第9話③ 薬売りの甘い誘惑に打ち勝て! 「浮気するな!ババア!! 」
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「あ、あなた、どうして!」
どうやらリュギオンが、こっそり私のあとを尾けてきていたらしい。
「おやおや。彼を帯同していたのですか、瑠奈さん」
「ご、ごめんなさい、彼が、勝手に」
「まあいいでしょう、あなたの身を案じてのことでしょうしね。リュギオン君、ずいぶんと忠義に厚い従者ではないですか」
「従者じゃ、ない」
「ほう」
「従者じゃない。俺は、ババアの……瑠奈の……」
「ははは、何だと言うのですか?」
殺気を放つほどにいきりたっているらしき、リュギオン。
そんな彼に対峙しても、怯まないジオファラス様。さすがの貫禄というか、終始、スマートで余裕のある対応を見せつけてくれるのだった。
「そうだ瑠奈さん、今夜の宿はもうお決まりですか?むさ苦しいあばら屋でよければ、泊まって行かれませんか?」
「まあ、よろしいのですか」
「おいババア」
「もちろん君もね、リュギオン君。奥の部屋は調合用のすり鉢や保存用の壺だらけですが、少し片付ければ、お二人くらいは十分に寛げるかと」
「ありがとうございます」
「おいババア……瑠奈、話がある」
え、なに?
リュギオンが、私のことを、名前で呼ぶ。
それは、よっぽど差し迫った要件があるのではないかと思ってしまって。
私はつい、相手にしてしまう。
「え、何よ、リュギオン」
「おい薬売りヤロウ、薪を作ってきてやるよ。今夜はここで世話になってやる」
「それは助かります。お気をつけて」
ジオファラス様にそう言い放つリュギオン。
庵の建物のすぐ近くに大きな切り株がある。リュギオンは、その傍に立てかけてあった斧をひょいと持ち上げ、肩に担ぐ。
そのまま私を林のほうへと連れ出し、庵から離れて行った。
そろそろ夕暮れに近づいていた。
カーンカーンという、木こりの作業音が、耳に心地よく山内に響く。
大木に向かって斧を振るったり、薪を割ったりするリュギオンと、焚き付け用の細かい小枝を拾い集める私。
「リュギオン、あなた、まだジオファラス様のことを疑っているの?」
「ここは敵の縄張りだぞ。どんな罠があるかわからない、用心しろよババア」
「ジオファラス様は、鉱山の村でも人助けをなさってたでしょう。ちゃんとした方だったじゃないの」
黙々と作業をしながら、私たちは会話を交わす。
「いいかババア、約束しろ」
「なに?」
「あいつが用意した物は、何も食うなよ。飲み物もだ」
「ええ?」
「相手は薬師だぞ。薬物を盛られたらどうするんだ。出されたものは、絶対に口に入れるなよ。何が入ってるか、わからないんだからな」
「でもぉ」
「約束しろ、瑠奈」
「わ、わかったわよ」
もお。
このリュギオンが、私をババアと呼んでこない時。
名前で呼んでくる時。
なんだか私も弱いわね、まったく。もお、しょーがないなあ。
わかったわよぉ。
ジオファラス様の前で、飲み食いしなきゃいいんでしょお?
