第五章「悪役令嬢になったレティシア」
「レティシア、お前はある伯爵令息の婚約者となる。明るく華やかで、彼の隣にいて恥じない女性になりなさい」
それは、長らく放置されていた両親から、三女であるレティシアにかけられた言葉だった。
齢、まだ十歳。
つけられた平民の侍女はかつて舞台女優で、その影響を存分に受けていたレティシアは、大きく頷いた。
「ええ、わたくし、やってみせますわ! まるで、舞台のプリマのように!」
それが、彼女の『演技』の始まりだった。
レティシアの婚約者は、真面目で堅物な伯爵令息、セドリック・アルヴァイン。
知識豊で正義感が強く、融通の利かない、レティシアとは正反対の性格だった。
けれども、だからこそ周囲は、お互いを補い合える「お似合いの二人」と称していた。
レティシアも、彼のまっすぐなところを尊敬していた。
しかし、淑女教育を進め、彼女が華やかに育っていっても、婚約者はいつも冷ややかだった。
「きみは……まるで、芝居の登場人物のようだ」
「そうかしら? でも、その方が華やかでよろしいじゃない?」
「もっと、素を見せてはくれないか」
でも、レティシアは素の自分はつまらないと思っていた。
地味で、平凡で、気が弱く、親がまったく構ってくれなかった子ども時代。
演劇好きの侍女だけが、レティシアの心の慰めだったのだ。
そして、愛情に飢えていた彼女は、両親の打算的な期待をそのまま受け取ってしまった。
――だから、演じ続けたのだ。
おちゃめで、ちょっと高飛車で、堂々とした理想の令嬢を。
自分自身の元々の性格がわからなくなるくらいに、必死に。
――でも、きっと。
もっと、将来の婚約者の声に、耳を傾けるべきだったのだろう。
きっかけは、とある舞踏会だ。
レティシアは、顔見知りの貴族令嬢や令息たちと、いつものように軽やかな会話を交わしていた。
その日は、セドリックは領地に仕事のために不在にしていて、それを知る周りが、ちょっとからかってきたのだった。
「レティシア様の未来の旦那様は、今日はいらっしゃらないのね?」
「ええ、残念ながら! わたくしよりも領地の方が大切なの……なんて、冗談ですわ! 寂しいですけれど、仕方がありませんわね」
それは、いつもの軽口。
気心知れた仲間内の、ほんの冗談だったのだ。
でも、そこには一人、悪意を持った令嬢が潜んでいた。
それを、レティシアは見抜けなかったのだ。
「レティシア。君は大勢人のいる舞踏会で、ぼくのことをなじったそうだな?」
次に、セドリックに会った時。
そこに居たのは、いつもの婚約者ではなかった。
彼は、とある令嬢からもたらされた密告を信じ、レティシアを糾弾してきたのだった。
「な、なじるなんてとんでもない……! いったい、どなたからそんなこと」
「あの舞踏会にいた令嬢からだよ。皆の前で、僕が甲斐性無しだと……未来の奥方を放置するロクデナシだとののしったんだって?」
「そ、そんなこと、言っておりませんわ……!!」
それは悪意ある令嬢が誇張したウワサだった。
責任感の強いセドリックにとって、とても許せない内容の。
「た、確かにセドリック様がいらっしゃらなくて寂しいとは申しました。もしかしたら、ちょっと大げさに話したかもしれません。でも……それだけですわ! セドリック様をけなすなんてこと、するわけがありませんでしょう!」
レティシアも、軽口をひとつひとつ覚えていたわけではなかった。
だから、必死に弁明したし、謝罪もした。
けれど、彼は。正義感が強く融通の利かない彼にとっては、到底、許せることではなかったようだ。
「きみの言葉は……軽いんだ。演技調で、本当のことを言っているかわからない。結婚したら、その趣味の演劇とやらも辞めてもらおうと思って、今まで自由にさせてきた」
「……えっ」
「だが、もう、無理だ。うかつで軽率な君を、妻にすることなんてできない」
「セドリック様……!」
「残念だが、婚約を解消しよう」
おちゃめで、ちょっと高飛車で、堂々とした理想の令嬢。
彼女は長年の努力によってそれを身に着け――身に着けたことによって、また、すべてを失ったのだった。
演技派令嬢が、堅物令息から婚約解消された。
それは面白おかしく脚色され、男を惑わす悪女だった令嬢が、それを看破されて落ちぶれた物語としてウワサされた。
「やっぱりあの子、八方美人だったの」
「あの笑顔も言葉も、全部演技だったのかしら」
「なぁんだ……彼女、婚約相手を弄ぶ、悪役令嬢だったのね」
ウワサは、いつだって真実より饒舌だった。
そんな中、彼女は修道院行きを命じられた。
もともと、実家では可愛がられていなかったレティシア。
伯爵家に嫁がせる駒としてしか考えられていなかったのに、それが解消されたとなれば、もう、行き先はひとつだったのだ。
公爵の出でありながら、社交界からの追放――それは、本来であれば最大の屈辱だった。
けれど、修道院の日々では、彼女の声の大きさに苦言を呈されることはあっても、皆、優しい。
ひそひそウワサする人もいない。眉をしかめる婚約者もいない。
「レティシア、そういえば明後日、劇団がこの修道院に宿として泊まりにくるそうよ。あなた、サインでも貰いにいったら?」
「まあ!! もちろん、参りますわ!!」
今、レティシアは幸せだ。
レティシアの朗らかな明るさに、修道院は以前にも増して明るい。
修道女には、影響されて演劇に興味を持つ娘も増えてきた。
和気あいあいと劇団を受け入れる彼女たちを眺めながら、ポツリ、と呟く。
「あの子、なんだかんだ言って、一番たくましいのよね。なにがあっても、ちゃんと芯を持っている。それは強さだわ」
「ええ、本当に。……もしかしたら、彼女を手放したという令息も、今頃後悔しているかもしれませんね」
副院長も、微笑ましそうに彼女たちを眺めて頷いた。
「そうね。彼女の家族もまた――そう、だったらいいわ」
でも、もしかしたら、今のレティシアはそれを望まないかもしれないけれど。
キラキラと光の差し込む教会は、優しく皆を見守っている。
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