魔王軍の襲来か?!!」
魔王による魔力で、国ごと一気に殲滅させようとしているのかもしれない。
アズベルが闇の支柱に向け、封印の呪文を唱えようとした時だった。
魔物たちが闇の支柱に巻き込まれていっているではないか。
ペテル高原村を見れば、ロック鳥たちが一気に柱に巻き込まれていく。
あれは柱ではなく、闇色の竜巻だ。
「(どういうことだ?! 魔物しか巻き込まれていない!?)」
水堀から上がってきた地竜たちも、今しがた雲の切れ間より現れた竜巻に呑み込まれていく。
魔物たちの無惨な悲鳴が舞い上がっていく。
「そうだ、スカッシュは?!!」
自分が手懐けた従魔のキマエナガたちは、毛並みが風に吹かれてはいるが、飛ばされてはいない。
スカッシュは撒き餌による症状で、今だ地面で身悶えていた。
「(……どういうことだ?! 人間に危害を加えようとする魔物しか竜巻に巻き込まれないということなのか? そんな緻密な能力、一体誰が!?)」
竜巻に巻き上げられた魔物たちが天高くのぼっていき、空の一定領域に達したところで、沸々と煮えたぎるように消えていく。
気付けば、あれだけ空を遮っていた魔物たちが一匹残らずいなくなっていた。
魔物の住む森“腐海の森”からは、風に吹かれた葉が擦れる音しか聞こえてこなかった。
――――後日。
各地に現れた魔物による被害状況の確認や復旧などにより、しばらく魔物の一件は保留にされていた。
被害は最小限に抑えられたものの、王都や城の復旧には時間がかかった。
そしてその日、城の評議室に呼ばれていたマリンゼ。今日は改めて先日の一件について言及を求められることになっている。
足元では久々に会うバモルヒークにまとわりつかれていた。
「まままま、マリマリマリマリンゼさまぁ〜♡♡♡♡泣♡♡ このバモルヒーク、この日をどれだけ待ちわびていたことかっ!!」
足枷、首枷をつけられ、近衛兵に鎖で引かれているバモルヒーク。腕は後ろで交差させ、拘束ベルトででグルグル巻きにされている厳重っぷり。
「すみません。この首枷って内側に刃物を出すとかそういった仕掛けはないんですか?」
マリンゼが近衛兵に残酷な質問をするも、刃物を出した時点で死しか待っていない。
「マリンゼ様♡ それならいっそこのバモルヒークの首を直接切ってくださってもいいのですよ?♡」
「バモルヒーク。気持ち悪いからちょっと離れて。」
「仰せのままにマリンゼ様♡♡ ですが、俺はマリンゼ様の言いつけを守り、この一周間、大人しく地下廊でマリンゼ様から与えられたブーツを食していたのですよ? どうかお褒めの言葉をいただきたく、」
「あー、はいはい。ちゃんと私の言いつけが守れて偉いねー。」
「あひゅっ♡ あ、ああありがとうございますマリンゼ様っ♡♡♡」
白い目で見下すマリンゼ。誰にも『座れ』と指示を受けていないバモルヒークが、マリンゼの足元に息を荒げて這いつくばっている。
今日までバモルヒークは再び投獄されていた。ご褒美にもらったマリンゼの左足のブーツと共に。二週間ぶりの再会のため、バモルヒークは大興奮だった。
彼は眼鏡をかけている。
これまでバモルヒークの眼鏡は、誰が取ろうとしても、正面から顔面めがけて攻撃しても割れることも外れることもなかった。近衛兵士や魔道士、王族も皆試したのに、だ。
バモルヒークを拷問し、自ら外させようとしても外れることはなかったのだ。
しかしあの日、バトルフィールドで主と奴隷の契約を結んだ日、マリンゼが初めてバモルヒークの眼鏡を外した。
そしてバトルフィールドでの魔物殲滅を終え、空からバモルヒークが降りてきた瞬間を狙い、マリンゼはバモルヒークにすぐさま眼鏡をかけた。
どうやらあの眼鏡がバモルヒークの魔力を封印する“枷”らしい。
たかが眼鏡、されど眼鏡。瞳にたった一枚のフィルターを被せるだけで魔王並の魔力を封印することができるのだ。
マリンゼは思った。士師の後継者として、父上のように呪文を唱え術を発動させることを夢見てきたのに。
なぜ眼鏡をかけたり外したりすることが魔力の封印と解放に繋がるのか! 私は眼鏡屋か!と、心の中で盛大につっこみを入れていた。
しかしこれまでどれだけ試しても発動しなかった士師の力を、ここにきて初めてドヌング家の正式な後継者として証明することができたのだ。
「さてマリンゼ・ドヌング。見事士師としての力を発揮し、魔物を殲滅した事実について、王より褒賞を預かっている。前へ。」
第一王子であるローレンツェが、マリンゼの首に、褒賞の証、ガーネットのネックレスをかける。
「ありがとうございます!」
「バモルヒーク、前へ。」
手枷、足枷、腕は厳重に拘束されたままのバモルヒークが立ち上がると、ローレンツェ王子に薄気味悪い笑顔をみせた。
「まさか。オステッド王がこの俺に? はは。冗談だとしても受け取るわけにはいきません。」
「そうはいくまい。謙遜をする必要など、」
「いっておくが、俺は王に仕えたつもりはない。」
「……ほう。王からの施しを拒否するつもりか?」
「当たり前だ。王もなにも、人間など魔族の糧に過ぎない。マリンゼ様意外。人間が生きるこの世界を終わらせることが我々魔族の希望であり未来なのだ。」
評議室にいた近衛兵士と魔道士らが、一斉にバモルヒークに武器を向ける。
「褒賞など受け取るくらいならいっそここで殺されたほうがいい。いや、むしろ俺の鮮血でこの部屋にいる人間すべてを塗りたくり来世まで呪い祟ってやるさ。」
バモルヒークがローレンツェ王子に向け、瞳孔を開き、耳障りな悪魔のささやきで口角を上げる。一同が息を呑む。
小さなマリンゼがバモルヒークの尻を思い切り蹴飛ばした。
「あぁンふフぉぅウうおうフゥフウッッッ!!!♡♡♡♡♡♡」
「ローレンツェ王子を心の底から敬い、褒賞を受け取りなさい、バモルヒーク。」
「んっ♡ ローレンツェ王子、ありがたき幸せ。」
マリンゼに尻を蹴り飛ばされ、一瞬、悦の笑みを浮かべたバモルヒークがすぐさまローレンツェ王子の前に出た。
「…………」
無言で、少々ためらいながらも、バモルヒークの首にガーネットのネックレスをかけるローレンツェ王子。
なにか……声をかけようとも思ったのだが……。特にかける言葉が見つからず、静かに褒賞を与えた。
評議室にいる一同は、マリンゼに脅威を感じた。




