第9話④ 薬売りの甘い誘惑に打ち勝て! 「浮気するな!ババア!! 」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「それにしても、ジオファラス様……あのぅ」
「どうしました?瑠奈さん」
ジオファラス様に腕を引かれて、その場から離れることになった私。
岩場を目指すという彼の後ろを、ついていく。
「今日はリュギオンがいたからよかったものの……いつも、このように危険な地を散策しておられるのですか?凶暴な獣に襲われたりして、お怖くありませんか?」
「ははは、獣たちはね、私のことは襲わないのですよ」
「えっ」
「関わりたくないと思うのでしょうね。私の体は、毒草まみれですので。そういった体臭や放たれる毒気を、野生の動物は敏感に感じ取って避けていくのでしょう」
「ど、毒草まみれ?」
「薬草であろうと毒草であろうと片っ端から口に含んで、薬効を確かめなくてはならないのでね。私たち薬師は試薬のために、自分の体で治験をするのですよ。先祖代々、ずっとそういったことを繰り返してきた結果なのか。私たち一族には代を重ねるごとに色濃い影響が残されていきました。常人の体とは機能や構造が、あきらかにちがったことも生じていましてね」
会話を続けているうちに、高台の岩場付近にはすでに到着をしていた。だが、ジオファラス様は、私の腕を掴んだまま離さなかった。
私に向き直ると、真正面からじっと見つめてくる。
そうして、そのまま語り続けるのだった。
「本当はね、瑠奈さん。人間は、もうとっくに不老不死になれているのですよ。私たち一族が発見した希少な薬草の数々、そして、それを調合し出来上がった霊薬があるのですから」
「……そ、そうなの、ですか?」
「それがあれば、理想の世界が築けるのですよ。人間はもう、老いることも死ぬことも苦しむこともなくなる。いつまでも、楽しく生き続けることができるのです」
「ま、まあ……」
「私はね、世界中の皆さんとともに、その恩恵を享受できればと考えているのですよ。けれども、一族が、それを許してくれないのです」
「……まあ」
「あの霊薬が普及すれば、世界中すべての人間が不老不死となれるでしょうにね。なのに、一族の方針は、あくまで、ごく限られた層のみで独占することなのです。ごく一部の、財を為した富裕層や権力者にのみ、法外な値で売りつける。その方針を崩さない。もうずっと前からです。いかに一族が既得権益を得続けるか、莫大な富や利益を得るか、それしか考えていないのです」
「……そ、そうですか」
「残念なことに、私一人の反抗くらいでは、一族の方針は覆らないのですよ」
「……そ、そうなのですね」
「今の私にできるのは、ごく限られた方だけに、こっそり霊薬をお譲りすることくらいです。 瑠奈さん、ぜひとも、あれを受け取ってはもらえませんか?」
「……え、ど、どうして」
「私はね、気に入ったんですよ。あなたのことが。このままずっと、あなたと一緒に生きていたい。失いたくない。ですから、あの不老不死の霊薬を飲んでいただきたいと、そう思っているのです」
「……そ、そんな」
「あれを、お譲りしますよ」
「……霊薬、を?」
「あなたにだけ、特別に」
「わ、私にだけ、特別に……?」
「━━ふん、詐欺師の常套句だな」
そこで、リュギオンの声が混じった。
背後から、リュギオンが近づいて来ていた。
「リュギオン!」
「ババアにさわるな。その汚ねぇ手を離せよ、ジオファラス」
「さすがリュギオン君、早かったですね。ご無事ですか?」
「リュギオン、血が……!」
私はリュギオンに駆け寄った。
巨大な猪との格闘の末、勝利はしたものの、さすがに無傷とはいかなかったらしい。
やはり猪の突進攻撃によるダメージなのだろう。太腿あたりの出血が目立っていた。
手当てを急ぐため、早急に庵に戻る私たち。
リュギオンはかすり傷だと言うけれど、太腿には大きな血管が通っている。きちんと止血をして処置を済ませておかないと安心できない。
薬剤の在庫が保管されてある、倉庫のような広めのお部屋。そこの床に簡易的な寝床を作って、リュギオンを横にならせる。
傷口にじゃぶじゃぶお水をかけて清浄したかったので、寝台ではなく、床に寝てもらった。
ジオファラス様のお世話になるのも彼の外用薬を塗るのも嫌がるリュギオンなので、私がすべての手当てを請け負うことになる。
他の薬売りさんから購入していた医薬品なども残っていたので、それでまかなったり、洗浄用の水なども自前で用意したものを使用した。
「はあ、やれやれ」
これで止血は済んだし、一通りの応急処置は終わったわね。
リュギオンも静かに目を閉じている。
あら、安心して、眠ったのかな。
さすがに大猪との戦闘がこたえたのかしら。
「ゆっくり休みなさいねリュギオン、おつかれさま」
「……ちが、う」
「えっ?」
