女はみな魔族の虜にしてやるというフラグ回収
ああ、懐かしい。
鮮紅の炎で焼かれる人間が、次第に赤茶げた姿になっていく様。昂る興奮を必死に抑え、余裕の笑みで眺めるのが至極のひとときだった。
生態系の頂点に君臨するといわれている人間は、焼かれれば焼かれるほど、どの生物にも敵わないほどの芳香を放つ。ディナーの前菜ともいえた。
そしてひとたび魔族が食せば、生態系が一瞬にして覆される。天変地異ともいえる変異を、咀嚼と共に全身で味わうことが俺の至福だった。
しかし333年生きたところで、その至福も趣向を凝らす。これまで人間の脂肪や筋肉、内蔵ばかりに囚われてきたが、人間の骨をしゃぶることに悦を感じるようになっていた。
初めは肋骨、そして上腕骨、手足の小さな骨。人間の血をワイングラスに注いで飲みながら、骨をしゃぶり燻った肉の香りを堪能することに悦を感じた。
東の魔王イース様は、俺を影武者として扱うのを建前に、実際は俺という存在に恐れていた。
俺には魔王並の力が存在するというのに、イース様に従うことに、イース様が一番怯えておられたのだ。だからイース様は俺に魔力を抑制する眼鏡をかけた。
強さをかざし、魔族を従えることに俺は無関心だった。ただ、人間をグルメとして味わうことにばかりに囚われてきた。
魔族が世を支配し、人間を絶滅させることになんの意味があるというのか。幸せな日常で暮らす人間の骨をしゃぶることにこそ意味があるというのに。
ところが、その考えが覆されるほどの事件が起こる。666年生きたところで、これまで嗅いだこともない薫香な血の香りが俺の五感を支配したのだ。
それが、マリンゼ・ドヌング様だった―――。
訓練用ダンジョンには、“腐海の森”より移送されてきた、下級レベルの魔獣ばかりが存在する。
しかし今回の騎士団合同訓練は、中級レベルの魔物も移送されていることを忘れてはならない。
「そういえば、マリンゼのお父さんは魔獣を手懐けて従魔として操れることができるのよね?!」
ダイアナがキラキラとした眼差しでマリンゼを見た。何かを期待しているらしい。
「前にも言ったでしょ? 私には魔獣を操れる力はないって。」
「でもマリンゼのお父さんは下級レベルの魔獣しか操れないのに、マリンゼは最強魔族を操ってるじゃない!」
「…………」
ダイアナが、マリンゼの一歩後ろにいるバモルヒークを見やる。なぜか彼は跪き、じっとマリンゼの脚を眺めている。
「……なぜ、なぜ王都騎士団の隊服は、どこぞの色物隊服のようにスカートではないのか……。」
なにかぶつくさとつぶやいている。
ダイアナよ、よくお聞き! 私、この魔族を操っているんじゃなくお守りをしているだけなの。
「チームの1人に魔法でマップを開示できるよう転送した。これはあくまでチーム戦だ。3人一組で制限内にマップ内に記されたゴールに辿り着き、魔物についた銀のタグを提示することが最低条件だ!」
無論、マリンゼのチームでマップが開示できるのはダイアナだった。魔法の使えないマリンゼとバモルヒークにマップが送られるはずもない。ダイアナとはぐれてしまえば迷子になってしまうだろう。
「それでは、開始!!」
これまで何度かダンジョンでの訓練は行われてきた。しかしゴールは訓練の都度変わる。
洞穴のようなダンジョンの入口へ、各チームが走り出す。なにか策があるのか、のんびりと歩いて入っていくチームもあった。
「さてマリンゼ様。俺の力を解放していただくことは可能でしょうか?」
胸に手を添え、綺麗なお辞儀をするバモルヒーク。だが彼を尻目に、マリンゼが無視してダンジョンへと走っていく。その姿をしばし見つめてから、あわててバモルヒークとダイアナも追いかけた。
「ちょっとマリンゼ! バモルヒークの力を解放しないの?!」
マリンゼに追いついたダイアナがマリンゼに問いかける。しかしマリンゼは「当たり前でしょ?!」と声を大にして返した。
「見てよあのバモルヒークを!! まだ始まって3分も経たないってのに、もうあの状態なのよ?!」
マリンゼとダイアナが後ろを振り返れば、ゼエハアと息継ぎを繰り返すバモルヒークがいた。足を止めてこそいないものの、誰よりも遅れを取り、ヘロヘロの状態でギリギリ走っている。
「バモルヒークは確かに魔力はすごいけど体力があれじゃ話にならない! 彼の体力を強化するためにも、なるべく魔力は解放しないままにするわ!」
「えぇえ!! それじゃあ私とマリンゼしか魔物は倒せないじゃない!」
ダイアナが面倒くさそうな顔をする。
バモルヒークはきっと魔力に頼りすぎて生きてきたのだ。1000年も生きると云われている魔族が、魔力ばかりに頼ってきたせいであのザマ。あれでは騎士団として他の団員から認められるわけがない。体力をつけないと!