リュギオンは木こり作業を終えると、荷物から手持ちの飲食物を取り出した。
こうして私は、リュギオンが手渡してくれた飲み水を飲んで、ポソポソした携帯食をその場でかじり、今後しばらくの飢えを凌ぐことになったのだった……。
私は不機嫌な表情を隠そうともせずに、あえて、まずそうに反芻していた。
すると、リュギオンがこう呟いた。
「マサユキ、か」
そんな名前を口にした。
「おい、未亡人のババア」
うわ、もう、最悪なんだけど。
「聞いてたのね」
「マサユキに、連れ合いに先立たれたっていう、身の上話のことか」
「盗み聞きとか、最低なんだけど、あなた」
「まあ、大方そんなとこだろうなとは踏んでいたが。俺には、そんな話してくれたことなかったよなぁ、ババア」
「若者相手にするような、明るい話でもないでしょう」
私は顔を背けた。
リュギオンには今、顔を見られたくなかった。
この若者に、自分の弱いところは見せたくない。
……でないと今後、えらそうに説教とかできなくなってしまうし。
私は、そのまま素早く携帯食での腹ごしらえを済ませ、ジオファラス様の庵へと帰って行った。
庵に着いて、簡単な沐浴をして着替えを済ませたり、荷物の整理をしていると。
すると、すぐに夕飯の時間となる。
だが、リュギオンとの約束を破るわけにもいかない。
私は、飲み物にもお食事にも、手をつけてはならなかった。
こちらに滞在する間、私は、少食を気取って過ごさなければならないという。
ああ、なんというひもじさ加減。
とは言っても。ジオファラス様の食生活は、あの仙人さん同様の、野草や山草、徹底した菜食主義で、肉っけのない精進料理だったため。ふつうにいただいていたとしても、どのみち物足りなさは生じていたのだろうけども。
こうして私は、貧しい食生活と空腹感に耐えながら、就寝準備に取り掛かった。
庵には、何室か、倉庫のようになったお部屋があった。その一つを片付けさせてもらう。
調合用のすり鉢や保存用の壺がたくさん置かれてあったが、奥には、寝台や寝具もいくつか揃えられていた。
私は、そのうちのひとつをお借りして、無事、今夜の寝床を確保した。
一方リュギオンは、隣室で寝ずの番をしてくれるようだった。寝具にくるまれて、すやすやする予定の私の、護衛のつもりらしい。
申し訳なさや感謝の念は、そりゃあある。
あるけども……。
あの時の、自分の身の上話を聞かれたことが気まずすぎて……。
しばらく、まともに顔を合わせられないし、話もできそうにない。
彼とは口も聞かないまま、おやすみの挨拶もしないまま、私は眠りについたのだった。
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そして翌日の朝のことだった。
「お二人に頼みがあるのですが、よろしいでしょうか」
「まあ、なんでしょう?」
「薬草を集めに、ともに山に入ってくださいませんか?」
「もちろんですわ、お付き合いします」
「またかよ」
「鉱山での一件もあって。手持ちが心許なくて、困っていましてね。リュギオン君も付き合ってくださると嬉しいのですが」
そうして今日の予定は決定した。
私も、薬草採集にはどうにか慣れてきていた。
ただ心配なのは、ここが、人里離れた山深い地だということ。
私たちは庵の建つ地よりもさらに、山深くに分け入って行く。大樹の茂る、鬱蒼とした森への侵入だった。
あたりは、斧が入ったことのないような大木ばかり。
今から、ここよりもさらに山内に入るというのだから。野生の動物たちに遭遇する可能性も、危険度も、ぐっと増すのだ。
そこで傭兵リュギオンの出番なのだろうか。
ジオファラス様はそういった役割も期待して、彼に同行を頼んだのかもしれない。
「おい、止まれババア」
「えっ」
「でかい猪がいる」
「ひぇっ、イノシシ!」
言われて見れば、遠くの茂みに、巨大な猪がいた。
視力のよいリュギオンのおかげで、至近距離での遭遇という最悪の事態だけは免れた。
発見が早くて助かった。
「だ、だだだ大丈夫よ、後ずさりしながら距離をとりましょう。慌てちゃだめ、静かに、冷静に、隠れてやり過ごしましょうね〜」
「ババアは念のため、木にでも登ってろ。高い場所なら安全だ」
