第九章「演技派悪役令嬢の婚約者」
セドリック・アルヴァインは、まじめ一筋の男だった。
規律正しく、貴族としての誇りを重んじ、決して冗談を言わない。
そして――とても、融通が利かなかった。
ある日、偶然。
親交のあった男爵令嬢に囁かれたのだ。
「その……サンブランシュ嬢を、本当に奥方にされるのですか?」
「……どういう意味だ」
「実は先日の舞踏会で、彼女がちょっと……いえ、申し訳ございません。わたしの口からは」
令嬢は、意味深な言葉を言って去ろうとした。
気になって追いすがると、言いにくそうな表情で、ぽつぽつと教えてくれた。
彼女が、仕事を優先して参加しなかったセドリックのことを「甲斐性無し」だと「未来の奥方を放置するロクデナシ」だと言っていた、と。
いつも、演技しているような大げさなリアクションと、わざとらしい笑顔を浮かべていたレティシア。
やはりアレは演技だったのだ。
セドリックのことを、内心小馬鹿にしていたのだ、と思い込んでしまった。
キチンと話をすればよかった。
彼女の言い分も確認すればよかった。
しかしセドリックは「侮辱された」と思い込んで、彼女に冷たく言い放った。
「うかつで軽率な君を、妻にすることなんてできない。残念だが、婚約を解消しよう」
そして、彼女は修道院に送られた。
それから数か月後、セドリックはとある孤児院へと向かっていた。
アルヴァイン家の代表として、慰問のためだ。
あくまで形式的なもの。
顔を見せて、差し入れとして持参した菓子箱を配れば終わる、簡単な仕事。
――それだけの、はずだった。
「はーい! 皆さま、今日も紙芝居のお時間ですわよ!!」
孤児院、中庭の一角。
簡素なテーブルの前に、たくさんの小さな子どもたちがワクワクと並んで座っていた。
そして、大きな声と共に登場したのは――レティシア・サンブランシュだった。
ぜひ、子どもたちの様子を見ていってください。
そう言って孤児院の担当に案内されたセドリックは、息が止まった。
「では、始めますわ! それでは、むかしむかしあるところに――」
子どもたちへ向ける、優しいまなざし。
登場人物になりきっている、その表情豊かな声色。
「”いいかい、十二時の鐘が鳴る前に帰ってくるんだよ”」
「”ああ! ガラスの靴が脱げてしまったわ!”」
「”愛しい姫……あなたはいったい、どこの誰なのでしょう”」
子どもたちはお姫様の物語に、夢中になって聞き入っている。
レティシアは全力で演技し、語り、輝いていた。
物語が終わっても、しばらく動けなかった。
演劇が好きなのは知っていた。でも、彼女に誘われても、くだらないと一度も共に行ったことはなかった。
まるで仮面のようだと思っていた、演技っぽい仕草。
でも、本当の演技をしている時の彼女は、こんなにも輝いている。
「彼女、紙芝居がお上手ですよね。以前は貴族令嬢だったそうですよ。なんでも婚約者に見放されて、修道女となったのだとか……あんなにステキな女性なのに手放すなんて……いったい、どんなお相手だったのでしょうね」
隣にいた孤児院の担当者が、悪意なく言った。
セドリックは、目を逸らした。
胸の奥が、ズキンと痛んだ。
「えっ……セド……いえ、アルヴァイン様!?」
レティシアが立ちすくむ彼に気づいたのは、紙芝居を終えた直後だった。
驚愕に見開かれた目が一瞬逸らされ、次の瞬間、静かに合わさった。
「おひさしぶり……ですわね。慰問にいらしたのでしょう? お仕事……お疲れ様ですわ」
先ほどとは違う、愛想笑いのような笑み。
以前向けてくれていた、ほがらかな笑顔はそこにはなかった。
「……さきほどの芝居、とても……上手だった」
「まあ……ありがとうございます。子どもたちが喜んでくれるのが、なによりも嬉しいんですのよ」
傍らの担当者が、いぶかしげに彼女とセドリックを見比べる。
まさか、知り合いだとは思わなかったのだろう。
「捨てられたわたくしの特技が……こうやって生かせている。修道院に入れて、わたくし、幸せですの」
穏やかな、優しい口調。
そこに、責めるような響きはいっさいなかった。
だからこそ――セドリックの心は、ぎゅう、と締め付けられたかのように、痛んだ。
帰りの馬車の中で、セドリックは座席に沈み込んでいた。
ひとつ深いため息をついて、ボソッ、と呟く。
「……私は、いったい今まで、なにを見てきていたんだ……」
両手で顔を覆うセドリックに、従者がおそるおそる声をかけた。
「よ、よかったじゃありませんか。サンブランシュ嬢は、どうやら元気でやっておられるようですし……」
「……彼女は、もう、サンブランシュ嬢ではないんだ。ただの、レティシアに……私が、してしまった……」
「……セドリック様」
婚約を解消したときも、罪悪感がなかったわけではない。
だが、今。
彼女の輝きを目にして、手放したものの重さにも、気づいてしまった。
もうどうしようもない後悔が、ドスン、と両肩にのしかかった。
その日の夜の、修道院。
「まさか、セドリック様がいらっしゃるとは……わたくし、うまく笑えていたかしら?」
レティシアが、苦笑いしつつ夕食の盆をテーブルに置く。
「遠目からだけど……あの人、レティシアの顔、まともに見られてなかったよ」
「……ショックだったんでしょうね。顔に『後悔してる』って書いてありました」
同じテーブルについて、エリナとクラリネッサがそれぞれ感想を述べる。
そんな二人の言葉に、レティシアはひょいっと肩をすくめた。
「実は……ちょっとだけ、スッとしました。自分が幸せなんだぞ、って……あの人に言ってやれましたし」
ぱくり、とパンを口に運び、美味しい! と声を上げるレティシア。
こんがりと香る小麦の香りの中に、もう、未練も悔しさもなかった。
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