「悪いけどバモルヒーク! よほどのピンチにならない限り眼鏡は外さないわよ!」
「ハァ、ハぁ……お、仰せのままに。マリンゼさま……。」
ヘロヘロの魔族の背中を見つめるダスティー団長。眼鏡を外さないマリンゼの様子に関心を示した。恐らくマリンゼはバモルヒークを教育しようとしているのだ。
庶民の間には、古より伝わる聖魔道士師と魔族のおとぎ話が存在する。
人間と魔族は敵対するものであると同時に、人々の心のどこかで、魔族と手を取り合う微かな希望が存在したのだ。
ただそれが叶うことなど無に等しい。これまで両者相まみえれば、殺し合うことしか出来なかったのだから。
それが今、あの魔法すらも使えないマリンゼが新たな道を切り開こうとしている。
そして彼女を変えたのもまた、魔族であるバモルヒークであるということを忘れてはならない。
ダスティー団長は感慨深く思った。
「(最初は厄介事を押しつけられたようでどうなることかと思ったが、なんとか上手くやっていけそうだな。)」
魔王軍の中でも、陰険で狡猾と云われてきたバモルヒーク。上辺だけならいくらでも上手くやれるだろう。水面下では何を企んでいるかはわからないが。(きっとくだらないこと)
最初はあちこちから威勢が聞こえてきたものの、次第にどこからか断末魔が響き渡り始めた。
基本ダンジョンは、地下の階層を深く進めば進むほど魔物のレベルが上がっていく。恐らく転移魔法の使える魔道士が、一気に最下層の47層まで行き扉を開いてしまったのだろう。
マリンゼとダイアナは、他のチームが取りこぼした魔獣を倒していた。
「きゃあッっ!! ちょ、私コウモリ系は苦手なのよ!!」
「それならダイアナはワーム系をお願い!」
「わかったわ!」
どのチームも、集団で襲ってくる小さな魔獣を相手にするのが面倒くさいらしい。
土の能力を使うダイアナが、耳を生やした芋虫のラットワームを土の網で締め上げ、ワームの身体をバラバラにしていく。
小さな魔獣にも繊細に対応するのがダイアナであり、一方、リリックコウモリを剣でまとめて串刺しにする大雑把なやり方がマリンゼである。
「リリックコウモリの金切り声に耳をやられないよう気をつけてバモルヒーク!!」
「キィイイイイィ!!!!」
「なんであんたが金切り声上げてんの?!!」
「リリックコウモリの声に負けないよう戦ってるんです!」
「鳴き声に勝つんじゃなくリリックコウモリそのものに勝ちなさいよバカッ!!」
リリックコウモリは金切り声を上げて超音波を発する習性があり、口笛がその周波数によく似ていた。そのためマリンゼが口笛を吹けば、たくさんのリリックコウモリが寄ってくるのだ。
その瞬間を狙い、リリックコウモリを一気に串刺しにするのだ。
「ちょっと!! 剣を抜きなさいよバモルヒーク!!」
