第3話④ 船上の危機を乗り越えろ! 「さわるぞババア!いいな⁈」
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締め付けられていた胸部の圧迫がなくなっていき、たしかに、わずかに息苦しさがとれていった。
だが、それでもまだまだ、気持ちが悪い。
「ああ〜もうだめ。私はいよいよ、ここまでよ。死んじゃうー」
ああ、海の上で死ぬのね、私。
「船上で死ぬのは、やっぱり嫌だわ〜やっぱり陸地がいいー」
陸で死にたい。土の上がいいわぁ。
山派か、海派かで言ったら、私、絶対、山派なの。
山が見えないと、不安になるの。
あたりを見渡して、視界のすみのほう、ほんのちょっとでもいいから、山が入ってないと〜。
陸地が見えてないと、嫌なの〜。
「大袈裟なんだよ、たかが船酔いで。そんなことでは死なねぇから安心しろ」
「うぅ、気持ち悪いぃ〜死んじゃうぅ。ああ、これが、死期なのねーこうして人は死んでゆくのね……ああ、今、冥府の門がちらっと見えた……ぼんやりと、見えたわよぉ〜冥界の使者が近づいて来るぅー」
「しょうがねぇババアだぜ。やれやれ」
言いながら、リュギオンは私の両肩をがっしりと掴んだ。
「さわるぞババア、いいな?」
私の上体を抱き起こす。
そうして、両手で私の頭部を掴んだり、首筋や耳の下、こめかみのあたりに指を沿わせて押してきたりし始めるのだった。
私は、体に力が入らないまま、ぐでんぐでんの状態で彼に身を預けていた。
背中越しに、彼の存在を感じるしかない。
彼の片膝が、私の腰の上あたり、肩甲骨とウエストのちょうど中間部に押し当てられる。そんな膝頭の骨の感触がしたかと思うと。
そのすぐ後、カクッ、という軽い衝撃が一瞬走った。
両肩が素早く細かく揺さぶられて、私の頭部は複雑な動きをしたらしい。
え?ん?
何?今、なにが起こったの?
やだー、危険な技かけないでー。
「気分はどうだ」
「……ん、うん?」
あら、なんだか、ちょっと、まし。
え、何の技?必殺技?これは、視神経?眼精疲労とかに効くツボ?血行促進とか?内耳とか自律神経とか扁桃体とか三半規管とかと複雑に絡み合ってたり繋がってたり?あ、ただ単に、さっき胸帯をゆるめたのが功を奏して、今頃効いてきただけってのもあるの?
「ちょっとよくなってきたわ〜」
「ふーん、なるほど。人体の構造は、異世界人も変わらないようだな。ほら口を開けて見せろ、舌を出せ」
リュギオンは舌診を終える。そうして私の上体をまた横にすると、そのまま膝枕を続けてくれた。
脱水症状を警戒してこまめに水分を補給してくれたり、額や頬に手をあててくれたりと、きめ細やかな介抱に従事してくれたのだった。
そうして回復を待つ私たちは、しばらく、悪天候の甲板で過ごしていた。
すると突然、悲鳴が上がった。
次いで、大人数が騒ぎ出す。
マストの高いところから誰かが落ちたという。乗組員の一人が足を滑らせて、怪我をしたらしい。
わあ大変、この雨風の中、手足を滑らせてしまったのね。
骨折しちゃったんだわ。肘下が折れて、骨が一部飛び出して剥き出しになって血だらけ。
あああ、痛そう。
どうやら船医さんは、乗船してないみたい。
うーん。
こういう時代背景の異世界では、お医者さんって、できることが少ないのよね。なぜなら、解剖学とかって禁忌、タブーだから……。
それに関しては……戦場で人体解剖に近いことが可能になっている殺し屋稼業、傭兵なんかのほうが、生物学や医学の知識が豊富だったりする。
臓器やその機能、人体への理解を深めたり、学べる機会が多くあるという。すごい皮肉が発生している……。
外科分野なんかは、特にそうよね。
「リュギオン、なんとかしてあげてよ。あなたなら、戦場でああいうの慣れてるでしょ」
「骨折の整復くらいなら、たしかによくやるけどな」
さっすが傭兵ー。
「だが、なぜ俺が?俺は今、船賃払って乗船してる客なんだぞ。事故の対処に奔走するのは乗組員たちの仕事だ。俺には関係ない」
「な、なにをぉ〜、人助けでしょぉ〜」
「タダ働きなんて、ごめんだな」
ま、また、この怠慢な若者は〜!
