一気に現実。それでも、さっきの笑顔は嘘に見えない
とりあえず、これは“ノリ”だろう。
軽くかわすのが正解な気がして、
私は笑顔の裏に戸惑いを隠したまま、こう答えた。
「え、機会があれば……」
そのとき、内勤さんが時間を知らせにきて、
会話は自然と区切られた。
心愛くんは「また後で会おうね♪」と余裕たっぷりの
笑みを浮かべて、すっと立ち上がる。
彼の背中が遠ざかっていくのを見送りながら、
私は深く息をついた。
さっきまでの高鳴りが嘘のように、
今はただ、心が静かに波打っている。
夢みたいだった。
でも、これは現実だ。
「で、誰がよかったの?」
店にいるホストたちがひと通り席を回り終えたタイミングで、ユウトが軽い調子で聞いてきた。
私は、声にならないほど小さく、ぼそっと呟いた。
「……心愛くん、で」
すると、すぐにゆりちゃんの大きな声が弾けた。
「やっぱりね〜! すーちゃん、心愛くんにだけ態度ちがいすぎたもん!
めっちゃわかりやすかった〜!」
きゃははと笑いながら手を叩く彼女に、私は苦笑いを返すしかなかった。
しばらくすると、店の内勤さんが再びやってきて、送りをお願いする人の名前を尋ねてきた。
私はもう一度、小さく「心愛くん」と口にした。
少しして――
「おまたせ〜」
さっきよりも近い距離で、その声はやってきた。
心愛くんが、ニヤッとした笑みを浮かべながら、まるで風をまとったように登場した。
目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
好きバレ……してしまったような、なんとも言えない照れくささが全身を包み込む。
私は思わず視線を逸らしてしまった。
「僕を選んでくれて、ありがとね♪」
言葉と同時に、彼は当たり前のように隣に座る。
距離が、さっきよりも近い。
彼の目が、真正面から私を見つめている。
その視線に、私はもう顔を向けられなかった。
頬が、いや、全身が赤く染まっていくのが自分でもわかる。
「ぷはっ……! すーちゃん、可愛すぎるんですけど〜!」
隣でゆりちゃんが面白がるように笑っているのが聞こえる。
だけど、それどころじゃない。
今、私は目の前の彼の一挙手一投足に、感情を引っ張られすぎていた。
「ねね、LINE交換しようよ」
心愛くんがスマホを差し出してきた。
画面には、QRコードが表示されている。
私は戸惑いながらも、自分のスマホをかざす。
――交換してしまった。
彼のLINEの名前には、文字はなく、蝶々の絵文字だけがぽつんと並んでいた。
夜の仕事をしている人たちは、身バレを防ぐために、あえて名前ではなく絵文字にしているらしい。
そこにリアルを感じて、私は小さく息を呑んだ。
「たくさんLINEしようね」
彼は、愛嬌たっぷりに笑ってそう言った。
その顔が、あまりにも無邪気で、あまりにも眩しくて、思わずドキリとしてしまった。
「ねえ、あのさー」
彼の声色が、少しだけ変わった。
「今度、店に来て指名してくれたらさ――
3万円で営業時間内ずっと一緒にいられて、その後アフターでカラオケとか、朝まで一緒にいられるんだけど。……どうかな?」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
まるで音楽が止まったような感覚。
さっきまでのときめきが、スッと色を失っていく。
ああ、私は今、現実に引き戻されたんだ。
この人はホストだ。
“営業”をしている。
私を“客”として見ている。
LINE交換も、甘い言葉も、
「可愛い」も、「気に入った」も、全部……そういう仕事。
そう思った途端、目の前の彼の姿がほんの少しだけ遠く感じた。
本当は、さっきまでの言葉にすべて心が動いていた。
胸が鳴って、期待して、浮かれていた。
でも――
やっぱり、私が踏み込んでいい世界じゃない。