「お言葉ですが、俺は剣をこうして携えているだけで精一杯で、ひとたび抜けば剣の重さですぐに後ろに倒れます!」
「あんた用に軽い剣用意してあげたでしょ!?!」
「おっと、そうでした。」
今まで傍観していたバモルヒークだったが、やっとのことで剣を抜く。
リリックコウモリたちに頭をかじられながら、1時間かけて剣で一匹のラットワームを倒した。
マリンゼとダイアナの活躍により、小さな魔獣についていた銀のタグが、びっしりと地面に広がっている。
中級レベルの魔物を一匹倒せば、一度に数十枚のタグを得ることができるが、マリンゼたちは小物の魔獣で数を稼ぐ作戦でいこうと意気込んだ。
「……ちょっと、地面に穴堀りすぎちゃったかな。このまま地面が抜け落ちたらどうしよ。」
地面には、ダイアナの土の能力の痕跡があちこち残されている。深くえぐれている部分もあるため、下の層へ地面が落ちないかを心配していた。
「大丈夫でしょ。他のチームが天井に向けて攻撃でもしない限り、地面が抜けることなんかないって!」
このダンジョンの中階層までは洞窟となっているため、土の地面と土の天井に覆われている。
そのため数十チームが一斉にダンジョンに入れば、一気に攻撃をすることとなるため、地盤が緩む可能性が大いにあるのだ。
「……ねえバモルヒーク。あんたの剣、地面に刺さったまんまなんだけど。」
「違うんです! どう頑張っても抜けないんです!」
「あはは、刺さりどころが悪かったんじゃないの?」
バモルヒークが、両手で必死に剣を引き抜こうとする。まだ頭にはリリックコウモリたちが噛みついていた。
ダイアナが笑いながらバモルヒークの地面に刺さった剣を、いとも簡単に片手で引き抜く。
すると地面に大きな亀裂が入り、下の層へと地面が抜け落ちてしまった。
「わぁぁぁぁああああああぁあぁぁぁ」
「きゃぁぁあああああぁぁぁぁ」
面白いようにバモルヒークとダイアナの声が反響する。二人が一緒になって落ちていった。
すぐ下の層とはいえ、高さは約30mほどはある。
「ちょっと大丈夫?!!」
マリンゼが上から声をかければ、二人がゆっくりと起き上がろうとする姿がみえた。よかったと安堵し、マリンゼはまだ拾い切れていない銀のタグを拾った。
ダイアナは、うつ伏せのバモルヒークの上に倒れ込んでいた。咄嗟のことで上手く受け身をとれなかったが、バモルヒークが下敷きになってくれたらしい。
天井の穴から聞こえるマリンゼの声に、ゆっくりと身体を起こそうとした。その時だった。
「いてて、」
「ダイアナ・コペンヘルグ様。」
ダイアナがふと気付くと、今まで下敷きになっていたはずのバモルヒークが、自分の上になっていた。
なぜか虚ろな瞳で自分の手を握っている。頭のぶつけどころが悪かったのだろうか?