「こんな青白い顔して死の淵を彷徨う私の頼み事が、聞けないって言うのぉ〜⁈」
「しょうがねぇな。わがままなババアだぜ、まったく」
渋々と承諾するリュギオン。
やる気なさげに、気怠げな溜め息をつきながら。怪我人を取り囲んでオロオロとするばかりの若い乗組員たちの間を分け入っていく。
「おい、度数の高い酒と、水と、布片を持ってこい」
冷静にわかりやすく周囲に指示を出しながら、消毒や清拭を手早く済ませる。
「前腕部を心臓より高い位置に上げてろ。おい、誰か持っててやれ。いいか、この部分、肘窩を冷やすんだよ」
ずれた骨の位置を元に戻し、関節面の位置関係を正常位に復す。徒手的な措置。様々な手技が行われた。
そうして、添え木をあてた固定がされて。ひとまずこれで、船上での応急手当ては完了。
おお、なんて見事な非観血的整復術。
「まあ、すごいわリュギオン、えらいわリュギオン」
私はよろめき壁に寄りかかりながらも、拍手喝采をして、人命救助に勤しんだこの若者を褒め称えた。
が。
「ふん、無努力の凡人どもめ。今後は、この程度の応急処置くらい、それぞれで身につけておくことだな」
前言撤回!
周囲の人たちに悪態をつきながら去っていこうとするリュギオンの不遜な態度に、私は激怒した。
無努力って!凡人って!なんて暴言を!傲慢にもほどがあるわ!英雄と崇められて調子に乗って!己に慢心し過ぎなんだからね!
「ちょっと、なんて言い方するのよ」
私は、リュギオンを窘める。
「気にしちゃだめよ、みんな。こんな悪天候の中だもの、いつもの業務をこなすだけでも大変なことだわ。みんな、立派な船乗りさんたちよ」
同時に、若い乗組員たちにも声をかける。
「ありがとうっす、おねえさん。でもオレ、リュギオン様に声をかけてもらえて嬉しくって」
「せっかくいただいたリュギオン様の助言だし、大事にしたいよな」
「やっぱり基礎の応急手当てくらいは勉強しとくか」
「うん、オレも救命講習会とか参加してくる」
えー。
なによ、この、絶大な信頼と人気は。
ものすごい崇拝、信奉ぶり。
「いえ、やっぱり、そんなことではだめだと思うのよリュギオン。大体、あなたねぇ」
「若者に説教する元気はあるのかよ、死の淵を彷徨っていたんじゃなかったか。しぶといババアだぜ」
「真面目に聞きなさいよ、私は、あなたの将来を心配して……」
「わかったわかった、あとで聞いてやるよ」
壁に寄りかかっていた私。
話を遮りながら、私の体に手を回すリュギオン。
「風が冷たくなってきたな。そろそろ船室へ戻るぞ」
「きゃ、ちょっと」
私のことを軽々と、そのへんにある荷物のように抱え上げた。
お、お姫様抱っこぉぉ!
