第9話② 薬売りの甘い誘惑に打ち勝て! 「浮気するな!ババア!! 」
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ジオファラス様の庵に到着した私は、彼に、丁重に迎え入れられる。
「いらっしゃい瑠奈さん、来ていただけて嬉しいです」
ここはジオファラス様にとって、各地に点在する別荘みたいなものなのだという。
薬草の採取に適した山々のいくつかに、似たような住まいが他にも用意されているとのことだった。
在庫を保管しておく倉庫も兼ねた、調合作業の場。
行商であちこち移動する際に、寝泊まりをしたり荷を整理したりといった旅の拠点としても、有効に活用されているようだった。
「さあどうぞ、座ってくださいね。今、お茶を淹れますので」
「ありがとうございます。お邪魔します」
ログハウスのような庵が建っていたのは、山の中腹だった。
平地になった隣のスペースには、ウッドデッキが敷かれている。見晴らしのよい庭のようになっているそこには、丸太でできたテーブルセットなどが設置されていた。
まるでオシャレなカフェである。
素晴らしいロケーション、絶好の眺望を楽しめる、屋外のテラス席であった。
「すてきなお住まいですのね、こんな暮らし、私、とっても憧れちゃいます」
「ふふふ、気に入っていただけてよかったです」
机上のカップには温かいハーブティーが注がれ、木の実や果実が鋳られた甘味までもが並べられていた。私はおおいに歓迎されて、もてなされる。
横に長い、大きなテーブル。真隣の席に座ってくださるジオファラス様。
そうして、ジオファラス様と山の景色を眺めながら、ゆったりと静かに会話を交わすことになったのだった。
まずは、広すぎる商業圏のことについてだった。
さすがに働きすぎなのではとか、お体を酷使されては心配ですわとか、そういった話題から始めてみたが。
蓋を開けてみると、回答は、あっさりとしたものだった。
私が当初から予想を立てていたもの、そのものだったのだ。
「ジオファラスというのは、屋号です。つまり、店の名前なのですよ」
「え、お店の名前?」
つまり、薬屋ジオファラス?なんとか調剤薬局?
なんとか青果店とか、なんとか精肉店、みたいな?
「では、西南の宿場町に立っておられたのは……」
「それは、一番下の弟ですね。あのあたりを拠点とする三号店を任せています」
「軍港にいたのは……」
「軍施設での商売を得意としているのは、叔父ですね。軍関係の方々もよく購入していってくださるのですよ」
や、やっぱり一族経営。
親戚一同、総出で、手分けをして各地に散って、お商売をしておられたのだわ。
それにしても、一族みんなが美形で似たような姿形、背格好で、年齢不詳でまるで見分けがつかないとは。
「街道沿いを走る定期的な伝令飛脚、伝書鳩などを通じて、常に最新の顧客名簿を共有するようにしていますのでね。購入履歴や、病歴、体質などのお客様情報はそれぞれが把握して、込み入ったご相談にも対応できるようにしていますので、安心してお声がけくださいね」
「ま、まあ〜」
私はさらに、あの小国のことを尋ねてみる。殉葬大作戦があった、あの国のことである。
「では、あのぅ、もしかして、小国群のある峡谷での商いなども、されておいでですか?」
「小国群?」
大きな街道からは外れていたし、港にも関係していない土地のことだけど。
「少し前に、国葬があったり政権の交代があったりして混乱していた土地なんですけど……えっと、少し離れたところに大きな湖もあって……」
殉葬された際に一緒になった、あの侍女さん。
盃に注がれているのは毒薬などではなく実はただの眠り薬なのだとか、意味深なことを言っていた、あの侍女さん。
彼女が言っていた、薬師様のお話。
その薬師様、というのが、ずっと気になっていた。薬師なんて他にいくらでもいるのだろうけれど。
同僚の侍女さんたちからは、詐欺師だとかペテン師だとか罵られてて悪評だったのよね。それがまさか、ジオファラス様だったりとか、そんなわけないわよね。
「ああ、あの近辺は、私の父と甥が担当している区域ですが」
「えっ、お父さま?それに、甥御さん?」
「どうしました?まさか、不手際や悪い評判でもありましたか?だとすると、申し訳ないです、私の身内の者が……」
「あ、いいえ、ちがうんです、なんでもないんです」
