第六章「悪役令嬢になったクラリネッサ」
「ごきげんよう、クラリネッサ・アグレスト侯爵令嬢」
そう声をかけられる度、クラリネッサは微笑を浮かべ、深く礼をする。
口数が少なく、目立つことを好まない。
礼儀作法は完璧で、いつも相手を立てる理想的な令嬢。
彼女を知る者は「とても聡明で、物静かな少女です」と、口をそろえて言った。
――問題は、物静かすぎて、誤解されやすいということだった。
彼女の婚約者は、とある王国の第四皇子、モンタギュー殿下。
彼は第四皇子ということもあり、割とおおらかに育てられたために、人懐こく朗らか性格だった。
よく言えば、元気で勝気。悪く言えば、思慮が浅く、騙されやすい。
だからこそ、冷静沈着なクラリネッサが婚約者としてあてがわれたのだが、モンタギューにとって彼女は、なにを考えているかよくわからない女だった。
「クラリネッサ……その、もう少し、笑えないか?」
「笑う……こう、でしょうか?」
にこり、とほほ笑むクラリネッサは、確かに淑女としてはこの上ないお手本のような姿だ。
けれど、モンタギューは。もっとハツラツとした、太陽のような笑みが好みだった。
「クラリネッサ様って……笑っても、目が笑っていない、というか……」
「そうねぇ……モンタギュー殿下と並ぶと……ちょっと、温度差が……」
そんな声が少しずつ、貴族の子女の間でもささやかれるようになった。
そして――距離を縮められないまま、ある事件が起きた。
それは、王城での晩餐会の後のことだった。
モンタギュー殿下の周りには、いつも人が集まる。
何人かの令嬢たちが、こぞって彼の気を引くために、いろいろな贈り物を届けていくのだ。
「この間、庭園で摘んだラベンダーを香水にしたのです。ぜひ、受け取ってくださいませ」
「これは、うちの領地で採取できた宝石をつかったブレスレットですわ。ぜひ、モンタギュー殿下に」
女性に囲まれる殿下から、そっとクラリネッサは離れた。
それでも、婚約者のことだ。少しばかり、気にかかる。
彼が女性たちから贈り物を受け取るのを、少しだけ離れた場所から、クラリネッサはぼうっと眺めていた。
それは、いつものこと。
いつもと変わらない、結婚するまでの辛抱――と、思っていた。
しかし後日、令嬢たちから訴えがあった。
「クラリネッサ様に、ものすごくにらまれたんです……!」
「誰にも聞こえないように、こっそりと”私の婚約者に送り物など”と……小声で……!」
「身分の低い私たちを、軽蔑してらっしゃるんだわ……!」
実際には、クラリネッサは何も言っていない。
ただその場にいて、眺めていただけだった。
しかし、もともとクラリネッサのことをよく思っていなかった王子は、何人もの令嬢の訴えに、耳を貸してしまった。
「クラリネッサ。お前は、ぼくへの贈り物について文句を言ったらしいな。そればかりか、位の低い令嬢たちを軽蔑しているとか?」
「……そんなことはございません。誤解です」
「お前は……そうやって、いつも淡々としているな。だからこそ、本当のことを言っているか信じられないんだ」
第四皇子は、静けさよりもわかりやすさを求めていた。
そんな相手に、誠実で思慮深いクラリネッサは、きっと向いていなかったのだ。
それから、間もなく。
王城にて、モンタギューは公に宣言した。
「クラリネッサ・アグレスト令嬢との婚約を解消する」
そう言う彼の傍らには、あの日、彼にクラリネッサの悪口を吹き込んだ令嬢の一人が寄りそっていた。
「周囲への思慮のなさと、その高慢さ、そして差別意識により、婚姻相手として不適切と判断した」
場には、ざわめきと驚きが走った。
その場にいたクラリネッサは、それでも気丈にまっすぐモンタギューを見つめ、一礼した。
「承りました。……誤解のままであることは、残念です」
婚約解消は、やはり婚約破棄とウワサされ、やがて、人々の間で語られ始めた。
「モンタギュー殿下を、影から支配していたんですって」
「本心を隠し続けて、ずーっと完璧令嬢として振舞っていたんだとか」
「最後まで謝りの言葉ひとつなかったそうよ」
間違っていないこともあった。
だからといって、すべて真実でもなかった。
「そうして私は……悪役令嬢となったのです」
自分の身の上を語ったクラリネッサに、レティシアとエリナ、そして他の修道女たちは絶句した。
「それ……ほとんど、無罪じゃありませんの……!?」
「完全に誤解だよそれ! モンタギュー殿下、見る目がないなぁ!」
クラリネッサの両手をそれぞれ握ったレティシアとエリナに、彼女は肩をすくめた。
「まあ、私もモンタギュー殿下はまったく好みではなかったですし、構いません。むしろ……嫌いでしたし」
「えっ」
「それに、うちの両親も……私が誤解されやすく、かつ、殿下を好きでなかったのは察していたので……ここに入れてもらえたのは、むしろありがたかったくらいですね」
そう言って、彼女は目の前の二人――レティシアとエリナを見つめた。
「……こんな素敵な友だちが、たくさんできましたし」
その頬に、わずかに赤みが刺す。
ふわりと笑った彼女の表情は、いかにも淑女――ではなく、年相応の、おだやかな優しい笑みだった。
クラリネッサの聡明さは、アストリッド修道院をひとつ上のランクへ押し上げた。
貧しい家庭から入った修道女へのマナー指導、感情をおさえられない修道女への冷静な制御、文字を読めない幼子たちへの教養の勉強。
かつて皇子の婚約者であった彼女の思慮深さは、この修道院の間違いない財産だ。
「フフッ……あの子、来たときよりも、感情が豊かになったように思わない?」
「そうですね……最初、あの光のない目を見たときには、どうなることかと思いましたが……」
「レティシアとエリナの存在も大きいわ、きっと」
和気あいあいと洗濯物を運ぶ彼女たちを眺めて、汗をぬぐう。
季節は、夏へ差し掛かろうとしていた。
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