リュギオンが、何かを呟く。
よく見ると、リュギオンは眠りに落ちてはいなかった。瞼はぴくぴくと痙攣している。
必死に眠気と戦っているようだった。
「ようやく効いてきましたか」
ジオファラス様の、そんな声がした。
いつのまにか彼が、隣室との境目に立っていて、私たちを見下ろしていた。
次いで、私にまで異変は訪れた。
ぐらりと目が回り始め、立っていられなかった。
「ま、まさか……ジオファラス様……」
体に力が、まるで入らない。
がくがくと膝や肘が揺れて、とうとう床に崩れ落ちた。
「……何か、薬を盛ったっていうの?」
「こちらへ来なさい、瑠奈さん」
「……う、うそ、私たち、何も口にしてないわ。何も飲んでない、食べてない」
ジオファラス様は、私を床から引き剥がすと、軽々と持ち上げて奥の部屋へと移動をさせた。
奥の部屋の入り口には、香炉があった。
「……これ、この香炉……!」
香炉では、薬草や香木が燻されていた。
微かな煙。あれを吸い込んだからだ。きっと、この煙を吸って、私たちはこうなったのだ。
お香を焚いてた、ってこと?
何よ、これ、麻酔の一種?薬草や香木の作用?
倒流香、逆流香と呼ばれる香炉だった。
お香の煙というものは、通常であれば上に昇っていくものである。それに対して、この香炉は、煙が下に流れていた。
底の中央には穴が空いており、そこを進むうちに煙が冷却されて下に落ちていく、という仕掛けのようだ。
ああ。床に横になっていたリュギオンのほうが位置が低い分、私よりも症状も重く、早くに効いてしまったんだわ。
ああ、なんてこと。私も。
手足が痺れてきた……頭が痛い……。
……体に力が入らない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私はぐったりと、ただただ寝台へ横たわるしかなかった。
ジオファラス様は、私の額に指を置いた。
次いで、顔を近づけて、唇と舌先を置いて、触れていく。
「……や、やめて。わ、私なんか、もう、食べても美味しくないわよ」
「そう卑下なさらずに」
両の手のひら全体で、私の頬や輪郭線を撫で回すジオファラス様。私の額に向かって囁き続ける。
「あなたはまだまだ魅力的で、美しいご婦人でいらっしゃる。あなたの元いた世界ではどうでも、こちらの世界ではちがいます。私たち一族が、延命用途の服薬や食事指導、不老目的での美容施術など、多岐にわたってお支えしますよ。ずうっと現役のまま、気力体力見た目ともに若者世代とほぼ変わりなく、長き人生を楽しむことができるのです。もちろん、異性との恋愛や性生活においても、ね」
「……そう。わかってきたわよ、あなたの魂胆」
今までにも、こうしてみんなをそそのかして誘き寄せて、弄んでいたのね。人の体を玩具にして。怪しい薬草を使って人体実験の道具にしていたんだ。
「あなたたち一族は、こうして罪もない人たちを言葉巧みに誘って、薬品の治験者にしてきたのね……」
ジオファラス様は、不気味な笑みを見せた。
「……まさか、あの仙人さんも治験者?あの集落の人たちに治験薬をばらまいて、効果を確かめていたっていうの?」
「ふっ」
「不老不死が本当だったとして……奇跡的に成功して、本当に寿命が延びた方、効果が出たり効能が合っていた方がいたとして……」
私はごくりと息を呑んだ。
「……失敗した人たちだって、たくさんいるのよね。あなたたち一族のこと、感謝している人たちばかりではないわよね。恨んでいる人たちだって、たくさんいるのでしょう?」
「ふふふ」
「犠牲になっていった人たちが、いたのね……」
寝台の端に腰掛け、横になった私の姿を見下ろしていたジオファラス様。
「瑠奈さん」
彼は私の上にまたがり、覆い被さってきた。
思いきり体重を預けて、全身を圧迫してくる。
「……ジオファラス様、や、やめて」
「あなたのお話を、もっと聞かせてください」
彼はそっと、私の髪を撫でた。
「ご家族がいらっしゃったんでしょう?今は、どちらに?」
「…………」
さらさらと指通りを確かめるように。
手櫛でとかすように、何度も往復をする。
「いなくなってしまったんでしたね。ご主人の名は、たしか、マサユキさん。他にご家族は?息子さんは?娘さんは?今、どちらに?」
「…………」
「そうなんですね。辛い想いをしましたね、瑠奈さん。かわいそうに」
「…………」
「元いた世界で、とても哀しいことがあったんですね」
「…………」
「もう大丈夫。もう、そんな想いはさせません。もう、誰も失ったりしない。誰も亡くなったりしない、いなくなったりしない。私が、そんな世界を作りますから」
「…………っ」
私は泣いていた。
悲しい、哀しい、寂しい、辛い。
ありったけの苦しい感情が溢れて、涙が止まらない。
救いを求めて、助けを呼んだ。
「……昌幸さん……助けて!」
わぁーん!昌幸さん助けてぇー!