あの話が本当だったとしても、お名前なんて知らない薬師様のなさったことだし、とにかく情報がなさすぎるものね。
あの侍女さんはすぐに姿を消してしまっていて、全然詳しい話が聞けていないし。あの件に関しては、まだ気になるのはたしかだけど。
……これ以上踏み込むのも失礼だし、やめておこう。
「色々な質問をたくさんしてしまって、ごめんなさいジオファラス様。あなたがお元気なら、それでいいんです。ご親戚の方々と手を取り合って、支え合って商いをされているんですのね。それなら安心ですわよね、よかったです」
「ありがとうございます瑠奈さん。あなたがそんなに私のことを心配してくださるなんて」
横に長い、大きなテーブル。それを前にして、座る私たち。私の席の、真横に座ってくださっていたジオファラス様。
「私は、自惚れてもよいのでしょうか。あなたに気に掛けていただいている、と。好意を持たれている、と。期待してもよいのでしょうか」
「え、あのぅ」
膝に置いていた私の手。彼は、その上に、そっと掌を重ねるのだった。
「お慕いしています、瑠奈さん」
そのまま、ぎゅっと私の指を握った。
「結婚を前提に、交際していただけませんか?」
「え」
「どうでしょう、考えてみてはくれませんか?」
「ま、まあ、そんな、とんでもない」
私は、ぶんぶんと、顔を横に振った。
「年齢差がありすぎますわ。お若いジオファラス様と私とでは……色々な問題が」
「ふふふ、私だってそう若くはないのですよ。瑠奈さん、私はもしかすると、あなたよりも年輩かもしれませんね」
「ええ?まあ、そのような、まさかそんな」
このジオファラス様が、若くはない?
私よりも年輩?年上だなんて、まさか、そんな。
「実年齢より、多少は若く見えていることでしょう。きっと、ここの水のせいでしょうね。行商に回る以外では長く山に籠ることが多いものですから。泉質のよい湧き水のありかなら、たくさん知っていますのでね。他にも、栄養価の高い果実や、木の実、山の幸といった、恵みの賜物でしょうか」
……ま、まあ。
そうでいらしたのね。
まさに、あの仙人さんみたいな生活をしておられるのだわ。
言われてみれば、このジオファラス様。
たしかに。若い輩には醸し出せない、渋さがあった。
その落ち着きっぷりといい。人生経験豊富そうな懐の深さ、寛大そうな精神といい。
仏のような慈悲に満ちた笑み。奥行きのありそうな視界と、深い眼差し。
一緒にいると、とても落ち着く。
居心地がよい。癒される。ほっとする。波長が合う、とは、このこと。
彼に交際を申し込まれたことは、私にとって光栄なことで、とても嬉しく、ありがたいお話だった。
だが。
「……聞いてくださいますか、ジオファラス様」
「はい、どうしましたか瑠奈さん」
「……私は、夫の葬儀の際に、白紋付を着用しました」
私は思い切って、この話を切り出してみた。
「白い、衣装、ということですか?」
「……貞女、二夫にまみえず。という考え方がありまして。夫に先立たれても、先夫に操を立てるため、再婚することはないと示すために着るものなのです」
「それは、忠臣は二君に仕えず、といったふうな。そのようなお考え方なのですか」
「……そうですね。もう誰の妻にもならないという誓いを持って、私は白装束を貫き、葬儀を執り行いました」
ジオファラス様は、私のこんな話にも、優しく耳を傾けて、静かに聞いてくれた。
「……私の夫は、後にも先にもただ一人なのです。昌幸さんのみ。再婚する気にはなれなくて。ごめんなさい、ジオファラス様」
「そうですか。マサユキさん、とおっしゃるんですね」
「……はい」
「そうだったのですね、瑠奈さん。大切な方を亡くされて、それは、さぞお辛かったでしょうね」
「…………はい」
「でしたら、ご無理はなさらず。よいのですよ、私はいつまでもお待ちしています。あなたのお心が落ち着かれるまで」
ジオファラス様は、両の手で、私の右手を握って持ち上げた。
手を握ったまま、じっと見つめてくれた。
「それまでは、お友達でいてください瑠奈さん。よい友人で」
なんだか、目頭が熱くなる。
こんな話を、人にしたのは初めてだ。
胸の内を優しく聞いてもらえたことで、思いがけず人の情に触れて、私は感涙しそうになっていた。
だが、そこへ。
「浮気するな!ババア!! 」
そんな怒声が響いたのだった。
リュギオンの声である。
つづく!!━━━━━━━━━━━━━━━━━




