第十二章「悪役令嬢、過去をなつかしむ」
夜の食堂には、小さな風が吹いていた。
窓から吹き込む夜風が、集まった三人の髪を緩やかに撫でていく。
明日は、三人とも休日だ。
だから夜、少し集まって話でも、という流れになったのだった。
他に誰もいない食堂は静かだ。
煌々と差し込む月明かりが、三人の横顔を美しく照らしている。
彼女たちの手元には、暖かいミルクの入ったカップがある。
これは、副院長からの差し入れだった。
「こうしてみると……わたくしたち、ずいぶんと馴染みましたわね」
と、レティシアが頬杖をつきながら窓の外を見上げる。
「少なくとも……毎日のおつとめは、なんなくこなせるようになりましたね」
クラリネッサは淡々と答え、マナー通りの仕草でミルクを口にした後、ハッとしたように手で口をおさえた。
「まあ……まだ、貴族だった頃の名残はありますが」
「それはしょうがないよ。だって、十五年くらいはそうして過ごしてきたんだし」
修道院に入れられた身ではあるが、それまでの、貴族だった日々が無くなるわけではない。
それは三人とも、よくわかっている。
冴え冴えとした月の光が差し込む清廉とした空気の中、ふと、沈黙が落ちた。
ふだんは騒がしいけれど、真夜中になると、なんとなく、考えることもある。
レティシアが、窓の外の月を見上げながら、口を開いた。
「わたくし……ついぞ、両親から愛されることがなくて。初めて父から掛けられた言葉が『婚約する相手にふさわしい、明るく華やかな女性になれ』で……ずうっと、そんな女性を演技し続けて……今はもう、もともとの性格がどうだったのか、思い出せなくなってしまったの」
ふわりとほほ笑む彼女の顔に、すぅっと影が落ちた。
「もっと素を見せろ、とは元婚約者によく言われましたわ。でも、演劇好きで、声が大きくて、大げさなのも、もう、わたくしなんですもの。……後悔はしていませんし、わたくしは、自分がちゃんと好きですわ」
ティーカップをちょんとつついて、レティシアは笑った。
令嬢らしくない、さっぱりとした微笑み。
けれど、なにより彼女の素の明るさを感じさせる、ほがらかな笑顔だった。
「私は……令嬢には思慮深さが求められると。でしゃばらず、他を支え、聡明であるようにと言われてきました。実際、なにも言わないでいるのは楽だったのです。抵抗しようとしても……貴族令嬢である以上、政略のコマとして使われるのはわかりきっていたことでしたし」
クラリネッサも、つられるように語り出した。
いつも、ジッと口を閉じて他者の声に耳を傾けている彼女の言葉に、二人は黙って先を促す。
「でも……私の相手は、黙って傅く妻よりも、共に笑って歩める相手をお望みでした。レティシア様のお相手と同じく、私の”素”を見たかったのかもしれません。……それこそ、無口で、物静かなのが私の素であるにもかかわらず」
きっと、もともと、相性が悪かったのだ。
クラリネッサは目を伏せて、ふ、と笑う。
「ただ、私も、そんな婚約者に少しでも歩み寄ろうとしていれば、また違ったのかもしれません。すべてを諦めて……なにも言わなかった自分も、悪い。今はそう思えるようになったし……ここでは、前よりも、言葉を出すのにためらわなくなりました」
そう言うクラリネッサの表情は、明るい。
今でも物静かなことに変わりはないが、最近では、彼女の思わぬ毒舌や、鋭いツッコミがむしろ代名詞になりつつある。
「あたしの場合は……そうだね、もう、しょうがなかったんだと思う。うち、貧乏だったし、性格もこんなだし。相手のことは好きだったけど……貴族の女性らしいおしとやかな女性に、最終的に惹かれてしまったみたいだし」
うーん、と両手を伸ばして背伸びして、エリナは続けた。
「結婚する前でよかったかな、って今は思ってる。生まれた頃から貧乏生活が板についてたから、きっと一緒になっても大変だったかなって思うし……それでも、家族の為だからがんばったんだろうけど」
こてん、と首を傾げた彼女は、ニコニコと笑った。
「でも、こうしてこの修道院で、二人と……いや、他の修道女の人たちと一緒に毎日を過ごす方が、何倍も楽しいな。幸い、実家もどうにか持ち直してきてみたいだし」
エリナの実家は一度没落しかけたものの、彼女の兄弟姉妹が一念発起し、負債や不正などを徹底的に洗い出し、税金や出費の見直しを行い、どうにか爵位返上を免れるくらいにはなってきたらしい。
エリナが望むなら、修道院の見習い期間である志願期を終えたら、実家に帰ってきてもいい、と言われているようだ。
ただ、現状、彼女は首を振っている。横に、だ。
「なんていうか……あたしたち、ちょうどいいバランスなのかもね」
「それは言えてますわ。……本当に、不思議なご縁ですわね」
婚約者に捨てられて、この修道院に身を寄せたという境遇はいっしょでも、性格も、思いもまったく違う。
しかし、なぜか不思議と、馬が合う。
それが、バランスなのかもしれなかった。
「この修道院に来られてよかった。……本当に、そう、思います」
「わたくしもですわ!」
「……同じく!」
明るく笑った三人が、ミルク入りのティーカップで乾杯する。
貴族令嬢にあるまじきその姿は、それでも、どんなに美しく着飾った令嬢よりも、明るく輝いていた。
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