第9話⑤ 薬売りの甘い誘惑に打ち勝て! 「浮気するな!ババア!! 」
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ジオファラス様が姿を消してしまった今。
私たちも、もうここに用はない。
仲間を連れて戻られても厄介だ。手負いのリュギオンのこともある。
すぐにここを離れたほうが身のためだ。
急ぎ下山をして、麓の宿泊施設へ身を潜める私たち。リュギオンの怪我の手当てを済ませて回復を待つことにする。
こうして、とりあえずの危機は去った。
沐浴をして部屋着に着替えて。癒しのお宿で、私はとにかくゆったりと寛いだ。
さすがに、どっと疲れていたのだ。
室内のカーペットスペースにゴロゴロと寝転がり、温かいお茶をすすったり、甘味をいただいたり。ほっと一息をつく。
そうしているうちに、あっという間に食事の時間がやってきた。
すぐに、勢いよく食堂に駆け込む私。
二人分のお食事を、二往復してせわしなく部屋まで運んだ。
部屋食にしたのは、リュギオンを移動させることなく、なるべく室内で休ませてやりたかったからだ。
しーんと静まり返る、室内。
私たちはあれ以来、必要最低限の会話しか交わしていない。
怪我の経過だとか、医薬品の残存数のことだとか。それくらいしか、話題にならなかった。
重苦しい雰囲気と、沈黙の中。
私たちは、夕食を黙々と食べる。
ああ〜、美味しい〜。
こんな時だけど、私にはしっかりと食欲があった。
ジオファラス様の庵にいた間は携帯食ばかりで、ろくに食べられてなかったせいでもある。
宿のお料理は、今の私にはどれも美味しく絶品に感じられるものばかり。
私は自然と顔を綻ばせていたらしい。
リュギオンが、こちらをじっと見つめていた。
しーんと静まり返っていた中、沈黙を破る彼。
「マサユキ、って、なんだよ」
ぽつりと呟く。
「助けがいるって時に、呼ぶのは、そんな名前なのか」
そんなことを、いまさら言い出すのだった。
「あのねぇ」
「俺の名は呼ばなかったよなぁ、ババア」
「今、その話題?」
私は呆れたが、同時に、ほっとしてもいた。
会話を続けるリュギオンに、いくらかの調子のよさが戻ったことを感じられたからだ。
「ヤツの名なのか」
「人の夫のことを、ヤツ、とか呼ばないでちょうだい」
「ババアの夫、か。昔の男の話なんて聞きたくもないぜ」
「私だって、あんな話は若者には聞かれたくなかったわよ。いいから忘れてくれない?」
「寡婦のことか。それとも子持ちだったことか。まあ、そんなことでは驚かないが」
「え、知ってたの?」
え、どうして。
保湿クリーム塗るのをついサボってしまったせいで豪快に妊娠線ができている私だから、お腹を見ればバレバレとはいえ。そんな露出をしたり腹出しファッションなんてしていないし、彼に肌を見せたことなんて一度もないのだけど。
「経産婦かそうでないかくらい、歩き方でわかる。骨盤底筋にかかっている不均衡な負荷、臀部下方に拡がる特徴的な肉づき、ひずみ、そこの有無だな。開いた骨盤が戻りきらない箇所が、どうしたって出てくるものだ。それが歩行時においての歪んだ重心のかけ方に繋がってくるんだよ」
うわ、最悪。
正直、気持ち悪いわね。歩行中の女性を、いちいちそんな目で見ないでちょうだい。
「過去の男の存在は気に入らないが……経産婦に関しては、そこは俺には好都合だからな」
「どうして」
「まあな、ほら、俺たちは身長差、体格差があるだろう」
珍しく、リュギオンが言い淀む。
彼にしては、慎重に言葉を選んで発言しているようだった。これでも。
「だから、まあ。行為に際して、物理的に無理が生じてしまうんじゃないかとか。ひそかに危惧してしまうものだろう。しかしそこで経産婦なら、ある程度は受け入れが効く可能性が」
「今すぐ、その穢れたお喋りをやめなさい。そんな穢らわしい話題に、二度と私を登場させないでちょうだい」
「潔癖なババアだな」
「物理的に無理なんかのその前に。そもそも肉体関係なんか生じさせないから」
「考えてみたんだが」
「……嫌な予感」
「肉体関係、性交渉というのは、どういった範囲の行為を言う?」
「……………」
「じゃあ、その範囲外ぎりぎりを攻めればいいんだろう?」
