表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/89

(8) 祝福

 手術室のランプが、真っ赤に点灯している。

 その紅色をじっと眺めていると、どうしても目の前がぼやけて滲んでしまう。


 あれからどのくらい時間が経ったのか、もうわからない。

 演奏の時昂った感情は、既に跡形もなくどこかへと消え去ってしまった。


 医学知識も何もない、無力なわたしたちに今できるのは、ただひたすら手を組んで祈ることだけだった。


 突然、傍らで梢が泣きながら自分を責め始める。


「……わたし、わたしのせいだ。ミニコンサートをしたい、なんて病院に言わなければ。ロビーで、歌わなければよかったんだ!」


 言い終わらないうちに、誰かが彼女の胸倉を掴む。

 瞼を拭いて見上げると、椿だった。


「馬鹿か! 梢だけのせいなわけないでしょ。これは、みんなで決めて、みんなで歌った結果じゃん。

 だから、そんなふざけたこと、二度と言わないでよ!」


 叫びながら、彼女の頬にも涙の線がたくさん伸びていた。


 梢は、ごめんなさい、と一言だけ言ってから、へなへなと椅子に座り込む。

 その後も、鼻をすする音が至る所から聞こえてきた。


 しばらくの間、わたしたちはむせび泣いたり、目を閉じて俯いたりしていた。

 やっていることは全員バラバラだけど、両手を固く組んだポーズだけは、みな一緒だった。


 わたしも強く手に力を込めながら、ナナ様に向けて祈りをこめる。

 さっきまで確かにいた彼女は、気づいたらいなくなっていた。


 ねえ、こんな時に、一体どこにいるの。

 どうかお願いだから、お母さんを、赤ちゃんを、助けてあげて。


 突如あの赤いランプが消えた。

 みんなの視線が、一斉に無機質なドアに集まる。


 その刹那、ドアは両側一杯に開かれた。

 そして、中から勢いよく飛び込んできたのは、まるで聞く人の心臓に直接何かを訴えかけるような、叫びにも似た元気な赤ちゃんの泣き声だった。


 先程からドアの周りをせわしなく動き回っていた男性が、泣きそうになりながら急いで中へと入っていく。

 きっと、その子のお父さんに違いない。


 やがて、お医者さんが廊下に出て、わたしたちを見るなり無言で首を縦に振った。

 無我夢中で、わたしはみんなと手を合わせた。




 数日後。


 午前中に珍しく梢からの招集で病院に集まったわたしたちは、そのまま二階のとある病室に入った。

 そこには、あの女性がベッドに横になって休んでいた。


 その傍らでは赤ちゃんがすやすやと気持ちよさそうに眠っている。

 それを見て思わず「かわいい!」と叫びそうになったものの、その子が起きたら大変なので、小声でお母さんに挨拶した。


 その人はわたしたちに気づいて身体を少し起こすと、笑顔で手を振ってくれた。


 後から聞いた話では、生まれてきた子は女の子で、突然の出産だったために最初は命が危ぶまれたものの、手術は無事成功し、今や母子共に健康だそうだ。

 まずはそのことに改めて一安心する。


 ここで後ろから早百合が謝り始めた。


「すみません。きっと私たちの演奏のせいですよね。こんな危険なことになってしまったのは」


 その言葉を聞いて、思わず全員が黙り込んでしまう。

 しかし、意外にも女性はすぐ笑い飛ばしてくれた。


「……えー、どうして? そんなわけないじゃない。この子が生まれるタイミングは、神様だけが決められるのよ。絶対に、貴女たちが気に病むことなんてないんだからね。

 それに、むしろ貴女たちには感謝しているくらいなの。この子が生まれる前に、私は素晴らしい演奏を聴くことができた。それも、とびきり心がワクワクするような、そんな歌声をね。きっとこの子も、お腹の中で同じように思ったはずよ。

 今私はね、強く実感しているの。この子は、島の神様に守られて生まれてきてくれた。そして貴女たちの音楽に祝福されて、こうして生きているって。だから、この子はきっと、これから何十年先もずっと幸せでいることができる。

 これも全て、貴女たちのおかげよ。本当にありがとね」


 そう言って、彼女は目を閉じたままの赤ちゃんの手に、そっと触れる。

 小さな掌が、ゆっくりと人差し指を包み込んだ。


 わたしは、溢れてくる涙を抑えられないまま尋ねた。


「名前は、もう決めているんですか?」


 女性は優しい表情でみんなの顔を見回すと、小さな声でそっと囁いた。


「さっき主人と決めたんだけど、みのり。幸せに祝うで『幸祝』っていうの。いい名前でしょ?」


 女性はとても嬉しそうにニコッとはにかんだ。


 彼女がその名前を口にした瞬間、隣の赤ちゃんが一瞬だけ笑ったような気がした。

 今は相変わらず気持ちよさそうに寝ているから、きっと見間違いだろうけど、強引にでもそう思うようにした。


 だって、こんなに素晴らしい名前を付けてもらえたこの子が、嬉しくないわけなんて、きっとないだろうから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