もういや!
私、昌幸さんのところに早く行きたい!
昌幸さん、どうして私を置いて先に逝っちゃったの⁈
辛い!哀しい!
もう耐えられない!もうやだぁ!
されるがままになっていた。
上に乗られて、覆い被され、まさぐられる。
身をよじって顔を背けようとした。だが。
全身に力が入らない。抵抗できない。
意識が混濁する。
私の体は、このまま弄ばれ、人体実験の道具にされてしまうのか。
「やめろ……!」
リュギオンの声だった。
「ーーくっ!」
「……ババアから離れろ!」
「ーーふふ、しぶとい用心棒だ」
気づくと私は、顔に水を掛けられていた。
水滴が頬をつたっていくたびに、しだいに覚醒していく。
リュギオンの傷口を洗い終えた後も、床に残したままになっていた水差し。その水差しの水が、私に掛けられたのだった。
その水は、リュギオンの手によって香炉の火を消すのにも用いられていた。
煙はもう、流れていない。
「リュ、リュギオン!」
私は、その名を呼べた。
少しずつ視界が明るくなっていき、頭もはっきりとしていく。
リュギオンの腕は、血にまみれていた。
彼は地を這いながらも、小型のナイフを使って、ジオファラス様の脚を刺していた。同時に、自らの腕にも刃を突き立て、自らを傷つけていたのだった。
刃傷での刺激によって自らを起こし、無理矢理に覚醒させようと試みていた。
ジオファラス様は身を起こす。
リュギオンの攻撃から逃れようと寝台から飛び退いた。
「とんだ邪魔者が入ってきてしまいましたね、瑠奈さん。つづきは、彼を始末してからにしましょうか」
「ふざけないで!私、手籠めになんてされないから……!」
「ふっ、なんて頑なな。貞潔で、身持ちが固いのもいいですがね。一生涯で経験する性の相手が、まさか、たった一人だなんてね。ずいぶんと損をしているというか。悦びも愉しいこともまるで知らないまま、せっかくの熟れた肉体を持て余して。なんとももったいないことだな、と思いますよ、私は」
「余計なお世話よ!」
「ははは、怖い怖い。では、これにて退散するとしますよ」
「待てっ!くそ!このヤロウ!」
「次に会う時は、そのお考えも改まっていることを願いますよ、瑠奈さん。いずれ、また、どこかでお会いしましょう」
ジオファラス様は、庵の出入り口に向かっていく。
リュギオンは、その脚にしがみつこうと這いずった。
地に這いつくばるリュギオンのことを、足裏で踏み躙る。まるで道に落ちているゴミか何かをあしらうかのようにして、追撃を避けていく。
軽やかな身のこなしで、障害物を、ひらりと跨いでいった。
「ジオファラス!売薬奴!この詐欺師ヤロウ!」
リュギオンの罵声も、虚しく響く。
罵声はもう、ジオファラス様の耳に届くことはないようだった。
不気味にリズミカルな足取りで、あっという間に姿を決してしまった彼。
香炉の効果が切れて、私たちが自由に動けるようになった時にはもう、時遅く。ジオファラス様の後を追うことは、すでにできなくなっていた。
痕跡などは、一切残されていなかった。
つづく!!━━━━━━━━━━━━━━━