「ま、まるで、カリュドーンの大猪だわ。狩猟の女神アルテミス様がおかんむりになられて、この地にお放ちになられたのかしら〜」
「こんな時にも神話の話かよババアは。のんきなもんだ」
「やはり出ましたね、噂の大猪です。あれが里のほうに降りて行っては、甚大な被害をもたらすらしいのですよ。みなさんお困りのようですので、君が狩ってくださると助かるのですがね、リュギオン君」
「てめえの頼みは聞きたくねぇが、そうも言ってられないようだな」
私たちの気配に気づいたらしき、大猪。
その毛は、すっかり逆立っていた。
カチカチと牙を鳴らして音を出し、前足の蹄で地面を鳴らしていた。これは、威嚇のサインらしい。
リュギオンも、刀を抜いて、身構えた。
相手からは、けっして目線を外さず、身構えたまま。そのまま体勢を低くし、静かに左手を地面に下ろす。
いくつかの石を拾っては、何度かに分けて投げつけた。
この巨大な猪は、麓の里に大損害を与える、獰猛な害獣なのだそうだ。
家畜や犬、農夫や羊飼いに深手を負わせたり、オリーブの木を薙ぎ倒したり、農作物を踏みつけていったりと、大暴れをするらしい。
全身は、茶褐色をした鋼のような剛毛で覆われていて、リュギオンの投石もものともしない。
とうとう突進の体勢に入って、勢いよく向かってきた。
猪は、下顎の犬歯が発達していて、鋭い牙状になっている。突進してくると同時に、その牙を下から上に突き上げてくるのだった。
あああ。牙の高さが、ちょうど太ももにある大動脈の位置にあたるわよ。噛まれると大量出血するわよ。感染症のおそれだってあるのよ。中にはこれで命を落とす方もいらっしゃるのよ。気をつけてよ、リュギオン〜。負けないで〜頑張って〜!
私はいつものようにリュギオンへの声援を送りたかった。だが不用意に声を出せば、こちらが猛獣のターゲットになる危険性があるのだ。
それを恐れ、私は無言のまま、木の陰からそっと見守ることしかできずにいた。
ご、ごめんリュギオン……。
ああ、こういう時って、たしか、毒矢とかが効果的なのよね。
猪の登ってこられない安全地帯、木の上なんかから、チクチク弓矢を撃ってれば、私みたいな戦闘力皆無女子でも、なんとか時間をかけて倒せるのよね、きっと。
ああ、毒矢、毒があればなあ。毒キノコとか毒草とか、どこかに生えてないかしら。
そうこう言ってる間に。
リュギオンは突進を巧みにかわし、剣を振るいまくっていた。
だが、鋼のような剛毛に阻まれ、刃はまるで通らない。
そこで、すぐに攻撃手段を構築し直したらしきリュギオンは、斬撃をあきらめたかのように、剣を逆手に握り直した。
ジャベリンや投げ槍、ショートスピアのような構え方。
親指側が柄の端、小指側が刃の方に近くなるように握る。逆手で持った剣を、そのまま右上に掲げるのだった。
槍のようにピンポイントで弱点を突く。
鼻先目掛けて、刺突、刺撃を何度もくらわした。
怯んだ猪は、木の根につまずいて転倒をする。その機を逃さず、馬乗りになったリュギオンは、予備の短剣を振り下ろし突き刺した。
脚を狙い撃ちにして、敵の移動力を封じようとする。
地に転がって動きが鈍くなった、この好機。さらにリュギオンは、その場で、猪の目と脇腹を貫いた。
だが、不屈の猪は、脚へのダメージもものともしていなかった。まだまだ体力の衰えを見せていない。
立ち上がって暴れ回り、またも突進の体勢に入って行ったのだった。
きゃああ、惜しい!
もう少しよ、リュギオン!刺す攻撃、刺突が効いてるわよ!ああ、あともう何撃か、急所に入ればいけるわよ!
もちろん防御もおろそかにしちゃだめよ〜!ああ、もうすでに血が!けっこう牙攻撃くらってるぅぅ!
やだーもうちょっとよ!負けないでー!頑張ってー!
私は、リュギオンの猪討伐の様子を、手に汗握る実況をしながら見守っていた。
すると。
「ここは危ない。矛先があなたに向いては大変だ」
ジオファラス様が後ろから、ぐいぐいと腕を引っ張ってきた。
「岩場のほうへ逃げたほうが安全ですよ。ほら、高台へ行きましょう」
「え、でも」
「ここは彼に任せて、さあ早く」
「え、ええ」
つづく!!━━━━━━━━━━━━━━━━━




