第三章「貧乏悪役令嬢、来襲」
アストリッド修道院に、また、一台の馬車がやってきた。
私は手元のスケジュール帳を眺めつつ、小さくため息をつく。
「ここ30日以内で3人も貴族令嬢だなんて……いくらなんでも多すぎるわね」
その分寄付金が積まれ、修道院は潤っているから、ありがたくもあるのだけれど。
半眼で眺める視界の向こう。
門の前に降りたった少女は、過剰でも、無表情でもない。
なんというか、すごく、普通だった。
ひかえめな栗色の髪を後ろでひとつに束ねて、明るいオレンジ色のドレスは、質素だが清潔感がある。
挨拶も丁寧で、感情もきちんと入っていた。
「本日よりお世話になります。エリナ・マルセルと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
おお、まともな娘が来た。
一瞬感動しかけたが、油断してはダメだ、と言い聞かせる。
今まで、ふつうそうに見える令嬢が、ふつうだった試しがないのだ。
「よろしくね。ちなみに……修道院の理由だけれど……」
脳内で、彼女のいきさつを思い浮かべる前に、すっぱりと彼女が言い切った。
「実家が、没落しかけまして」
「没落」
「まあ、今は踏みとどまっている状態ですが……そんな財政的に不安定な家の娘は嫁にもらえない、と。慰謝料は頂きましたが、実家で養われるのも厳しいということで、寄付金を積んでこちらに参った次第です」
と、困ったような、なんともいえない微笑を浮かべつつ、頭を下げた。
その様子を見て、確信する。
――ああ、この子は苦労人だ、と。
『修道院入り:エリナ・マルセル。経済的困窮の為』
たしか、資料に書かれているのはそれだけだった。
「貴族令嬢で経済的困窮」と聞いて、もしや散財しまくるタイプのわがまま令嬢かと思っていたが、この様子を見るに、彼女のせいではなさそうだ。
「副院長、案内をお願いね」
今までの二人に比べれば、はるかに気は楽だろう。
指示した副院長もそう思ったのか、表情は柔らかかった。
そして、修道院に入ったその日から、エリナは恐ろしいほどすぐになじんだ。
お祈りは丁寧。部屋の掃除から農作業、食器洗いや洗濯、という、令嬢であれば戸惑うようなことでも、なんなくこなす。
そして、空いた時間には、修道女たちにハーブティの淹れ方や、淑女のマナーなどを指導したりもする。
「ねえあの子……本当に、悪役令嬢って呼ばれてたの?」
なんて、修道女たちが戸惑うほど、とてもいい子だった。
そして数日後、昼下がりの洗濯場で、私は彼女の今までの暮らしぶりを偶然耳にした。
ちょうど、レティシアとクラリネッサ、そしてエリナの三人が、今日は洗濯の当番だったらしい。
レティシアとクラリネッサの二人が、ちまちまと時間をかけて洗濯をしている横で、エリーヌは慣れた手つきで洗濯をこなしていた。
「エリナはすごいわね! なんでもできるじゃない!」
「まあ、なにせ、実家では当たり前だったからさ」
「……え? エリナさんの実家って……貴族、でしたよね」
「貴族って言っても、名ばかりだったし。床は抜けてるし雨漏りはするような家でね……むしろ、今の修道院の方が贅沢できてるくらいかな」
「え……床に……雨漏り……?」
「うん。なんでも、うちの祖父が事業に失敗したらしくて。洗濯、掃除、馬車の修理まで、ぜんぶ自分たちでやってたんだ。メイドなんてひとりもいなかったからね!」
朗らかに自分の境遇を語るエリナに、レティシアはうるうると涙目になり、クラリネッサも唇を噛んでいる。
なるほど、そういうことだったのか。
私は三人の洗濯場から離れ、ため息をついた。
やっぱり、彼女たちは悪役令嬢なんかじゃない。
いや、悪役令嬢に仕立てあげられた、ちょっと不憫なただの女の子たちに過ぎなかった。