「ど、どうしたの? バモルヒーク、」
「俺のこの気持ちをどうお伝えすればいいのか……!」
「はい?」
「昨日、あなたが高台でオーウェン・フェルトフーゼンと口づけを交わしていたのを見て、俺の嫉妬心に火が点きました。」
「え、エエッ?! な、なななんのことからしらっ」
「隠さなくてもわかっているのです。なぜなら、俺はあなたをずっと見守ってきたのですから。」
「会ってまだ間もないし、私は第二部隊の人間ですけど……?」
不信感を抱きながらも、頬を赤く染めるダイアナ。
正直、バモルヒークの真顔は直接脳に響くほどの猛毒だ。中性的な顔立ちの彼には妖艶さと色気、そして魔族というダークな背徳感が相乗効果としてある。
手を握られて迫られれば、誰しも悪い気はしないだろう。
「なぜあなたほどの才女がオーウェンなどに好意を? あれはただ女をたぶらかす害悪です。」
「さ、才女だなんて……」
「オーウェンは裏で何を企んでいるかわかりません。この国の女性を陥れて、国を支配しようとする他国の刺客やもしれない。」
「そ、そんなことない! オーウェン様は確かに女性なら誰にでも優しいけれど、人を陥れるようなことは絶対にしないはず!」
「そうでしょうか? では彼が今だ婚約者候補を選ばないのはなぜだと思います? すでに婚約者がいるか、あるいは婚姻済という可能性も考えられます。」
「…………え、」
ダイアナが、次第に哀しげな表情へと変わる。ずっと考えないようにしていた嫌な可能性を、他人に突き付けられてしまった。
ダイアナとオーウェンの出会いは、騎士団入団当時まで遡る。マリンゼは王都学園を卒業してすぐに騎士団に入団しているが、ダイアナは騎士団入団までに数年かかっている。
そもそも王都騎士団は、そう簡単に入団できるものではない。数々の試験に合格しなければならないため、何年もかかってようやく合格する者が多い。
ダイアナは小さい頃から背が高く、近所の住民から“巨人”とあだ名をつけられていた。男爵家の長女であるが、いつも前髪で顔を隠し、容姿はできるだけ地味にしており、実家には『将来貰い手がないと困る』といわれ、仕方なく騎士団に入団することとなったのだ。
入団式で激励の挨拶に来ていたオーウェンに言われた言葉が今だ忘れられない。
『君ほど美しく逞しい人を私は知らない。君ほど成長が楽しみな女性はいない。数年後、強くなった君に再会するのが待ち遠しいよ。』
新人騎士を鼓舞するための、オーウェンの常套句なのかもしれないが、ダイアナにとってその言葉がどれほど嬉しかったことか。
初めて女性として扱ってもらえたのだ。
騎士として、女性として、いつか自信のついた自分をみてもらおうと、日々頑張ってきたのだ。
1年前、ギルド集会所のレストランで待ち伏せをして、思い切って自分から話しかけたのが、オーウェンとの親密な仲となるきっかけだった。
はっきりいって恋仲とも呼べない関係だが、オーウェン様はいつだって自分を女性として、そして一騎士として、ダイアナ・コペンヘルグに期待のまなざしを向けてくれる。
たかがポッと出の魔族に否定されただけでも気落ちするダイアナ。マリンゼだったらきっと激怒しているところだろう。
バモルヒークはこの瞬間を狙った。
戦意喪失したダイアナの唇を狙い、キスをしたのだ。
しかもダイアナの後頭部をつかみ、吸い付くようにして。
「―――っ!!」
ダイアナの目が見開き、頬を真っ赤に染める。
一方のバモルヒークは、ダイアナのひとつひとつを脳に刻んでいく。身体の形、髪質、脳の大きさ、鼓動の速さ、皮膚のキメ、瞳の輝き方、骨の太さ、筋肉の張り、呼吸のリズム……
ああ。人間だ、人間の血肉が今ここにある。いっそこのまま喰らい尽くしてしまおうか―――でもちょっと香水臭くて気が萎える……ま、それでもいっか。
唇を離したバモルヒークが、瞳孔を開き切って牙をむく。その身体が闇色に透き通る。スライムとなってダイアナの口から侵入しようとしているのだ。
しかしダイアナは、イケメンにディープキスされたことで胸がいっぱいらしい。今にもバモルヒークに心が奪われそうだった、のだが。その時だった―――
「ふっっッざけんなよこのポンコツ魔族がぁぁぁぁああああッッッ!!!!」
マリンゼが剣をゴルフクラブに見立てて、強烈な一撃をお見舞いした。
バモルヒークの頭が、ぐりんっとあらぬ方向へ曲がった。