「お、下ろしてよ、自分で歩けるわよ」
「いいから。死に体なんだろうが。船室まで運んでやる」
力自慢の彼ですもの。私の体重くらいは、まったく負担にならず、軽いものなのかもしれない。だから私のほうも、そこまで申し訳なく思ったり遠慮したりしなくてもいいのかもしれないけど。
ああ、でも。
この体勢、無理だわ。なんだか、ふわふわ落ち着かない。
ようやく三等船客室に戻ると、私はすぐさま飛び降りて、彼から離れた。
簡易的な枕を頭にして、薄いタオルケットみたいな掛け布団に身を包み、雑魚寝用のカーペットスペースに、横たわる私。
しーんと静まり返る、二人きりの三等船客室。
ああ、気まずいわね。何か話をしたほうがいいかしら。
そういえば、まだお礼が言えてないわよね。
あと、彼に何か謝ることがあったような。
ああ、そうだった。えらそうに指図して戦闘させたこととか、そもそも彼の乗りたがっていた豪華客船を却下したこととか。有名ゆえに人嫌いの彼に、船内でストレスを与えたこととかよね。
寝そべる私の傍らで、リュギオンは、指立て伏せをしたり自重筋トレをし始める。
「そういえば、みんなが言ってたわね、あなたのこと。神々に愛されてる英雄、だとか、全能神様のご加護を受けた戦士、だとか」
「戯れ事だよ。神が何してくれたって言うんだよ。ただの本人の努力だ。軍人教育と訓練を受けて日々鍛錬を積んでれば、誰だってこのくらいには仕上がる」
「そうね、あなたがいつも心身を厳しく鍛えているの、知ってるわ。あなたの功績は、努力と鍛錬の成果。いつもちゃんと頑張ってる証拠よ、わかってるわよ。だけどねぇ」
「なんだよババア、また説教かよ」
今回の件を振り返ってみる。
内科外科の応急処置や、医療技術はもちろんのこと。
きめ細やかで、お肌への配慮が隅々まで行き届いた丁寧な化粧落とし。器用な手先。
リュギオンって、意外に家庭的なのよね。
野営の際にも、衣食住関連、いつもそつなくこなしてるしね。
戦闘力や体力が抜きん出てるフィジカルエリートなのはもちろんのこと。時折見せる知性と教養といい。地頭の良さともいうべき記憶力や回転の速さといい。理路整然とした無駄のない喋り方といい。
なんだか、オールマイティに、なんでもできる人なのでは。
すべての基礎値が高くない?
「リュギオンあなた、ステイタス値として、チート級なのでは」
「チート級って、なんだ?」
「たとえばごく一般的な人間が、総合力100ポイントを、各分野に割り振るとするでしょう?この場合、五分野とするわよ?すなわち平均的な人間が、攻撃力20防御力20体力20知力20器用さ20」
「ふーん、それで?」
「人によって個性はあるわよ?運動が得意だけど勉強ができない、とかね。その場合は、攻撃力30防御力30体力40知力0器用さ0、ってかんじね。でもね、総合力が100なのは、みんな平等で一緒なのよ」
「うん、それで?」
「でもね、あなたはすべての基礎値が高いのよ、リュギオン。たとえば、攻撃力40防御力40体力40知力40器用さ40。総合力が200はあることになっちゃうのよね。常人の二倍の総合力ポイントを持ってるってことなの。チート級って、そういうことよ」
「ふーん」
「それが、半神半人とか神々のご加護を受けてるとか、言われてしまうゆえんよ」
「ちなみにババア、あんたの基礎値、ステイタスとやらはどうなってる?」
「あー、私はたぶん、攻撃力10防御力10体力10知力10器用さ10。そんなかんじかな」
「……なんだか数値がおかしいが」
「総合力ポイントのこと?」
「総合力が100なのは、みんな平等で一緒なんだと言ってなかったか?あんた、総合力50しかないぞ。常人の半分になってるが」
「歳を重ねると、反比例して総合力ポイントが減っていくものなのよ」
「……なるほど」
これが老化現象の数値化というわけね。
「それでねリュギオン、あなた、やっぱり半神半人だったりしない?お父上が全能神様だったりとか、母君が女神様だったりとか」
「しねぇよ。いいかげんにしろよ。くだらねぇ神話の話なんか勘弁してくれ」
あら、また怒らせてしまったわ。
「たあいない雑談をしてれば気がまぎれて、船酔いも忘れられるってんなら、ババアの若い頃の話でも聞かせろよ」
えええ。嫌だわ。
なんだか照れるわ。
「説教でも恋愛話でも、神話以外なら、なんでも聞いてやるよ。ほら話せ」
そうして。
なんとリュギオンは、目的地の港に到着するまで、私の雑談にずっと付き合ってくれた。
意外にも聞き上手で、長話にも嫌な顔をせずに相槌を打ってくれる、見上げた若者である。
私の異世界道中記には、様々な困難と危機が押し寄せた。
あやうくページ途中、道半ば、海上で止まってしまうところだった。あぶないあぶない。
力強い旅仲間に支えられて、なんとか乗り越えることができた。これからもきっと、その力に頼ることになるのだろう。
私の異世界探訪は、まだまだ続く!
第3話 船上の危機を乗り越えろ! 「さわるぞババア!いいな⁈」
━━━ 終わり ━━━