「……………」
「接吻は?抱擁は?」
「……………」
「添い寝は?裸にならず、着衣のまま抱き合うのはどうだ?許されるか?」
「……………」
「制限のある中で、その範囲内で工夫を凝らして愉しみを見出す性的娯楽。生殖器官の結合以外の、接触行為。それはそれで、ありかもしれない。可能性は未知数。無限大だ」
……な、何言ってるの、この若者。
私は、くらりと目眩を起こした。
話せばわかる相手だと信頼はしているものの、ここまで下品下劣な話題に振り回されると、テーブルをひっくり返して暴れてしまいそうになる。
ふ、ふう。
落ち着いて、落ち着いて、私。
食後のお茶をゆっくり飲んで、気を落ち着けて、会話を続ける。
「先立った夫に義理立てして、それで恋愛や結婚をあきらめていたのかババアは」
「義理立てなんかじゃないわ。私は今でも……」
「前に進む気はないのか?あんた、元いた世界から、勇気を出してこっちへ来たんだろうが。何かを変えたかったんじゃないのか」
「…………」
……そうね。
逃げたかったのかもしれないわね。
哀しみから。辛かったことを忘れてしまいたかったのかも。すべて。
「異世界に来てまで呪縛に囚われたままかよ。老い先短いんだろう?残りの人生楽しめよ。もっと自由に生きろババア」
「…………」
なによ。
勝手なことを。
若者は、無責任なことを言うわね。
繊細で傷つきやすい私の気持ちなんか、わかりもしないくせに。
「俺と一緒になれよババア。俺が忘れさせてやる」
勝手なこと言わないでよ。
「俺があんたを幸せにしてやる」
あなたと一緒にいたって、どうにもならないわよ。
忘れられないわよ。
あなたと一緒に旅をしていたって、色んな辛いことを忘れて笑顔になれるわけじゃないし……。
……って。
「……あら」
「なんだよ」
……なれてたわ。
笑顔に。
そういえば。
そうだったわ。
忘れられてたわ、私。
私、わりと、楽しくやってたわ。そういえば。
こっちの世界で。
リュギオンと、楽しく旅ができてたわ。
そうだったわ。
私は、自分の脳内に記録していた異世界道中記を、読み返してみた。
それは、楽しくて明るくて、ワクワクするような内容だった。
この若者の活躍ばかりが目立つ、陽気で爽快な冒険譚。
その思い出は、すでに私の宝物だった。リュギオンのおかげで、笑顔になれた私が、そこに登場できていたのだった。
彼の言葉を受け入れてみようかな。
素直になってみようかな。
彼を信じて、彼に甘えてみようかな。自分の弱いところを隠すことなく話してみようかな。
そう思えた。
これからもずっと、彼と一緒にいたい。
彼と一緒になってみたい。
幸せにしてもらいたい。
そう思えた。
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リュギオンの傷の治りは早かった。何日もしないうちに、あっという間に回復をし、すぐにいつもの調子を取り戻していく。
麓の宿泊施設をあとにして、一番近くの小さな港を目指す私たち。
小さくて細い通りを二人連れ立ってしばらく歩いていると、そろそろ船着場が見え出してきた。
「とりあえず結婚はやめておきましょう。交際まではいいとしても」
彼と一緒にいる。一緒になる。
幸せにしてもらう。
そう決意をしてみたものの。すぐに切り替えられるわけもなく。焦らず、ゆっくり、少しずつ、一歩ずつ慣らしていくしかないようだ。
私は、真隣を歩くリュギオンには顔を見せないように、まっすぐに前を向いたまま会話を切り出していた。
「ふーん、交際はいいのか。じゃあ、俺たちは恋人同士になるのか」
「だとしても!清い交際よ⁈清くて健全なお付き合いだからね!」
「清い交際?なんだ、それは」
「完全プラトニックな関係よ。肉体関係とか一切ないからね。R指定なんて絶対つかないやつよ。プライベートゾーンへの侵害は禁止。不必要な性的接触しちゃだめよ。小学生とか中学生くらいの同年代同士での、少女漫画みたいな、淡くてピュアで爽やかな清い交際ライフよ、わかってるわよね」
「まあ、恋愛形態は人それぞれだしな。しょうがねぇな」
条件付きの、交際案。
意外なことに、リュギオンはあっさりと受け入れた。
「わかったよ。ババアがそこまで言うんなら、俺もそれでいい」
え、嘘みたい。
ま、まあ〜。妙なところで寛容な若者ね……。
「え、えっと、それで大丈夫?」
「俺は訓練された軍人だ。食欲、睡眠欲、性欲、己の欲求ごとき。奮い立たせたり失せさせたり、そのあたりの制御の仕方くらいは心得てる」
「へ、へぇ〜」
「だが、接吻は?抱擁は?それくらいは許してもらえるのか?」
う。
頬へのキスとか友達同士のハグとかくらいは、まあ。ただの挨拶、っていう文化圏もあることだし……。
……う、うん。
そのくらいのボディタッチなら、許されるレベルなのかしらね。
船着場に到着する私たち。
次の発着予定時刻はまだまだ先だった。けっこうな待ち時間が発生している。
他の客もほぼいない、閑散とした港内。
待合所の柵に、私たちは並んで寄りかかり、船を待つ。
ふいに、リュギオンの指が、私の手の甲に触れた。
私は自然と、先ほどの会話の内容を思い出すことになる。
頬へのキスとか、友達同士のハグとか。
それくらいなら、今、この場、公の場で行ったとしても咎められないわよね。大丈夫よね。
軽いスキンシップ、よね。
私はやっぱり潔癖だし、パーソナルスペースを広めに持っているから、けっこうそういうのも苦手なのだけども。
うーん。
「ねえ、ちょっと屈んでくれる?」
「こうか?」
彼の頬へ、唇を寄せた。
そっと唇で触れて、頬へのキスを成立させてやった。
チュッという小さなリップ音。一応、接吻カテゴリーには属する行為。
私は勇気を出して、彼の願いを叶えてやったのだった。
「これでどう?」
「そうだな。悪くない」
リュギオンは、接吻が施されたばかりの自らの頬に手をやり、しばらくの間離さずに、さすっていた。
いや、照れるわ。
恥ずかしいわ。
「抱擁を交わすのは?」
「う〜ん、ハグなら、いいかと」
「ハグ、とは?」
「えっとね」
「恋人同士の抱擁とは、どうちがう?」
っていうか、私も正式なのなんて、日常でやったこともないけども。
えーと、海外の映画とかで見たやつだと、たしか〜。
あ、あら、身長差があるから、なんだか難しそうね。
「えっと、もっと屈んでくれる?目線が合うくらいに」
「こうか」
よーし。
正面を向き合った状態で、前のめりになった体勢のリュギオンに対して〜。
私も、顔を突き出して腰を引いて。肩から上のみが接触するようにしてー。胸があたらないように上半身はなるべく触れないようにしてっと。
顔を右に傾けて、彼の左頬と左肩あたりに置いた。
腕を伸ばして背中に手を回し、ぽんぽんと、肩甲骨のあたりを軽く叩いてやる。
そして、そのまま30秒を維持。
「どう?」
「うん」
「たしか、親しい間柄の人とのハグ、およそ30秒間で、幸せホルモンドーパミンが分泌されるだとか副交感神経が活発になって心身ともにリラックス効果が得られるのだとか、聞いたことがあるのよね。どうかしら?」
「ああ、悪くない」
「幸せ、な気分になれるらしいのよ」
「幸せ、か。そうだな、たしかに」
「そう?」
「ああ、俺は今、たしかに幸せだ」
「そ、そう」
すでに30秒経っていた。
ハグを成立させるために必要な時間は、30秒。もう十分のはずだった。だが、私たちは、お互いに離れようとしなかった。
愛情を込めて長い時間ハグし合うことを、カドリングと呼ぶらしい。
私たちは、それを続けて、幸せになっていた。
私も、幸せだった。
リュギオンが幸せだと言ってくれたことが嬉しくて。私も、幸せな気持ちになれたのだ。
港の待合所。水面が臨める柵の付近。
そのまましばらくの間。
船が到着するまで、私たちはそうして幸せを感じ続けた。
こうして。
異世界道中記は、かろうじて続いた。
あわやの大惨事、涙で霞んで前が見えないという事態にもなりかけた。
人生に苦難はつきもの、旅にだって向かい風はあるもの。大切なものを失ったり裏切られたり騙されたり、あるいは真実だったとしても、とても受け入れられない残酷な事情だったり。
私はたっぷり傷ついた。だが、それ以上に得るものだってあったはずだ。
旅仲間との絆がより深まったことを糧として、私は前へと進んでいくことに決めた。
第9話 薬売りの甘い誘惑に打ち勝て! 「浮気するな!ババア!! 」
━━━ 終わり ━━━




